ホットケーキ(アーサー視点)
寒さで目が覚めた。
しんと冷えた牢の寒さと、見張りの兵達の会話で、冬が到来しようとしていることを知る。
寝藁は不潔で固く、上で寝ていると肌を刺してきてちくちくするが、何もないよりはましだった。
昨日、あれだけ食事をしたというのに、体はもう次の食料を求めている。
ナナセ殿にもらったチャガユを食べてしまおうと、枕元に置いておいた小鍋を手に取り驚いた。
小鍋の中には、渡されたときのように作りたてのチャガユがあったからだ。
鍋肌はほんのり温かく、冷え切った指先がじんわりぬくもっていく。
中身を惜しむようにゆっくりと食べたが、どれだけ食べても中身は無くならなかった。
「まるで、奇跡ではないか」
やはりナナセ殿は聖女だったのだ。
温かな粥は、この暗くよどんだ牢の中に現れた一筋の希望のようだった。
見張りの兵から食事を差し出されたときに、差し出し口からこちらをうかがうように覗かれた。
昨日、一人で騒いでいたので気が触れたかと思ったぞ、と独り言を装い声をかけられる。
ナナセ殿の声までは聞こえていなかったようだ。あの小窓には何らかの防壁がはられていたのかもしれない。
見張りに対して声は返さない。会話していることが知られると、見張りが罰を受けるからだ。
出された肉のゆで汁と、固い黒パンと汚れた泥水を口にする。
チャガユを食べ、満たされている今、ゴミのような食事をとることは気がすすまなかったが、残してしまって疑われ、牢内に入ってこられることは避けたかったからだ。
食事を終わらせ、まずくなった口内に粥を一口放り込んで緩和する。
差し出し口に食器を返すと、無言でもっていかれた。
鉄格子の窓から漏れでてくる灯りを頼りに、小鍋をナナセ殿に貰った水の箱の傍に置く。
この小鍋と水は、私の生命線だ。
粥には水分がふんだんに含まれていて渇きが癒える。水は飲んだらなくなってしまうので、粥を食べていたら節約できるだろう。
ナナセ殿のおかげで、二年間の投獄で弱り切ってしまった体に、久しぶりに活力が漲っる。
なまってしまった体を軽く動かせば、鈍くなっていた体が投獄前、健康だった時のように軽く動いた。体中に感じていた痛みも引いている。
「粥の効果か……? おお、やはり神は私を見捨ててはいなかった」
薄暗い牢の中で、手を組み、神に祈りをささげていると、まばゆい光が私を包んだ。。
「こんにちは、我が信徒、アーサー」
目を開くと、薄暗い牢ではなく真っ白な光の空間の中に立っていた。
目の前には人の形をしたまばゆい光が立っている。まぶしくて直視することが出来ず、腕で目をかばっていると、光の人が私に話しかけてきた。
「貴殿は、どなたか」
「私が誰かを決めるのは、人の子です」
光は次第に収まっていき、金の髪にゆったりとした白い衣装に身を包んだ美しい女性が現れた。
「もしや、あなたはユーダリルを統べる光の女神であらせられるか」
女性の姿は、神殿に飾られている女神像の姿によく似ていた。光が収まってなお、女性の放つ圧力に圧倒される。
「そう呼ばれてもいますね」
女神の言葉に、その場に跪き祈りを捧げ私に、満足そうな視線が注がれた。
「こたびは、そなたが行った聖女召喚についてお告げがあり参りました」
「はい」
「あなたの願いにより、わたくしが聖女を選定し召喚を行おうとしたのですが、彼女は異世界の神により守られており、残念ながら空間をつなげることしかできませんでした。異世界の神はお堅いところがあり、自分たちの子を守ろうとしているのです。いわゆる、娘は嫁にやらん。状態ですね」
女神の話に内心驚いた。
私が助けを求めるために行った聖女召喚は、異世界の神にとっては子を攫うようなものだったのだ。
「大切な聖女を世界をまたいでいただくので、仕方のないいことではあります。あなたは、異世界の神に認められるよう、神の子に好かれてください。神の子が私たちの世界に来たいと思わせられるように。そうすれば、正式な聖女召喚をなすことができるでしょう」
