第27話 弱者

 どこをどう帰ったのかは定かじゃない。

 遠征で通ったルートは外して、ひたすら雪原を歩いた。


 意識が途切れかけながらも、小さな集落のような村を見つけて安堵したときは、俺にまだ“生きたい”という思いが残っていたのかと自嘲した。


 一晩休んで、馬を所有していた男に頼み込み、なんとか説得してカージュの街まで送り届けてもらった。

 ヨタに貰った剣を代価として、処分も兼ねて男へ譲り渡した。


 もう、俺は聖女の護衛じゃない。

 傭兵の皮を被る必要もない。


 全部、終わったんだ。



◇◇◇



 数日かけて戻ってきた街は、一見では出発前とそう変わらないように思えた。


 旅客が多く活気づいていて、憩いの広場には談笑する子連れの夫婦や、友人同士なのだろう者達の明るい声で溢れている。

 まるで俺一人だけが取り残されたような錯覚から、抜け出したいがために始めた寝取り屋だった。


 寝取りの依頼は完遂した。

 膨大な金が手に入るし、美味いものも食える。

 俺もこいつらのお仲間へと、一歩高みに近づいたんだ。


 ――……それなのに。

 どうしようもなく、反吐が出る。


 変わらない街並みだなんて、ただの見間違いだ。

 やさぐれていたあの頃よりも、ずっと空は重く、暗く。

 そんな空がのしかかる街もまた、当然のように灰色に沈んでいて。


 街中に響いているはずの声や生活音が、どこか遠い世界のものであるかのように聞こえた。


 やっぱり、ここに俺の居場所なんてものは無かった。




 街を下っていくにつれ、気づく。

 以前にも増して、たむろする冒険者の数が多いことに。


“戦争だ”などと物騒な言葉が飛び交い、獣人への罵詈雑言に溢れている。

 他には、王宮に対し怒りをぶつける冒険者もちらほら見受けられた。

 正確には聞き取れていないが、どうやら彼らの仲間にも国家反逆の罪で処刑された者が出ているらしい。


 殺気立った複数の冒険者が手当たり次第に紙切れを配っていて、それこそ俺みたいな人間にまでご丁寧に手渡してくる。


 記されていた内容に軽く目を通した。


 要約すれば、アパリュの丘に獣人共が集結していると。

 つまりは大々的に戦争が始まる可能性が高まったために、傭兵を募っているらしい。


 どうでもいい話だ。

 殺し合いなら腕自慢のあんたらだけで、勝手にやってろよ。


 道端に紙切れを捨て、迷わず真っ直ぐに歩む。

 宿に帰るでもなく、報酬を受け取りに向かうでもなく、俺は聖王宮を目指して街を北上した。


 カナリーやヨタ、遠征隊も無事ならばすでに王宮へ帰還しているはずだ。

 使い古しの剣も服も捨て、またボロを纏って素性を隠しているとはいえ、王宮に近づくべきじゃない。


 だけど俺は、皆のその後――カナリーの処遇がどうなったのか見届けたかった。


 知りたかった。

 どうしても。




 橋の向こうに佇む王宮は閑散として静かだったが、門衛の目を掻い潜って入れる気はしない。

 仕方なく、人だかりが出来ている礼拝堂の方へと足を運ぶ。


 四つある礼拝堂へと伸びる階段の手前、そこに大勢の民衆が集っていた。

 詰めかけた人の群れを強引に抜けていくと、視界が開ける。


「……ツティス」


 中心には、民衆や冒険者を相手にご高説を垂れ流すツティスの姿があった。

 思わず他の聖女を探すも、カナリーやヨタは見つからない。


「おお、お前さん、久しいのう!」


 代わりに見かけた小汚いジジイが、人の圧で揉みくちゃにされながらもこちらへ寄ってくる。

 毎日のようにカナリーの礼拝へ参加していた、物乞いのジジイだ。


 ジジイは腰を曲げて一息つくと、もの悲しそうな顔で俺を見上げる。


「……カナリー様は残念じゃったな」


 肩が跳ねた。

 うわずり、震える声も構わず聞き返す。


「どうなったんだ、カナリーは」

「追放処分じゃよ。知らんのなら、ツティス様のお話をよく聞いておけ」


 追放……?

