第19話 大会に向けて!
ゴールデンウィークは、本田さんの書店でのアルバイトに明け暮れて、休んだ気がしなかった。
でも、充実していた。
アルバイトは楽しかったし、家では花子が料理を作って待ってくれている。
(人と一緒に暮らすって、落ちつくんだな)
朝ごはんも花子が作ってくれた。
しばらく分の料理を、休みの間に花子が用意していた。
「なんだか、当番って言っておいて、ハナちゃんにやらせちゃったね」
「まあ、イロハはアルバイトを始めたばかりじゃし、しばらくはわしが用意してやろうぞ。アルバイトに慣れたら、イロハにも色々教えてやるから、楽しみにしておくのじゃ」
どうやら、花子は料理をすることが好きなようだ。
仏壇に手を合わせて、花子と一緒に家を出る。
なんだか、姉妹ができたみたいで、嬉しい。
花子は小さくて妹のように見えてしまうが、年はイロハよりもはるかに上だ。
それに、お化けの花子は、姉妹などと言っていいものなのかどうか。
「今日から大会の相談が始まるのじゃな?」
「うん。個人の部も、団体の部も頑張らなくちゃね! 特に団体の部は、わたしが足を引っ張らないようにしないとね」
「まあ、気を張るでないわ。今の日本人は投資に興味を持っていない者が多い。ましてや高校生が投資など。その点、カリンとアヤノに教えてもらえるイロハは良い方じゃぞ。わしもいるしの」
花子がはっはっは、と笑った。
花子の言う通りかもしれない。
これまで、友達との話の中で、投資などという単語が出てきたことなど、おそらくなかっただろう。
友達だけじゃない。大人や親戚と話している時にも、投資の話など皆無だった。
知ったかぶりの親戚が、たまたまニュースで株価や為替の情報が出ていると、円高だから日本はすごい、などと発言していた。
(今考えると、日本は債券国家だから、円高になると、むしろ不景気ってことだったんだよね。おじさん、知ったかぶりしていたのかな)
そんな状況からも、投資とは無縁な人が多いのだということが分かった。
(もしかしたら、わたしにもチャンスがあるかも……)
根拠のない自信がわいてきた。
一日の授業を花子と受ける。ゴールデンウィーク明けの授業は気だるかったが、イロハはきちんと授業を聞いた。
なにせ、これから休みの日には古本屋でのアルバイトがあるのだ。
お客さんのいない時間には、自由に本を読んだり、勉強したりして良いと本田さんには言われている。
それでも、効率よく勉強はしておきたい。
それに、今のイロハは、大学や短大にも金銭的な負担の問題から、行けるかどうか分からない。
仮に行くと考えた時にも、学費の安い国立を狙うしかないのだ。
そのためには、勉強は、しておかなくてはならない。
放課後になった。花子と投資部へと向かう。
「イロハに花子さん、おつかれ! イロハは本田さんのところでバイトはじめたんだってね!」
「すごいね、イロハちゃん。わたしも、何かやろうかな?」
さっそく、アヤノとカリンがアルバイトの話題でイロハを出迎えてくれた。
「はい、家ではハナちゃんが料理も作って待っていてくれますし、とてもいい環境でバイトができそうです!」
「ハナちゃん!?」
アヤノとカリンが驚いてイロハと花子を交互に見る。
「あっ!」
イロハは、まだ二人に花子の呼び方をハナちゃんにしたことを知らせていなかった。
「えーと、一緒に住むんだし、気楽に呼ぶようにってことにしたんです」
アヤノとカリンは、顔を見合わせている。
「一緒に、住む?」
「あ、はい。ゴールデンウィークだけじゃなくて、これからも一緒に住むことになったんです」
花子は、うんうん、とうなずいて。
「これからは投資部にも大いに世話になるからのう。二人も、さん付けなどやめて、気楽に呼ぶがよいぞ」
まだアヤノとカリンは顔を見合わせていたが、
「じ、じゃあ、ハナちゃんって呼んでいいの?」
アヤノがおそるおそるたずねた。
「うむ、それでたのむぞ」
「ちょっと、アヤノ……。じ、じゃあ、花子、でいいのかな?」
「うむ、呼び捨てでも結構じゃ」
アヤノとカリンは、ふう、と息をはいた。
花子は、どこかうれしそうな表情だ。
戸惑いながらも、カリンはコホンと一つ咳ばらいをした。
「じゃあ、あらためて、部員が四人そろったことだし、無事投資の大会にエントリーをしておいたよ」
みんなは、おー、と声をあげた。
