第41話 準備と息抜き

 こんな時の三連休は、憂鬱だった。


 雇用統計発表の7日、スズメからの電話で、あおり運転でイロハの両親の命を奪った人物が、その親の国会議員である象勢揚郎ぞうぜいあげろうの秘書として、上下じょうげ高校で開催される投資甲子園に来賓として出席するのだ。それも、親子そろって。


 スズメは、責任を感じているらしい。


「――すまない、イロハちゃん。相手が、イロハちゃんの通っている学校だってことを知っているのか、それとも偶然なのかは分からない。でも、そもそも、来賓を呼ぶことを拒否できなかったのはわたしの責任だ……」


「――スズメ先輩。そんなことないです。スズメ先輩は責任なんて感じなくていいんです」


 それを言うだけでせいいっぱいだった。


 三連休中は、本田さんの古本屋でのアルバイトだ。


 ついつい、ネットショッピングに出品する本の、パソコンへの打ち込みの最中、国会議員の闇、などという本があると、思わず中身を見てしまう。


 ため息ばかりが出ていた。


 11日に投資部につくと、すでに象勢揚郎親子が来賓でくることはアヤノとカリンにも伝わっていたようで、二人が心配そうにイロハを出迎えた。


「アハハ、変なことになっちゃいましたね」


 イロハは苦笑いしながら言う。


「えーと、その……、イロハちゃん、大丈夫?」


「あの、イロハ。変な話だけれど、無理に大会にでなくてもいいんだよ?」


 心配してくれるのは分かるが、カリンのその言葉には、少しムッとした。


「わたし、大会には絶対に出ます。ここで逃げるなんてこと、できません」


 その言葉を聞くと、アヤノとカリンは互いの顔を見て、ほっとしたような笑みを浮かべた。


「うん、そうだよね。さすがイロハだ」


「ぜったいに、イロハちゃんに嫌な思いなんかさせないからね」


 そうアヤノとカリンが言ってくれると、ありがたい。


「まあ、アヤノがまた、大孫を殴るようなことをせぬとよいのじゃがの。国会議員を殴ったらブタ箱じゃぞ」


 花子が言うと、なんだかおかしく、イロハは大笑いしてしまった。


「ちょっ、ハナちゃん。それに、イロハちゃんまで。もぅ」


 アヤノは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


 こんな中でも、冗談を言い合えるのは、なんだかいい感じだ。


 両親を失った悲しみは大きいし、そんな中、能天気に国会議員の父親の秘書をしている加害者の気がしれない。いや、知りたくもない。


 三連休は、そんなモヤモヤした気持ちで、こんな気持ちが続くと、さすがに押しつぶされそうになりそうだったが、二人の先輩、そして花子に囲まれると、そんな気持ちは軽くなる。


 アハハ、と笑って、いいことを言った、というような顔の花子。そして、赤面して顔をおさえているアヤノを見比べる。二人とも、面白い顔だ。


そして、カリンを見ると、


(あれ、カリン先輩?)