 ジジイから外した視線を、ツティスへ向ける。

 同時に、聞き流していた言葉が意味を成して脳へと響く。


「――あってはならないことが続いています。ですが私は、これまでの教えに反してでも言いたいのです」


 礼拝堂という高みから民衆の目線へと降り立ち、ツティスもまたジジイ同様、悲痛に顔を歪ませながら懸命に訴えていた。


「“カナリーは間違っていません”。聖女も人間なのです。人が人に恋をし、愛することを水神様がどうして禁じましょう」


 …………。


「いつからか教義は捻じ曲がり、聖女は人としての営みも許されぬようになりました。物言わぬ人形のごとくただの象徴へと祀り上げられ、その結果、非常に辛い立場へとカナリーを追いやってしまった」


 ……そうか。

 ……おまえか。


「カナリーとその男性は確かに深い愛情で繋がっていました。皆様に問いたいのです。果たして罪なのでしょうか? ……残念ながら、私は無力でした。せめてと懇願し死罪は免れましたが、追放の処分も納得できるものではありません」


 やはりおまえだったのか、ツティス。


「ツティス様はの、以前からずっと聖女が自由に恋愛や婚姻ができるよう働きかけておられた。そこへきてこの結末じゃからな……。誰よりも心を痛めておるじゃろうて」


 聖女の恋愛や結婚。

 王宮の庭で、カージュ湖を眼前に俺へと語った内容だ。

 礼拝の都度、長い期間を経て信者にも同じ訴えを刷り込ませてきたのだろう。


 なるほど。

 根回しは万全だったってわけだ。

 俺なんぞに寝取りを依頼した理由にも、ようやく納得がいった。


 カナリーを国賊として処分してしまえば、これまで築いた“聖女”の地位に傷がつく。

 色恋に溺れた愚かな女を救ったのは、ツティスの積み重ねた活動により下された温情のおかげだと人々は信じ切っている。


 ツティスはさらに信心を集め高みへと至り、邪魔なカナリーも踏み台に使ったのち、確実に王宮から排除する。


「もうお会いすることが叶わないのは寂しいがな、死罪でなくて心底安堵した。生きてさえいてくれたなら、きっとカナリー様もいつか幸せな日々を過ごすことが出来るとわしは信じておるよ」


 生きてさえいれば、だと?


 ふつふつと沸き上がる感情を瞳に込め、ジジイの代わりにツティスへとぶつけた。


 執拗に、用意周到にカナリーの希望を打ち砕いたこの女が、不安の種を残しておくなど到底考えられない。

 追放といえば死罪より聞こえはいいが、カナリーをどこに置き捨てた?


 魔物の蔓延る荒野か?

 戦場のど真ん中か?

 おそらく……生存は絶望的だろう。


「愛に生きたカナリーを救えなかった。繰り返しますが、原因は無力な私にあります。獣人の脅威も迫っている今、これ以上の悲しみを繰り返さないためにも、どうか私に皆様のお力をお貸しください」


 なにより、俺とカナリーの関係性を“愛”などと一括りに語ったツティスが許せなかった。


 仕事で接触した俺達に、愛なんてものがあったはずがない。

 弱った心につけ込んだクズと、現実逃避に肌を重ねた女にそんな感情が芽生えるはずがない。

 たとえ、ほんの少し……。


 わずかばかり愛情の欠片みたいなものが存在したのだとしても、おまえは知らないだろう。

 軌跡も、想いも。

 俺とカナリーがどのように言葉を紡ぎ、身を寄り添わせていったのか、細かな真実を、何一つ。


 だから、軽々しく語ってくれるなよ。

 美化した挙げ句、簡単に踏み込んでくるなよ。


 怒りに打ち震えた。

 初めて殺意というものを自覚した。

 歯を食い縛って、拳を握りしめ、俯いたまま踵を返す。


「おい、最後まで聞かんのか?」


 ジジイの声を背に、民衆の輪から離れていく。


 ツティスの側には護衛の騎士がいる。

 刺し違えることも不可能だろう。

 それに、どす黒い感情は何もツティスだけに向けられたものじゃない。


 ――……俺は、何がしたかったのだろう。


 うだつの上がらない生活から抜け出したくて、カナリーを貶めた。

 悪名を轟かせてでも、生きたいと願った。

 生きて、具体的に何をしたかった?


