1-6 まさか君が……?
辺り一面暗闇が広がっていた。夜よりも深い闇に覆われている。
明かりはひとつとしてない。照らすべき対象も存在しない。ただまっすぐな道が一本続いているだけ。そこに存在するのはただそれだけだ。なぜ、暗闇に伸びる道が見えるのかはわからない。
まっすぐに伸びる一本の道を、ふらふらと覚束ない足取りで歩いている男性がいた。背広が猫背のために丸まっている。随分と長い間梳かされていないような頭が揺れる。
いつでも倒れそうなほどふらついてはいるが、道を踏み外すことはなかった。
トボトボという音が似合う歩みで進んでいく。先に何があるのかはわからない。道の先はおろか、すぐそばに何があるのかすらわからないのだ。
暗闇に恐怖も感じていないかのように、男性の足は少しずつ進んでいく。
突然、男性の足が止まった。刹那、辺り一面、水中に落とされたかのように場面が変わる。
男性は驚いたように肩を揺らしたが、すぐに再び歩き出した。水の中にいるということを気にしていないようだった。
水の抵抗を感じさせない、いや、もとより何かに押し返されているような、進んでいるのかどうかも怪しい足取りではあった。水の中を進む足取りが変わらないように見えるのは、そのせいかもしれない。
また男性の足が止まった。いや、止められたのだ。
男性の身体が倒れる。前に進んでいた身体は下へと方向を変え、緩やかに落ちていく。男性はそこで初めて焦ったようにもがき始めた。
両手をばたつかせ、沈まないように上を目指して必死にもがく。
水泡が、男性の顔を埋め尽くす。
男性は両手を必死に動かしてはいたが、足は思ったように動かないのか、不自由そうに何か重いものを振り払うように動かしていた。
男性の身動きとは反対に、身体はどんどんと水底に引きずり込まれていく。沈みゆく身体と比例して、顔に焦りが溢れる。
もがいている男性の足を掴んでいる手があった。手はひとつではない。
男性はもがく。もがいて上に進もうとする。けれど、少しも浮上しない。
不意に男性の横顔が見えた。恐怖に戦慄しているかと思われた男性の顔は、予想とは違った表情をしていた。
***
目を覚ました渉は、額の汗を拭った。
春に向かっているとはいえ、まだ肌寒い季節だ。暑さで汗をかいたわけではない。
「何だか嫌なもの見たな……」
汗を拭った手とは反対の手でスマートフォンを探す。最初に触れたのは機械の無機質な感触ではなく、生き物の温かさだった。
一人暮らしの自宅に生き物がいるはずはないと、慌てて飛び起きた渉の目に黒に白にまだら模様をつけた身体を上下させ、寝息を立てている姿が映る。
「何だ……驚かせるなよ」
頭を撫でると、鼻を鳴らされた。お前が勝手に驚いただけだろと言われているかのようだった。
渉は部屋を見回した。ベッドに机、三段のカラーボックスが置かれた部屋は、間違いなく渉の部屋ではない。カーテンのひとつを取っても、無地ではあるが、渉が選んだことのない色だった。
見慣れない部屋を一通り眺めたあと、昨日、結局泊めてもらうことになったことを思い出す。
眠るときにはバクはいなかったはずだ。いつの間にかベッドに潜り込んでいたバクをもう一度見下ろす。
「まさか、君があんなものを見せたんじゃないだろうな?」
今度は何の反応もなかった。バクは渉が温めた布団の中で、ぐっすりと眠っていた。
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