夢のまた夢
チョロフォニオ
プロローグ
プロローグ①
3月15日。高校の卒業式からちょうど2週間が経ったこの時期にしては珍しく岐阜の南部にも雪がもたらされた。
車で親に送ってもらって待ち合わせ場所の駅に到着すると、すでに
「おはよう」
「おはよう」
黄土色の暖かそうなコートを身に纏い、学校で背負っていたものとは一回り小さなリュックを背負った瀬良さんが先に挨拶をしてくれたので、俺はすぐに返した。
私服姿の瀬良さんは初めて見た。それに、髪も少しばかりカットされている。全くもって見慣れない格好をした瀬良さんに思わず目を奪われそうになるのを雪景色へと目を向けることで回避した。気を紛らわすように瀬良さんに問いかけた。
「おかきはまだ来てない?」
「おかき君?まだ来てないよ」
「おかしいな。待ち合わせで俺より遅れたことなんてなかったんやけどな」
確かにこんな極寒日に7時半集合という時間設定が早すぎるのは分かるが、来てもらわないと色んな意味で困る。
おかきに催促しようとLINEを開くと、おかきからLINEが来ていた。嫌な予感しかしないが、メッセージを開いた。
[悪い。熱っぽいから行けそうにないわ]
そんなことだと思っていた。しかも、これは想定していた中で最悪のケースだ。
俺は腕時計で時刻を確認し、瀬良さんから会話が聞こえない程度に距離をとってから、おかきに電話をかけた。
「はい。もしもーし」
おかきは案の定すぐに出た。
「なんや。熱ある割には元気そうやな」
「ちゃんとしんどいわ!」
「ちゃんとしんどいって、どういう日本語や、それ」
「まあ、二人で楽しんでくださいな」
「お前本当に熱あるんやろうな」
「熱はホント!昨日の今日で信じられんかもしれんけど、ホントにしんどいから!そこはマジ信じて」
「はあ。じゃあとりあえず、俺と瀬良さんは先に乗るわ」
「ん?どういう意味?」
「お前はちゃんと温度計で体温測ったやつを写真で証拠として俺に見せる。もちろんお前の顔も入れろよ。ほんで、今から10分以内に確かな証拠写真送らんかったら、次の時間の電車に乗って追いついてもらう。これでええか?」
「全然信じんな。まあええけど。頑張れよ」
「だから何をや!嬉しそうに喋りやがって」
「いやいや、しんどいって」
いやいや、そう言ってるその声が弾みまくっとるがな。俺は大きなため息をつきながら電話を切った。
瀬良さんの元へ戻ると、とりあえず瀬良さんには「おかきが遅刻したから先行ってやって」とだけ伝えておいて、俺と瀬良さんは無人駅のホームに立って電車を待った。
数分するうちに、降りしきる雪をライトで融かしていくように一両編成の電車がやってきた。この一両だけの車両も登下校の時間帯以外は、ほとんど利用されていない。ここはそれほど田舎なのである。
車両の両端に沿って配置されているロングシートの端っこに俺と瀬良さんはちょこんと座り、俺も瀬良さんも今日はリュックだったので背負ったリュックを膝の上に乗せた。
リュックを乗せたと同時に、おかきからLINEが来た。おでこに冷えピタを貼ったおかきと一緒に37.5℃という何とも妥当な数値が表示された温度計が写っていた。色んな意味で苛立つ感情をなんとか抑えて、俺は携帯をポケットにしまった。
おかきが後で追いつくなんてことはあるはずが無いとは思っていたが、これからどうしたらいいのだろうか。俺と瀬良さんとおかきで仲良し卒業旅行と称して、瀬良さんとおかきの関係をいい感じにしようという当初の俺のプランは根っこから破綻してしまった。
進学先は互いに別ではあるし、俺はこのまま瀬良さんと一日を過ごしても全然問題はないが、瀬良さんからすれば、俺と一緒に居続けるのに丸一日というスパンは長すぎるような気がする。
とりあえず、おかきの病欠について瀬良さんに報告した。すると、それを聞いた瀬良さんは異様なほどに驚いておかきの身を案じている様子だった。あれほど露骨に顔に出る瀬良さんでもこの驚き様は過去最高かもしれない。
「結局二人になっちゃったけど、大丈夫?」
心配になって俺は瀬良さんに問いかけてみた。
「うん。もちろん大丈夫やよ。む、むしろ……」
「むしろ?」
「あ、え……いや、やっぱり何でもない」
なるほど。今の「むしろ」は瀬良さんが俺を励ます時によく使う言葉だ。察するに、何か励ましの言葉をかけてやろうと思ったが、それは結果おかきが病気して良かったという意味になってしまうのでやめた、といったところだろう。
車内は俺と瀬良さん以外誰一人としていなかった。いるとしても車掌くらいだ。目的地まで通常なら1時間半。雪で遅れることを加味すると、2時間はかかると思われる。
果たして瀬良さん相手にどれだけ間を保てるか。と気を引き締めていると、瀬良さんから話題を提供してくれた。
「
「そうやな。特にこれといった希望はないから、ぺちゃくちゃ喋りながら、ぶらぶらできりゃそれで満足やな」
「ふーん。なんか、インドアっぽいね」
そうか?
