楽園の守護者

叶和泉

第1話

「ブッコローさん、ようやく入荷しましたよ」


 バックヤードの片隅、書籍の積まれているコンテナの間、パイプ椅子に座って競馬新聞をにらんでいる所に、文房具王になりそこねた女、岡崎さんが嬉しそうに走り寄ってくるのが見えた。

 買い物カゴを小脇に抱え、その中には筆箱ほどの大きさの化粧箱がいくつも積み重なっていた。


「え、それってもしかして安藤さんの……」

「そうです。例のやつです。ようやく入荷しました」

「安藤さん、ヘソ曲げちゃって、有隣堂には絶対に作品を卸さないって言ってたんでしょ?」

「気持ちはとてもわかります。丹精こめて作った品が、本来の用途とは違うことに使われているんですから」


 競馬新聞を折りたたんで、書籍の入った段ボールの上に置いた。

 岡崎さんはカゴを地面に置き、化粧箱をひとつ手に取った。箱を開けるとガラスペンが入っていた。

 職人である安藤さんがひとつひとつ丹精込めて作っているガラスペンは、儚さの中に思い出を閉じ込めた、まさに芸術品と呼ぶに相応しい品だ。

 青から茜色へとグラデーションがかかった持ち手の先には、まるで夕日のような紅の筆先がついている。これは夕暮れをイメージした作品だと僕は思った。

 ガラスペンを手に取る。

 見た目よりも軽い。そこにあることが必然かのように掌に収まるガラスペンは、見るものの意識を吸い込んでいく。じっと見つめていると、なぜか郷愁が誘われた。


「僕だってこれで手紙のひとつでも書いてあげたいと思ってますよ。でも、神さまに選ばれたんですから、安藤さんだってまんざらでもないのかもしれませんよ」

「それは……私もそう思います」

「どうやって説得したんですか?」

「社長自ら、頭を下げにいったらしいですよ」

「へー、社長が」

「半日近く居座って、最後には土下座までしたという噂です」

「あの社長も、やるときはやるんですね。見直しましたよ」

「じゃあこれ、請求書です」

 岡崎さんの差し出した紙切れには六桁の数字が並んでいた。

「ええ! 僕が買い取るんですか? おかしくないですか? 有隣堂から支給するべきじゃないですか?」

「私に言われても困ります。払わないと安藤さん、二度と卸してくれませんよ」

「……わかりました。エリザベス女王杯で勝ったら払います」

「ダメです。負けます」

「なんで決めつけるんですか、岡崎さん。僕はこれでも神に選ばれた男なんですよ」

「神さまは競馬を勝たせるためにブッコローさんを選んだわけじゃないです。それに神さまが奇跡を起こすわけでブッコローさんが奇跡を起こせるわけじゃないです」

「身も蓋もないことを言いますね、岡崎さんは」

「いや、こういうことははっきり言っておかないと勘違いしますから」

「最近じゃあ、僕を見るとみんな手を合わせて拝んでくるんですよ。そりゃあ、奇跡も起こせる気になりますよ」

「奇跡は起こせません。だから、支払いは期限内にお願いします」


 請求書を押し付けた岡崎さんは、逃げるようにバックヤードを去っていった。

 神に選ばれた男というのは冗談や比喩ではない。

 僕はある本を守るために選ばれた。

 そいつが「神」なのかは怪しいもんだと思っているが、確かに僕は超自然的な何者かに選ばれたのだった。

 その本は今から一年ほど前のある日、突然、ここ有隣堂書店伊勢佐木町本店に降臨した。

 営業が終了した平日の午後十一時。Youtubeチャンネルの収録準備の間、暇をもてあました僕は店内をブラブラと散歩していた。

 四階のフロアを歩いているとき、眩暈とともに、目の前が真っ暗になった。

 次の瞬間、頭の中で声が響いた。


「汝、この本を守れ」


 天使・ガブリエルからのお告げだった。

 意識が鮮明になるとともに、目の前の書棚(平積み部分)に光り輝く大型本が置かれていた。

 僕はなぜかその本が「最後の審判」のとき、神の国に入ることが許される者の名が記された閻魔帳(神仏習合的表現で恐縮だが)であることを理解した。

 その聖典は広辞苑ほどの厚さで、版型も大きい。地図帳などの三五判よりひとまわり大きいサイズだった。

 重さはそう、三キロはあると思う。

 もちろん、ハードカバー仕様だ。革装のように見えるが、手触りはつるつるしていて、今までに触ったことのない感触をしている。中の紙も羊皮紙のような雰囲気だが、きっと未知なる素材なのだろう。

 最大の謎はなぜ世界がひっくり返るような聖典がここ有隣堂伊勢佐木町本店四階、園芸書コーナーの一角。盆栽の本が並ぶ書棚に降臨したのか。

 なぜミミズクである僕が「聖典の守護者」に選ばれたのか。

 せめて聖書が置かれている宗教・哲学書の棚じゃない?

 というか、ヴァチカンの図書室とかに降臨するのが筋なんじゃない?

 とはいえ、あの日から、僕はこの有隣堂書店のビルから出ることも出来ず、ずっと本のお守りをしているのである。

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