ぽかぽかぽっかぽろろっか

藤原くう

ぽかぽかぽっかぽろろっか

 その季節がやってくるたびに、わたしは死にたくなる。


 村の入り口に張られた、ボロボロの帆布。そこには『波乗り大会はこちら』とつたない英語で書かれている。


 波乗り大会。


 村のすぐ近くに川があって、そこでそれは行われる。川は新月と満月の時、下流からやってくる波にどれだけ乗り続けられるのか、という大会である。なんとかかんとかっていう現象らしい。どうしてそうなるのかは、夜伽の時に教えてもらった気がしないでもないけど、よくは覚えていない。湧き上がる性的興奮と同じで、すごくどうでもよかった。お金さえもらえたら、それでよかった。そうじゃなきゃ、見ず知らずの人に、体を受け渡したりしない。


 わたしは今すぐにでも、村を出て行きたかった。そのためには金が要る……。


 死にたくとなると同時に、もっとも嫌悪する時期であり、わたしを含めた若い女からすれば稼ぎ時。帆布をくぐってはやってくる、巌のような体をした男たちに媚態を晒し、丸太じみた腕に自らの腕を絡めて、下心丸出しの男を引っ張っていく。


「どうかしてる」


 見飽きた光景から目をそらし、村の入口へと視線を戻す。


 また一人、村へとやってきた。サーフボードとトランクを手にしたその姿は、村の人間ではなく、やはり大会出場者。


 でも、ありふれた格好のその人は、この村の人間の視線を独り占めにした。


 女性だった。


 わたしと同じくらいの年の女の子がそこには立っていた。客がいうところのジーパンとTシャツを着た彼女はきょろきょろとしている。どこへ行けばいいのかと迷っているかのように。……迷っているのは、わたしたち村の女性もそうだ。観戦客ならいざ知らず、あの荷物は大会に参加する人間。迷いと驚きはひときわ強かった。


 わたしたちは荷物持ちであり、宿を探すのを任されている。別に、性的なことをする必要はないのだが、すればお金がもらえる。それも、当面はたらふく食っていけるだけの金額もらえるのだから、女はそうするべきだとされていた。だから、女たちは男性を狙う。チップしかくれない女は、どうでもいいというわけ。


 その女性の横を、サーファーが通りすぎていく。光に集まる蛾のように、すぐさま女どもが群がり、どこかへと歩いていく。


 それを横目に見ながらも、わたしは、女性を見ていた。目を離せないでいた。


 視線に気が付いたように、女性がわたしを見る。視線がぶつかる。あまりにもまっすぐな視線。


 女性の顔に、笑みが浮かぶ。大股で、わたしの方へと歩いてくる。


「ねえあなた」


「なんですか」


「宿を案内してくれないかな」


「宿はいっぱいだよ」


「ええっ。じゃああたしはどこへ泊れば」


「……わたしの家なら空いてるけど」


 どうして、そんなことを言ったのか自分でもわからなかった。相手はサーファーとはいえ、女には違いない。同性愛者でない限りは、お金はもらえないってことになる。


 他をあたって、とわたしは言おうとしたけども、女性の方が一足早かった。


 わたしの手がぎゅっと包み込まれる。


「本当!? あたし浦々ラウラ、よろしくね」


 キラキラした目を向けられてしまうと、わたしはひきつった笑みを浮かべて頷くことしかできなかった。。



 わたしの家は、おおよそ家とは言えないと思う。両親の住む家から出たい一心で二年前から住み始めたこの家は、雨漏りどころか天井には穴が開いており、そもそも建物自体が傾いているかのように感じる。そんなおんぼろ家に連れてこられたかわいそうな異邦人は、


「素敵な場所ね」


「それって嫌味」


「違うよ。素朴でかわいらしいなって思ったの」


 わたしはラウラを窺う。その顔には、ここに住む女たちが向けるような視線はなかった。心の底から、そう思っているらしい。


「おめでたいのね」


「ありがとう?」


「…………」


 皮肉は通じなかったらしい。わたしは無視して、家の奥へ。


 家といっても、数歩進めば向こうの壁にたどり着く。小さな家だ。テントとやらに似ているらしい。


「そのベッドは汚いかなあ」


「悪かったわね」


 確かにベッドは汚い。豪雨の時は雨をかぶってしまうからというのもあるし、長年使用しているからというのもある。よそから持ち込まれたものだから、替えが利かないのだ。男とも女ともつかない体液にまみれたそれは、いい匂いとはいえない。