「つまり、ナナセ殿が私を受け入れ、この世界に来ることを了承すればよいということでしょうか?」
「異世界の神は子の意思を尊重すると言っています。互いの世界の人間と文化がまじりあうことは私や異世界の神にとっても望ましいこと。出会いの機会を与えましょう。共に交流を果たしなさい」
それだけ言うと、光は消え、私は薄暗い牢内に取り残されていた。
外からは、ついに狂ってしまわれたか、おいたわしい。という声が聞こえた。
常ならざる者を見た私は、確かに狂ってしまったのかもしれない。
それでも、信じる神のお告げは、絶望の中にいた私の心を救ってくれた。
どれだけ時間がたっただろう。
チャガユで戻ってきた体力を持て余し、牢内でトレーニングを行い休んでいると、昨日描いた魔法陣が光り、小窓が現れた。
神は私を見捨てていなかったのだ。
魔法陣が異世界に繋がる少し前、食べたチャガユは一食分のみで消えてしまっていた。想像だが、これから食事の時間にナナセ殿と時間を共にし、交流を深めよという女神のはからいなのだろう。
待っていても開かない小窓にじれて、こちらから手をかけるとあっさり開いた。昨日のように鍵をかけていなかったようだ。
不用心なと思いながら、ナナセ殿を探したら小窓の下で倒れているのを見つけて慌てて声をかける。
あちら側に行き、抱き起こしだかったが、小窓は人が通れるほどの幅がなく、声をかけることしかできなかった。
むくりと起き上がったナナセ殿を見た時は、心底ほっとした。
だが、起き上がった彼女の両目は腫れていた。泣いたのだろう。
神秘的な黒い髪がほつれてこけた頬に張り付いて、黒い瞳はうっすら濡れてお世辞にも、幸せそうな女性のようには見えない。
私が想像していた聖女とは真逆の姿に、これまで私が聖女という存在を神格化しすぎていたことを知る。
聖女も異世界ではただの人なのだ。
ただの人であるナナセ殿は、ただの人であり自身が追いつめられていても他人を助ける優しさを持っていた。
空腹で死にそうだった私に、体に優しい食料をサッと作ってくれた姿はまるで女神のようだった。悩み、苦しんでいる姿を見た時は、どうにかして力になりたかった。
神に求められた如何に関わらず、ナナセ殿を知りたいと感じていた。
そのことを自覚したときに、ナナセ殿に手を洗うよう勧められてしまう。
自分の体が垢と汚れにまみれ、髪も髭も伸びっぱなしであることに気が付いて、とたんに頬が熱くなる。
彼女には、一番いい自分の姿を見てほしかった。
恥を忍んで湯をねだる。昨日の様子を見て、彼女の世界には水が豊富にあると知っていたので、ここは甘えた方がいいと思ったのだ。
この機会を逃せば、いつ湯で体を洗えるかも分からない。渡りに船だ。
渡された液体状の石鹸と洗髪液で体と髪と髭を洗い、王侯貴族ですら持っていないのではないかと思うように美しい鏡でもって髪と髭を整えた。
体と髪を洗い残った湯は、すぐに捨てるにはもったいないのでこれまで掃除されてこなかった牢の床の掃除に使う。
魔法のように切れる剃刀とハサミのおかげで、ナナセ殿の前にでても恥ずかしくない程度に容姿が整ったときはホッとした。
体からも、これまでのようなすえた匂いではなく花のような良い香りがする。
これもすべて、ナナセ殿から与えられたものかと思うと、ありがたい気持ちはあれども、同時に情けなくもあった。
私には、彼女に与えられるものが何もない。
昨日の様子から、話し相手を必要としているようだったので、せめて良い話し相手になれれば、と落ち込んだ気持ちを振るい、顔に笑顔を貼り付ける。
異世界で辛い思いをしている彼女を癒したかった。
ハチミツを口にし、甘いホットケーキという食事に感動する。
甘味を食べたのは実に数年ぶりだった。
甘味好きを公言していたらなめられるということもあり、蜂蜜酒程度しか甘いものを口にしてこなかったが、このホットケーキというパンは気に入った。
