1-4 不謹慎ながらも好奇心が勝るもので
「そして、そのまま飛び起きるように目が覚める、と」
「はい……息苦しさが残っているかのように、起きた直後は息が上がっているんです。まるで夢の中で水に濡れた状態が続いているかのように、冷や汗もかいていて……」
依頼人は話の途中から——否、渉が依頼人を初めて見た時からずっと俯いていた。渉はおろか、六夏の顔を見ようともしない。人見知りというやつか。
目も合わせない依頼人に六夏は顔色ひとつ変えない。いろんな依頼人がいるのだろう。この程度の特徴であれば、慣れたものだということかもしれない。
六夏は穏やかな口調のまま、依頼人にいくつか質問する。
「真っ暗な中を歩いていて、突然水が現れるということですが、自分を覆うように溢れる水を見ることはできているんですね?」
「はい……道と同じでその部分だけ明るいと言いますか」
「水は透明ですか? 水の中に身を置いている時に、周りを見ることはできますか?」
「それはあまり……水がない時と同じで、周りに何かあるかまでは」
「なるほど。足を引かれたようにとおっしゃられていましたが、実際に何かに足を引かれているんですか? その姿は見えますか? 人ですか?」
「わかりません……水の底は暗くて、全体に広がる暗闇よりももっと暗くて、ほとんど見えないんです。それに転んでから、水の中に引きずり込まれている間はずっと必死にもがいていますから、それどころではなく……」
時折手元のメモに視線を落としながら依頼人は返答していた。
あとから訊いた話だが、あらかじめ夢の内容をメモしておいてほしいと依頼していたらしい。夢は時間経過とともに忘れてしまうこともある。そのため、枕元にメモを取れるものを置いて眠るようにと伝えていたらしい。
それでもやはり内容は完璧ではなく、不明な点が多かった。起きた時点で覚えていないのか、もしくは夢自体が曖昧なのか。
六夏はそれ以上、夢の本質に触れるような質問はしなかった。当たり障りのない、悪夢の全貌のみを訊いているように見えた。
そもそも依頼するところを間違えているようにも思う。いくら『悪夢専門』を謳っているからといって、目の下にくっきりと隈をつくっているような状況に陥っているのなら、カウンセリングもしくは病院に行くべきではないだろうか。痩せこけている頬も悪夢が原因であるなら尚更だ。
そんな考えが頭に浮かぶが、部外者たる渉は表立って口出ししたりはしない。なぜ今ここに自分が置かれているのかもわからない状態だ。大人しくしているのが妥当だろう。
探偵業とやらに明るくない渉は、六夏の仕事内容に見当がつかず、まして悪夢を専門としているなんて、フィクションであっても聞いたことがない。他人が見た夢の話を、聞いただけで解決できるものなのだろうか。
夢の中を調査することはできない。そうなると、どうやって解決に導くのだろうかと、依頼人を心配する反面、不謹慎ながらも好奇心に胸躍らせていた。
がしかし——
「では、本件はこちらでお引き受けいたします。契約書に異議等なければサインをお願いいたします。必要がありましたら、また改めてご連絡いたしますので。本日はお越しいただきありがとうございました」
初めてほんの少しだけ顔を上げた依頼人がぽかんと口を開けていた。
渉もまた同じような表情になる。
——え、まさかこれで終わり?
依頼人もそう思っただろう。
「あ、その前にもうひとつ」
大事なことを言い忘れていたと、六夏が依頼人を引き止める。
そうだろうそうだろう、と渉も上がりそうになっていた腰を落ち着かせた。
「いつも寝る時間は一定ですか?」
「え、寝る時間ですか……? たまに変動はしますが、ほとんど同じだと思います」
「何時から何時まで?」
「えーと……大体日を越す前に布団に入って、朝は大体6時には起きてます。休みの日はもう少しゆっくり起きますかね。8時とか、9時とか」
「できれば、今日から二週間程度、就寝と起床は同じ時間にしていただけますか? 0時から6時で構いません。お休みの日はゆっくりされたいと思うので、そこは強要はいたしません。お身体に差し障りのない範囲でお願いします」
「……わかりました」
伝えるべきことは全て伝え終わったのか、出口はあちらですと言わんばかりに扉の方に手を向ける。満面の笑みをその顔に浮かべて。
人によっては不躾な、と怒る者もいそうだ。
とはいえ、ここに足を踏み入れたときから俯きがちで、か細い声の持ち主である依頼人が怒りをあらわにすることもなく、何が何だかわからないといった様子で、背中を丸めたまま事務所をあとにした。
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