「寝袋とかあるでしょ」


「そりゃああるけど」


「それで寝れば」


 わざと投げやりに言ってみる。そうすれば、たいていの参加者は怒る。自分のことが上だと思ってるんだろう、殴ってくるか、さもなくば、押し倒してくる。


 この女がどうしてくるかはわからなかったが、襲われようとどうでもよかった。


 だが。


「わかったよ」


 あっさりと了承したラウラは、バックパックを下ろし、中からマットを取り出した。息で膨らませたそれの上に胡坐をかいている。


「怒らないの?」


「どうして怒らなきゃいけないの」


 ラウラは心底不思議そうな顔をしていた。それが、すごく腹立たしかった。


 顔を背けると背後で音がした。ラウラが、バックパックのものを取り出して広げているのだ。点検のためだろう。立ち上がり、足音が離れていって、戻ってくる。家の入口を見れば、ラウラはサーフボードを持ち、元の位置に座った。


「なにしてるの」


「点検。これがないと波に乗れませんからね」


 ラウラは葉っぱのような細長い形をしたそれを、慈しむように撫でる。その姿は、点検しているというよりかは子どもをあやす母親のようで、怖気が全身を走っていった。


 変な人だとはさっきから思っていた。ここまでだとはなから知っていたら、目を合わせなかったのに。


 わたしはため息をつく。


「ため息なんかついちゃってどうしたの」


「いや、変な人だなあって思って」


「誰が変な人なの。そんな人にはついていったらダメだからね?」


「……あなたのことですけど」


「ワオ! あたしって変?」


 どこがどこが、と言いながらラウラがサーフボードを抱えたまま、近づいてくる。邪魔だからあっちへ行ってほしい。


「そういうところが」


「そうかなあ。言われたことないよ」


「みんな遠慮してるんでしょ」


「確かにそうかも」


 驚いたように、その口が大きく開かれる。そこに悲しみの表情はない。別に、遠慮されていたって、いいって感じだ。


 そういうのは、好きだ。


 他人のことがどうでもいい。


 男のことはどうでもいい。


 わたしもそうだから――。


 わたしの目の前で、ラウラはバックパックから取り出したものを、仔細検分しては、また収納していく。慣れているのだろう、その作業はあっという間に終わった。


「お菓子食べる?」


「……いらない」


 甘いお菓子は大嫌いだ。外のやつらは、いたいけな子供たちをチョコレートとかキャンディとかで釣り上げていくから。


 ラウラからは、そういった邪気は感じられない。それでもわたしは受け取れなかった。


 そう、とラウラは残念そうな声を上げる。すこしだけ申しわけなくなった。


 サーフボードが、地面へと立てられ、音を上げる。顔を上げると、ラウラが立ち上がっていた。


「ちょっと、このあたりを案内してほしいな」


「どうしてそんなことを」


「川の様子が知りたいなって思ってさ。ダメかな?」



 川は、広い。なんでも地球でも一番の広さと長さを持っているらしい。ほかの川を見たことはないから、本当かどうかは知らない。でも、川の流れが逆転するのは本当だ。


 ちょっと後ろを歩くラウラは、波の性質とか普通の波乗りとは違うということを知っているのだろうか。気になったわたしは問いかけてみる。


「知らないよ」


「知らないって、大会に出場するのに?」


「波は波でしょ」


 振り返れば、ラウラは不敵な笑みを見ていた。自信とかプライドとか、そういうものを一切感じさせない。ただ、水が上から下へと流れていくように、自然のことだと信じている。


 その、芯の通ったところが、眩しかった。


 ラウラから逃げるように視線をそらし、進行方向を見る。遠くの方から、わずかに音がしていた。ごうごうと水の流れる音。いつもよりも大きな音だ。


 先へと進めば、じきに川が見えてくる。


 広い川だ。此岸には、旗が立っている。同じものは彼岸にもあった。ここが大会の舞台である。


「ここが」


 ラウラがきょろきょろと頭を動かしている。何を探しているのかは、すぐに分かった。


「波ならないわ」


「え」


 その声には、落胆の色がはっきり表れていて、ちょっとおもしろい。その気持ちはわからないでもなかった。サーフボードを携えてやってきたってことは、ちょっくら波に乗ってやろうと考えていたのだろう。


