ドライカレー(アーサー視点)

 冷えた牢の中、目を覚ます。手足の先が冷たくて、寝藁をかき集め身を縮ませる。


 質のいい服のおかげで、体が温かい。


 昨夜は飲みすぎたせいか、ナナセ殿の悩みを聞くどころか、自分の心の内をさらしてしまった。


 これも慣れない酒のせいだ。と、ナナセ殿に貰っていた水を飲む。


 すっと喉を通った水は清涼で、重たい頭をすっきりさせた。


 朝食だと差し出された泥水と肉汁とパンを疑われないように食べ、まずくなった口内を清涼な水で流し、昨日ウィリアムから差し入れられた乾燥した果実で口直しをする。


 考えることは沢山ある。


 しかし、考えたとしても、自分にとって思うようにならないことのほうが多いだろう。


 弟王のこと、自分の処遇のこと、ウィリアムがこれから起こそうとしていること、事が成った場合、自分は自分を助け出した者たちに頭が上がらなくなるであろうこと、事が成さねば、即、死が待っているであろうこと。


 考えれば考えるほど憂鬱になってくるようなことだった。


 このまま、毎日のナナセ殿との逢瀬を待っているだけの生活にならないものか。と現実逃避ぎみに考えてはみたが、許されないだろう。自分も、もうそんな生活は嫌気がさしている。


 与えられた食料や物で、身なりは整い、体力は元のように戻ってきている。


 ウィリアムが弟王に仕掛けるというのなら、牢内でただ大人しくしているわけにはいかないかもしれない。


 ナナセ殿に貰った水の蓋をひねり開け、水を口に含む。


 剣も槍もこの場にはないが、無頼漢が襲ってきたときに魔法であしらうことはできる。水を飲み、魔力を体の隅々までいきわたらせ、今後起こることに備え、寝藁の上で瞑想する。