 金。

 うまい飯、酒。

 ゴミみたいな自尊心を守るため。

 そんなもののために、自分を変えてくれるかもしれなかった女を地獄へ引きずり落とした。


 カナリーを失ってまで手にするそれらに、この先本当に価値を見出だせるのか?


 自問の尽きないままふらふらと、脳裏に焼きついた聖女様の面影を今さら求めて、街を彷徨った。

 叶うなら、もう一度笑いかけて欲しかった。


 非情に徹することが出来ず、私欲を満たそうとも心は空洞で。

 こんな中途半端な人間が寝取り屋だなどと自称していたなんて、滑稽が過ぎるだろう。

 乾いた笑い声が漏れる。


「なぁ……レグルス」


 誰に語りかけるともなく、見上げた。

 日が沈みかけた空に星を探すも、見つからない。

 輝きはどこにもない。


 消えたんだよ。もう、おまえは。


 心身共に限界がきていたのは間違いなく、それが故にふわふわと現実感を失わせていた。




 薄暗い灰色に赤が混じり始めた街。その一角へ、俺は自然と導かれた。

 大型の馬車が数輌停車した広場では、傭兵の登録を済ませた冒険者が次々と馬車へ乗り込んでいく。


 制御の利かない体にも、すでに慣れていた。

 俺は当然のように乗車の順番を待って、馬車のステップへ足をかける。


「待て。あんた、名前は? パーティに所属しているなら代表も教えてくれ」


 呼び止められ、しょうがなく振り返る。

 筋骨隆々としたいかにも歴戦の冒険者が、頬の傷痕をかきつつ困り顔を見せている。


「……俺は誰ともつるんでない。名は……名乗りたくない」

「訳ありか? しかし、それでは報酬を支払うことが出来ないぞ」

「金はいらないんだ。……獣人どもからこの街を守りたい。俺は、それだけだ。乗せてくれないか?」


 片眉を吊り上げた男は、やがてフッと息を吐き出して俺の肩を強く叩いた。


「“義憤に駆られて”ってやつだな? いいだろう。今時はめずらしいが、あんたみたいな奴もたまにはいるよ」


 無言で頷いて、さっさと馬車へ乗り込む。

 先に乗車していた冒険者達の目が一斉に向けられるが、気にせず端に腰を下ろした。


 そういえば、武器になりそうな物を持っていなかったか。

 まあいい、どんな名剣も俺が持っては無意味だ。


 順に馬車が走り出す。

 大勢の冒険者を積んで、街の外へ。

 二度とごめんだと思っていた死地へ、俺は再び突き進んでいた。




 幌から外を眺め続け、日が過ぎる。

 吐く息の白さが以前よりも薄く、そろそろ雪解けが近いのかもしれない。


 冒険者の連中は最初こそちらほら話しかけてくる者もいたが、俺にその気が無いとわかるとそんな奇特な行動に出る人間もいなくなった。

 遠征のときは依頼をこなすのに必死だったとはいえ、車内ではそれなりに会話をしていたな、と。


 態度の悪いヨタや、無口なジェイ、落ち着いたセリンに、そして――……。

 懐かしむような感傷が、胸に痛みを与える。


 よせ。

 自分で壊したんだろ、全部。

 辛いなんてどの口が言える。


 頭を振って、幌を閉じた。

 少し眠ろうと思った。矢先。


「カナリー様は、どうして……」

「さあな。遠征に同行した騎士や兵も、隊を解体されて最前線へ送られたって話だ。向こうで会ったら話を聞いてみたらどうだ?」

「聞けるわけないでしょ、そんなこと。それより、相手の男はどうなったんだろ? 捕まったって話もないし」


 カナリーの名が出たので、耳だけを傾けていた。

 話が本当なら、セリンやジェイもアパリュの丘にいるのだろうか。


 カナリーの護衛でありながら、聖女の戒律を破らせてしまったのだ。

