おまえに刹那の盲目を

シン・タロー

第1章 暗い星の“レグルス”

第1話 寝取り屋

 ガキの頃から何かになりたかった。


 男らしく剣士がいい。

 その剣士を華麗に制圧する魔術師でもいい。


 いや、そんな贅沢は言わないから、せめて何らかの物事に打ち込みたかった。


 鍛冶でも、農業でも、漁師でも。

 全霊をかけて、人生のすべてを捧げて。

 ある種の極みなんてものに到達できれば、意味のある生だったと満足に死ねる気がした。


 そんな気が、してたんだ。



◇◇◇



 街中にある屋台の椅子に腰かけ、通りを歩く人々を眺める。

 家族連れの子供と目が合ってしまい、視線を遮るようにフードを深くかぶり直す。


 どうにもガキの目ってやつは苦手だった。


「……お客さん、注文は?」

「水」


 背後で屋台の店主が舌を鳴らした。

 仕方ないので、あごの無精ひげをさすりながら席を立つ。


 金もなければ、行く宛もない。

 現実はこうだ。

 俺は何者にもなれなかった。


 二十代も半ばを過ぎ。

 人生はまだこれから――。

 そんな希望はとっくに捨てた。


 自分のことは俺自身が一番よくわかってる。

 人一倍いろんなことに挑戦した。

 なんとかして可能性を広げたかった。


 足掻いて。

 足掻いて。

 だからこそ、わかったんだ。


 才能はない。

 努力は実らない。

 自分の人生ですら主役になれる気がしない。


 俺には……何もない。

 かつての燃え上がるような情熱は、ゆっくりと冷えていった。




 街の中心に向かって伸びる石段を、のっそり踏みしめて下りる。

 勾配はゆるくなだらかで、斜面を器用に平らに削り出し、そこに多くの店が建ち並んでいる。

 憩いの広場には親子連れ、恋人らしき男女、談笑する年寄り等々。


 ここを訪れる人間も、それを迎え入れる人間も、俺には直視できないほど眩しく見えた。


 窪地へとすり鉢状に広がる街の景観はめずらしいと評判で、昨今は観光に訪れる客足も伸びている。

 煩わしい話だ。

 景気がいい? 知ったことじゃない。


 唾を吐いて、沈む夕陽を追うように底へ。


 屍鬼グールのような足取りで街の最下層へたどり着くと、そこにある冒険者ギルドの看板を見上げた。

 下層といってもスラムみたいに汚れた空気感はなく、周辺にたむろする冒険者連中もみな活気に満ちた顔をしている。


 相変わらず、劣等感に苛まれる場所だ。

 背中を飾る重そうな剣や、魔術の媒介となる杖を持つ者達へ思わず羨望の眼差しを向けそうになる。


 実に一方的な感情で。

 周囲の誰一人として俺に興味なんかなくて。

 俺は冒険者ギルドの中には入らず、そっと喧騒から離れた。


 すぐそばの路地に向かい、ちょうど建物の陰にあたる、湿った石段に腰かける。

 我ながら似合いの場所だ。


 植物採取の依頼ですら、まともにこなせる自信はなかった。

 じゃあ、なぜこんな所まで来たのか。

 二十日ほど前から一つ、フリーの掲示板に依頼書を貼り出してもらってるからだ。


 正確には交渉依頼書……という形になるか。

 自分を売り込んで、決して安くはない金を払ってギルドには仲介役となってもらった。

 戦闘も生産もできない、ただ無駄に資源を消費するだけの、なんの売りもない害悪な俺が、だ。


「くっくっく……」


 ひきつけを起こしたみたいに一人で笑ってると、すぐそばの地べたに寝転がっていたジジイが怪訝な顔で振り返り、やがてボロボロの服を引きずるように去っていった。


 すまないな。

 気味が悪かったか?