「瀬良さんは?」
そう俺が質問を返すと、瀬良さんは数秒左右に首を傾げながら考えた末「温泉かな」と答えた。そりゃ温泉街に行くんやからな。
「温泉はええけど、夕方まで時間あるよ?まさか温泉をはしごでもするとか?」
「ううん。さすがにそんなことはするつもりないけど。うーん……本屋さん?」
「多分あるとしても古いやつしかないんやない?店員がハタキで本棚掃除してるタイプの。まあでも、最悪足湯くらいやったら、はしごできるんやない?」
「結局温泉巡りになりそうやね」
「行けば、なんかあるやろ」
俺は直接瀬良さんの方を見ずに真正面のガラス窓に映る瀬良さんを間接的に見ながら、ずっと喋っていた。
一方の瀬良さんは相変わらず俺の方に頻繁に目を向けながら話している。それはガラス越しの瀬良さんを見れば分かることだし、ガラスを見なくても視線はビンビン感じる。
俺は申し訳なくなり、時折ちらりと瀬良さんの方へ視線を向けてみるのであった。いや、ずっと見ろや!ずっと!いや、ずっとはキショいやろ。
話題の大半は今は亡き、じゃなくて今日は不在のおかきこと、
直近で言えば、卒業式の直後に開かれたおかきの所属する男子バスケ部の送別会をおかきの女子ファンによってジャックされてしまったという事件である。この事件はその女子ファン全員からの告白をおかきが断って幕引きとなった。
こんなド級の事件をおかきはいくつも引き起こしている。そこまでにモテていたのに、結局おかきには一度も彼女ができなかった。それは、おかきが極度の人見知りというのもあるが、送別会を平気でジャックするような変な女子しか寄ってこないというのも大きな要因になっているのだと思う。
そんなおかきに瀬良さんは本当に合っていると思う。それだけは俺が保証できる。
「なんか、おかき君って凄いね」
「それ褒めとる?」
一連の話を聞いた瀬良さんはどんな今にでも受け止められるコメントをする。
「でも逆に考えりゃ、おかきは卒業式の日みたいな修羅場を何回も乗り越えてるわけやから、普段は俺よりネガティブやけど、結構強い奴なんやろうな。普通に良い奴やし」
「そうやね」
瀬良さんも同意してくれた。そりゃそうか。おかきのいないこの旅路で俺にできることは、できるだけ瀬良さんにおかきの話をして、できるだけ瀬良さんにおかきのことを知ってもらうことだ。これが最善のはずだ。
もういくつか駅を通過したが、電車には誰一人として乗車してきていない。
降雪は弱まるどころか、どんどん激しさを増していった。岐阜県では大きく南北で美濃地方と飛騨地方に分けられ、その二地方の間では雪の量が段違いなのだ。今俺たちはひたすら雪の多い北へ向かっているので、考えれば当たり前の話だ。
徐々に密度を増していく雪は辺りを真っ白に染めすぎて逆にそのうち漆黒になってしまうのではないかと思った。
周りには全く人の気配がしない。聞こえる音も電車の音のみ。孤立して閑散とした空間に俺と瀬良さんが二人。なんだか駆け落ちでもしているかのようだった。
それにしても、この雪の量はまずいのでは、と不安が襲い始めた頃、恐れていた事態が発生した。
ある駅で電車が少し長めに停車していると、眼鏡をかけた新米っぽい若めの車掌が俺たちの方へ駆け寄り、こう言った。
「すみません。今雪で電車が止まってまして、再開の目処が立っていません」
明らかに年上の男性に敬語でそう伝えられ、俺たちはすんなり受け入れ、電車を出て駅のホームに降り立った。だが正直に言うと「なんでや!」と叫んでしまいそうなくらい俺はがっかりしていた。
一応屋根のある小さな駅に来るや否や、車掌が行く先を尋ねてきたので俺が目的地を言うと、若い車掌は困った顔をして今度は自宅の場所を尋ねてきた。俺と瀬良さんが各々自分の住所を口にすると、車掌は一層困った表情を浮かべながら駅員室の方へ行ってしまった。
こんな大雪の日の田舎の駅に駅員なんておんのか?と思ったが、なんと駅員の男性が一人いて、二人で数分話し合った末、今度は新たに一人、相当お年を召されたように見えるスーツ姿の男性がやってきた。
そして、車掌はそのスーツ姿の男性を連れて俺たちの元へ戻って今後について説明する。
