取引38件目 スイートルーム
***
高級レストランでのディナーを経験し、普段なら泊まれないようなスイートルームでリラックスしていた。
「俺の部屋もこの配置真似しようかな」
「幻中くんの部屋はそのままでいいんじゃないか? こういうのはたまにくるからいいんだぞ?」
「百鬼さんはスイート来たことあるんすか?」
俺は初めてスイートに泊まったが、百鬼さんの口振り的には何度か来ている。
「あぁ、ストレス発散に旅行した際はスイートを利用しているぞ。ただ……」
部屋に備え付けの冷蔵庫に入っているジュースを一口含んだ百鬼さんは、言葉を溜めるようにしてから今一度言葉を発する。
「お、男の人と来たのは初めてだ……」
「恋人いたことないんすもんね」
「揶揄っているのか?」
むぎゅっと俺の頬を鷲掴んで威嚇する。
「揶揄ってないっすよ、俺もいたことないんで」
「でも初恋の相手はいたのだろう?」
「遠い過去の話っすよ。え、百鬼さん初恋すらないんすか?」
思わずニヤついて言ってしまった。
「やはり揶揄っているな?」
「すません」
鷲掴む手の力が強くなっていくのを感じ、俺の頬が悲鳴を上げ始めたので大人しく謝って解放してもらった。
「明日も早いんすから、先風呂入って寝てください。百鬼さんの後に入って寝るんで」
明日も朝一の開園から楽しむ予定なので、睡眠はしっかりしておきたい。
「そうだな、私が先でいいのか?」
「紳士はレディーファーストが出来て当然なんで」
百鬼さんに先にベッドで寝てもらって、その後に風呂に入った俺はソファーで寝る算段だ。
唄子の姿とはいえど、百鬼さんと同じベッドで寝るなんてやはり少し気まずい。
「そうか、お言葉に甘えて先にいただくよ」
「どぞごゆっくり」
百鬼さんが風呂へと行ったやを確認し、俺はスマホを触ってゲームを始める。
ソシャゲのログボもらって、デイリーミッションこなす義務がある。
「はぁ……これで百鬼さんの姿なら完璧なお泊まりデートだったんだけどなぁ……」
ひとりごちっても、結果は変わらないのは分かっている。ただ、少しの弱音も人生には必要だと思う。
最初は悩みや不安を完全に忘れるほど楽しんでやっていたゲームも、やり尽くして今ではただの日々のタスクの一つになっているからか、感情が全然ゲームにいかない。
ただひたすらにポチポチして、オートでバトルをこなし、ミッション報酬を一括受け取りして終了。
アプリを閉じて、やることのなくなった俺はツイッターを漁る。
この時間はただ虚無で、なんのために生きてるのかを深く考えてしまうキッカケにもなってしまう。
「やめよ、違うことしよ」
ボーッとするか、新しいゲームを探そうか迷った。
挙句、とりあえず両親に今日撮った写真を投下しておくことにした。
『楽しめてる? 今ホテルかしら? ゆったり過ごしてねー』
送信五秒後くらいに母さんから爆速で返信が来た。
とりあえずホテルでのディナーの写真と夜景を送ってからスマホを閉じた。
「待たせたな」
「もっとゆっくりしてて良かったすよ?」
「私は基本長風呂をしないんだ」
ホテルが用意してくれているルームウェアを着用する百鬼さん。
上気した頬に、湿った髪の毛。いかにも風呂上がりですというような雰囲気。
「百鬼さんちゃんと髪は乾かしてくださいよ」
「これくらいは誤差だろう」
百鬼さんは、気休め程度にタオルで髪を拭う。
「ちょっとこっち来てください」
「なんだ」
百鬼さんを鏡の前に連れていき、ドライヤーの電源をオンにする。
ハイパワーの熱風を百鬼さんの頭から少し離して軽く当てていく。
「自分でできるぞ」
「出来てないからやってんじゃないすか」
「……反論できん」
俺の手からドライヤーを奪い取ろうとする百鬼さんだったが、正論で押さえつけることができてしまった。
「熱くないっすか?」
「ああ、大丈夫だ」
