第22話 7月の選挙を見据えて

 23日、イロハは株の上昇が気がかりだった。


 そして、それ以上に、自分が提案したドル円のショートの結果は、とても気になっていた。


 なにせ、ドル円のショートは、毎日スワップ金利がとられてしまう。


 ドル円が下がってくれなければ、差額で損をするだけではなく、毎日とられるスワップ分の損失も広げてしまうのだ。


 それは、投資部全体のポートフォリオにも響いてしまう。


 授業中は、なかなかスマホを見ることもできない。


 気ばかりが急いてしまう。


 ようやく放課後がやってきた。


 投資部にかけつけて、すぐにパソコンの電源をオンにする。


 立ち上がる時間も惜しいので、スマホでも為替をチェックする。


「よかった、ドル円は少し落ちてる。バイデン大統領がきたから、少し円安になっちゃうのかなとも思ったけど、よかったぁ」


 ほっと、胸をなでおろす。


「やれやれ、イロハよ。そんなに根を詰めてもよいことはないぞ」


 花子がのんきにあくびをしながら、イロハに言う。


「ハナちゃん、だめだよ。ドル円のショートを提案したのはわたしなんだから。ここでドル円が上がっちゃうようなことがあったら、申し訳ないし」


「上げ下げに一喜一憂しているうちは、なかなか勝てんぞ」


 まだのんきそうな表情の花子に、むっとした。


「おつかれさま」


 アヤノが部室に入ってきた。


「イロハちゃん、ハナちゃん、はやいね。観光関係の株は少し上がってきたね。ドル円も、損はしてないから、上場の滑り出しかな」


 アヤノは、すでに結果を知っていた。


「あの、アヤノ先輩、どうして結果を……」


「うーん、やっぱり、気になっちゃうじゃない。授業中にこっそり、相場はチェックしてるからね」


 涼しげな顔で、すごいことを言う。


「相場は急変するかもしれないからね。たいてい、相場は、思っているのとは逆向きにいっちゃうからね」


「あはは」


 ただ、バイデン大統領の来日も、特に大きなことは決定せず、株も為替も大きな動きとはならなかった。


 それどころか、アヤノが危惧したのとは、まったくの逆方向に相場が動いた。


「大ニュース大ニュース!!」


 週の半ば、カリンが部室に飛び込んできた。


「キッシーが、外国人観光客の受け入れを発表したよ!」


 岸田首相が、6月10日から訪日外国人客を受け入れると発言したのだ。


 正式な発表はまだ先だが、少なくとも、このニュースは観光関連銘柄の上昇を促すことに相違ないことだった。


「これは、観光関連銘柄、爆上げかもね」


 カリンの言った通り、観光関係銘柄は上昇を続けている。


 特に、投資部で購入した航空関係銘柄は、連騰を記録した。


「すごく、うまくいってますね」


 ドル円も、大きな下落はまだこないが、含み益で推移している。


「ほんとうに、そうだね。ただ……」


 アヤノは、うれしそうでもあるが、どこか不安そうでもある。


「ただ、なんでしょう?」


「ううん、ちょっと心配があってね。今回は、半分は必ず投資していないといけないでしょ? 本当なら、これだけ上がれば、株の方はいったん利食いしておきたい気もするんだけど、次に何を買うか考えてからじゃないと、ポンポン利確することもできないんだなって」


「うーん、たしかにアヤノの言うとおりだよ」


 投資部では、最初の250万円分で何に投資するのかを議論した。


 しかし、最初はよいにせよ、その後の議論がまだだった。


「ちょっと、盲点だったよね。これまでは、キャッシュポジションにして持っていてもよかったけれど、これからは、利確しても、翌営業日には何かに投資しないといけないんだから、うかつに利確したら、かえって困ることにもなるよね」


 みんなは、うーんと、考え込んでしまった。


「とりあえず、航空関係の銘柄は、6月10日近くまでは保有ですかね」


「そうだね。株の現物は、けっこう大きいからね。問題は……」


 みんなの視線はイロハの方へ向けられた。


「ドル円、ですか……」


 イロハは上目遣いに言う。


「うん。たしかに、下げ目線は、今後のリセッションを見据えたらいいかもしれない。でも、一時的に上昇したら、どうしようかなって思ってね」


 投資部では、1円ごとに売り増しする手、今のうちにリスク回避のために両建てする手、なども考えたが、よい考えが浮かばない。


「とりあえず、来週の6月に入ったら、最初の金曜日にアメリカの雇用統計がある。それまでには、何か方針を考えないとね」


 みんなは、動き続けるチャートを見続けて、何も言えなくなってしまった。




 何もしないままに、27日の週末を迎えた。


 よい言い方をすれば、利益を伸ばしていた、という言い方もできる。


 航空関係銘柄は堅調で、ドル円も、いぜん127円台から126円台後半をつけ、徐々に下落していきそうに見える。


「今週は、何もできなかったね」


「でも、損をしていなから、よかったんじゃないでしょうか」


 アヤノとカリンが、ほっとしながらも、多少つまらなそうな顔をしながら話していた矢先、投資部の扉が開いた。


投資部のみんながドアの方を振り向くと、剣道部のマキと、色白でスタイルのいい人が入ってきた。


「おつかれさま、ちょっといいかしら?」


 二人が入ってくる。


「えーと、あなたがイロハちゃんね?」


「あ、はい!」


 スタイルのよい方の人が話しかけてくる。


「わたし、剣道部で部長をしている3年生の北畠きたばたけカエデっていいます。去年は、カリンとアヤノちゃんにとってもお世話になってね。えーと、二人やマキから、イロハちゃんのこと、色々教えてもらって」