 どれだけ時間がたったころだろうか、外が騒がしくなってきた。


 ついに来たか、と目を開き、いつでも魔法を打てるように集中力を高めていく。


 見張りの人間が脇へより、牢の鍵を開ける音がした。


「国王崩御。国王万歳」


 飛び込んできたのは、ウィリアムを含む私の部下だったものだった。


「弟は、何故死んだのか……」


 せめて、最期の言葉を交わしたかった。


 なぜ、私を追い落としたのか。


 王として君臨し、満足できたのか。


「日課であるワインを飲まれている際、血を吐かれ、治療の甲斐なく亡くなりました」


 ウィリアムが私に深紅のマントをかけながら、牢から出ることをせかす。


「そうか……」


 深くは聞かなかった。


 ウィリアムの手の者が、毒を混ぜていたのだろう。


 全ては私のためを思ってのことだ。


 私が死ねば、ウィリアムたちの命も危なくなっていただろう。


 玉座とは血に濡れたものだ。今羽織っている深紅のマントのように……。


「王よ、まずは湯あみをいたしましょう」


 湯あみと聞いて、ナナセ殿にもらった安全カミソリと液体の石鹸と洗髪剤セットを持ってきてもらう。


 久方ぶりに綺麗に整えられたバスタブの外で、メイドたちが洗髪剤と液体石鹸の泡立ちの良さに感嘆の声をあげる。


 安全カミソリも、従来の剃刀と異なり使いやすく肌が傷つきにくいことが分かり、侍従たちがうらやましそうな顔で見ていた。


 身なりを整え、衣類を改めた私は、会議室へ出向き上座に座る。急ごしらえの政府は、人が全く足りていなかった。


 見知った顔が数人いる中での会議だ。


 周囲にの花の香りが、ナナセ殿との時間を思い起こさせた。


「なにやら、牢には不思議なものがあったと聞きましたが。香しいにおいですな」


「牢内で聖女召喚を行い、小さき窓が召喚され、異世界に繋がった。牢にあるものは、異世界のものだ。余ったものは研究所に持っていき、こちらでも作れるか調べるように」


 聖女召喚。とどよめく声が聞こえ、私が神に選ばれし者だ。という意見が小声で囁かれている。


 聖女召喚は、通常であれば神官数人分の魔力が必要だ。失敗した際に命を失ったものもいる。


 私自身、一人で召喚を行い成功するとは思っていなかったが、必死だったのだ。同じ死ぬならば、処刑を待つよりも出来ることは試しておきたかった。


 その結果、ナナセ殿と出会うことができたのは僥倖であった。


 文献に会った通り、黒髪に黒い瞳をしているナナセ殿を見た時は感動した。この世にこれほど美しい色を持つ人間がいたのかと。


 常に悩み苦しんでいる彼女を見て、守りたいと思った。小窓から出られない自分がふがいなかった。


 自分が大変な時に、より大変だろうと私を助けてくれる姿は女神のようだった。


 あちらの世界でナナセ殿はただの人だったとしても、私にとっては彼女は聖女なのだ。


 弟が死んだと聞いたとき、私の胸に飛来した思いは、これでナナセ殿を手に入れられるという浅ましい感情だった。


 牢内にいる以上、聖女としてナナセ殿をこちらの世界に呼んだとしたら、待っているのは、最悪共に処刑される未来であっただろう。


 私に待っていた運命に彼女を巻き込むことがなかったことに、今となっては感謝している。これで、正々堂々と彼女を手に入れに行くことができるのだ。


 牢から出てすぐ、弟の棺の元に向かう。


 私を牢に入れ、死の淵まで追いつめたのは弟だが、ナナセ殿と出会うきっかけをくれたのも弟だ。

 真っ白な顔をしている弟の顔は、苦悶の表情に満ちていた。


 王としてたった二年間、彼は何を思っただろう。短い在位に祈りを捧げた。



 ナナセ殿に貰ったギョウザや衣服は、神官たちに聖物として持っていかれてしまった。


身を清め、食べた料理は一人で食べたためか、味気ないものだった。いや、ナナセ殿の料理が美味しすぎたのだと思い至る。


 これからは頻繁に食べることは出来ないなと思うと少し寂しい。


 弟の葬儀と、戴冠式に向け慌ただしい城内を後に着せられたゴテゴテした服と深紅のマントをひるがえし牢に向かった。


 ウィリアムなどは、この忙しい時にどこに向かうつもりですかと食ってかかってきたが、聖女に会うためだと言うと、必ずこの世界に引き入れてくださいね。と掌を返した。それだけナナセ殿がもたらしたものの存在が大きかったのだ。