ほんのりした甘さのパンに、口に入れるとジュッと染み出てくるハチミツとバターが混ざったコクのある甘さに舌鼓を打つ。
牢に入ったおかげで、こんなに美味しいものが食べられたのだと思うと、この生活も悪くないと思えた。
これまで疲弊していた心と体が、上品な甘さに包まれ消えていく。
彼女の助けになりたいと思いながらも、助けられているのはもっぱら私のほうだった。
少し後ろめたく思っていると、じっと私の様子を見ているようなナナセ殿の瞳とぶつかった。
なんだろうと思いながら、ホットケーキを食べる手を止めずにいると、嬉しそうに微笑を浮かべている。
美しかった。まるで慈愛の女神のようだ。
彼女のように優しい者を傷つけている異世界の者の存在に腹が立ち、同時に心配にもなった。
優しいだけの人間は、こちらの世界では食い物にされるからだ。
ナナセ殿は、見るからにいい人然としていて、利用されそうなタイプだ。余計なお世話かとは思ったが、話を聞きだした。多少なりとも助言になればと思うことを伝える。
昨日から彼女の様子を見ていたが、ナナセ殿は孤独なのだ。それがゆえに追いつめられているように見えた。
何ができなくても、話し相手としてなら役立てると思った。
私の助言に、何かを考えているようにしていたナナセ殿は、さっきまで戸口で倒れ、不安そうにしていた時とは顔つきが違っているように感じた。
はじめ、ナナセ殿はか弱そうに見え、何にも反論のできない人間に見えた。しかし、先日の相談の後に、見事上司に文句を言えたと言っていた。
日々の相談相手がいなかっただけで、芯から弱い人間ではないように見える。
ホットケーキを食べながら話を聞いていると、青白かった彼女の頬に赤みがさしていっていた。
洗濯してもらった服を受け取り、ナナセ殿の世界の技術に感心していると、皿にホットケーキを盛って差し入れてくれた。ハチミツとバターは別添えだ。
明日の再会を願う言葉を伝えた折に、召喚陣は消えた。
体感時間にして二時間強。
私とナナセ殿が繋がっていられる時間の限界だ。
その間に、ナナセ殿と交流を深め、こちらの世界に来てもらえるようにできるのだろうかと考えたが、すぐにその考えを改めた。
ナナセ殿にはナナセ殿の生活がある。
私の都合によってこちらの世界に連れてきてもいいものではないだろう。
手にしたホットケーキを、洗ったばかりの牢の床に置き、寝藁の上に寝転んだ。
光の女神は、ナナセ殿の信頼を得て彼女の同意を得たらこちらの世界に来てもらうことができると言っていた。
その話を聞いたとき、ナナセ殿をどうやって手に入れようと考えた自分は、やはり野蛮なのだと思い至る。
自分とは異なる神秘的な容姿に、優しい心根。異世界の不思議な道具に身体に良い影響を及ぼす食物。
何もかもが不思議で、奇跡のようなものだった。
欲しい。
心の底にほの暗い衝動が沸き起こる。
ナナセ殿が、あちらの世界を見限るほどの出来事があれば、こちらの世界に来てくれるのではないかと思った。
相談にかこつけあちらの世界にいられない行動をするよう誘導もできただろう。
だが、そうすることは私の信条が許さなかった。
彼女にも意思はある。
そのうえ、私は牢の中の住民だ。仮に手に入れられたとしても、牢生活を強いることになるかもしれない。それ以上に、弟王にナナセ殿が奪われる可能性が高い。
召喚以前は、聖女を召喚して牢から脱出し、王座を奪還するために戦いをしかけようと思っていたが、平和な世界で生きている彼女を巻き込みたくなかった。
「どうしたものかな……」
寝藁の上で考えあぐねていると、キィという音がして、二年間開かなかった。牢の扉が開いた。
差し込んでくる光がまぶしく、目を覆う。
「我が君、ご無事でしたか」
「その声は、ウィリアム卿か」
声の主は、かつて私の側近だった男のものだった。
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