取引6件目 妹の嫉妬
「最近仕事辛そうやからちょっと心配してたんや」
「すみません、余計な心配をおかけしてしまったっす」
「いやいや! 余計とかは違うやん! 仲間やろ、なんか辛いことあるなら話してくれてもええんやで」
「それは大丈夫です」
「即答!?」
正直この人に相談するくらいなら、引きこもりの妹に、ドア越しで淡々と愚痴をぶつける方が気が楽だ。今その引きこもりの妹は俺の上司として働いているわけだが。
「センシティブな内容かもしれんもんなぁ、せやなぁ。無理に話せとは言わんけど、力にはなれるで」
「まじすか?」
「信じてないな? 勤続年数三十年で部長代理の実力舐めてもらっちゃ困るで」
キリッとした表情で持ち前のつぶらな瞳を輝かせるカズさんを見てふと思う。
「百鬼さんって勤続何年でしたっけ」
「言うな、身を粉にしても代理止まりとか絶対に言うな」
自虐気味だが豪快に笑うカズさんは、大盛りの汁だく牛丼をガツガツとくらい、水をゴクリと飲み干した。
「まぁとにかく。出社したら百鬼部長思い出すとかで辛いならリモートワークにしてみたり、色々手はあるから気負いすぎんなよ」
「うちリモートワーク制度ないじゃないすか」
「アホか、ちゃんと導入されとるやん。割としてる人おんで」
百鬼さんが目覚めるまでは俺の気分は長々と沈んでそうだが、せっかくカズさんがこう言ってくれているんだ。
「どうしようもなくなったらお願いしますね、期待してないすけど」
「さすが百鬼部長も根負けする歯に衣着せぬ態度やわ。衰弱してる幻中くんよりそっちの方が愛嬌あってええと思うで」
そう言ってちょうど食べ終えた牛丼の器を満足げに机に置いた。
「ごちそうさん! ほなまた週明け! 百鬼部長、はよ回復したらええな」
「そう願うばかりっす」
俺の隣の席から立ち上がるカズさんは、俺が食べた分の伝票も持って会計を済ませた。流れるような動作で、俺は反応が遅れる。
「いいんすかカズさん」
「最近の若いもんはすぐ財布出そうとするのが良くないわ。年下に奢るくらいしか見栄を張れるとこないんやからおとなしく奢られときや」
財布を取り出した俺にそう言うカズさんは、「安い店でイキんなジジイって感じやけどな。今度は田端くんも誘っていい店連れてったるわ」なんて豪語してくれる。
「ご馳走様です!」
「あいよ」
背中越しに手をひらひらとさせて店を出るカズさんに続いて、俺も食べ終わってることだし店を去ることにした。
横目に見慣れたカバンが視界に入るが、気のせいだと思いたい。
「カバン忘れてた」
「……」
テヘッと恥ずかしげにいそいそと店内に舞い戻ったカズさんは、誰に向けてなのかは知らないが、ペコペコと頭を下げながら再び店外へ出て行った。
「さて、俺も帰るか」
――牛丼屋から家の帰路。
夜風に吹かれながら闇を歩いて帰宅を終える。そして。
「私との食事は断るのにカズさんとは行くんだな」
帰宅数秒。俺は今ジャージ姿の唄子に詰められている。
風呂上がりだろうか、湯気でポカポカしている体で俺に迫り寄り、鋭い眼光で俺を威嚇している。
「急に遭遇したんだから不可抗力だろ」
「ふーん?」
「なんだよ」
意味ありげに俺に背を向けてソファーに腰掛ける唄子は、「罰として今度の昼食は私と食べること」と適当に言葉を投げてきた。
「なんの罰だよ」
「知らなくていい」
罰を受ける本人に告げられないなんてどんなブラック環境なんだよ。労基動いてくんないかな。
「というかそもそも何で知ってんだよ」
「あの周辺で有名なレストランの予約が奇跡的に取れてな」
少し嬉しげにスマホをポチポチといじる唄子は、羨ましいだろうと言わんばかり写真を見せてくる。
その料理はどれも煌びやかで目を惹くが、量的には満足できなさそうなフレンチ料理だった。
