ドライカレー(4)

 食事が終わり、もう必要はないかと思ったが、残ったドライカレーとバゲットをアーサーに差し入れると喜んでいた。


 少し早い別れを告げようとしたところ、用があるので待ってほしいと留められる。


 しばらく待っていると、アーサーの後ろに人の気配がする。


「おお。ナナセ殿、すまぬ。そなたの作ってくれた食事やもたらしてくれた物が、神の恩寵を受けている可能性があり神官どもがカレーを調べたがっていたのだよ」


 笑うアーサーに、私の頭にクエッションマークが現れる。カミノオンチョウ……って何?


「数年間牢に放り込まれ、ろくに世話をされずにいたにもかかわらず、血色がよく、健康で。不衛生であった牢内にもかかわらず清潔で花の香がし、不可思議で温かな布に身を包まれていたことに部下たちが騒いでな。私が聖女召喚を試み異世界との窓をつないだと言うと、これも神の思し召しだと神官どもが騒いでな。おかげで、私は神に選ばれた王だと言われそうだぞ」


 私が渡した現世のものは全て神官たちが調べるためにもっていったぞとがははと笑う。


 聖女や神といった単語になじみがないので、どう答えたらいいのかわからず、曖昧に微笑むと、アーサーがまっすぐに私の目を見てきた。


「以前、私の世界の神からお告げをうけてな。我が世界の神がそなたの世界の神の使いと話をしたらしい。なんでも、そなたの世で見捨てられていた神殿を整え参ってくれる者に辛い思いをさせたくないと、私の国と窓をつなげたと言っていたらしい」


「え⁉」


 神様の話が、突然私の世界の話と繋がってきてぎょっとする。


 私に信心なんて言うものはないので、異世界とつなげてくれるような神様にも心当たりがない。


「心当たりがないんですが」


「狐の姿をしておったそうな。なんでもシンシであると名乗っていたそうだが」


「もしかして……毎朝お参りしていた神社の……」


 この地域に引っ越してきたころに、家の近くに神社があると知り、毎日の仕事や生活が穏やかにすごせるようにお願いに行っていた。


 課長にパワハラを受け始めてからが直接お参りに行く余裕がなくて、時折窓から見える神社に手を合わせる程度しかしていなかったのだが。


「心当たりはあったようだな。そちらの神と我が国の神とが話し合い、互いの助けとなる者をつなげ合わせたらしいぞ」


「そんな気軽に異世界につなげられたんですか?」


 毎日お参りしていただけの神社の神様の思し召しだったのか、と驚いた。


 自分の世界にも神様がいてくれるのか、と思わず室内を見回すが、部屋の中はしんとして私以外の生物の気配はなかった。


「我らの世界が突然聖女召喚を行い、当人の了承なく聖女として我々の世界に連れてくることも、そなたの世界の神々にとって問題視されておってな。そなたの国の神主導で、我らの国のものとの顔合わせを行うようにと組まれたのが、こたび我らの世界が窓越しに繋がっていた経緯だそうだ」


「つまり、窓越しに相手と出会わせて相性をはかっていたと?」


 まるでお見合いみたいだな。と言いかけて、辞めた。アーサーはもじもじと何やら言いづらそうに下を向いていたからだ。


「神々が言うには、そなたの国の神の子が望めば、我らの世界に招いてもよいと約束してくれたのだ。ナナセ殿……。私は、牢から出てこれから王となる。そなたを迎え入れるには十分な素質を得た。ナナセ殿の世界は、ナナセ殿の働きを認めておらず。あまつさえ、理不尽にも私刑にかけようとしておった」


 何か決心したように顔を上げたアーサーの瞳が私の瞳を捕らえて離さない。


 すっと伸ばされた大きな両手が、私の両手を優しく包む。


「かような扱いは、こちらの世界では決してしない」


 アーサーの掌は、冷えてしまった私の指先を温める。


「ナナセ殿……いや、アユム殿」


 真剣な面持ちで私を見つめるアーサーから目が離せず、温かなアーサーの掌を離すこともできず、ただ次の言葉を待っていた。


「我が世界に聖女として参り、私の妃になってはくれぬか」


 アーサーに渡されて以来、首につけていた指輪が太陽の光を反射する。


 私の頭の中は真っ白だ。これまで誰かに告白というものをされたことがないのに、一足飛びにプロポーズされたのだから。


 不安そうにふるふると震えながら私を見ているアーサーの瞳に嘘は無い。


 本当に、私を嫁にと望んでくれている。


 その事実に、胸の中に温かいものがぶわっと沸き起こる。男の人に求められたのは初めてだったから、浮かれてしまった。


「嬉しいです……」


 私の言葉に喜び、顔を輝かせたアーサーは、私の表情が暗いことに気が付いてすぐに真摯な顔をする。


「けれど……ごめんなさい。私は、あなたの世界にはいけません……」


「なぜ」


 ベランダの空いた窓から生暖かい風が吹き込んできて、気まずい私の心をかき乱す。


「アーサーさんのことは好きです。恋愛的な意味は、まだ、ないですけど」


 会って数日。確かに私はアーサーの人柄に惹かれていた。それが恋愛的な意味があるのかどうか、まだ判断がつかない。


「これから共に育んでいけばいい」


 魅力的な言葉だったが、首を横に振る。


 このままアーサーの世界にいけば、大切にしてもらえるだろうと思う。もう、何かに悩まされることもないかもしれない。


 けれど、それは単なる逃避にすぎない。


 逃げた先でも、問題は起こるし、悩むことは増えるだろう。ましてや、その場所は、なんの地縁縁故もない異世界だ。


「私は聖女じゃないんです。ただの平凡な会社員です。アーサーさんや神官さんが驚いている物も全てこの国の人たちが当たり前に食べていて使っている物だから、そっちの世界にいっちゃったら、役立たずになっちゃいますよ」


