第117話




 桟橋を戻っていると、ちゃんと起宣の船が慌ただしくなっていた。うんうん、ちゃんとしてて良かった。


「なあ、珠香。一つ、聞いてもいいか」


 船を見ていると、今まで黙って成り行きを見守っていた、春陽から不意に声がかかった。


「なあに、姉さん」


 ドキッとしたが、なんでもないように姉を振り返る。姉は、ちょっと眉をひそめていた。


「お前が、その、この縁もゆかりもない国の戦を止めたいのは、その、あの戴の若将軍に関係があるのか」


 ああ、そうだった。この時の春陽は、思戯の伝言を預かっているんだったっけ。目頭に水がたまりそうになったが、何とか大丈夫だった。

 ちょっとだけ、無理した笑顔になってしまった。


「そう、だね。その人にも関係あるよ。それに姉さんも、飛燕も、倭都ちゃんにも関係あるよ。みんなに、関係があるんだよ」


 私の言葉に、姉は思った通り困ったような顔になった。


「姉さん。飛燕も。何度でも、信じてもらうしかないんだけど、尹と戴の戦がはじまると、それに乗じて巍と巴が動くの。そこから、戦乱が起きて、みんな……。だから私はそれを阻止したい。ううん、絶対にさせないって決めたの」


 もう、泣きそうだと思っても、涙は流れない。それは果たして強くなったのか、壊れていってのるのかわからないけれど。

 今は、突き進むしかない。

 困ったような表情で私を見る二人だが、馬鹿にしたりウソつき呼ばわりはしてこなかった。そんなあなた達だって信じていたから、言えたともいうけど。

 私は、改めて姉を見た。


「今頑張ってるのは、全てその為なの。姉さん、環ではお願いね。王都でまた会いましょう。兄さんと……ぎょくも」

「玉?」


 今まで一言も存在を言及しなかった、末妹の名前に姉が首をひねった。難しいかもしれないが、私は、思い付いた事を素直に春陽に言う。


「そう、玉雲。玉にも会いたいし、あの子、とてもとても可愛いでしょう。家族っていうのを抜きにしても。こちら側のお願い、をみんな素直に聞いてくれるんじゃないかなぁって。だから、一緒に王都に来て欲しいなって」


 言い方はアレだが、つまりあの美貌を利用したいと言っているのだ。春陽はそれに気づいて、眉をしかめた。飛燕は相変わらずぼんやりした顔をしている。


「お前……だが、妹妹めいめいは女官で、簡単に外には出れないぞ」

「そこは、姉さんたちのお付きの侍女として紛れ込ませられないかな。きっと、華やぐと思うよぉ」


 可愛い妹に会いたいという気持ちも確かにある。鼻の下が伸びる自信もある。が、今の私は、私の望みの為に家族を利用するのもためらわない、酷い奴になる覚悟があった。

 姉は微妙な顔になったが、肩を竦めた。


「それができるかどうかは、お前の父上への書状次第だな。そこまでは無理だぞ」

「わかってる。私、お父様にこの決意が伝わるように、頑張って書くわ。……だから、お願いね、姉さん。無事に王都まで来てね。待ってるわ」


 そっと、春陽の硬い手を握る。そろそろ桟橋が終わり、別れる頃合いだ。

 陽が落ちてきて、自分の目線も何気なく地面に落ちた。

 不意に、ぎゅっと手を握り返された。ハッとして顔を上げると、ニッと笑った、太陽のような笑顔の姉がいた。


「ああ、任せておけ。お前の姉を信じろ。私も、お前を信じるよ」


 涙は、堪えられる。大丈夫。

 姉の言葉に、泣きそうになりながらも笑えた。


「ありがとう、姉さん」

「うん。……あー、あとな。こんな時にあれなんだが、お前宛に、伝言を預かってるんだ。あの戴の若将軍から。聞くか?」


 春陽が目線を外しながら、そっと私の手を離した。

 そうだった。思戯の伝言を聞くんだった。そういえば春陽、あんまり思戯に良い感情抱いてなさそうなんだよね。仲良くなれそうだと思うんだけどなあ?


「そう、なんだ。うん、聞かせて欲しいな」


 内容は知ってる。けれど、聞きたい。何度でも。

 私の返答に、春陽は首の後ろを掻きながら、しぶしぶといった風に口を開いた。


「……本当に、すまなかった、と。お前を戴に連れ帰り、戴の為に利用しようとしていた。でも、本当の事を言って、お前を逃がすことも出来なくて、ずっと後悔してた。せめて無事に……逃げ伸びてほしい、だとさ」


 春陽も、伝言を言いながら、私がその願いの真逆を行こうとしているのに気づいたのだろう。最後は微妙な口調になった。ちょっと照れもあるんだと思う。

 変わらない、思戯のわかりにくい優しさ。あなたにそう思われているというだけで、それがわかるだけで、再び私の胸に戻った短刀の辺りが暖かくなる。これも、もうあんな使い方されないようにする。


「うん、うん。ありがとう、姉さん。聞けて、嬉しかった」

「そうか。……珠香、私は反対だからな、あんないけすかない何考えてるかわからない男っ」

「姉さんっ」


 春陽の忌々しげな言葉には、思わず笑ってしまった。 

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