 光の女神にすら、こちらの文明を躍進させるために聖女を勧誘するよういわれているのだ。女神の言葉は、城内の者には伝えなかった。


伝えてしまうと、無理やりにでもナナセ殿をこちらの世につれてこようとする勢力が産まれるかもしれない。


 二人だけだった食事の時間に、様々な思惑が入り交じってきていることが煩わしく、牢内までついてこようとする侍従たちを外で待たせた。


 周囲から、聖女をこの世界へという期待が迫っているのが分かる。


 いずれはナナセ殿をこちらの世界にお連れしたいという気持ちはあるが、女神や周囲に言われたからといって連れてくるつもりはない。


 私は、私の意思でナナセ殿をこちらの世界にお連れしたいのだ。


 異世界の不思議で便利な道具も、魔力の宿った水も関係ない。私が弱く、何の権力も持たなかったときに助けてくれた彼女と共に同じ世界で生きたいのだ。


 魔法陣が光り、ナナセ殿に繋がる小窓が現れた。

 彼女がこちらに来ることを承諾してくれたら、正式な聖女召喚が成る。


 王となることが決まった今、ナナセ殿を迎え入れる体制を整えることができる。


 便利なものに囲まれているにも関わらず、どこか不幸せそうな彼女を、自らの手で幸せで満たしたい。そう伝えたら、彼女はどんな顔をするだろう。


 はやる気持ちをおさえながら、小窓を開けて見た光景に目を見張る。


 倒れたナナセ殿に馬乗りになった男が、ナイフを片手に彼女を平手で打っていたのだ。


「ナナセ殿、目を閉じよ! サンダーボルト!」


 とっさに体が動いた。


 小窓から身を乗り出し、呪文を唱える。男は雷撃に打たれ倒れた。


 倒れた男の下から、青い顔をしたナナセ殿がむくりと起き上がる。


 遠目から見ても頬が赤くなっているのがわかった。


 私の体の中に熱い血が駆け巡る。


 不器用ながらも懸命に生きている彼女を理不尽な目に合わせている異世界が憎い。


 男に対して殺意が湧いたが、雰囲気を察したナナセ殿が私を怖がるそぶりを見せたので、殺気を隠し微笑むと安堵したような顔をした。


 回復魔法をかける際に触れた頬は肉がこけていて、苦労していたことが思い起こされる。私が触れた手を嫌がらず、心地よさそうにしていてくれてことが救いだった。


 戸惑う彼女に異世界の兵を呼ぶよう促し、到着した兵が男を回収していく様子を小窓の外側から耳をそばだて聞いていた。


 どうやら、ジジョウチョウシュウというものに向かわなければならないようだ。今日はこのまま会う機会が失われるかと思い、メイドに切られた髪をいじっていると小窓が開いた。


ジジョウチョウシュウの時間よりも私との夕食を優先してくれたのだ。


 ナナセ殿に伝えたいことがあった。今日を逃せば、牢に来る時間もなかなかとることができなくなりそうだったからだ。


 手渡されたカレーという食べ物とパンは冷めていたが、美味だった。


 はじめは緊張で味が分からなかったが、幾度も口に運んでいるうちに肉のうまみと、肉に絡むスパイスの辛みが口内に広がってゆき、体がカッと熱くなっていった。口内の辛さを和らげようとパンを噛めば、パリッとした外皮のわりに中は柔らかく、小麦の香りが鼻にぬけていった。


 やはり、ナナセ殿の飯は美味い。気が付けば、一皿平らげてしまっていた。


 おかわりを頼むと、次はアツアツのカレーと焼かれたパンが手渡され、これも美味しく平らげる。


 彼女の世界には一瞬で料理を温めることのできる便利なものがたくさんある。それらを捨てて私の世界に来てくれるのだろうか。


不安が胸に飛来したが、カレーを口に放り込み不安と共に腹の中に押し込んだ。


 食べ終わったら言うのだ。


 私の世界に来てほしい。私の妃になってほしいと。





 結論から言う。


 結果は惨敗だった。


 ナナセ殿を守りたいという気持ちを伝え、この世界では求められている存在であることを伝えたが、彼女は彼女の世界にいることを選んだ。


 私を含む私の世界が、ナナセ殿を『聖女』としてしか欲していなかったことを見抜いていてのだ。


 数日間の交流で、聖女としてだけではなく一人の女性として彼女を見ていたと彼女に伝えたつもりだが、信じてもらえただろうか……。苦し紛れの言い訳ととらえられていたらと思うと、知らずに頭を抱えていた。


 か弱い姿を見せていた彼女を、我が世界をもってしてお守りすると伝えたら喜んでくれると思っていた。


 しかし、それは私の傲慢だった。


 ナナセ殿は、彼女の世界で戦っていたのだ。


 戦うことを辞め、私たちに守らせてほしいと言われてもそれを諾としない矜持が彼女にはあった。その強さを見ていなかった私は、自分を恥じた。


 そして、更に彼女を好きになった。


 返された指輪を手にしばらく黙っていると、気を利かせた部下が神官たちを下がらせようとした。


「大丈夫だ。皆、私がふがいないことで心配をかけた。すぐに戴冠式に向かう」


 周囲には様々な目がある。落ち込んでいる暇はない。


「こたび、聖女はかの世界にいることを望んだが案ずることはない。七日に二度、数時間だが会う機会をいただいた。私と聖女の縁はこの先も途切れまいぞ」


 私の宣言に安堵した表情で牢を後にする神官たちを尻目に、ウィリアムが目くばせをする。私が少なからず落ち込んでいることを見抜いているのだろう。


 だが、周囲の者たちに弱みを見せるわけにはいかない。私は、王なのだから。


 ただ、ナナセ殿と会える時間だけは王であることを忘れ食事をしたい。


 彼女の近況を聞き、共に持ち寄った食事をして、異なる世界の話をしたい。


 いつか、本当に彼女をこの世界に向かえることができる日まで、私は決して諦めない。私は戦場をかけているころから、狙った獲物は逃さず捕らえてきたのだから。


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