 カリンは、赤面するアヤノをぼーっと眺めている。


 ふと、カリンはイロハの視線を感じたのか、


「まったくアヤノはぁ。前科持ちなんだからね!」


 と、アハハとぎこちない笑いを浮かべた。


 とそこへ、カエデとマキが入ってきた。


「みんな、調子はどう? イロハちゃん、たいへんなようね」


「イロハ、そんな奴がきたって大丈夫だぞ。ウチらで何とかするからな!」


 イロハは驚いた。


「カエデ先輩、マキ先輩。あの、剣道部の方は? 何とかするって?」


「ふう、やりきったわ」


「ああ、やりきったぜ」


 この三連休、剣道部の大会が行なわれた。


 そして、ついに、三年生は引退となったのだ。


「本当なら、とりあえず高校の部活はこれで終わりで、これからは受験勉強に集中するところなんだけれどね」


「なんか、投資部にも色々迷惑かけたわけだしな。手伝えることくらいはやろうってな」


「あの、いいんですか」


「うん、受験勉強優先だけれど、それでよければね」


 イロハは、なんだかありがたい気持ちになった。


「それじゃあ、カリン部長、わたしたちは何をすればいいかしら?」


「ああ、なんでも言ってくれ」


 二人は、カリンに言う。


「えーと、ありがとう。本当に、いいの?」


「何言ってるのよ。いまさらじゃない」


「ああ、嫌だって言っても、聞かないからな」


「うん、ありがとう。じゃあ……」


 投資甲子園に向けての、案内や、緊急対応など、次々に決まっていく。


 カリンはいつもとぼけている面もあるが、さすが部長だ。それに、カエデも、剣道部の部長なだけあって、よく気がつく。


 アヤノも、中学時代にはソフトボール部のエースだった。二人の先輩を立てながらも、ためらいなく意見をしていく。


「なんだか、みんなすごいですね」


「ああ。ウチはあれだけリーダーシップはないからな。ハハ。でも、突破力はあるんだぜ!」


「うむ、適材適所というやつじゃな。どれ、今回は妙な輩もくるそうじゃからの。わしも妖たちと作戦を練ってくるとするかの」


「ううっ、花子。怖いのはなしだぜ……」


 そういえば、花子とはじめて会った時には、マキは震えて怯えていた。


「ふっふっふ。マキよ。それは相手の出方次第じゃ」


 花子は目を細くして、不敵な笑いを浮かべた。


「あはは、ハナちゃん。お手柔らかにってやつだよ……」




 今週は、カエデとマキの活躍もあって、準備は目覚ましく進んだ。


ただ、投資部では、投資甲子園の準備だけしていればよいというわけではない。


 13日には消費者物価指数が発表され、ドル円は147円を上抜けた。14日にはミシガン大学消費者信頼感指数が発表され、夜中には148円に達した。


 15日の土曜日、今日は投資甲子園に使う立て看板を、投資部の四人で商店街に取りに行く。


「ああ、カエデもマキも手伝ってくれたらよかったのになぁ」


「カリン先輩、さすがに部員以外に休みの日まで手伝わせるのはダメですよ。カエデ先輩もマキ先輩も、受験勉強があるんですから。それに、軽トラックの荷台に乗せて学校まで運んでもらって、倉庫に入れるだけじゃないですか」


「うん、それはそうだね。まあでも、二人のおかげで、投資にも集中できたよね。ドル円はどんどん上がって行くし。団体戦は勝てないかもしれないけれど、このままロングし続ければ、いい線はいきそうだよね」