やはりこれ以上は電車を運休せざるを得ず、引き返すしかないようだった。そしてどうやらスーツのおじさんはタクシー運転手のようで、ここからタクシーで俺たち二人を自宅まで送ってくれるのだという。
さっきまでの状況を見ていて大体そんな感じのことだとはある程度察しがついていたため、俺はあっさり受け入れることができた。
電車に乗る前はあれほど幻想的だった雪もここまで大量だと恐怖で死すら連想される。
日帰り旅行ならまた今度にでも予定すればいい。そう思って俺たちは引き返すことにした。
瀬良さんも承諾してくれたけれど、少し悲しさを隠し切れていない様子だ。
でも結果オーライだった気もする。おかきの体調が治った頃に三人で気を取り直して旅行に行くことができる。その方が瀬良さんにとってもおかきにとっても好都合だ。やはり天はおかき抜きの旅行を許してはくれないようだ。それもそうだよな。
親にも引き返すと連絡を入れた後、車掌に帰宅することを伝えると、今度はスーツのご老人にバトンタッチしてタクシーの方へ案内された。運転手の話によると、このタクシーはこの辺りの地域に住んでいるおじいさんが個人で営んでいて、今回はアクシデントということで料金をサービスするようだ。そもそもの話、乗る前から雪が降っていた時点で北ではもっと降っていて旅行どころではないということも予測して中止にすることもできたはずだ。最初からそうしていれば良かったのだ。電車に誰も乗ってこなかったのも地元の人はどうせ電車が止まると分かっていたからだろう。その上サービスまでしてもらえるとは、本当に申し訳が立たない。
「いいかな?出発しますよ」
「はい。お願いします」
運転手の問いかけに俺と瀬良さんが同時に答えたところでタクシーは発車した。まずは瀬良さんの自宅へ向かう。タクシーに搭載されたカーナビには瀬良さんの自宅が目的地としてセットされていた。
外は相変わらずの猛吹雪でタクシーの速度が遅いのも、ただ運転手がご老人であるだけではなさそうだ。一人だけで運転しているならまだしも、客を運んでいるのだから当然といえば当然なのだが、ベテランの運転手でもここまでの速度になるのかと、その乏しい技術に失望、もとい、豪雪地帯の過酷さとそこに住む住人達に感心する。
こんな雪でタクシーが動けなくなるのでは?と思ったが、まだ雪が降り始めて間もない頃なので、その心配は要らなさそうだった。
車内はやや沈黙気味だった。二人きりの会話も一人近くに聴者がいるだけで恥ずかしくて、途端に話せなくなる。車内に響くのは俺と運転手との会話かカーナビのアナウンスくらいだった。
運転手から色々質問が飛んできたが、一通り質疑応答が終わると、車内は完全な沈黙に包まれた。今進んでいる道も分かれ道のない山道なのでカーナビのアナウンスすら聞こえない。外の雪の積もった木々が立ち並ぶだけの単調な風景にうっかり眠ってしまいそうになった。
いや、違う。眠くなっている場合ではない。こうやって瀬良さんとゆったり話せる時間もあと残り僅かになってしまっているのだ。
高校生活が終わってしまったこの先で、あの頃は当たり前だったはずのこんな時間も二度と訪れないのかもしれない。
高校で瀬良さんに出会って、色んな漫画を教えてもらい、俺は漫画というものの魅力にハマり、人生が豊かになった。瀬良さんに出会えて良かったと、そう俺は伝えたかった。
このかけがえのない時間を無駄にする気なのか。別に運転手に気を遣う必要なんてないではないか。向こうはサービスでやっているのだから、こちらでぺちゃくちゃ話していようが関係のないことだ。だから尻込みすることはない。行動に移せ。そう意を決して俺は話を切り出そうとした。
「あ、そういえば」
だが、瀬良さんに先手を取られてしまった。
「頼まれてた漫画なんやけど、ごめん。もうちょっとだけ待ってくれないかな?色々とこだわりたいシーンがあって——」
瀬良さんが話をしているその時だった。
車内前方から取り乱して荒げた男性の声とクラクションの音が耳をつんざいた。
だが、間もなく俺の中の感情は恐怖に支配された。
ただ、その支配も束の間のことに過ぎなかった。
刹那のうちに何かしらの衝撃を受けることなく、俺の目の前は暗闇に閉ざされた。
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