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翌日、彼の席を訪れた。
いつも彼の方から聖域に踏み込んでくるのだから、私にも踏み込む権利くらいはあると思ったのだ。
「そっちからなんて珍しいね。どうしたの?」
呆気にとられる周りの男子を差し置いて、彼はきちんと私の目線に目を合わせてきた。
「ちょっと来て」
そう言って私は自分のテリトリーに連れ出した。彼と話すなら、蒼い空の下だと本能が告げたから。
「で、話ってのは何かな?」
彼は屋上のフェンスに指をかけてそう言った。私の方は見ない。
「ごめん。私、忘れてたよね、何か大事なこと。まだ今も思い出せないんだけど、このままじゃ駄目だと思って」
思っていたことをそのまま吐き出し、頭を下げた。
大切な話をするのに、オブラートみたいな薄っぺらいものは必要ないと思ったから。
「君は本当に何も覚えてないのかい?」
彼の声は酷く理性的だった。その声から何の温度も感じず、不気味さを覚えるほどだった。
なのに、フェンスは揺れていた。彼の掴んだ地点から波紋が広がるように、確かに揺れていた。
答えは一つしかないのに、どう答えるべきか分からなかったので、うん、とだけ答えた。
すると、数秒の沈黙の後、揺れたフェンスが元に戻った。
「そうだよね。あれから12年。覚えている方がおかしいかもね」
と前置きし、話し始めた。第一に出た話は、私の故郷の話だった。
「【私の故郷】。それが、俺が君と出会った場所だよ」
そう言われて、海と砂浜のワンシーンが漠然と頭に浮かんだ。誰かが私の手を引いて笑っている。そして、私もその人に笑って付いていく。でも、その『誰か』の顔も、その海も、何処かぼんやりとしていて、ハレーションを起こしている。
起きているのに、夢を見ているような感覚だった。記憶を覆う雲は退けても退けても、そこにあり続けた。
「あのときは楽しかった。家から離れて、遊んで、嫌なことも忘れられて、没頭したよ。本当に」
没頭?
何にだろう、と思ったそのとき、彼はフェンスを離して踵を返した。
「君に没頭したんだ。君が幻覚を見せて、そこに捉えて、俺は勝手に縛り付けられた。俺の青はあの日の海に置いてきたんだ」
振り向いた彼は、何かをすり潰すように苦しい表情をしていた。とても、好意を伝えたいようには見えなかった。
──青。
これを書く今でさえ、まだその真意はわからない。でも、何かわからなければならないという焦燥感だけは確かにあった。
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