第31話 縁

 マヒワに手を引かれ、少女が訪れた孤児院はひっそりと静まり返っていた。


 遮光のカーテンが開かれると、差し込んだ陽が、空間に漂う埃を浮かび上がらせる。

 かつては大勢の子供達が食事を共にしたダイニングで、マヒワは椅子を引いて少女を座らせた。


「しばらくの間、私とここで暮らすんだよ」

「しばらくって、どれくらい?」


 マヒワが頭を撫でてやると、少女はくすぐったそうに首をすくめる。


「ほんのちょっとさ。いい子で待ってたら、必ずカナリーお姉ちゃんが迎えをよこしてくれるからね」

「カナリーおねえちゃんって?」

「そうさね……ここで一番の悪ガキだったよ。王宮暮らしで少しはまともになってるといいけどね。お姉ちゃんのお話、聞きたいかい?」

「うん、聞きたい!」


 床まで届かない足をぶらぶら振りながら少女が応じると、マヒワはフッと頬を緩ませた。


「それじゃ、昼ごはんを食べながらだ。ちょいと待ってな」


 ダイニング奥にある炊事場へ向かい、今朝早くに畑から持ち帰った野菜と向き合うマヒワ。

 料理は得意な分野では無かったが、魔術修行の旅から出戻った後には何度もここに立った。

 それにたった一人分だけを作ればいいというのなら、気楽なものだ。


 マヒワが炊事に取り組んでいる間、少女は言いつけ通り行儀よく待っていた。

 しかし手持ち無沙汰になったのか、側に掛けてあった布巾を手にテーブルを拭き始める。

 料理が完成すれば、何も言わずとも運ぶのを手伝ってくれる。


 純朴で素直な――良い子という他ない。

 それだけに、なぜ腐敗した廃屋の片隅などに捨てられなければならなかったのかと、怒りとやるせなさがマヒワの胸中に湧きあがる。


 マヒワ自身も少女と大差ない境遇であり、共にここで過ごした家族の出自も似たようなもの。

 とかく世界は不条理で、与えられない者は優しさの欠片さえ手にすることが困難なのか、と。


 けれど、これで最後。

 少女が道を違える前に、この孤児院が機能しなくなる前に、こうして迎え入れることが出来た。

 その点において、たとえ自己満足でもマヒワは嬉しかったのだ。


 敬愛するテナムゥの信念に、少しでも触れられた気がして。


「ね。ね。カナリーおねえちゃんはどんな人?」

「ああ、そうだったね」


 口もとの汚れを指で拭き取ってやりながら、少女の願い通りにマヒワは語り聞かせる。

 幸い、思い出話なら山ほどある。

 せめて少女が退屈しないよう、破天荒で、馬鹿げていて、楽しい話を選んで聞かせた。




「――おっと、もうお日様が傾いてるよ。さ、湯を沸かしてやるから、風呂入って今日は早く休みな」

「えー!? まだ聞きたい聞きたい!」

「また明日、今度はもっとすごいお話をしてやるから」


 それから少女は、マヒワへ話をねだるのが日課となった。

 マヒワは様々な出来事を語ったが、やはりカナリーが関わった悪戯や事件、ちょっぴり脚色した冒険譚を聞かせると、とくに少女は目を輝かせる。

 娯楽の乏しい日々において、それは絵本代わりであり、少女にとってカナリーは物語の主人公だった。


「お洗濯もの干してきた」

「そうかい、ありがとよ。それじゃ、なにかお話しようか?」

「カナリーのお話がいい!」


 駆け寄って、定位置となったマヒワの膝へ座る少女。屈託のない笑顔。

 少女はすっかり、まだ会ったこともないカナリーに魅了されていたのだ。




 流れるように日が経ち、少女も門出の時がやってきた。

 長らく子供達の成長と共に在った孤児院も、正真正銘この見送りが最後の仕事となる。


「待ち合わせの宿は覚えてるかい? 迎えに来るのはかつてここで過ごした家族、言わばおまえの先輩だ。何も心配はいらない」

「う、うん」

「王宮では、とにかく祈りを欠かすんじゃないよ。それさえ守って、うまいもん腹いっぱい食べな。あとはカナリーが良いようにやってくれるさ」


 孤児院を離れ、マヒワも側にいない。

 知らない町で一人、王宮からの迎えを待つ。


 少女の不安は尽きなかったが、あのカナリーとついに会えるのだと思えば、期待が上回った。

 やさしくて、明るくて、きっと自分のことも導いてくれるに違いない。と話に聞いた人物像に信頼を寄せていた。


 歳もそれほど変わらないのだ。

 もしかすると友達になってくれるかもしれない。

 考えるだけで胸が高鳴る。


 ずっとずっと憧れた、少女の英雄だった。

 だからこそ。




「あ、あの、はじめまして! わたし、カナリー様みたいな聖女に――」

「わたしは聖女見習いの身です。あなたが目標にするような人間ではありません。ツティス様の立ち居振る舞いを学び立派な聖女になってください」


 冷たく、ひと息に突き放され、以降カナリーは少女の前にほとんど姿を見せなかった。

 たまに王宮内で出くわしても、少女の姿など視界に入っていないかのように振る舞うカナリー。


