第18話 お化けとの暮らし

「おじゃましまーす!! なのじゃ」


 花子がウキウキしながら、イロハの家に上がり込む。


(わたし、なにやってるんだろ…)


 まさか、トイレの花子さんを自宅に呼ぶことになろうとは、人生で想像もしていなかった。


 ちょっとした、有名人を家に招待した気もするが、相手はお化けなのだ。


「呪われるなんてことは、ないよね……」


 イロハは制服から私服に着替えて、イスにどっと腰かける。


「のう、イロハよ。わしも私服が欲しいぞ」


 ふと花子をみると、制服の上に赤いサスペンダーをつけたままだ。


「あ、そうだよね。ちょっと待ってて……」


 花子の背格好は、イロハよりもだいぶん小さい。


(わたしの昔のお洋服……)


 両親が亡くなってから、まだ整理していない押入れをあける。


 まだ整理していない、というのは間違いで、実のところは、あえて整理していなかったのだ。


 両親が着ていた服を見るたびに、昔のことを思い出して、何とも言えない気持ちになってしまう。


(こういう機会でもないと、整理できなかったからな。花子さんに来てもらって、かえってよかったかな)


 押入れの奥から、昔自分が着ていた洋服を見つけた。


 グリーン系のパステルカラーで、フリルのついた服だ。


「ちょっと、花子さんには、かわいすぎるかな? いやだったら言ってね」


 さすがに、可愛すぎると思った。


「おお、これは、いいのう!」


 案に反して、花子は気に入った様子だ。


「どうじゃ、なかなかわし、かわいいじゃろ!」


 花子はウキウキしている。


「夕飯の準備するね」


 イロハは、買い置きしていたお惣菜を冷蔵庫から取り出す。


 冷蔵庫にしまっておいたお米は、レンジでチンだ。


「花子さん、できたよ!」


「おお、早いの……」


 食卓テーブルについた花子が、不思議そうに料理を見ている。


「おいしいよ?」


 不安になってイロハが聞く。


「のう、イロハよ。おぬし、いつもこのようなご飯を食べているのか?」


「このようなって、お惣菜のこと? だいたい安くなったお惣菜を買い置きしてるけど?」


「うむ。お惣菜はたしかにおいしい。しかし、いつもは体に悪いのだぞ」


 花子は心配そうにイロハを見つめる。


「おぬし、料理はできないのかの?」


 そう聞かれて、ドキッとした。


「できなくはないけど……」


 料理は、苦手ではない。しかし、一人暮らしで料理のために食材を買ってしまうと、必ず残ってしまう。


 それに、いちいち洗い物をしなければならないし、ゴミも多く出る。


 それに対して、プラスチックトレーに入ったお惣菜は、きっかり一人前だ。


 油が多そうだし、化学調味料もふんだんに使われているだろう。


 でも、種類は豊富だし、プラスチックトレーは少し流せば、プラごみとして処分できる。


 生ごみは、ほとんど出ない。


 イロハが用意するのは、お米くらいのものだ。


「そして、この米!」


 イロハはまたドキリとした。


「これ、無洗米じゃろ?」


「花子さん、詳しいんだね……」


 イロハは、目を逸らしながら言う。


「おぬし、さては米を研ぐのが面倒だから、無洗米にしているのではないかの?」


 たしかに、そうだった。一人だと、どんどん手を抜くことを覚えてしまう。




 冬の水は冷たい。


 米を研ぐと、手が荒れる。そんな時、はじめて無洗米の存在を知った。


 無洗米の存在を知った時の感動といったらなかった。


 米は研がなければいけないもの、と思い込んでいたのに、まさか研がなくても、水を入れるだけで炊くことができるとは。文明の利器を感じたものだ。


 同じ重さだと、普通のお米とくらべて、無洗米だと50円から100円高くはなる。しかし、楽をできるのなら、イロハにとっては安い投資だった。


「はあ、イロハよ。たしかに無洗米は楽じゃが、米は研ぎ方や水の量、炊き加減で味が変わるのじゃぞ」


「そんなに、違うものなの?」


「うむ! わしは食べ物にはうるさいぞ。よし、イロハよ! これからは、料理は当番制じゃ! この家に住むからには、わしもお金を出すから、料理だけはきちんとしようではないか!」


 花子の勢いにたじろいだが、たしかにこのままではいけないと、心のどこかでは思っていた。


「うん、わかったよ……って、あれ?」


 イロハは一つ疑問がわいた。


「花子さん、これからこの家に住むって言った?」


 花子はきょとんとしてイロハを見ていた。


「うむ、そうじゃが? おぬしも学校で、そう言っていたではないか?」


「えーと、あれは、ゴールデンウィーク中、うちに来るって聞いただけで……」


 どうやら、イロハの言ったことを、花子は勘違いして捉えていたらしい。


 花子は、どこかさみしそうな顔になったが、


「ああ、そうか。それもそうじゃな。アハハ……」


 と笑った。


「すまんすまん、まあ、料理当番はゴールデンウィーク限定とするかの。どれ、総菜のごはんも冷めてしまってはうまくない。さっさと食べようではないか」


 花子は、どこかさみしそうに、ご飯に箸をつけた。




 夕飯がすみ、イロハは食器を洗う。


(わたし以外の人が使った食器を洗うなんて、久しぶり……)