 前線送りがその罰だというのなら、俺は恨まれているだろうな。


 それでいい。

 実際に俺のせいなのだから、殺すほど憎んでくれて構わない。


 仲間なんて幻想だ。

 俺はずっと一人だった。

 これからもそうだ。


 なぜかホッと肩の荷が下りた心境で、静かに眠りへ落ちていった。




 遠征でかかった日数よりも一日半ほど遅く、ミルバスが出向していたあの村へ着いた。

 ずいぶんと兵士が増員されているようで、村の要塞化にも拍車がかかっている。

 察するに、アパリュ丘陵での戦闘が激化しているのだろう。


 今しがた乗ってきた車輌とは別に、武装した兵や冒険者達が続々と乗り込んでいく馬車を見かける。

 戦場へ向かう一団なのだろうかと、降りた足で近づいていく。


「おい、あんた。俺らの出発は明日だ。今日は一日体を休めて――おいっ聞いてんのか!」


 背後の声は無視した。

 休む必要はない。

 戦力として役立とうと、ここまで来た訳じゃないのだから。


 ギチギチと兵が詰められた出発前の馬車数台を、後方から見渡す指揮官らしき騎士の姿があった。

 要領はカージュで馬車に乗せてもらったときと同じでいいだろう。


 無遠慮に歩み寄ると、振り返った騎士の男と目が合った。

 吸い込んだ息を、吐き出すことなく呑み下す。


「ミルバス――……様」


 まさか到着してすぐに遭遇してしまうとは、つくづく運が無い。


 遠征の結果がどのようにミルバスへ伝えられたか不明だが、少なくとも俺は聖女を貶めた罪人だ。

 ゴヴィンの最期に俺が絡んでることまでは知られてないにせよ、ミルバスの冷酷な一面を思い起こせば、この場で斬り捨てられてもおかしくない。


「……君のような者にまで、私の名が知られているとは驚きだな」


 すぐに腰の剣を抜くに違いないと身構えていた俺は、ミルバスの解せない表情を見て立ち尽くした。


 疲弊の色が濃く、カナリーを前にしたときのような朗らかさは微塵もない。

 苛立ちを隠す様子もなく、それは遥か格下の存在に向ける侮蔑の視線だった。


 ……そうか。そうなのか。

 まさかとは思ったが、こいつは気づいていないのだ。


 かつては嫉妬すら垣間見せたレグルスという人間と、物乞いに等しい姿の今の俺と。

 人物像が結びついていない。


 つまり俺ごときでは、騎士様に斬られる価値も無いってわけだ。


「……お願いします。俺も乗せてください。一刻も早く、俺を前線へ」


 唇を引き攣らせながら、懇願した。

 どれほど不気味に、不可解に、無様に映ろうがもうどうでもよかった。


 ミルバスは冷めた瞳でこちらを一瞥すると、呆れたように鼻を鳴らす。


「好きにすればいい」


 一礼して、足早にミルバスの隣を通り過ぎる。


「死に場所を求めるのは結構だが、戦場に来た以上敵を一人は道連れにしろ。それが出来なければ、お前の末路に意味は無い」


 足を止めることなく馬車に乗り込んだ。


 勝手を言うな。

 戦場に身を置くおまえらとは違うんだ。

 意味も価値も無いことなんか、俺が一番よくわかってるんだよ。


「――出発! 諸君の奮戦を期待する!」


 間もなくミルバスの号令が下され、車輪がゴトゴトと回り始める。


 やはり端に座った俺は、握り拳を膝に置く。

 今度は外を眺める余裕も、周囲の兵を見渡す気力も無かった。

 ただ揺られながら俯いて、終局だけを願う。


 ミルバスの言う通りだ。

 早く俺を最前線へ、死の淵へと導いてくれ。

 頼むから、早く。

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