 少女も理解はしていた。

 孤児院の話は決してするなと、マヒワから散々言い聞かされた。

 言いつけを守り、だから周囲に他の人間がいないことを確認してカナリーへ駆け寄るも、目すら合わせてくれなかった。


 想像していた人物像との落差に絶望する。


 少女は数年間、存在を無視され続けた。


 楽しいことは何も無かった。

 お付きの騎士になじられるマヒワを目撃した。

 まるで母のように世話を焼いてくれたマヒワが、騎士から邪険に扱われる様を見るのは耐え難く、目を覆うようにその場を逃げた。


 誰も助けてくれない。

 こんなのが“家族”だなんて、大嘘つきだと思った。


 やがて聖女として人前に立つことになっても、礼拝でうまく語れない少女に、周囲の人間の視線が冷たく突き刺さる。

 寄せられる嘲笑や陰口に、耳を塞ぐように部屋へ閉じ籠もった。


 何が聖王宮、何が騎士だ。

 カナリーは助けてくれない。

 誰も信用出来ない。


 もう、カナリーを見かけても話しかけることは無くなった。

 出来る限り王宮の人間とも接触を避け、空虚な毎日を恨み辛みで塗り潰した。


 少女が憧れた英雄なんて、どこにもいなかった。



◇◇◇



 脱力してベッドに寝転がり、ヨタは天井を眺めていた。

 虚ろな瞳は、あの頃と何も変わらない。


 結局カナリーは、ヨタをどこへも導いてはくれなかった。


「……挙げ句、自分だけさっさと消えやがって」


 悪態を吐くも、あざけりはしない。

 むしろ悔しげにヨタは歯噛みする。


「やっぱやめときゃよかったんだ。なんの意味があったんだよ、カナリー」


 こんな馬鹿げた計画を実行しなくても、孤児院を存続させる道を探した方がずっと有意義だったのではないか。

 思わずにいられなかったが、結果論に過ぎないとヨタは頭を振る。


 王宮や騎士がクソだという考えに変化は無いが、ここに来たおかげで飢えや寒さの心配はいらなかった。

 暮らしの向上、その恩恵を甘んじて受けてきたのは自分自身だ。


 誰も“助けてくれなかった”と嘆いたが、ヨタにしても助けなかった。

 迫害されるマヒワから目をそらしていた。

 カナリーだけに重荷を背負わせ、ぬくぬくと堕落していただけだった。


『――そろそろ時間です。準備は整いましたか?』

「は、はい。すぐに」


 扉の外からの呼びかけに応じ、ヨタは跳ね起きると捲れあがっていたローブの裾を直す。

 その際、手に触れた短刀を、ガーターリングからそっと外した。


 鞘を引けば、刃にはカナリーのものと同じ印がある。


 馬車の中で賊が死んでいたあの時、レグルスはカナリーとヨタが短刀を交換したものと読んでいた。

 だがこの短刀は歴としたヨタの持ち物だ。

 もしあの場面でカナリーの短刀も調べられていたら、レグルスには混乱が生じていたかもしれない。


 つまり、馬車に乗り込んできた賊を殺したのはカナリーで間違いない。

 決してヨタの罪を庇ったわけではない。


 事情があるにせよ、これまで何年も関係性を放棄され続けてきたのだ。

 賊を前に怯えるだけだったヨタを守るため、まさかカナリーが凶刃を振るうとは予想だにしなかった。


 本当はその時に、見捨てられた訳では無かったとヨタも気づいていた。

 だからビダの村で感情を剥き出しに、思いの丈をカナリーにぶつけた。


 もっと早くにああしていれば、なんてことを振り返ってもどうにもならない。


 だったらせめて。

 ずいぶんと歪んでしまった、こんな自分でもまだ“家族”と呼んでくれるのなら――。


 身なりを整えたヨタが扉を開けると、外にはツティスが微笑みながら待っていた。


「……聖女も私達二人だけになってしまいましたね。ムリフェイン様も心配なさって、会食に呼んで下さったのでしょう」


 想いを引き継ぐだとか、そんな大層なことじゃない。


「今日は着衣の乱れも無いようですね。では行きましょうか、ヨタ」


 ――ただコイツは、必ずアタシが地べたに引きずり堕としてやる。


 薄暗い激情を奥底に秘め、ヨタが応じる。


「はい。ツティス様」


 ごく自然な笑み。

 ヨタにあるまじき表情は、たしかにカナリーを想起させるもので、ツティスは目を見開いた。


 硬直するツティスの脇を通り抜け、ヨタは瞳を真っ直ぐに王宮を歩む。

 しばらくして、思い出したように一人の男の名を口にする。


「レグルス。……なぁ、レグルス? アタシらの関係にこんだけクビ突っ込んだんだ。オマエだけは、絶対に逃がさないから」


 誰にも届かない小声で囁やくと、ヨタは赤い舌を伸ばした。


 窓の外に広がる夜空を、目だけを横へ睨みつける。

 それはついに自らの羽で飛び立ち、果敢に星へと臨む夜鷹を思わせる眼光だった。

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