「前に説明したとおり、わたしたちは、個人の部と、団体の部に出場するよ。個人の部は、二種類の種目に、みんなで出てみよう。まず、大会が通知してきた一か月の期間でどれだけ稼げるかを競う部門。そして、大会当日に10分間のスキャルピングの腕を競い合う部門だよ。これは、それぞれ訓練しておくことにしよう。問題は、すぐにはじまる、団体戦だね」
そうだ。団体戦は、ゴールデンウィーク明けにすぐ始まるのだった。まさに、今始まろうとしている。
「団体戦は、500万円を元手に、どれだけ増やせるのかを競うんですよね。そして、必ず半分は、何かに投資していないといけないんですよね」
「うん、イロハの言う通り。約定した場合は、キャッシュポジションになったお金を、翌営業日が終わるまでに、また半分を何かに投資しないといけないんだ」
「それじゃあ、今すぐにでも、250万円分を何かに投資しないといけないんでしょうか?」
イロハは不安になった。
「ううん、さすがに、今日すぐにってわけではないよ。最初だけは2週間の猶予が与えられているんだ。5月20日までに考えて、20日の営業日終了時点で、半分の金額を何かに投資していればいいらしいんだ。もちろん、それまでにも投資は開始してOKってことだよ」
20日というと、来週の金曜日だ。
2週間あるといっても、逆に言うと、2週間しかない。
「それじゃあ、とりあえず、みんなの投資戦略を話し合おうか」
「ええ!!」
イロハはびっくりしてしまった。
ゴールデンウィーク中、経済ニュースはそれなりに見ていたが、投資戦略を立てるまでにはいたらなかった。
イロハが声を出すので、みんなが笑った。
イロハは恥ずかしくて、顔を赤らめた。
「うん、はじめて投資戦略を立てろって言われても、まだ分からないよね。イロハは、とりあえず、みんなの意見を聞いて、イロハなりの戦略を考えてみてよ。じゃあ、まずアヤノから」
「はい。わたしは、今の状況だと投資にはリスクがあるので、250万円分を、リスクの少ない商品に投資しておくのがいいと思います。たとえば、現物の株を、あまり動かなそうな銘柄で250万円分買ってしまうというのもありなんじゃないでしょうか」
イロハは、大胆な戦略を立てるアヤノが、意外にもリスクを少ない方法を話していることに驚いた。
(やっぱり、ウクライナとロシアが戦争しているから、今はリスクが高いなんだな)
「うん、アヤノの言うのはもっともだね。次に、えーと、花子? いいかな?」
「うむ。わしもアヤノの意見に賛成じゃな。ただ、今日は日経が下がっているじゃろ?」
花子が、さっそくスマホの日経のチャートを見せた。
「うん、確かに日経、ゴールデンウィーク中の時間外取引で上昇していたけど、一気に下がっちゃったよね」
「まったく、キッシーがロンドンでInvest In なんとか、などと言うものじゃから。困ったものじゃのう」
「たしかに、あの発言はなかったよね」
アヤノとカリン、そして花子が笑う。
イロハは、話についていけず、愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
「とにかく、じゃ。ここまで日本株が下がると、どこかで反発がくる。今週はむしろ、それを狙ってもよいのではないかの。さっそく、勝負に出てもよいのではないかと、わしは見ておる」
「うーん、さすが花子。結構勝負師だね」
花子は、うんうん、とうなずいている。
「それじゃあ、最後にわたし。わたしは、アヤノと同じ意見。20日まで猶予があるんだから、この間は何も動かさないで、20日になっても、まだ動きがよめないようなら、しばらく動きの少ない個別株を現物で購入するのがいいかなって思うんだ。金や原油も、いまはどちらに動くか分からないからね」
みんなの意見は出そろった。
「とにかく、イロハも色々と経済ニュースを見ておいてよ。今週はアメリカの消費者物価指数も発表されるから、その時間はきちんと見ておいてね。すごく相場が動くだろうから」
イロハは、しばらくドル円やクロス円の動きに注視した。
だんだん、為替の動きにも慣れてきた。
為替は、移動平均線などを使ったテクニカル分析がある。
多くの場合、この指標に合わせて動いているように見える。
しかし、重要な経済指標の結果が発表されると、テクニカルを無視して、一気に方向感が出てしまう場合があった。
(経済って、こんな風に、お金が動いていたんだなぁ……やっぱり、知識がないと、いいカモになるんだ……)