さすが唄子と言ったところか、サラサラの髪質で、するりと指が通り、温風もまんべんなく行きわたる。
「百鬼さんは普段から生乾きでも気にしないんすか?」
「ある程度乾かせばあとは時間がなんとかしてくれるからな。だがこれは唄子ちゃんの髪だ、次からはきちんと乾かす」
そう言って百鬼さんは俺に時短できる乾かし方を聞いてきた。
「温風当てながらタオルで拭くと時短できるっすよ」
「そうか、勉強になった」
ふむふむと話を聞いてくれる百鬼さんは、恥ずかしそうに笑いながら言葉を続けた。
「失望したか? だらしない女で。実は掃除もできないんだ、料理はできるのにな。本当に唄子ちゃんに申し訳ない」
「なに言ってんすか。人間味があって親近感湧きますよ、部屋も掃除手伝うっすよ?」
急に自分の弱点を吐露しだす百鬼さんだが、それくらいの弱点があってもなお百鬼さんの超人イメージが吹き飛ぶ気配がない。
「……今まで人間味がなかった、とでも言いたげだな?」
「ご名答」
百鬼さんが俺を鏡越しにギロッと睨むと同時、髪は完璧に乾いた。
「てことで俺は風呂ってきます」
「ああ、髪を乾かしてくれてありがとう。ゆっくり入ってくるといい」
サラサラの髪を揺らして移動する百鬼さんをよそに、俺は風呂へ移動する。
丸型の可愛いデザインの浴槽に、アンティークみのあるシャワーヘッドが特徴の風呂場は、さながら映画の中のセレブのような感覚をくれる。
「天井も壁も大理石ってやつか? なんかすげぇな」
隅から隅まで高そうなものに囲まれていて、俺の年収が爆上がりしたのかとすら錯覚する。
いい匂いのシャンプーやボディソープで体を洗って、浴槽にインして束の間のチルを堪能する。
「ずはあ……骨身に染みる」
寝てしまいそうなほどポカポカするので、ここはもう撤退することにした。
風呂場での溺死は割とマジで危険らしいからな。
「――あれ、まだ寝てなかったんすか」
髪を乾かして、ルームウェアに着替えて部屋に戻ると、ベッドの上で百鬼さんがスマホを触ってまだ起きていた。
「先に寝ると君はソファーで寝ると思ってな。起きて待ってたんだ」
「なんですか」
「おいで、ソファーで寝るのは体に良くない」
ポンポンとベッドの空いたスペースを優しく叩いて、俺を引き込むように誘導する。まるで抗えない圧倒的な魔法をかけられたように拒絶の言葉が出てこない。
「兄妹なんだから、これくらい大丈夫だ」
「分かったっすよ。でも普通兄妹でも、二十歳超えたら同じ布団で寝ないすからね?」
「正確には兄妹じゃないから問題ない」
「どっちだよ」
一回の言葉のキャッチボールで、綺麗な矛盾をしてくる百鬼さんだが、俺は諦めて布団に入った。
「妹半分、上司半分の歪な存在だ。だから何しても大丈夫」
「な訳ないっしょ。さては眠くて頭バグってるっすね?」
ふわふわした雰囲気で今にも寝そうな百鬼さんに背を向け、ベッドのキワキワまで退避した。
「おやすみっす、百鬼さん」
「ああ……おやす……」
み。まで言い切らないまま、どうやら百鬼さんは眠りについた。
「これ俺寝れるかな」
スー、スー。と寝息を立てる百鬼さん。
唄子の容姿だってことは分かりきってるのに、背中越しに感じる寝息はどうしても百鬼さんを連想して落ち着かない。
「あだっ」
精神を統一して眠りに就こうとした途端、脇腹に重い衝撃がのしかかる。
「……な、百鬼さん?」
恐る恐る首を動かし目線を衝撃の先に向けると、抱きつくように百鬼さんが俺の後ろにいて、片方の腕は俺の脇腹をホールドしていた。
「寝相悪いなこの人……」
もう俺は何も気にしない。睡眠だけに全神経を集中させろ。
そうして俺の心臓は十六ビートを刻みながら夢の世界へと旅立った。
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