課長にクビと言われた日、部屋の小窓が異世界とつながった!~牢獄の王子と共にお食事を~【完結】

中西徹

茶粥(1)

ある朝起きたら、体が動かなくなっていた。


 秋だというのに、真冬のように体中が冷え切っていて震えが止まらない。幾度も体を動かそうと頭をおこしたが、眩暈がしてベッドから降りることすらできなかった。


 焦る私に、時間は無常にも過ぎていく。


 このまま時間が過ぎてしまえば、上司である槙田課長に怒鳴られてしまう。


今度こそ会社をクビになってしまうかもしれない。


 どうにかして体を動かそうとしたけれど、指の先すらピクリとも動かせなかった。


 時刻は六時四十分。


すでに遅刻の時間帯だ。


槙田課長の下についてから、始業二時間前には業務についていなければならなくなっている。


「オッケーグーグル。会社に電話をかけて」


 頭上にあったスマホにも手を届かせることが出来ず、AIに頼んで電話をかける。


「すみません、槙田課長。朝から体調を崩しまして、今日は休ませてください」


「どうして体の調子が悪いことに昨日のうちに気が付けなかったんだ? 当欠されると迷惑がかかることぐらい分かっているよな。自分の体調も把握できない者はうちにはいらん。七瀬歩(あゆむ)、お前はもうこなくていい。明日たからお前の机はないからな。そのつもりでいるように」


 不機嫌そうな課長の声に、謝罪しようと声をあげたとたん、ブツッと電話が切れてしまった。


 当人はいつもゴルフやら二日酔いやらで当欠している。そのうえ、私以外の人の遅刻や休みには適度に寛容なのに、私には厳しく体調不良一つでクビ宣言だ。


 運が悪かったのだ。パワハラ上司の的になってしまったのだから。


 遅刻にはなるがこのまま職場に向かおう。そして課長の気のすむまで謝って、クビは撤回してもらおう。


 そう思っていた私の目の前が、真っ黒に染まっていった。



 気が付いたら、窓から西日がさしていた。


「スマホ……スマホどこ……?」


 慌ててスマホを探そうとしたが、体は相変わらず重いままで動かない。


 じわりと涙が出てきた。


 このまま私は仕事を失ってしまうんだろうか。


 槙田課長の下について二年。


いつも謝ってばかりだ。


仕事の量も増え、早朝出勤に残業も当たり前の毎日だった。


 毎日食事の時間のたびに嫌味を言われ、食欲は減退して痩せた。


休日はただ寝ていたくて、朝も早いため、身だしなみに手が回らなくなってきて、髪は伸ばし放題、コンシーラーでもとれないクマは顔の一部になっていた。


 ただでさえ十人並みな顔は、槙田課長曰く、ブスに磨きがかかっていて、いつも結んでいる髪は無駄に長くてうっとうしく、この二年で痩せてしまった体はガリガリで、頬はこけ、目ばかりぎょろぎょろ大きくて、貧乏神のように貧相なのだそうだ。


 連日ふらふらになりながらも仕事にしがみついてきたのは、新卒から勤めている職場を失いたくなかったからだ。


 私には転職できるほどの実力はない。


 一番条件良く雇ってくれているのが今の会社なのだ。


 課長のパワハラ程度でここをやめてしまえば、もう私には働ける場所がなくなってしまう。


何度も自分に言い聞かせながら働いてきた。


 槙田課長の口癖は、働かざる者食うべからずだ。


 早朝に、昼休みに、残業中に、私が食事をとろうとしたタイミングを見計らい、大した働きもできないくせに飯を食う穀潰し。と嫌味を言われ続けた。


 食事を課長の前でとることもかなわず、外に食べに行こうとしても嫌味と皮肉を言われる毎日。


 お前のように会社のお荷物にしかならないやつに、飯を食うことが許されると思うのか。と問いかけられたら、何も言い返せず、すきっ腹を抱えて働くしかなかった。


 次第に課長が目の前にいない所でも食事が喉を通らなくなってきた。


 それでも何か食べないと仕事への集中力がもたないので、食べても罪悪感の薄いゼリー飲料を口に流し込んでやり過ごしてきたのだ。


 そうして、体重が入社時の半分近くになりながらも課長のもとで怒鳴られながら仕事をこなしてきた。


 それなのに、たった一日病欠の連絡をした程度で、クビになってしまうなんて。


「悔しい……」


 ぽつりと呟いたとき、午後五時を告げるチャイムと共に、コンと何かが鳴く声が聞こえた。


 途端、部屋中を青い光が包む。


 ベッドから見えるキッチンの引き違い窓に魔法陣のような模様が浮かび上がっていた。


「なに……?」


 光がおさまり、何かが窓をコンコンと叩く音がする。


 怖い……。


「どなたか、どなたかおられぬか? 怪しいものではないのだ。どうか、助けてはいただけぬだろうか」


 私の部屋は二階の角部屋だ。


 角側にあるキッチンの小窓の外に足場はなし、人が通れるほどの大きさもない。


「おば……け……。いや、変態かも……オッケーグーグル警察に電話して……」


 スマホに話しかけるが、反応しない。電池が切れてしまっているかもしれない。


「どうか……どうか……怪しいものではないのだ。我が名はアーサー・レインと申す。ユーダリルの一の王子で、弟の謀反でこの場に閉じ込められているのだ」


 焦る私に、穏やな男の声が語り掛ける。心なしか弱っているようだ。


 聞き覚えのない地域の名前に、王子という身分を名乗る変質者。普通の神経なら、窓を開けないだろう。


 けれど、私は少しだけ期待していた。


 今の課長の元に配属されるまでの私の趣味は異世界ものを読み漁り、仕事の空いた時間には異世界もののアニメを視聴することだった。


 突然の異世界からの来訪者という話に、今の現状を変えてくれる何かがあることを期待してしまった。


「何もしない……んですね……?」


「おお、誰かそこにいるのか。頼む。ユーダリルの神の召喚に応え、私を助けてくれ」


 今度は神の召喚ときた。


 流行りの異世界召喚とやらに私は巻き込まれたのかもしれない。


 そんな益体もないことを夢想していると、あんなに動かなかった体が動いた。それだけ、私は現実から逃避したかったのかもしれない。


 一日飲まず食わずで寝ていたためベッドから立ち上がると、立ち眩みがした。


 今の私の精神状態は尋常ではないのだろう。これほど怪しい誘いに乗ろうとしているのだから。


 いっそ泥棒でもいい。


 今の私の現状を変えてくれるなら……。


 徐々に目の前に近づいてくる小窓が、異世界に繋がっているかもしれないという子どもじみた夢想が、ついさっきまで絶望していた私を生かしている。


 曇りガラスの先に、人影が見えた。


 開けるのは危険かもしれない。


 けれど、私に失うものなんて、もう何もないような気がした。

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