「いろいろって……」


「えーと、ごめんさい、イロハちゃんが、ご両親亡くされたこととか。みんな面白がって話したわけじゃないの。イロハちゃんのことを心配してのことよ」


「いえ、別に隠しているわけじゃないので」


 ただ、初対面の人に、自分の境遇について知られていることには、正直驚いた。


「ごめん、イロハ。でも、なんだかほうっておけなくてさ」


 マキが割って入る。


「いえ、別に、いいんです」


 マキは、イロハに本田さんの古本屋でのアルバイトを紹介してくれた。


 決して、面白半分で話したのではないことは分かる。


「7月に参議院選挙が実施されるわよね。そこで、商店街にも、選挙のアルバイト募集の案内がきたの。18歳からは投票できることになるから、18歳もアルバイトできるってわけね。結構選挙のアルバイトって割がいいから、わたしとマキは開票作業に早速応募したの。夕方からだから、部活が終わってから行けるからね」


「ええ、わたしのところにはまだ案内きてないよ」


「カリンの家は、回覧板が回るの最後のほうだからね。メールすればよかったわ。カリンも一緒にやるといいと思っているわ。投資部の活動で調整がつくなら、平日の期日前投票の日から、会場の案内係っていうのもあるからね」


「うん、やってみたい! って、18歳以上なんでしょ? わたしとカエデ、マキはいいとして、イロハはまだ18歳になってないよ」


「うん。実は投票所って、選挙権を持っている人しか入場しちゃいけないらしいの。だから、アルバイトも、基本的に中でやる仕事は、18歳以上なのね」


「じゃあ、どうして、イロハに?」


「実は、選挙には、外でやる仕事もあるのよ。出口調査ってやつね。マスコミがやるのが一般的なんだけれど、うちの商店街でも、独自に新聞出してるじゃない」


「そういえば、選挙の時って、力入れてるよね。商店街のホームぺージに速報まで出してるもんね」


「うん。今回は、期日前投票から、毎日出口調査して速報を出すそうなの。でも、働いている人は、平日は忙しいから、できれば、高校生で誰かいないかって話になったの。昨日の夜に、商店街の会長さんがわたしの家のおそばを食べに来てね、お父さんとそんな話してるものだから、紹介できる人がいるかもしれない、って言っておいたの」


 イロハは驚いた。これは、自分に仕事を見つけてきてくれたということだろう。


 選挙といえば、割のよいアルバイトとして有名だ。


 イメージしていたのは、開票作業などだが、そういえば、出口調査など、選挙には、多くの仕事が存在している。


 カエデは、イロハに向き直って、


「イロハちゃん、どうかしら? 平日毎日やってくれたら、それなりのお金になると思うのだけれど?」


 選挙のことは、よく分からない。


 でも、投資をはじめて、政治が経済とも大きく関係していることが分かってきた。


 出口調査でも、選挙にかかわることで、見えてくることもあると思うと、興味がわく。


 それに第一、お金が必要なのは言うまでもない。


「あの、わたし、やってみたいです」


 カエデはニコリと笑って。


「うん、じゃあ、さっそく、伝えておくわね。えーと、アヤノちゃんと、そっちの子は花子さん……だったわね。二人もどうかしら? とりあえず、3人確保したいってことだったんだけれど」


