第34話

 ヴァイスは子どもの頃の夢を見た。


 朝起きて恐る恐るというようにヴァイスは己の両手に視線を落とす。小さな手。鮮血の赤は見えない。何度も握りしめて思わず涙を零す。


「坊っちゃん?」


 怪訝そうな侍女の声に我に返ったヴァイスは、ベッドから降りて彼女のそばに立ってみる。彼女を見上げる己の背丈を確認して小声で言葉を落とした。


「……今日の予定」

「本日はレア姫の生誕記念パーティーですよ坊っちゃん。旦那様がその前にお話があると仰っていましたので、ご準備は早めにしてしまいましょうね」


 いつもと様子が違うと思ったのかどこか心配した様子を孕んだ侍女の言葉に頷くと、ヴァイスは急いで身支度を整えて父親である宰相の所へ向かう。

 恐らく上手く行った。彼女を己の手で殺すのと引き換えにあの女の言った通り、いつもより大きく巻き戻った。そう確信して深呼吸するようにヴァイスは息を吐き出す。今までは入学直前に巻き戻り、どうしても時間が足りずにイリスを毎回助けられなかったのだが今回は時間がある。ならば何とか下準備をして挑める。

 しかし、父親の話を聞けば知っている事と違う部分があって僅かな不安がヴァイスの胸を過ぎった。

 この国の名前はリーニエ国。以前まではクライス国であった筈だった。

 そしてフレムデ・ノイ伯爵の存在。以前のイリスの父親は別の名前で、魔具の改造を得意とし国に貢献していたがフレムデという初代の名前を継ぐ天才ではなかった。

 最後は風切姫。確かに風切姫と呼ばれ大破壊で活躍した軍人であったのだが、どうやら今回は軍神とまで謳われているらしい。

 けれどやはりイリスはノイ伯爵家の娘で、兄と弟がいるし、第二王子の婚約者候補であった。ならば大きく巻き戻った影響でズレたのだろうかとぼんやりヴァイスは考える。今までも多少のズレはあったのだ。


 ダメ元でヴァイスはイリスを引き止めてみたが、やはり彼女は婚約者になる道を選んだ。十年と経たずに彼女は聖女に引きずり降ろされ、その度に助けられないという悪夢が脳裏にちらつきヴァイスは胸が軋むのを感じる。これがきっと最後だ。そう思ったヴァイスは、もうとっくに擦り切れかけた記憶とは逆の色、彼女の髪を飾る赤い花に視線を移した。そして己の胸を飾る白い花。風切姫に白い花を贈った彼女の父親の話を思い出してそっと彼女の花に手を伸ばした。

 断られればそれでも良かった。けれど最後であるなら……そう思い花を交換する。

 それに対して彼女は驚いたような顔をしたが、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑った。それだけで胸に押し込めていたヴァイスの感情が溢れそうになる。このまま彼女を連れて逃げてしまいたい衝動に駆られたが、それでは意味がないと何とか冷静さを取り戻し、ヴァイスは彼女をルフトの元へ連れて行った。離れる手が名残惜しいと思う。


 ヴァイスの記憶にはない風切姫との会話。イリスの為に怒った事を感謝され、そして旅人の話を聞いた。これは初めての事で些か驚いたが彼は納得もした。六つの円環の悪夢を切り裂き七つ目の世界へたどり着いた旅人。

 ここは七つ目の世界で、悪夢の終わり。

 そう言って笑った風切姫の言葉にヴァイスの目の奥が痛んだ。不安で仕方なかった自分の足元が漸くしっかりする。今まで感じた大きなズレはここが最後だからだと納得すると同時に、自分の全てを彼女につぎ込む事に全力を尽くすだけだというシンプルな方針を再度ヴァイスは心の中で確認した。

 だから後悔がないように。大好きだと言われれば自分もだと返事をして、イリスが嬉しいと喜ぶ顔を見る為だけに白い花を贈り続け、聖女候補を探し出してその行動を監視し接触を避けた。できるだけ自分以外の攻略対象とやらも避けさせるようにとヴァイスが手を回した件に関しては流石に完璧とはならなかったが、それなりに成果はあったのだと学園に入って確認する。