「そ、そんなじゃああたしは何に乗ればいいっていうんだ」


 野蛮人が考えそうな軽口が脳裏をよぎって、わたしはげんなりした。そんなことを考えるほどそいつらに毒されている。


 対してラウラはどうだ。あまりに純粋すぎる。彼女の頭の中は、波乗りのことで埋め尽くされているに違いない。


 だから、嫌悪感が浮かんでくる。その対象は、ラウラか――わたし自身か。


「ちょっと待てば、じきに波はできるわ」


 大学の偉い人が調査のためにやってきたことがある。それによれば、月が真ん丸の時かなくなってしまった時に流れが逆転し、波が生じるらしい。また、潮の満ち引きが最大、つまり満潮の時に逆流現象は生まれる。


 そして、その現象が最も強くなるのは、その二つが重なった大会当日なのだ。


 でも、理屈の上では、今起きてもおかしくはない。


 わたしの言葉に、ラウラは目を輝かせている。その姿は子どものよう。


「じゃあ」


「でもやめておいた方がいいわ」


「どうして?」


「当日の波に比べたら赤ちゃんみたいなものだから」


「ふうん。お楽しみってことね」


 残念そうにしながらも、ラウラの目は、想像上の波へ向けられている。それほどまでに期待している。


「何がそんなに楽しいのやら」


「そりゃあ波に乗ることが楽しいのさ」


「ほかにないわけ? 例えば、男の人とか」


「別に。波の方が好きだし」


「気持ち悪い」


「そういうあなたは、どうしてそんなにとげとげしいの」


「とげとげしくなんか……」


 ないとは、言えなかった。自分でも思うところはたくさんある。


 でもそれは、みんなのせいだ。わたしのせいじゃない。


 家族も、村の人間も、異邦人もみんなみんな大嫌い。


 ラウラは、サーフボードを地べたに置き、その上に腰かける。あなたも座って、という言葉がやってきた。


「商売道具なのに椅子にしちゃっていいの」


「あたしがそうしたいんだから、いいの」


「変な人」


 よく言われる。その言葉は、嫌味っぽくない。


 わたしはサーフボードに座る。おおよそのサーファーは、自らのそれを彼女か何かのように思っているのか、触らせてくれない。それほどまでに大切なものの触り心地は無機質なのに、どことなく温かかった。


「あなたのことを教えて?」


「わたしのことなんて、別に面白くもなんともない」


「そんなことないと思うけど。あ、じゃああたしの話を聞かせてあげる」


 わたしが聞きたくないという意思を示す前に、ラウラは口火を切ってしまっている。


「あたしはね、日本っていうここからだとすっごく離れた場所で生まれたんだ」


「ここよりも豊かな場所で」


「そう。豊かで何でもある場所。あたしはお父さんがアメリカ人で、お母さんが日本人」


 日本人というのをわたしは見たことがない。でも、アメリカ人は何となくわかる。サーファーのほとんどがそのアメリカ人ってやつで、バカみたいに大きな声で笑い、バカみたいに性欲が強いやつらだ。飯もたくさん食うし、力も強いし、金もある。村の人間からすれば、上客ってやつだ。


 わたしは改めて、ラウラを見る。ラウラの見た目は、サーファーに連れ添っている女に似ている。その波に対する一途な想いは、日本人の血を受け継いだからかもしれない。


 そんなことを言うと、ラウラはちょっと面食らったようであった。


「そう言われたのははじめてかも。……みんなあたしのことを悪く言うから」


「ラウラを?」


 何を言われているのだろう。ラウラの容姿は、お世辞抜きで綺麗だ。美しさだけなら、村にもたくさんいる。だけど、言葉にはできない、高潔な美しさのようなものが、そこにはあった。裸を晒す村の女にはない、純粋なきらめき。


 わたしの言葉に、ラウラは苦笑いを浮かべていた。


「あはは……。あたしはさ、日本で生まれ育ったわけなんだけど、ほらこの見た目だから」


 どういうことかと尋ねたら、みにくいアヒルの子、という例えを出された。それなら知っている。アヒルの群れの中に生まれた白鳥の子供がいじめられる話だったはずだ。その白鳥なんだ、とラウラは言った。


「みんなと違うからいじめられた」


「……わたしみたい」


 ラウラの視線がわたしへと降り注ぐ。言葉を待っているみたいだったが、わたしは何も言わなかった。


 日差しは強くなりつつある。もうすぐ、夏といったところか。バカみたいな波乗り大会を行うのも、その陽気にあてられて、バカになってしまったからなのかもしれないな、とわたしは思ったりする。


