『マジカル★ドーテー』魔法で猫が美少女に!社畜童貞との二人暮らしが始まる!

カミトイチ@SSSランク〜書籍&漫画

第1話 隣の猫



八月。そのれは大きな満月が空を泳ぐ、明るい夜の事だった。


「......はあ」


缶ビール片手に座るアパートの一室。田舎である俺の住むこの町は、町というより村に近く、人のかわりに昼は蝉の鳴き声が喧しく、夜は蛙が大合唱している。


しかしあまりの暑さに窓を開けるしかない。クーラーは契約社員の俺の稼ぎではとてもじゃないが買えない。小さな体で部屋の熱気をあちらこちらに追いやってくれてる、安売りで買った扇風機が精々。


とまあ、そんな訳でベランダを開け、窓辺に座りながらの晩酌だ。虫ができるだけ侵入しないように室内の光を消してはある。けれど月の光があるので酒を飲む分にはなにも問題はない。


プシュッ、と缶を開ける。漂う発泡酒の匂い。慌ただしい一日の終わり。最近、俺は必ずと言っていいほど考えてしまう事がある。


「.......人生、詰んでる......よな」


別に貧乏で首を括るしかないとか、そういう事はではない。借金だってないし、ギャンブル依存症でもなければタバコもやらない。酒は飲むがアルコール依存症でもないし......病気だってない。


けれど、この先に明るい未来を感じない。


俺、若菜わかな 道定みちさだは、契約社員、彼女無し、童貞である。それに加え、年齢よりも若く見られるが地味顔であり、なんともパッとしない冴えない独身男だ。


星に囲まれる月が少し眩しい。ゆっくりと進む雲がこれまでの生きた日々と重なり、陰鬱な溜息が「はあ」とこぼれる。


(......ホント、つまらないな......うん)


最近では好きだったゲームやマンガ、ラノベすらその味を変え、好みでは無くなってしまった......何をしていても楽しいと思えない。趣味の消失。つまりは生きる意味の無い、味気の無い人生。


ぼんやりと酔いにまわされながらセンチメンタルになり始めた。その時――


「にゃあ」


と、いつものあいつの声。ベランダにはちょっとした畑があり、そいつはいつもその脇を通ってこちらへ来る。トトと俺の足元へ駆け寄ってきたのは黒猫。


艷やかな漆黒の毛並みは月の光を反射している。


「今日も来たのか。すまん、ちょっと残業で......帰るの遅くて悪いな」

「みゃあーっ」


まるで人の言葉を理解しているような返し。それは気のせいだろうけど、孤独に侵され始めていた俺には嬉しい相づちだった。


ぐるぐると喉を鳴らし俺の手にすり寄ってくる。温かくて柔らかな小さな体。俺は丁寧に優しく撫でてやる。


この黒猫は3ヶ月前くらいからの付き合いだ。仕事の配達中にカラスに襲われていたのを助け、家で治療してやったのを機に此処へ来るようになった。


「ほら、お前用に買ってきたササミだぞ」

「ふにゃああっ!」


ぴょんぴょんと飛び跳ね喜ぶ黒猫。ちなみに名前はつけて無い。つけると飼いたくなるからな。このアパート、ペット禁止だし。治療したときは緊急事態だったため一時的に住ませたけど、本来許されることではないからな。


まあ他の住人はその禁止されているペットをこっそり飼っているみたいだが。隣の部屋のお爺ちゃん、こないだ犬の散歩してたし......いやこっそりじゃねえわ、堂々と飼ってるわ。考えてみりゃ。


ま、かと言って俺が猫を飼っていい理由にもならないけどな。


(てかこいつ、野良のくせに獣臭しない......ふつーちょっとは臭うだろ、野良なら。こいつはむしろ良い匂いするまである......もしやホントはどっかの家の飼い猫なのか?)


ふがふがとササミを頬張る黒猫。俺はいつものように、隣に来たこいつに話しかける。


「なあ、黒猫。いつも一緒に居てくれてありがとな」

「みゃう」

「あのさ、もうすぐ日付がかわるんだけど、明日......俺の誕生日なんだよ。あ、いや、別に嬉しくはないんだけどな......」

「にゃう?」

「もう、三十......なんだよ。しかも童貞」

「にゃ、にゃん」

「お前知ってるか?三十になって童貞の男は魔法使いになれるらしいんだ」

「にゃおうっ!?」

「はは、驚くなよ。都市伝説ってやつ。お前ほんと反応が面白いな」


――カッチ、コッチ


ここに越してきた時に購入したアナログの丸い壁掛け時計。その針の音と猫の声を肴に、ぼーっと遠くの星々を眺め、ビールをあおる。


頭の中を今日、一日の仕事内容が巡る。仕事、仕事、仕事.......。


(仕事の事しか記憶にない)


