自己紹介のカワセミ

湖池あひる

自己紹介

 どうも。元一年一組の、カワセミです。本名だよ。ぼくは生まれも育ちもこの町なんで、たぶん町のことにはくわしいです。ぼくはじこしょうかいが苦手なんだけれど、チョット考えてきたので、きいてください。部活はギター部にしょぞくしてて、しゅみは音楽をきくことと、アニメをみることです。テレビではみれない作品も多いので、きほんは、はいしんでみてます。さいきんハマってるのは、てんせいものです。なんでもみるタイプなので、なんかおススメのアニメあったらおしえてね。

 ぼくは一年生のときはセミちゃんって呼ばれてたから、そんなふうに呼んでくれるとうれしいな。

 ぼくはちっちゃいし、インドアはとか内気そうとか思うと思うんだけど、そんなことはありません。足のはやさならぜったい君に負けないじしんがあります。気もつよいし、けんかだって負けないと思う。やったことないけど。

 やったことないことは、けっこう多いです。しょうじき言って、じこしょうかいもはじめてなんだよね。まあ、やらなくたって平気だもん、この町では。

 ぼくの人生初のじこしょうかい、気に入ってくれたかな? たぶん、君に会うのはほんとうに先になるでしょう。元気で、うまくやりなさい。せかいのひろさのかちをしるには、ぜっこうのばしょだよ。以上。


 私は、一人教室に立ち尽くしていた。


 ひらがなだらけの長文が机の天板に彫られていた。その机は、使用不可の紙を貼られ、廊下にさかさまに置いてあったものだった。私は誰もいない新学期の廊下で、その机をひっくり返した。そして、その文章を見つけた。相変わらず器用だ。私はそう思いながら、机を教室に運び込んだ。

 全校生徒、一名。広い校舎がまるで骸骨のように、私をかこっていた。彼女を同じようにかこっていたのだろう。始業式を終え、私は教師への自己紹介を済ませた。

 私は東京からこの町に来た。家族の転勤に合わせて、引っ越した。大切な友達というものも、一緒に頑張りたい仲間というものも持ち合わせていない私にとって、そこまでの問題ではなかった。期間はおそらく一年。同級生がほとんどいない場所を希望したのは私だったが、まさか全校生徒が一人とは思わなかった。訛りのある教師とタイマンでやってくのは、大変そうだ。

 私は天板一面に文字が彫られた机のところに椅子を持ってきて、座った。これから一年、何も知らない土地で暮らさなくてはならない。私は、じこしょうかいという文字を指の腹でなぞった。不規則にがたついて、いやな気分がした。右端の蛍光灯がちかちかしていて、もがいているように見えた。私だって、自己紹介は苦手なのに。それでも、君に自己紹介しろと言われたら、頑張ろうと思っていたのに。私は彼女の文章を読み直し、何度も指でなぞった。たまに爪を立ててみたり、とびきりぶかっこうな漢字を掌でたたいてみたりした。今日は海風が強くて、古いガラス窓が悲鳴を上げている。その悲鳴を聞くのも、私と教師だけだと思えばなんだか切ない。机に肘をついて、外を眺めた。肘に凹凸を感じた。一人になりたかった。その願いが叶って、どこか疲れている自分がいた。家にはまだ空けていない段ボールが残っている。

 私はカワセミの顔を思い出そうとした。

 正直忘れていた。彼女の顔はとてもきれいだったはずだが、彼女自身のキャラの濃さが視界を遮る。彼女は突拍子のないことをいつも思いついた。

 そして、私ははっとした。カワセミが、机に文を彫るだけで満足するだろうか? 彼女がひとつのいたずらで満足するとは思えない。


「あれ、桃子ちゃん、まだ帰ってなかったの」


そんな声掛けに、私はドアのほうを向いた。立っていたのは、女性の先生で、確か養護教諭の原先生だ。唯一訛りのない先生だったから、始業式では印象的だった。美人ではあるけれど、容姿以上に、屈託のないほほえみが素敵だった。原先生はショートカットの茶髪を耳にかけながら、教室に入ってきた。

「とっくに帰ってたと思ってたわ」

「すみません、すぐ帰ります」

私が席を立ち、ロッカーに向かおうとすると、先生は大きな声で笑った。

「謝んなくていいし、いつまでだっていていいのよ? この学校はあなたのもんなんだから」

先生は私の肩を抱き寄せた。花の香りがかすかに鼻に入ってきた。先生は、私とほとんど年が変わらないように見えた。私は先生の軽やかな態度にうれしくなって、「じゃあ、もうちょっと残ります」と言った。先生は私から少し離れ、それから怪訝そうに顔をしかめた。