「含み益240万円。財務省の介入は怖いですが、このままロング継続ですね」


 イロハは、そんな話をしているカリンの、時々アヤノに向ける視線が気になった。


 ふと、カリンが投資の話題をかえて、


「アヤノってさ、普段着けっこう地味だよね」


「ううっ、急に何言うんですか?」


「だって、今日だってセーターにジーパンだろ」


「立て看板運ぶんですよ。動きやすい格好に決まってるじゃないですか」


 アヤノがふくれた顔をする。


「カリンはそう言うが、アヤノは体が引き締まっているからの。こういう格好も様になっているの。スポーツが出来そうな清楚系もいいものじゃ。のう、カリンよ」


 花子が、ニッとしながらカリンを見る。


「うう、うるさいな」


「カリン先輩がなんで恥ずかしがっているんですか」


 アヤノも、ニッと笑った。


「あー、ほら、ついたよ」


 カリンが話を逸らして、店を指さす。


 店の表には、すでに「第1回投資甲子園大会」や「投資甲子園会場」「会場入り口」などの看板が立てかけてあった。


 カリンが、店の人と話している。商店街の人間同士、顔見知りのようだ。


「えーと、請求書はこれだから、ちゃんと校長にわたすんだぞ。カリンはそそっかしいからな」


「なんだよそれ。ちゃんと払うよ」


「それにしても、こういう受注が入ってよかったよ。コロナのせいで、最近はイベントごとがないからな」


「収入は落ちたの?」


「ストレートに聞くな。かなりまずいぞ。おまけにインボイス制度ってのもはじまるしな。おまえんところは対応できてるのか?」


「そりゃ、ばっちりだよ」


 投資をはじめたイロハにとって、そんな何気ない話題も勉強だった。


 アヤノを見ると、やはり真剣に二人の会話を聞いている。


 と、思うったが、アヤノの真剣さは、どうも勉強するための真剣さとは少し違うような感じだった。


視線は、カリンにだけそそがれていて、なんだか、大人と話しているカリンを、ぼーっとながめている。


「アヤノ先輩?」


「ええっ、ああ、どうしたの、イロハちゃん?」


 慌ててアヤノが言う。


「いえ、そろそろ看板を運ばないと」


 みんなで、看板を軽トラックの荷台に運ぶ。


 看板は、思ったほど重くはなかった。


「ふう、終わった。おじさん、上下高校までお願いね」


「ああ、分かった……、っと、電話だ」


 看板屋のおじさんは、スマホに出る。


「はいはい、ええっ、今から? えーと、まあ、できますけど……」


 スマホでの通話を終えたおじさんは、申し訳なさそうにみんなに言った。


「みんな、悪いな。これから急に看板のデザインの打ち合わせが入っちまった。看板は、昼過ぎ、そうだな、昼過ぎに上下高校で待ち合わせでもいいか?」


「うん、みんなは、大丈夫?」


 カリンが聞くと、みんなうなずいた。


「それじゃあ、またあとでな」


 看板屋のおじさんは、看板を載せた軽トラックであわただしく走り去っていった。


「えーと、時間開いちゃいましたね」


 イロハが言う。


「うむ、まだ時間はあるの。どこかで暇をつぶさないといけんの」


「ふっふっふ、それじゃあ」


 カリンが不敵な笑いを浮かべる。


「この看板屋の向かいのお店をごらんください」


「みんなは、店を見た」


「呉服屋さん?」


「そうなのです。きょうは、地味な服装のアヤノを改造してみましょう!」


「ちょっ、カリン先輩!」


「いいからいいから」


 カリンは、アヤノの手を引っ張って店に入っていく。


「アハハ、どうする、ハナちゃん?」


「うむ、これは面白いことになってきたようじゃの」


 イロハと花子も店に入る。


 すると、


「ああ、イロハ、花子まで!」


「サツキちゃん!」


 そこには、イロハのクラスメイトで、新聞部員のサツキがレジ前に座って、カメラのレンズを磨いていた。


「あ、そういえば、おうち、お洋服屋さんって言ってたよね」


「うん、ここが私のうちなんだ。正確には呉服屋だけど、今は洋服で下着でも、なんでも扱ってるよ」


「おおう、サツキよ。なんだか呉服屋でカメラを磨いていると、盗撮でもしているかのようじゃの」


「まあ、お客さんなら通報するけどね」


「あはは……」


「それにしても、カリンちゃんとたちばな先輩も来てるし、投資部の活動だったの?」


「うん、ちょっと時間をつぶさないといけなくなって。お邪魔かな?」


「ううん、土日は人が入ってるとそれだけで客寄せになるからね」


「そっか、そういえば、カリンちゃんって?」


「ああ、カリンちゃんの家とは親同士が仲良くて、よく遊んでたんだ。だから、先輩って言うのもなんだか変でさ」


「そうそう。それで、サツキ~?」


「うん、カリンちゃん。ふっふっふ」


 カリンとサツキは、不敵な笑みを浮かべる。


「えーと、橘先輩はこれとこれをきてみてください!」


 サツキは、せっせと洋服を出してくる。


「えっ、えっ、ちょっと悪いよ。わたし今日お金も持ってきてないし」


「いいえ、いいんですよ。試着はタダですよ」


 嫌がるアヤノに無理やり洋服を押し付けて、試着室に入れた。


「アハハ。そういえば、サツキちゃん、アヤノ先輩のファンだったよね」


「イロハ~、ここにきたからには、イロハもだよ~」


「ううっ、えっ、サツキ、ちゃん?」


 サツキはせっせとイロハのコーディネートをして、試着室に入れてしまった。


「ううっ、これって、着ないといけないのかな?」


 イロハは、渡された洋服に着替えて試着室を出る。


「うわっ、イロハいいね! やっぱりイロハ、フリフリの衣装が似合うね!」


 緑色の、全体にフリルのついたワンピースだ。


「イロハって、ショートボブの黒髪さらさらだから、なんか全体に緑色が似合うと思ったんだよ。それに、フリフリは小動物感が出て、かわいさ倍増だよ!」


「ううっ、恥ずかしいよ……。えーと、アヤノ先輩は?」


 アヤノはまだ試着室から出てきていないようだ。


「アヤノー、もう着替えたでしょ?」


 外からカリンが呼びかける。


「うう~」


 すでに顔を真っ赤にしたアヤノが出てくる。


「ああ、橘先輩、やっぱりいいですね! 肩フリルがついたノースリーブのワンピース! アヤノ先輩ってスポーツ系のポニーテールでクールなイメージですけど、ギャップを狙ってピンクにしてみました! 肩フリルで肩の上は隠した清楚感を印象付けながらも、手を少し上げたらワキが見えちゃうセクシー感! うん、すごい似合ってます。だよね、カリンちゃん……、カリンちゃん?」


「…………」


 カリンは、サツキに呼びかけられても、ぽ~っとアヤノに見とれてしまっているようだ。


「ちょっと、カリン先輩!」


 アヤノが恥ずかしそうに声をあげた。


 アヤノに言われて、カリンは急に我に返り、


「えっ、えーと、アヤノ、その、すごく……いいです……」


 顔を赤くしながら、うつむいてしまった。


「ちょっと、カリン先輩がなんで恥ずかしがってるんですか! 恥ずかしいのは私なんですよ!」


「アッハハハハ!」


 花子は腹を抱えて笑っている。


「これは一枚激写しないとけないねー」


 サツキは机の上の一眼レフカメラを持ってきて、アヤノとイロハにシャッターを切る。


「ちょ、サツキちゃん! それ、盗撮!」


「うへへ、いいじゃない。思い出になるよ~」


 もはや、店内は乱痴気騒ぎだった。


「あの~これほしいんですけど~」


 いつの間にかやってきていたお客が呼びかけたが、もうそんなことは、誰の耳にも入っていなかった。


「うむ、これはドル円のごとく、介入があっても止まらぬの」

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