「ナナセ殿は、私が飢えと渇きに苦しんでいるときに手を差し伸べてくれた聖女だ。不潔な環境にあえいでいた時に湯と石鹸を施し、温かな衣と寝床を与えてくれたそなたは私にとっては確かに聖女であった。物がなくとも、そのことに変わりはない」


 まっすぐに私を見つめたアーサーは、私の左手をとった。


「初めて会ったときそなたに渡した指輪は、私の未来の伴侶に渡すものとして作られたものだ。飢えを癒してくれた礼だけで渡したわけではない」


 アーサーの青の瞳に吸い込まれそうになる。


 このまま彼のプロポーズをうけて、異世界の王妃として生きていくのも悪くないのかもしれない。


 そんな風に思う程度には、アーサーの告白は魅力的だった。


「指輪……お返ししますね」


 首にかけた指輪をはずし、アーサーに手渡す。


 数日間だけだが、指輪は私の首になじんでいて、外した時は少しだけ寂しく感じた。


「私、こちらの世界では辛いことも沢山あるんですけど、いいことも同じだけあるんです。両親は厳しいしおせっかいだけど、いつも私を心配して食材を送ってきてくれるし、先輩や前の上司も私のことを気にしてくれています。今は疎遠になっちゃったけど、友達だってこっちの世界にいるんです。それに、任されている仕事だって、投げ出していくわけにはいけません。私には、こっちの世界でやりたいことがまだ沢山あるんです。そして、ずっと忘れていたそのことを、アーサーさんが思い出させてくれました」


 異世界に行って、チートで活躍したい気持ちがないわけではない。


 自分を求めてくれるイケメンに、身をゆだねてみたい気持ちも少なからずある。


 けれど、今まで自分が培ってきた全てを捨ててまで行けるかと聞かれれば、答えは否だ。


「アーサーさんと一緒に食べるご飯は、とてもおいしかったです。こんなにおいしいご飯は、アーサーさんとだから食べられたんだと思います」


 私が手渡した指輪をもてあそびながら、アーサーは沈んだ顔をしている。


「王だからとか、聖女だからとか関係なく、また一緒にご飯を食べてくれたら、嬉しいです」


 これは、まぎれもない本心だ。


 アーサーのために作る料理は楽しくて、いつもどんなふうに驚いてくれるのだろうか楽しみだった。

 一緒に食べるご飯は、一人で食べるものとは違って美味しく感じた。


 この関係性への結論を性急に求められさえしなければ、いつまでも食事を提供して一緒に食べる関係を続けていたかった。


 たとえそれが『異世界の聖女』として求められているだけのものだったとしても。


「すまぬ……私は、ナナセ殿を困らせたようだ……」


「いえ、アーサーさんのお申し出は嬉しかったです」


「食事は……これからも共にしてくれるのか?」


「仕事に復帰するので、七日間のうち、二日間であれば一緒に食事できますよ。アーサーさんの都合があえば、ですけど」


「これまでのような頻度でなくなるのは残念だ。だが、私も毎日はこの場にはこれまい。約束した日に、共に料理を囲もうぞ。次は、我が国の料理も食べてくれ」


「……はい」


 困り切った様子だったアーサーの顔が、会話が進むにつれて明るくなっていく。それにつれ、気まずかった私の気持ちも穏やかなものに戻っていった。


「ナナセ殿……」


「はい」


「私は、ナナセ殿が聖女だからだけでなく、一人の女性として魅力を感じていた。それだけは知っていてほしい」


 不意打ちだった。


 アーサーは、聖女である私にしか興味を持たないと思っていたからだ。


 異世界の食材で、異世界の調理法で、異世界で作られた料理とアイテムで認められた彼を満足させるのは、生身の私ではない。異世界の窓が閉じられたら、私は求められなくなってしまうだろうと思っていた。


 聖女として求められているのは、日本で手に入った食材や物品から得られたもののみだ。私の力は何も関係していない。


 それなのに、聖女として私を王妃にと求めているアーサーの姿に、私は少なからず失望していた。国のために聖女を求めるのではなく、ただ一人の女として求めてほしかった。


 そんな思いを見透かしたかのように、アーサーは私を見つめている。


 ずるい人だ。


「この指輪は、いつかナナセ殿の指にはまる日まで、誰の指にも渡さないことを誓おう。いつの日か、そなたが全てを捨ててでもこちらの世界に来たいと望んでくれるよう、私は頑張るぞ」


 手に持った指輪を口元に、ニヤリと笑うアーサーを前に顔が赤くなっていくのを感じる。


 いつか、本当にこの世界の全てを捨ててでもこの人の元に行きたいと思う日が来るかもしれない。そう錯覚してしまいそうだ。


 返事を模索している間に、コンという鳴き声がして、窓の外は暗くいつもの神社を映し出していた。


「事情聴取……いかなきゃ……」


 暗くなった外を見ながら、ベランダの窓を閉じ鍵をかけた。


 外に出ると、肌寒い風が私に吹き付ける。


 さっきまで熱かった私の頬は、冷めていた。


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