 アヤノと花子は顔を見合わせて、


「わたしも、やってみたいです」


「うむ。人間たちが何を考えているのか、興味があるからのう。わしもやろうぞ」


 カエデはニコリとして、


「うん、よかったわ」


 と言った。


 選挙のアルバイトというと、かしこまってしまいそうだが、アヤノと花子が一緒なら、緊張も緩和される。


 みんな、臨時収入が入ることに期待が膨らんでいるようだ。


「よーし、それじゃあ、投資部としての社会勉強ってことで、選挙期間中は選挙のアルバイトをするのが、投資部の活動ってことにしよう!」


「ちょっと、カリン先輩、調子よすぎですよ」


「いいんだよ、社会勉強ってことでさ!」


 そうは言っているが、アヤノも嬉しそうだ。


「それに、ようやく今回から、わたしも投票権をもらえるしね。なんか、ちょっとワクワクするね。この1票で、投資部の運命も決まるんだから」


「なに調子のいいこと言ってるのよ。うちの選挙区は、いつも当選する人も党も決まってるじゃない」


「夢のないこと言うなよ」


 カリンとカエデが話しているのを聞いて、みんなアッハッハと笑った。


「ところで、7月の選挙と言えばアヤノちゃん、準備は進んでいるのかしら?」


 ふとカエデがアヤノに質問した。


「あ、えと、カエデ先輩。そのことはまだ」


「えっ!?」


 カエデはあわてて口を手でおさえた。


「え、アヤノ、選挙の準備って?」


 カリンが聞く。


「いや、カリン、なんでもないのよ」


 あわてて、横からカエデが言う。


「いや、なんでもなくないよ。アヤノ?」


 カリンが、心配そうな顔になる。


「えーと……」


 と言ってから、アヤノはコホンと一つせきをした。


「あの、実は、わたし、7月に行なわれる、生徒会長選挙に、生徒会長として立候補しようと思っているんです」


「ええ!?」


 カエデ以外、みんな驚きの声を上げた。


「あの、アヤノ、さん?」


 カリンが、手をばたつかせながら、アヤノに聞く。


「カリン先輩、何にも言っていなくてごめんなさい。カエデ先輩に相談していたのは、カエデ先輩、生徒会の副会長もやっているから」


「そういえば、カエデって、生徒会役員だったよね」


「今更ね。まあ、わたしの場合は、どちらかといえば幽霊みたいなものよ。前の生徒会の副会長、親の都合で突然転校することになったじゃない。だから、部活でも成果上げているし、成績も良いわたしにやってくれないかって依頼が来てね。最初は剣道に専念したいからって言っていたけど、名前だけでも、ってことだったから入ったのよ」


「なんだよ、成績って、自慢かよ。でも、うちの生徒会って……」


「まあ、わたしの場合は数合わせだったわけだけれど。でも、うちの生徒会って結構ちゃんと活動しているのよ。先生たちにも、会長の言うことは、ある程度通すことができるのよ。商店街とのつながりももてるしね」


「そういえば、商店街とのタイアップイベントもたまにやるよね。お弁当の出張販売とか」


「うん。わたしは副会長として、そんな調整をしていたのよ。でも、生徒会長は、商店街の会議などにも参加しているし、けっこう大変なのよね」


「うーん、アヤノ、大丈夫なの?」


「正直、ちょっと不安です。でも、去年1年投資部で先生達から、ひどいことされましたし、今度は、こっちがやってやる番ですよ!」


 アヤノからは、信念のようなものが見えた。


 普段おとなしそうなアヤノだが、たまにこのような、大それたことをやろうとすることは、むしろ尊敬できる。


「アヤノ先輩、大孫おおぞん先生にわたしがひどいこと言われた時、まだ言えないけど、ちょっと考えていることがあってって言っていたのは……」


「うん、もし、生徒会長になれたらの話なんだけどね」


 アヤノは苦笑いしながら言った。


「でも、けっこういい線いくんじゃないかって思うのよ。アヤノちゃん、成績、実は学年トップなのよね」


「ええ! そうなの、アヤノ!」


 今更のように、カリンが驚いて言う。


「ふふん!」


 アヤノが威張ったポーズをとる。


「そういえば、テスト期間中も、ずっと投資やってたよね。なんだかなぁ」


「テストなんて、授業でやったことしかでないんですよ」


「これだよ、勉強できるやつは……」


 そんなアヤノとカリンの話を聞いていても、やはりアヤノはすごい人だと思った。


「それに、アヤノちゃん、地味に体育会系で、同学年の子から人気あるのよね」


「そういえば、授業中、グラウンド見てたら、アヤノのクラス体育やっていたけど、運動神経よさそうだったもんなぁ」


「そうですよ。これでも中学時代は、ソフトボール部のエースで……3番ではあったんですが、二刀流だったんですよ」


「ええ、そうなの?」


「高校でもソフトやろうと思っていたんですけど、事故にあってそれどころじゃなくなっちゃいましたからね。今は、投資部が楽しいからいいんですけど」


 なんだか、おとなしそうなアヤノだが、意外な一面があることが分かった。


 そういえば、髪を後ろでキュッと結んでいるアヤノに、ソフトボールのユニフォームを着せたら、似合いそうだ。


 すらっとした体つきは、あこがれてしまう。


「とにかく、生徒会長に立候補したら、今みたいに投資部に打ち込むことって、もしかしたらできなくなるかもしれないので、考えていたんです。まだ、カエデ先輩に活動内容を聞いていた段階だったので、それ以外の人には何も言っていなかったんですけど」


「アヤノちゃん、ごめんなさい」


「いえ、ここまで来たので、みんなには知っていてもらった方がよかったです」


「うーん、でも、面白そうだよね。アヤノが出るのなら、応援するよ」


「うん、ウチもアヤノのこと、応援するぜ」


「副会長の任期終わる時に、一言、アヤノちゃんに引き継ぎたいって言ったら、票になるかしら?」


 なんだか、愉快な人たちに囲まれて、退屈しない部活だと、イロハは思った。


「うむ、わしも清き一票を、アヤノに入れるとするかの」


「うーん、ここまできたら、もう、出るしかないですね。わたし、意思を固めます!」


 ついにアヤノは、意を決したようだった。


「これは、参議院選挙よりも重大ですね」


 ポツリと言うと、みんなはイロハを振り向いた。


 イロハは、みんなに見られて恥ずかしかったが、みんなはアッハッハ、と笑った。

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