 ……あれは俺だ。

 俺のそう遠くない、未来の姿だ。

 同族にも拒絶され、いっそ清々しく空を見上げる。


 狭っ苦しい建物の隙間から、わずかにのぞく星がキラキラと瞬いていた。

 通りの連中や、冒険者達があの星なんだろう。

 どうせ、あんなとこまで手は届きっこない。


 いつからか人生に期待はしなくなったが、それでもやっぱり何かは残したかった。

 金、名声――無名で終わるよりは悪名でも欲しい。

 かといって、大それたことをやる力は無い。


 一つだけ。

 才能や努力とは無縁の、特技ですらない特徴が俺にも一つだけ思い当たったんだ。


 ガキの頃はそれなりにモテていた。

 今でこそ薄汚れたローブなんか着て、鏡を見るのも嫌になるくらい目も落ち窪んでる髭面だが。

 顔の作りだけはそこそこまともだったらしい。


 くだらないよな。

 これまで生きてきて、誇れることがガキの頃にモテた事だけだなんて。


 また、痙攣したように一人で笑う。


 しかも美男子ってわけじゃない。

 本当に、そこそこ。

 近所の一人や二人から好かれてたってだけの話だ。


 でも、俺にはもう、すがるものがそれしかなかった。

 震える足でギルドに入って、受付の嘲笑に耐えながら頼み込んだ。


 限界だったんだ。

 明日にも死んでしまいそうで、このまま死ぬのは嫌だったんだ。


 だけどそれも終わりだ。

 待ち続けて二十四日。

 最初から期待してなかった――なんて強がりも言えないほど、憔悴しきっていた。


「……お前がレグルスか?」


 そう俺の名を呼びかけてきた男の目には、さぞかし虚ろな瞳が映ったに違いない。

 本名ではないが、その名で生きていくと決めたのが二十四日前だった。


「“誰のものだろうと・・・・・・・・、対象を手籠めにして懐柔する”。……事実か?」


 まさか、本当に依頼者なのか?

 凝視してみても、フードで覆われた顔は闇夜に隠されている。

 だが依頼者なのだとしたら、おそらく俺にとって最後のチャンスだ。


「ああ。どこの誰だろうと、どこの誰からでも寝取ってやる」


 うわずらないよう、必死で声を押し殺した。

 浮き足立って不安を与えてしまえば、せっかくの依頼を無かったことにされかねない。

 虚勢を張れ。


 男はしばらく黙りこくったのち、静かに口を開く。


「託宣の乙女……聖女と呼ばれる一人だ。名は、カナリー」

「聖女? いや、聖女はたしか――」


 処女でなければ、その地位に就けないはずじゃなかったか。

 そもそも色恋沙汰は禁止されていたと思うが。


 ……とはいえ聖女だって人間だ。

 想い人や、隠している恋人がいたとしても不思議じゃない。

 単純な話、恋慕の対象から奪い取ってしまえばいいわけだ。


「期限は三十日やる。できるか?」

「三十……できる。ああ、余裕だ」

「では、完遂したらそこへ来い。それ以外の接触はしない」


 おそらく落ち合う場所が書かれたメモだけを手渡し、男はすぐに背を向ける。

 慌てて呼び止めた。


「女を落とすには、その……準備が必要になる。だから――」


 言い終わらないうちに、男の手によって今度は皮袋が放り投げられる。

 ずいぶんと重みのある皮袋を持ち上げ、紐を解いた。


「前金だ。完遂後には同じ額を払おう」

「は――……」


 息が止まるかと思った。

 実際に呼吸することも忘れ、開いたままの口が震え、口内までカラカラに渇いて喉がひりつく。


 白金貨だ。

 ざっと目を通した感じ、三十――いや五十枚……ありそうだ。

 これだけあれば普通に、街の中心部にだってそこそこの家が建てられる額だ。


 前金と言ったよな?

 つまり、これが二倍に……?


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 急いで紐を結び直し、去っていく男を再び繋ぎ止めた。


「あの……」


 足は止めても、振り返りはしない男に向かって、俺は何を言おうとしているのか。


 もし、失敗した場合は?

 金は返さなくちゃならないのか?


 駄目だ、口にするな。

 少し考えればわかるはずだ。

 これだけの額を提示されたのだ。


 金を返すだけで・・・・・・・済むとは思えない・・・・・・・・


 きっと、タダでは済まない。

 腕の一本や足の一本、もしくはそれ以上……それなりのものを失う覚悟は必要だろう。


 上等だ。

 相手は国の象徴とも言われる聖女、その一人。

 俺の安っぽい命一つでいいのなら、十分に懸けるに値する。


「……俺は、誰からその女を寝取ればいいんだ?」


 貴族か、騎士か。

 はたまた国の重要人物か。

 まさかそこらの平民だなんて事は無いはずだ。


「フ、聖女だぞ。そんなもの――」


 はじめて声に笑みを含ませた男は、話は終わりだと言わんばかりの大股で俺から遠ざかっていく。


「神から奪うに決まっている」


 雑踏に紛れて消えていく男の言葉は、鼓膜へやけに響いてしばらく頭から離れなかった。

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