「何かあったの?」


「別に。それよりも続きを聞かせて」


 わたしのことは、ラウラには話したくなかった。恥ずかしかった。あなたに話すようなことは何もない。わたしの人生なんて、みじめなものなんだから。


「別にいいけど、面白い話じゃないよ」


「面白くなくていい」


「わかった。それでね、いじめられて、あたしは海で死のうと思った。その時にね、サーファーの人を見たの。綺麗だったの。輝く海の上を、滑っていくその姿が」


「それで、サーファーに」


 ラウラがうなづいた。「いじめられてたから、クラスメイトから逃げるためっていうのもあったんだろうけどさ、すごく楽しくて。で、気が付いたら、プロになってたんだ」


「すごいわね」


 わたしと違ってすごい。


 言いはしなかった。言ったところで意味がない。ラウラを悲しませるだけだ。


 そっけなかったからなのか、ラウラが眉をひそめた。


「あたしは全然すごくないよ。自分の好きなことを勝手にやってただけで、すごくなんかない。むしろ、わがままだから」


 わたしには、そのわがままさえ許されていない――。


 気が付けばわたしは立ち上がっていた。胸の中に渦巻く感情は、彼女に対しての怒りというよりはむしろ、ふがいなさに近いんじゃないか。だからこそ、どうすることもできない。発散することも、納得することも。


 ラウラが、見上げてくる。


 見ないでほしい。輝きに焼かれてしまいそうになるから。


 わたしは村へと戻ろうとする。


 手をつかまれた。


「待って」


「……案内は終わった」


「話を聞きたいな」


「何の話」


「あなたの話」


「話したくない」


 ラウラの目が、わたしをしかと見つめてくる。


 どうしてわたしを見るの。


 わたしのことを知ろうとするの。


「――気になっちゃって」


「…………」


「あなたって昔のあたしに似てるから」


 何がどう似てるんだ。


 わたしは、ラウラを睨みつけていた。嘘をついていると思った。ラウラは一瞬たじろいで、次の瞬間には、先ほどよりも強い視線をわたしへとぶつけてきた。


「本気でそう思ってるなら、買いかぶりすぎ」


「そうかなあ」


 ラウラが、視線を川面へと投げかける。その視線を追いかけていくと、今まさに、小さな波が生まれようとしているのだった。


 無言が訪れる。家族と顔を合わせた時にやってくるそれとは違って、居心地の悪さはなかった。


「じゃあ――」


 わたしが口を開くと、ラウラが、うん、と応じる。


「わたしも波に乗ることができるの?」



 ラウラは、すぐにはサーフボードに乗せてくれなかった。


 もちろん、とは言ってくれたのだが、同時に、明日になってからね、とも言ったのだ。


 明日。つまりは大会が終わってから、ということだろう。


 ほかの参加者と同じで、サーフボードに触れさせたくない、使わせたくないのだ――脳裏をそんな考えがよぎる。


 だが、違うような気がした。大会に参加している自分の姿を、わたしに見てもらいたいのではないか。波に乗る姿を目にしてから、判断を下せ、ということなのではないか。


 わたしは、もんもんとした気持ちを抱きながら、月明かりの夜を過ごした。


 気が付けば朝だった。長い長いと思いながら、つぶれたマットレスの上で寝返りを打っていたが、過ぎてしまえばあっという間。


 眠気はない。それどころか、興奮している。


 早く、見たい。


 はじめての感情にいざなわれるままに、隣のラウラを揺り起こす。


 井戸水で顔を洗い、ラウラが持ってきた携帯食料なるものを胃に収めた。そうしていると、大会の開催時刻はあっという間にやってきた。


「そんな感じで優勝できるの……?」


 そう思ってしまうほどに、ラウラの姿はひどかった。寝ぐせだらけだったし、寝ぼけ眼をこすっていたから。


「任せといて」


 上げた手をふりふり、ラウラは参加者の集合場所へと向かっていった。



 昨日は人が少なかった川辺には、多くの人間が押し寄せていた。わたしの住む村の人間あり、隣の村、さらに向こうの村からわざわざやってきた人、遠くの国からやってきたと思しきカメラマン……誰もかれもが、波乗り大会を目当てだった。


 非常に賑やかでうるさくて、わたしは大嫌いだった。


 でも、今回は違う。少なからず興味が湧いている。


 川にはロープが張られていて、出場者はそのロープをつかみ、もう片方の手にはサーフボードを抱えている。人数にして七人ほどだが、わたしはただ一人だけを見ていた。


 ラウラは、ぴったりとした黒のウェットスーツを身にまとっている。スレンダーなボディラインが強調され、男性陣の視線を独り占めしている。それには気が付いているのかいないのか、彼女はただ、下流の方へと視線を向けていた。