「机、二個出しちゃったっけ」

「ああ、これ、私が持ってきちゃったんです。ちょっと気になって」

先生はヒールの音を冷たく鳴らして、カワセミの机に近づいた。そして、額に手を当て、大きなため息をつく。

「あの子ったら……」

まるで子犬のいたずらにあきれるように、先生は苦笑していた。

「この子ね、あなたの同級生なんだけど今年から転校したの。変わった子だったけど、最後にやらかしてくれたわね」

私は先生の横に立って、机を撫でた。

「変わった子って……?」

「そりゃ、現代日本においての変わり者だよ」

先生は目を細めて頬に手をやる。カワセミは、ここでの生活がよく似合う気がした。

 小さいころ、私たちは東京で暮らしていた。同じ幼稚園に通っていた。しかし、カワセミは私と仲良くなってからというもの、まったくほかの子とは関わろうとしなかった。私がほかの子と遊んでいるときは教室で先生のピアノをいじり、私が教室に戻るとラクガキノートを片手にやってくるのである。カワセミはロボットの絵がとても上手だった。彼女はたいていクレヨンを忘れてきていて、私が彼女の絵に色を塗った。彼女の絵をベースにした遊びしかやらなかったから、私の手元に当時の絵はない。カワセミとの日々はなぜかいまだに鮮明で、中学校より記憶に新しい。小学校で、彼女はその容姿端麗さと明晰さで一気に人気者になった。そして熱はすぐに冷めた。カワセミの独特な思考は、少しだけ理解されにくかった。彼女の人気は、見た目で得たものではなくなり、カワセミの考えを楽しむ私や友達で構成された。一日中、授業を受けながら机の隅で鉛筆を積み上げて、先生のお咎めも気にせずに、私たちに向かって誇らしげに笑うカワセミが、大好きだった。

 カワセミは小学四年生くらいで、祖父母が暮らすこの町に越してきた。カワセミは私にそのことを一言も言わなかった。私は母に聞いて初めて、カワセミが遠くへ行ったことを知った。

「先生、この人は転勤か何かだったんですか」

私がポツリと問いかけると、先生は口元をぎこちなく動かした。それから、桜色の唇がかすかに微笑みを浮かべる。先生の頭が少し揺れて、前髪が目にかかっていた。

「東京へ行くんだ」

ぎこちない言葉だった。先生は笑っているのに、悲しそうだった。視界の端が、さっきまで気にならなかった薄汚れた校舎でじわじわと侵食される。先生は指先でカワセミが彫った文字を丁寧になぞった。

「病気の検査をして、悪けりゃ手術。良くてもそのまま東京で暮らすって言ってた。親戚がお医者さんなんだって。心配されてるんだって、こんな辺鄙な町で暮らすことを」

先生はまるで演説のように語った。抑揚がやけにはっきりついて、違和感があった。悪けりゃ手術、という言葉が頭に残っている。カワセミは病気だったのか。私は初めてそれを知って、やるせなさに駆られた。別に、何ができるわけでもないけれど。私はそして、少し落胆した。カワセミでも病気になって、親戚の言う通り東京で暮らすのだ。私は机に手をついて、体重をかけた。どんどん悲しさが増殖する。あの汚く立て付けの悪いドアを、壊す勢いで開けて、二つ目のいたずらを宣言してくれればいいのに。

「まあ、あの子のことだし、そのうちけろっと帰ってくると思うわ」

「そう思うんですか」

「そしたら、自己紹介を改めてしなね。同級生になるんだから」

先生はそう笑うと、手をひらひらと振って教室から出て行ってしまった。ドアは開けっ放しで、ヒールの音が高らかに鳴っていた。人がほとんどいないからか、よく響いていた。

 私はリュックをロッカーから取り出して、机を廊下に出そうとした。対角線上の角にそれぞれに指をかけて、少し背中をそらせる。机が軽くて、寂しい。私はひんやりとした廊下に机を置いて、それから少し立ちすくんだ。

 この町に来たのは偶然だ。静かな場所に行ければ丸儲けだ。そんなことを考えていた。カワセミがこの町にいたとは知らなかった。カワセミは元気になるために東京へ行った。カワセミの声なら聞きたかった。カワセミがこの町でどんな風に笑っていたのか知りたかった。

 私はおもむろに机の中に手を突っ込んだ。

 カワセミの二つ目のいたずらを探した。

 そしてそれは、ビンゴだった。

 天板の裏に紙が貼りつけられていて、私は爪を立ててテープをはがした。ルーズリーフが二つ折りになっていた。濃い字で『キジバトへ』と書いてあった。

 その躍動的な文字を見て、胸がきゅっと苦しくなった。喜びがこみあげて、嗚咽が出そうになるのを必死で飲み込む。窓がきしむ音が聞こえる。なんでルーズリーフなんだよ、と苦笑しながら、紙を開く。そこにはロボットの絵と文章がつづられていた。この町で起こったこと。どうしてカワセミは私が来ることを知っていたのか。絵は昔より洗練されていて、帰ったら色を塗ろうと思った。

「キジバトッ!」

凛とした大声に、あきれ返りながら返事をする。

「なんだよカワセミ」

三つ目のいたずらは意地悪だったけれど、最高に楽しかった。地味なスーツで、やけに大人っぽくなって、よくわからない演技力まで備えていた。でも、メッシュをかぶった頭をそのままにショートカットのウィッグを振り回している彼女は、どう見たってカワセミだった。

 

 

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