 なんだか、うれしい気分になる。


(人と一緒にいるって、こんなに、楽しいんだ……)


 ふと、食器棚に目を向ける。


 もう、二度と使われない、両親の茶碗や湯呑が収納されている。


(わたし、これから、ずっと一人なのかな……)


 背後で、仏壇のおりんが叩かれる音がした。


 ふと振り向くと、花子が仏壇に拝んでいた。


「花子、さん?」


 イロハが近寄る。


「うむ、しばらく厄介になるからの。イロハの両親にあいさつしたのじゃ」


「…………」


「うん? どうした、イロハよ……!!」


 イロハは、花子に抱きついていた。


「花子さん……ありがとう……」


 言葉が、うまく出てこなかった。そこではじめて、自分が泣いてしまっていることに気がついた。


「うう、ごめん。どうして、わたし、泣いているんだろうね……」


 ポン、と頭に花子の手が載せられたのが分かった。


「よしよし、辛かったのじゃな。たまには人に泣きついてもよかろう」


 イロハは、花子の胸の中で、思いっきり泣いてしまった。




 しばらくしてから、イロハと花子は向かい合っていた。


 イロハは、意を決した。


 花子はお化けだ。もしかしたら、取り憑かれているのかもしれない。


 でも、今のイロハには、花子が必要な気がした。


 この家に、イロハ一人だけでは、あまりにさみしい。お化けであっても、一緒にいてくれると、うれしかった。


「あの、花子さん……」


 花子は、静かにイロハを見つめている。


「さっきは、ゴールデンウィークだけって言っちゃったけど……」


 チラッと花子の顔を見ると、真剣な表情でイロハを見てくれている。


「こんなことがあったから考え直したっていうのも、変なんだけれど。もし、花子さんさえよければ、この家に住まない?」


 パアっと花子の顔が明るくなった。


「よいのか?」


 花子が静かに聞く。


「うん」


 イロハはうなずいた。


「おお! これはうれしいのう。これから、ここがわしのマイホームじゃ!」


 花子は浮かれている。そんな花子を見ると、イロハは、なんだかうれしくなった。


「それじゃあ、これからは料理は当番制だね。ゴミ出し当番やお掃除、洗濯当番も決めないとね」


 これから、こうしてまた人と一緒に暮らせると思うと、なんだかくすぐったい気もする。


「うむ。そうじゃな。それと……一緒に暮らすにあたって、わしから一つ提案なのじゃが」


 提案、と言われて、イロハがごくりとつばを飲んだ。


 一体、何を提案されるのだろうか。


「一緒に暮らすのに、さん付けは変じゃろ。花子さんはやめじゃ」


「えっ、そんなこと……」


 しかし、花子さんは、花子さんだ。花子、と呼び捨てにするのもなんか、おかしい。


「えーと、花子っていうのは、なんだかしっくりこないな。花子ちゃんも、言いにくいし……。ハナちゃんっていうのは、どうかな?」


「ハナちゃん?」


 花子は、腕組みをして考えている。


 やっぱり、嫌だっただろうか。


「うん、ハナちゃん! よいではないか! 気に入ったぞ!」


 どうやら、気に入ってくれたようだ。イロハは安心した。


「よーし、これからよろしくたのむぞ、イロハよ」


「うん、よろしくね、ハナちゃん!」


 呼び方が決まったところで、イロハのスマホがなった。


「着信? マキ先輩からだ!」


 マキとは電話番号は交換していたが、実際に電話がかかってくるのははじめてだ。


「あの、もしもし?」


「おお、イロハか。今日の学校では、本当に悪いこと言って、すまなかったな。罪滅ぼしってわけじゃないんだけど、イロハ、バイト探してるって言ってただろ? ちょっとよさそうなところ見つけたから、明日商店街にこられるか?」