 太陽は、おおよそ真上にいる。もうすぐ、それは起きる。


 変化はゆっくりと起きた。小さな波が、下流からやってくる。上流からやってくる水とは違い、下流に堆積する土砂を舞い上げながら迫る土気色の波。理を反したような動きは、時間経過とともに大きくなっていく。


 ざぶんざぶんと、波は河岸にぶつかり、しぶきを上げる。自然現象として聞き及んではいても、観客たちの口からは歓声が上がった。年老いた部族の人間などはその場にぬかづいてさえいた。わたしからすれば見慣れた光景だが――ラウラはそうではないはずだ。


 胸がざわめくような不安がこみあげてきた。何か起きるのではないか。そんな不吉な予感をどうしても感じてしまう。


 次第に波が大きくなる。人の頭を優に超えるような大波が多発するようになってようやく、開始を告げる大仰なサイレンが鳴り響いた。

 

 選手が、ロープを離す。サーフボードに寝そべり、両腕をオールのようにし、波へと突き進んでいく。


 ひときわ大きな波がやってきて、ゆっくりと立ち上がる。水面は不規則に、その形を変えていく。一瞬だって同じ瞬間はない。そんな不安定な中で、ラウラは、サーファーたちは立った。


 丘のような水面を下り、上る。彼らの前から押し寄せるは、人を飲み込まんとその口を開いた巨大な波。それを前にしても、サーファーらに戸惑いの表情は見えなかった。むしろ、立ち向かっていく。


 ゴムで雑に結んだ後ろ髪をたなびかせながら、ラウラは波間を横切る。身体にブレはほとんどない。通常の波とは違うだろうに、動きに戸惑いはなかった。波に身を任せているようで、逆らって動いてもいる。


 波という自然環境と語り合っているかのよう。いやそれ以上かも。


 観客の一人が、女神だ、とこぼした。確かにその通りだった。


 サーファーたちが、一人また一人と水中へと落ちていく。波は、その勢いを増している。際限なく強まっているような感じさえあった。川辺はもう水浸し。靴を濡らし始めていて、興奮した観客たちも、じりじりと下がっていく。


 単に波が強くなるだけだったら、歴戦のサーファーたちも、迫りくる波をもっと乗りこなせたことだろう。だが、ここは彼らの戦場とはちょっとばかし違う。ここは海ではなく川だ。その狭い空間において、波は岸へと打ち寄せることで、陸にあった木とかゴミとかを水中へと引き込んでいく。それが波ととともにやってくるから、避けないといけないのだ。


 ラウラはバランスを保ちながら、ごみを避けていく。むしろ、ごみの方が彼女を避けているかのように見えた。波が、ラウラのつゆ払いをしているかのように。


 わたしはすっかり見入っていた。ほかのサーファーたちの動きは退屈だ。でも、ラウラのは違う。どこまでも見ていたい。


 わたしも同じことをしたい。


 心の奥底から熱がこみあげて、いてもたってもいられなかった。


 熱気を伴った想いが、わたしの口から飛び出していく。周りの人々がぎょっとしたように、わたしを見た。こっちみんな、と睨めば、だれもがたじろいだ。


 声はどんな言葉を伴っていただろう。ラウラの耳にも届いたのか、その耳がピクリと動く。そして、サーフボードの先が百八十度ターンする。誰も立っていない荒れた川面を、すいすい横切り、わたしの下までやってくる。


 川岸のそばはぶつかる波で白波ができている。サーフボードも波にもまれている。だというのに、ラウラは何でもないように近づいてくる。荒波をものともせず、わたしの下へとやってきて。


「どう?」


 足元のことなんて何でもないように、そう訊ねてきた。


 その言葉が意味することは一つ。


 わたしが言いたいことも。すでに決まっていた。


 ――わたしもサーファーになりたい。


 気が付けば、ラウラの手がわたしへと差し出されていた。その手をつかむと、引き寄せられる。抱きしめられ、そして、バランスが崩れた。


 わたしとラウラは、水の中へ。


 冷たかった。でも、同時に熱も感じた。


 ラウラが笑う。おかしそうに、楽しそうに。それを見ていると、わたしの心に生まれた炎はその勢いを増した。

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ぽかぽかぽっかぽろろっか 藤原くう @erevestakiba

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