明日も、その明日もこうして変わらず......仕事の疲労と酒の酔いで日々を潰していくのかな。そう思うと、どうにも憂鬱な気分になってくる。


(......終わりのない、地獄か)


ちらりと隣の相棒を見る。すると一生懸命にササミに齧り付き幸せそうな顔の猫。見てるだけでこちらまで幸せな気分になる......そして勝手に自分の口がにんまりとしていることに気がついた。


「......なんか、あれだな。お前が居てくれて本当良かったよ」

「にゃあ」

「美味いか、ササミ」



――カチン、と秒針が十二に重なる。



俺は、ついに童貞のまま三十を迎えた。



「......?」


なんだ?



――ふわりと隣に生ぬるい風を感じ、飲もうと口に近づけた缶を止める。



「そう、ですね......ちょっと味付けが薄いと言いますか」

「ん?味付け......ああ、悪い。そりゃ猫用のだからかな。すまん、好みじゃなかったか」

「あ、いえ、スミマセン。せっかくわざわざ買ってきてくださったのに......これはこれで美味しいですよ!」



......ん?



幻聴、なのか?鈴の音が鳴るような、艷やかな......若い女性の声がした気がする。飲み過ぎたか?とビールを飲む手を休めるが、その声は続いた。


「んー、でも......ちょっと塩胡椒くださいませんか?あと少しだけ火で炙ってもほしいんですけど......って、言葉が通じるわけないか、ふふっ」


隣を見れば、そこにはクスクスと笑っている少女が居た。月明かりが溶け込むかのよう、淡く光をはなつ白肌。するりと闇を撫で落す艷やかな黒髪。そして吸い込まれそうなくりくりとした可愛らしい瞳は切れ長の目尻によって妖艶に見える。


そう、紛うことなき美しい人の女性が横に座っていた。


(......え、え?嘘......この子、誰!?)


おおよそ高校生くらいの年齢か。こんな夜更けに、一人の若い女性を部屋に......しかも、


お、俺は断じて何もしてないぞ。指一本触れてない。けど、これヤバいだろ。絶対、捕まる。この状況は......どうみても捕まる!そんな俺の焦りもつゆ知らず、彼女は言葉を紡ぐ。


「しかし、そう、三十ですか。長い人生を生きておいでなのですね......たくさんの苦労や辛い思いもされてきたのでしょう」


こてんと、俺の腕に頭を預ける少女。


「よく今日まで、頑張りましたね。......偉いです」


すりすりと頬を俺の腕に擦り付ける彼女。


(えっ、ええ......いや、ええ?)


しかし、不覚にも。酔っているせいなのか、彼女の「偉いです」という言葉に俺は泣きそうになってしまう。今までの人生でかけられる事の無かった優しいそれは俺の心の弱いところを容赦無く突いた。


相手は猫なのに。......いや、これ猫?でも、なんだろう......救われたような気持ちになる。


そして彼女は上目遣いでこちらを見上げ、こう言った。


「えっと、それと。さっきの......ど、ドーテー?でしたっけ?.......そ、そんなの別にどうでも良いじゃないですか!貴方は貴方、ドーテーでもなんでも素敵な人に変わりないです!それに、ほら。以前も私の命を救ってくださったじゃないですか?お仕事中なのに......忙しい中、仕事着が汚れる事もかえりみずに......」


あ、ああ、カラスに襲われていた時の......。


「こちらに連れて帰ってくださって......手当して住まわせてくださいましたよね。あれは本当に嬉しかった......まあ怪我が治ってあっさり外に帰されたときは恨みましたが」


あ、ごめん。いやでも、ここ動物禁止だから。


「けど、私は......」


――視線が交わる。


雲の切れ間からのぞいた、月の光が彼女へとあたりまるで天から舞い降りた天使のよう。


冷たい印象であった切れ長の目が柔らかくなり、温かかみを感じた。



「そんな優しいあなたが、大好きです」



胸が締め付けられた。なんだ、これ。飲み過ぎがたたったのか、心臓がバクバクいってる。不整脈か、これ。死ぬのか俺は。



(......けど)



――ドサッ



「なっ!?え、どうしました!?だ、大丈夫!?ねえ!」


遠くなる意識。彼女に体を揺らされながら俺は、もしかすると今が一番幸せなんじゃないかと、ふと思いながら瞼を閉じた。


その記憶の最後に「あ、え!?な、なな、なんで私、裸なんですかああーっ!?」と猫の叫びが聞こえた気がした。......それはこっちのセリフだ。






◇◇◇◇◇◇


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