「ええ!?」


 アルバイトと聞いて、イロハは驚いてしまった。




 翌日、イロハと花子は、商店街にやってきた。


「えーと、マキ先輩との待ち合わせ場所は……」


 指定された場所には、すでにマキが到着していた。


「おお、イロハ!」


 マキが手を振っている。


「今日はきてくれてありがとうな。ちょっと、人手が足りないって、アルバイト募集するところだった店があったんだよ。それが、ここ!」


 見ると、古本屋だ。


「まあ、入って入って!」


 マキが、我が家のように古本屋に入っていく。商店街の旅行店の娘だとは聞いていたが、別の店にまでこれほど顔がきくとは、と驚いた。


 マキの後に続いて、イロハは花子と一緒に古本屋に入った。


「やあ、きみが!」


 イスにすわったまま、高齢の男性が声をかけてきた。


「まあ、すわってください」


 イロハと花子は用意されていたイスすわる。


 マキは、


「うち、お茶淹れるよ」


 と、本当に自分の家のように、店の奥に入っていった。


 後には、高齢の男性とイロハ、花子が残された。


 古本屋には、本棚にぎっしりと本が並べられているだけではなく、床に平置きになった本がうずたかく積まれていた。


 店の奥の方は、足の踏み場もないくらいだし、床に高く積まれた本に触れると、崩れてしまいそうなくらいだ。


イロハは緊張していたが、高齢の男性は優しそうな顔をしていて、ほっとした。


「はじめまして、僕は本田といいます。古本屋なのに、さらに名前まで本なんですよ」


 本田さんも、イロハの緊張を解いてくれるようとしているのが分かり、ありがたい。


「見ての通り、汚い本屋なんですよ」


「えーと……」


 イロハは、なんと言ってよいか分からなかったが。


「たしかに、きたないのう」


「ちょっと、ハナちゃん!」


 花子がずけずけと言うので、慌ててしまった。


「アハハ、いいんだよ」


 本田さんも緊張していたのか、花子の言ったことで、さらに柔らかい口調になった。


本田さんは、一度コホンと咳ばらいをした。


「実は、この商店街もさびれてしまったし、このコロナ禍で、お客さんがめっきり減ってしまってね」


 本田さんは、状況を語る。


「インターネットを使って、古本の販売をはじめようと思っているんだよ」


「ネット販売、ですか」


 イロハは興味がわいてきた。


「うん。そこまで珍しいことでもないんだけどね。一応、売っている本の目録はあるんだけど、なにせ僕はがさつで、目録に記入し忘れている本もたくさんあるんだよ」


 本田さんは、アハハと笑った。


「それで、全ての本をデータ化しようと思って整理をはじめたんだけど、ちょっと重い本を持ったら、腰をやられてしまってね」


 それで本田さんは、イロハたちが入店した時から座っていたのだと分かった。


「この腰を痛めた高齢の身に、本の整理は難儀なことで、アルバイトを雇おうと思っていたところだったんだよ。昨日、ちょうど募集の紙を店の前に貼ったら、それを見たマキちゃんが、いい人がいるって言ってくれたものだから」


 いい人、などと言われてしまったので、イロハは照れてしまった。


「平日は部活もあるんだろう。平日はお客さんもあまりこないから、アルバイトは土日にきてもらって、レジ打ちと本のデータ化をやってもらえたらって思っているんだよ。ちょっと重たい本もけど、どうかな?」


 本田さんが説明を終えたころ、ちょうどマキがお茶を運んできた。


「ぼちぼちやればいいから、テスト期間中も休みにしてもらえるし、いいと思うんだ。土日だけだから、バイト代は、そんなに出ないけど……」


「うん、バリバリ働きたい人向けではないんだけどね。もちろん、嫌なら、断ってくれてもいいから、考えておいてくれるかな?」


 本田さんは、控えめな人だが、とても良い人のようだ。


 イロハは、これまでアルバイトなどやったことがなかった。最近では、ブラックバイトなどと言う言葉もあるくらいだから、慎重に考えないといけないと思っていた。


 土日だけなら、稼ぎとしては少ないだろう。


 でも、融通も聞かせてくれるようだし、お金のことは、改めて考えていけばよい。


「あの、わたし、やらせてください!」


 本田さんとマキは、イロハが即答したので驚いたようだった。


「楠木さん、本当にいいのかい?」


「はい、ぜひ、お願いします」


「ああ、よかった! もしよければ、今日からでも、少し働いてみるかい?」


「はい、もちろんです!」


 本田さんは、大喜びのように笑顔になった。


聞いていた花子とマキも、うんうんとうなずいている。


「うん、重畳じゃ!」


 花子が難しい言葉を放ったので、みんなはアハハと笑ってしまった。


 花子とマキは先に帰り、イロハはさっそくアルバイトをはじめた。


 レジ打ちは、本の裏に貼ってある値札をもとに、打ち込むだけだ。


 お客さんは何人かきた。


 大量に本を購入する人がいた時はあせったが、本田さんが丁寧に教えてくれた。


 本をデータ化する作業も、それほど難しくはない。一番難しいのは、タイトルの漢字が難しく、変換に手間取ることがあることくらいだ。


 作業をしながら、古い本に10万円以上の値段がついているものがあり、驚いた。


「ははは、有名な人の古い本は、それだけで価値が上がることがあるんだ。本も投資の材料になったりしているんだよ」


 何事も、実需と投資の関係があることを、イロハは知った。




「ただいま!」


「おかえりなのじゃ!」


 家に帰ると、花子がエプロン姿で出迎えてくれた。


「マキに商店街の店を紹介してもらっての、良い食材を安く手に入れられたぞ。アルバイトの日は、わしが料理当番になってやろうぞ」


 出てきた料理は、久々の家庭料理だった。


 それも、本格的な和食だ。


 花子を見ると、ニコニコしている。


「日本人たるもの、古きよき和食をたしなんでなんぼじゃからの」


 薄味をかみしめる。


「ありがとう、ハナちゃん」


「うん?」


 花子は少し考えていたが、


「そうじゃな!」


 と言って、笑顔になった。


 楽しい日々がはじまりそうな気がした。

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