 そして大きく変化があったのは風切姫の逝去。

 本来ならば婚約が成立して直ぐに亡くなる筈の彼女が学園に入る半年前まで生き延びた。ズレの心配があったのでヴァイスは念の為にとフレムデと風切姫に関してはできるだけ交流をしていたのだが、二人に気に入られていた彼は風切姫が亡くなる場に立ち会う事になった。

 学園に入る準備の為に中央にいたのはフレムデとイリス、そしてヴァイス。

 大規模な軍の魔物討伐から帰った彼女は、折り悪く大流行した流行病にかかってしまった。軍の中でも流行していたのもあり、彼女は戦えない他の軍属の人々の分も戦い続け、何とか魔物を押し返した所で病に感染した。普段の彼女であるなら体力も魔力による抵抗力もあった筈なので死に至る事はなかっただろう。

 いよいよ容態が悪化し、フレムデとイリスに言葉を残した風切姫は最後にヴァイスをそばに呼んだ。


「……私の棺には君の赤い花を沢山入れるといい。全部私が彼岸へ持っていこう」

「縁起でも無いこと言うな。明日にはロートスやフォイアーも来る」

「流石にそこまで引き伸ばすのは厳しいな。うん。でも君に言葉を残せて良かった」

「……」

「ここは七つ目の世界で、悪夢の終わり。一人っきりで今までよく頑張ったね。君の悪夢の旅路は無駄じゃなかった」


 知っているはずはない。いつも通りのおとぎ話にかこつけた幸せを祈るおまじない。けれどそれを聞けばヴァイスの瞳から涙が溢れた。

 風切姫はヴァイスの涙を指で拭うと鮮やかに笑う。


「どうか私の愛しい家族と……イリスを頼む」


 泣き崩れるフレムデとイリス。その泣き声を聞きながらヴァイスは溢れる涙を拭いもせずに、ただ、風切姫の顔を眺め続けた。




「円満解消の方向で」

「いいのか?」

「うん。イリスもどうしてもって言うなら婚姻してもいいけど、できるなら解消したいみたいだしねぇ。早めに後釜探すように伝えといて。君の話だと王太子の婚姻も決まったみたいだし、お役御免でもいいんじゃないかな」

「親父には伝えとく」


  今までであるのなら、イリスは第二王子の婚約者として何の問題もなかった為に学園卒業後に婚姻することが入学前にほぼ確定していた。けれど今回はどういう訳か円満解消の方向に傾いているらしい事をフレムデから聞かされヴァイスは驚く。

 ただ、これならイリスが以前ほど傷つかないのではないかと言う安堵もヴァイスにはあった。愛情を傾けていた相手から裏切られ、失意のうちに彼女は何度も命を落としていたのだ。


 一度目は失意の果に自ら命を断った。

 二度目は不義を疑われ断頭台の露に消えた。

 三度目は聖女を害した罪で修道院に送られる途中で盗賊に襲われた。

 四度目は精神を病んで塔からその身を投げ出した。

 五度目は元婚約者の手によりその身を切り裂かれた。

 六度目は国を守るための人柱となり己が彼女を殺した。


 彼女を失って、幸せになる聖女を眺めて、そしてまた繰り返す円環セカイ。

 ヴァイスは目が覚める度に聖女を憎悪し、己の力不足を呪い続けた。後悔と懺悔。いっその事狂いきってしまえれば楽であっただろうに、イリスへの未練が彼を引き止め続ける。

 一度だって彼女は聖女を害した事などなかった。ただ、愛情を傾けた相手からの裏切りに傷つき、蹴落とされ、そして命を散らしていたのだ。でっち上げられた罪状。でっち上げられた悪意。


「……イリスを頼んだよヴァイス君」


 フレムデの言葉に我に返ったヴァイスは驚いたようにノイ家の天才の顔を眺める。

 

「頼まれただろ?ぼくの最愛の妻に」

「そうだな」

「ぼくも最愛の妻が信じた君を信じてる」


 そう言って、あの円環に存在しなかった天才は瞳を細めて笑った。




 学園に入った後ヴァイスはそれまで下準備をしていた行動を起こした。

 生徒会への勧誘はイリスにどうせ時間を割くなら軍属魔術師に師事した方が良いのではないかと言えば、彼女はあっさりと頷いて彼は拍子抜けする。今までは第二王子への愛情故かそれを避けられなかったのだ。聖女との接触を最低限にすればでっちあげの罪状を作るのも難しいだろう。

 あくまで疑惑程度であるが、異常な聖女への人気と信仰は魅了魔法を本人も無意識で使っているのではないかとヴァイスは考えて、それを中和する効果のある茶葉を流行らせた。風切姫の故郷で飲まれていたものであったらしいが、彼女が長生きしたお陰でその調合がイリスにも伝わっていたのだ。

 これに関してはヴァイスの予想以上に効果があった。今までならば入学後あっという間に貴族子息の心を独り占めにしていた聖女候補が、思うように周りが己に好意を持たないことに困惑している様子が彼にもわかった。

 そして嘗ての聖女候補が覚醒フラグイベントと言っていた事は、徹底的にヴァイスは潰していった。例えば手作り菓子など無理矢理に彼女が起こしたものもあったが、末姫や今まではいなかったロートスの友人マルクスなどのお陰で上手く成立阻止ができたのもあり、ヴァイスは自分だけではなくイリスの味方である末姫やマルクスもできるだけ巻き込む事にする。自分が失敗した時に少しでもイリスの味方がいたほうが良いと思ったのだ。それが考えられるだけ今回は精神的な余裕がヴァイスにはあったのだろう。今までならそんな余裕もなく一人で突っ走って、そして失敗していたのだ。

 元々円満解消の方向であったのもあり、王妃や宰相にそれとなく聖女候補が第二王子と心を通わせていると伝え、円満解消を早める事をヴァイスは勧めた。魅了無効の茶葉を定期的に摂取しているのにも関わらず、それでもあの聖女候補に第二王子が惹かれたと言うのならば、それは流石にヴァイスにはどうしようも無いことであった。周りが思うように攻略できない聖女候補がとりあえず第二王子に集中したのだろうと判断したのだ。

 イリスが蹴落とされる前に円満解消をと思っていたのだが、聖女候補が焦ったのか先に婚約破棄を強行した時は、第二王子ではなく聖女候補を殴り飛ばしたくなる。何とか突っぱねようとしたがあっさりとイリスがその座を手放したので、ならば彼女の望むようにとすべての予定をヴァイスは繰り上げた。

 今までとは違いノイ家の天才が余りにも国庫へ貢献しすぎていたのでそのフォロー。ミュラー伯爵家との養子縁組。ノイ家への逆恨みを防ぐために走り回る。寝る間も惜しんでできる手を全て打って、残っている覚醒フラグとやらもヴァイスは全部妨害した。

 文字通り全部イリスの為につぎ込んで。

 悔いがないように。風切姫が今までの旅路は無駄ではなかったと言ってくれたのを信じて。


 セカイの終わりはいつも創立祭であった。

 舞踏会で幸せなエンディングを迎える聖女。

 そしてセカイは終わってまた繰り返す。


 だから最後に聖女候補を創立祭の舞台に立たせないようにヴァイスはダメ押しをした。

 結果そこで自分の役目を終えて一足先にこの世界から去る事になると思ったがそうはならず、ヴァイスはマルクスに助けられイリスに引き止められる。

 自分の幸せに絶対必要だと言われた時は、それでヴァイスは十分報われたと思ったし、触れれば未練になると思ってずっと触れられなかったのに、彼女を抱きしめれば手放すのが惜しくなった。


 薬の影響で眠る彼女が死んでいないか馬鹿みたいに何度も確認して、都合のいい夢ではないと自覚するのにヴァイス自身も呆れるほど時間がかかる。

 けれどまだ怖かった。

 創立祭当日を迎えれば明日は来ずに、またセカイが繰り返すのではないかと不安で仕方がなかった。

 だからヴァイスはイリスに会いに行くことにした。


 長い長い夢から覚めたヴァイスは、最後かもしれない日を迎える。

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