いよいよ、11日のアメリカ消費者物価指数の発表時間がやってきた。
もう、夜の9時半の少し前だ。
「なんか、ドキドキするね」
イロハは、花子とともにパソコンの前に座り込んでいる。
「うむ、わしは、そろそろインフレがピークアウトすると踏んで、ドル円のショートポジションを入れておいたからの」
「ハナちゃんのそれって、実際のお金を動かしているんだよね?」
「うむ。わしも緊張するのう」
本当のお金を動かしていると、どれほど緊張するのだろうか、とイロハは思った。
自分も、土地を取られてしまった時に、土地だけではなく、実際の現金で裁判の費用を支払った時には、怒りを覚えたものだ。
(お金がなくなるのは、いやなことだろうなぁ)
いよいよ、9時半になった。
「!!」
「?? ぎゃー!!」
花子が突然叫んだ。
「ハ、ハナちゃん!?」
「ドル円が~、ドル円が、上がってしまった~!! 130円ちょうどでショートしていたわしのポジションが~、一気に含み損じゃ~!!」
チャートを見ると、一気にドル円のローソク足が吹きあがっている。
129円台だったのが、一気に130円を上抜けしている。
「そ、損切しようかの……」
花子がスマホをタップしようとする。
「ち、ちょっと待ってハナちゃん。あわてるのはダメだよ……」
「しかしのう、イロハよ。投資の世界は一瞬の判断が命取りになるのじゃよ。130円80銭まで上がってしまったわい。ああ、10Lot入れておったから、8万円の損切になるかのう」
ハナコは辛そうだ。
「でも、まだパソコンには指標の結果が表示されていないよ。せめてそれを見てからでも……」
「うん?」
チャートは、下がり始めている。
「おお、おお!!」
為替は、130円80銭を頂点にして、どんどんと下がっていく。
「結果が出たよ! でも、消費者物価指数は、予想よりも強い結果だね。インフレ、まだ終わってないってことだよね」
「う、うむ。しかし、じゃ。これは、いったんインフレがピークアウトするという思惑が広がったのじゃな」
花子は、スマホから指を離す。
「見て、ハナちゃん。130円下回った」
「よ、よし。ここで利確じゃ」
花子は、急いで利益を確定したようだ。
「どう、だったの?」
「うむ。たった100円じゃが、プラスじゃ。はあ、よかったわい。イロハに止められていなければ、8万円を損切していたとこじゃったぞ……」
あらためて8万円と聞くと、ぞっとする。
8万円を稼ぐのに、アルバイトをどれだけしないといけないのだろうか。
「でも、こうして戻るのなら、為替って、ずっと持っていればなんとかなるんじゃない?」
「イロハよ、それは少し違うかの。今回は運よく助かったが、これが上に一方的に方向感が出てしまったら、ダメになっておったぞ。FXはレバレッジをかけて取引するから、あまりに損が広がると強制的に決済されてしまうし、ドル円ならショートポジションじゃと、毎日スワップが取られてしまうからの」
イロハは、イマイチよく分からなかったが、そういうものなのかと思った。
「とにかく、今回は運がよかっただけじゃよ」
ふう、と花子はため息をついた。
「今日は疲れてしまったわい。もう寝るとするかの」
その後もイロハは、指標のある時間に、為替の動きに注目してみた。
(指標の結果がよくても、逆方向に動くことがあるんだ)
まさに、11日のアメリカの消費者物価指数がそうだった。
一度は強い結果に、インフレがさらに加速し、金利の引き上げも余儀なくされるかに見えたが、市場はそうは思わなかったようだ。
強い結果にもかかわらず、ここが一端の頂点だと理解され、ドルは下落する動きとなったのだ。
(これって、為替は予想不可能ってことなんじゃない? こんなんじゃ、投資なんてできないよ……)
考えれば考えるほど分からなくなる。
ほかのみんなは、投資戦略の話で盛り上がっている。
花子は、11日の失敗から、やはり日経には手を出さない方がよいという結論にいたったようで、結局今週は何もせずに終わった。
もっとも、花子の見立て通り、日経は上昇したのだが、結果的に、仕方がなかった。
イロハはというと、何も投資戦略も立てられないまま、週末に入った。
結局、投資部の500万円のキャッシュポジションは、ほこりをかぶったままの状態となった。
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