6 動

 短めの髪が頭全体を巻くように覆っている。目許から顎にかけては柔らかい曲線が描かれる。顎の線はやや固い。目はいくらか垂れぎみで、笑うと八時十七分くらいの角度になる。身体は全体的に細めで、胸は平均点以下である。だが、その先端部はわずかに上向きだ。尻は大きくないが、きゅっと締まり、充分な丸みを持っている。贅肉が殆どないので、腰のくびれがかなり際立つ。足はそう長くはないがスラリと伸びて、足首は細い。中学の頃、陸上選手をしていたそうだ。絵理子自身は、その足の形が自慢らしい。ヴィーナスの丘は、どちらかというと平坦で、また陰毛は髪や目の色と同じく、黒というよりはライトブラウンに近かった。

 私たちは初めから相性は良かったようだ。出会って三月目には、もうベッドインを果たしていた。けれども、彼女はどうやら男には不慣れだったらしく、私の前で、なかなか官能の迸りを見せなかった。だから、お互いの身体が馴染んでくるのに、さらに三月の時間が必要だった。彼女が己の官能を素直に表現するようになったのは、それからのことだ。

 その絵理子が、いま、私の下で涙を流していた。私が吸い、舐め、這わせ、膝を割って彼女の中に押し入ったとき、彼女がふいに目を潤ませたのだ。それは決して官能の呼び水ではなかった。そのことだけは、私にもはっきりと見て取れた。けれども、そのときの私には、絵理子が流した涙の真の意味を知る由もなかった。

 浅く、浅く、深く。私が彼女の中で律動する。その私の動きにぴったりと合わせて、彼女がリズミカルに身を揺り返す。快楽の波が大きなうねりとなって、私たち二人を荒々しく飲み込んでいく。彼女の吐息がねっとりと甘くなる。彼女の意識が白くなる。私の頭から昨晩以来の出来事が一掃される。二人のリズムが完全に一致する。私が登りつめる。彼女が登りつめる。二つの身体がほとんど一つの生き物となる。繋がりが一点から全体へと拡大する。私は彼女だけを感じていた。彼女は私だけを感じていた。そして、私は彼女を通して私のすべてを、彼女は私を通して彼女のすべてを感じていた。それは単なる甘い融合から、完全無欠の<無>の境地へと二人を誘っているようだった。

 やがて、その共生体の動きが、ついに、最後の段階へと登りはじめた。荒い息が渾然と混じり合い、ねっとりと熱く絡み合った。愛液がとめどなく流れだし、先端が小刻みに震えだした。快楽の絶頂がほの見えだし、二つの叫びが同時に聞こえ、何もないものへ、何もないところへと、私たちはまっしぐらに登りつめていった。そして――

 そのとき、携帯の着信音が鳴った。

 私たち二人は、ぎょっとして、その方向に目を向けた。一瞬、二人が見つめあう。と、たまらず私の先端が白い叫びを吐き出した。絵理子がビクンと身体を震わせる。

 枕許近く、手を伸ばせば届く距離で、携帯電話は執拗に鳴り続けている。

 私は壁の時計に目を向けた。十一時二十分。絵理子を見つめ、

「どうする?」

「出るわ……」

 かなり投げやりな調子で、彼女が答えた。乱れた息を整えて一呼吸入れ、

「はい。崎原ですが……」

 絵理子が送受機を取った。

 静寂。

「あ、絵理子、絵理子なのね! お母さんよ。たったいま、警察から電話があって……。お父さん、交通事故で亡くなったって……。相手は酔っ払い運転の車だって……。それで……。絵理子、聞いてるの? 絵理子、お母さんどうしたら……」

 彼女の傍らにいた私にも、その内容がはっきりと聞き取れた。

 困惑の表情が彼女をよぎる。だが、すぐに絵里子は無表情となり、

「わかりました。すぐ、そちらへ行きます。……お母さん、気をしっかり持つのよ。いいわね!」

 カチャン。

 絵理子が私に振り返った。

「父が、交通事故で死んだんですって……」

 乾いた声で、彼女が告げた。

「相手は、酒飲み運転の車らしいわ」

 そして吐き捨てるように、

「でもどうせ、父の方だって、酔っぱらっていたのに違いないわ!」

 そこまでいうと、彼女の感情が爆発した。

「バカよ! 大バカだわ! 笑い話もいいところね、酔っ払い同士で心中だなんて……」

 そう叫び、手で顔を被うと、わっと泣きはじた。

「とにかく、早く帰るんだ! おれがタクシーを呼んでくるから」

 素早く着替えを済ませると、戸口の所で私がいった。

「車で二時間ぐらいだったな、きみの実家は?」

 彼女が首肯く。何かにすがりつくように私を見つめ、時間の流れが急に淀みはじめたように感じられた。ついで――

「早く支度をしたらどうなんだ!」

 私は大声を張り上げていた。

 大製薬会社の有能研究員という表の顔を完全に失くし、ただ幼い少女のように生まれたままの姿で泣き尽くす絵理子を、そのとき何故、私は苛立ち、怒鳴りつけたのか? 後になってその場面のことを思い返しても、私にはそのときの自分の心境の変化がわからない。

「きみには似合わないよ、そんな顔は……」

 先の暴言を取りなすように、しばらくしてから私はいった。

「じゃあ、いったい、こんなとき、どんな顔をしてる私を、あなたはお望みなの!」

 きつい目で私を睨みつけると、彼女が叫んだ。そして一段と激しく泣きじゃくった。

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