俺には良さがわからないが、ああいうのが女性の琴線に触れるんだろうな。
「その帰りに窓から店内で話すお兄ちゃんたちを見つけた」
「声かけてくれりゃいいのに」
「食事終わりに食事処に入るような食いしん坊キャラじゃないんだが?」
窓からでも見えるなら手を振ってくれたら気付けたかもしれない。
「そういえば父さんと母さんは?」
「ご近所さんと飲みに行ったぞ」
唄子は、「話を逸らしたな」なんて言いながらも答える。
俺と唄子が外食するからか、父さんたちも今日は外食か。
「そっか、前々から飲みに行きたいとは言ってたもんな」
「私もお兄ちゃんと飲みに行きたいんだがな」
「それは百鬼さんが目を覚ましたらな」
今日は金曜日だしさっさと風呂でも入ってテレビ見ながら寝落ちしよう。
「一つ聞かせてくれお兄ちゃん」
「なんだ? のらりくらりと過ごすコツか?」
「そんなものには興味ない」
そすか。
改まって聞くからてっきり人生の先輩である俺に、人生の渡り方を教えてもらいたいのかと思った。
「わた……前任者の様子はどうだった? 今日も目を覚ます気配はなかったか?」
「わた?」
「忘れろ、言葉選びを迷っただけだ」
カーッと耳まで赤く染まっていく唄子は、失言を掻き消すかのような勢いでソファーへと移動してクッションに顔を埋めた。
まるでごめん寝の大声で思わず猫かよ、なんて雑なツッコミが出てしまう。
「答えて、前任者の様子は?」
「変わらずだった。いつ目を覚ますか、医者ですら分からないってよ」
「そう……ちゃんと体とか綺麗にされてた? 変な顔してなかった?」
「なんでそんなこと知りたいんだよ」
グイグイと聞いてくるが、なぜそんなことが気になるんだ? 百鬼さんと唄子に関わりがあったとしても、そこまで気になるレベルで親密だったのか?
「知見を広げるためだ。いつ私も入院するか分からない、一人の乙女として意識不明時の容姿は気になるのだ」
「そんなもんか?」
「もちろんだ。ましてや毎日好きな人でも見舞いにこようものなら、一度蘇生してでも身なりを整えたい」
蘇生できるならそのまま息し続けろよ。身だしなみ整えるためだけにチート級の技使うな。
「毎日看護師さんが体拭いたりしてくれてるらしいぞ。顔もいつも通り凛々しい美人だった」
「そうか……しっかりケアされていて安心した」
こいつ意識不明になる予定でもあるのか?
ホッと胸を撫で下ろす唄子は、なにかに納得したように頷いてこの話を強引に終了した。
「お兄ちゃんはやくお風呂入ったら? そろそろ映画の地上波初放送はじまるよ」
「今日なんだっけ?」
「酷評されてた作品だ、なんだったかなあれ。出演者が風評被害で仕事激減したってやつ」
「あー、あれか。タイトル俺も覚えてないな、見る?」
今ではその俳優の人気は回復したものの、上映当時は随分と株が下がっていた。坊主憎けりゃ坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつだな。
「どれほど酷いか興味はあったんだ、もちろん見る」
「んじゃ俺も見よっと」
あれは監督が酷いって結論が出てたが、地上波放送でまたあの俳優に火の粉が降りかからないことを願うばかりだ。
風呂に入るべく俺は、風呂場へ向かうその足取りのまま、カバンやジャケットをその場に投棄して鼻歌を奏でる。
「こらお兄ちゃん、カバンを廊下に置いてたら邪魔。ジャケットはすぐハンガーにかけて、ものは大切に扱わないとダメ」
「……すませ」
ショボンとしながら脱ぎ散らかした服や散らかしたカバンを半裸で回収して、唄子の指示通りに片付けてから俺は疲労感をお湯で洗い流した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます