六時間目 相棒の再来

 明日の授業の準備を終えたリディアは、普段ならもうとっくに寝ている時間だけど繕い物をして起きていた。

 やっと、ブラッドとの授業が始まりリディアは楽しくて仕方ない。ブラッドは、自分で考える力がある子だから疑問に思ったことは何でも聞いてくる。

 まだブラッドしか教えたことがないリディアだから、他の子との違いは知らない。だけど、貴族の子息たちのように学ぶことを最初から当たり前だと思っている子は、もっと授業に対して受け身な気がする。

 言われたことを、疑問を持たずに覚えたり書いたり読んだり淡々とこなす。


 しかしブラッドは、リディアが言ったことに対してすぐに疑問をぶつけてくる。今日は、数字の勉強をしていたのだが……。ブラッドは、「何でこんなこと勉強しなきゃいけないんだよ?」とすぐに聞いてきた。

 納得しないと学ばないその姿勢は、きっと先生によってはとても面倒臭い生徒なのかもしれないが、リディアはそうは思わなかった。

 きちんと、学ぶことの意味から説明するとブラッドの学びへの意欲が沸く。だからリディアは、ブラッドのどんな問いかけにも答えを用意する必要があった。

 それを面倒だとはリディアは思わない。それどころか、教え甲斐があってどんな質問が飛んでくるくるのかワクワクしていた。


「ふわぁー」


 リディアから、大きな欠伸が出た。明日が、ジョーンズ夫人に頼まれた繕い物の期限の日なのだ。あと一着繕えば終わりのところまできた。

 だけど、毎日のように遅くまで起きていたリディアは、眠くて眠くて仕方がない。さっきから欠伸ばかり出てしまう。


 一度、針と糸を置いて椅子から立ち上がって腕を回す。そして、大きく伸びをした。


「よし! あとちょっとだ!」


 リディアは、最後に気合を入れてもう一度椅子に座り直し机の上の針山を見た。すると、針山の横にちょこんと座ってこちらを見ているリスと目が合う。


「えっ? またリス? もしかしてこの前の子?」


 リディアは、びっくりする。いつのまに入ってきたのだろうか? 全く気が付かなかった……。


「キュッキュッ」


 リスが、この前と同じように愛くるしい目でリディアを見ている。まるで、「そうだよ」って教えてくれているみたいだ。


「そう。また遊びに来てくれたの?」


 リディアは、机の引き出しから取っておいたクッキーの包みを出して一枚だけリスの前に置いた。


「クッキーなんだけど、食べられるかしら?」


 リディアは、興味深くリスを見ていた。リスは、立ち上がってクッキーに鼻先を付けて匂いを嗅いでいる。恐る恐る、ぺろぺろと舐めた。

 どうやら気に入ったみたいで、クッキーを齧ろうとするが大き過ぎて上手く食べれない。


「ごめんね。ちょっと大きかったね」


 リディアは、一度クッキーを手に取ると小さく割って食べやすくしてから、もう一度机の上に置いた。するとリスが、クッキーの欠片を手にとって今度は丸ごと口に入れてむしゃむしゃと食べている。


「物凄く可愛くて、癒されるわね」


 リスの姿を見ていると、さっきの眠気がどこかに行ってしまう。可愛いからずっと見ていたくなる。


「駄目駄目。さっさと終わらせなくちゃ」


 リディアは、リスの姿を横目に針と糸を取って繕い物を始める。ちょっと気分転換ができたからか、さっきよりもサクサク手が動く。

 キリのいいところまで縫い進めて、手を止めてリスを見る。むしゃむしゃと食べる姿に癒されて、また縫い進める。それを繰り替えてしていたら、あっという間に縫い終わった。


「終わったー。何とか終われた、良かった。ふふふ、手伝いに来てくれたのかしら? ありがとう、リス君」


 リディアは、リスにお礼を言って裁縫道具を片づけ始める。繕い終わった服も綺麗に畳んで、まとめておく。そして、ちょっと暑かったから開けていた小窓を占めなくちゃと思い手が止まった。


「リス君、お家に帰る? 窓閉めるよ」


 リディアは、リスに訊ねた。するとリスは、「キュッキュっ」と言ってリディアのベッドの上に乗り身を丸まらせて横になった。


「あら、今日は一緒に寝て行くの? わかったわ。じゃあ、明日も一緒に朝ごはんを食べましょう」


 そう言って、リディアは窓を閉めてリスを潰してしまわないようにできるだけ壁側に寄って眠りについた。


 翌朝、リスと一緒に朝食を食べたリディアは窓を開けてあげるとそのまま外に出て行った。きっと自分の巣に帰ったのだろう。その姿を見送りながら、「また来てねー」と手を振った。


 そして、自分の身支度を整えるとリディアは、繕い終わった洋服を持ってジョーンズ夫人の部屋へと向かう。

 ジョーンズ夫人に会うのは、この前木から降りられなくなって以来だ。扉の前に立って、深呼吸をしてから扉を叩いた。


「はい、誰?」


 扉の向こうから返事があった。


女家庭教師ガヴァネスのリディアです」


 リディアは、扉の向こうに聞こえるように大きな声で言った。


「入って」


 ジョーンズ夫人の許可がでたので、リディアはドアを開けて中に入る。


「失礼します。繕い物が終了したのでお持ちしました」


 リディアは、洋服を落とさないように気を付けて頭を下げた。


「ああ。そう言えば、頼んでいたわね。こっちに持って来てくれる?」


 リディアが頭を上げてジョーンズ夫人を見ると、鏡台の前に座ってメイドに髪を結ってもらっていた。

 夫人の部屋には初めて入ったのだが、かなり広くて豪華な作りになっていた。きっと、リディアの実家の母親の部屋より数段立派だ。

 リディアは、夫人が腰かける鏡台の前まで歩いた。


「こちらになります」


 リディアは、座っている夫人に大量の服を渡すのは躊躇われたので一着だけ手渡した。すると、夫人はその服の繕った箇所をまじまじと見ている。


「へー、綺麗に縫えているじゃない。女家庭教師ガヴァネスなだけあって、縫物は得意なのね」


 夫人は、服の出来栄えに感心している。


「テーブルの上に置いておいて。後でメイドに持って行かせるから。これからも頼んだわ」


 夫人は、髪を結っている途中なのでリディアの方を一切みない。リディアが渡した服だけ、腕を付き出して返却してきた。


「恐れ入ります。では、失礼いたします」


 夫人から服を受け取って、リディアは、鏡台と反対方向にあるテーブルの方に足を向けた。


「あの後は、真面目に授業をしているんでしょうね?」


 夫人から、キツイ一言が放たれる。リディアは、何か言われるだろうと身構えていたがやはり来たかと姿勢を正す。


「はい。あの後は、ブラッドも毎日勉強部屋に来て一緒に学んでおります」


 リディアは、早口にならないようにできるだけゆっくりはっきりと話す。


「そう。ならいいわ。ちょっとでもおかしなことをしたら、すぐに代わりの先生を用意するつもりだから、そのつもりで! もういいわ、下がって」


 夫人は、鏡の中でリディアを鋭い視線で睨んでいた。夫人は、この前のことをまだ許していないのだとリディアは悟る。


「はい。肝に銘じます」


 リディアは、もう一度頭を下げてからテーブルへと向かい服を全部置くと部屋から退出した。部屋を出ると、足早に自分の部屋へと急ぐ。階段を上り、自分の部屋の前に辿り着くとバタンと勢いよく扉を開けて閉めた。


 部屋の中に入ったリディアは、大きく息を吐く。


「はぁー。まだ水に流してくれてなかったわ……。でも、流石にあれは不味かったものね……。今後は、絶対に気を付けよう……。それにしても、これからも繕い物を頼まれのね……。寝られる時は早く寝るようにしよう」


 リディアは、肩を落としながら目をこすって眠気を覚ます。


「さあ、次は午前の授業だ! 今日も一日頑張るぞ!」


 リディアは、弱気な心を吹き飛ばす。この屋敷に来てから10日程。まだ誰とも打ち解けることができずに孤立していた。嫌なことがあっても、自分で何とかするしかない。

 それでも、ブラッドとの授業はどんどん楽しくなっている。それだけが唯一の心の支え。ブラッドと一緒に自分も成長していくのだと胸を張った。

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