第33話

 イリスは子どもの頃の夢を見た。

 例えばルフトは綺麗な顔立ちをしている上に人当たりも基本的に良い。いつも笑顔で誰からも好かれるように対応する。それは王族の人間として最低限のものであるのだが、ヴァイスはそんな彼のそばにいることが多かったので何かと比べられていた。

 天才肌で何をやらせても大した苦労もなくこなすのだが、愛想がない上に生意気で可愛気がないと言う大人達の言葉はイリスの耳にも届いていた。

 けれど自分にも弟にも優しかったし面倒見は良い。

 いつものように無責任に言葉を放つ大人を眺めイリスは思わずしょんぼりとしてしまったのだが、それを見たヴァイスはつまらなさそうに口を開いた。


「言わせとけ」

「……大好きよ」


 ポツリと零したイリスの言葉にヴァイスは僅かにその赤い瞳を揺らす。

 例え周りがなんと言おうと自分は彼のことが好きなのだと伝えたかったのだが、結局幼いイリスには上手く言葉にできず、ただそう短く言うのが精一杯であった。

 そんな彼女を暫く眺めていたヴァイスは、少し迷ったように視線を彷徨わせた後に彼女の手を取って掌にくちづけを落とした。


「俺もだよ。だから他には何言われてもいい」

「……ヴァイスは優しいのに」


 何故周りは分からないのだろうか、そんな不服そうな顔をイリスはするが、それとは別にヴァイスも自分を好きでいてくれるのが嬉しくてじんわりと彼女の心が暖かくなってくる。不服そうなイリスの顔にヴァイスは僅かに苦笑したが、直ぐに嬉しそうに、満足そうに赤い瞳を細めた。


 ずっずっとむかしのはなし。



***


「寝てた!?何で!?」

「大丈夫ですかお嬢様」


 飛び起きたイリスは己がどこにいるのか一瞬解らず慌てたように声を上げる。ぼんやりとした思考を振り払うように頭を振ると、侍女が心配そうにそばに寄ってくる。


「まずは着替えを……」


 そう言われて己の服を見下ろすと非常に残念な感じに破れている。恐らくこのまま廃棄になるだろう。そう思ったイリスは小さく首を振る。


「お風呂入りたい。服はそこで替えるわ。えっと……ロートス君と……ヴァイスは?」

「ヴァイス様は旦那様とお話の後一旦帰宅されるとのことで……またお越しになると仰られていました。ロートス様はマルクス・クラウスナー様がお越しになりましたのでそちらかと」

「マルクス君来てるの?」

「はい。つい先程」

「お風呂大急ぎで準備お願い」

「かしこまりました」


 部屋から侍女が下がったのでイリスは小さくため息をついて記憶を掘り返す。

 とりあえず訳の解らない聖女候補の言葉に腹が立ってかなり言い返した。そしてその後彼女が拘束されたので自分達は屋敷へ帰ってきた。

 薬の影響が残っていたのもあって、教会に駆け込んだ時は興奮状態で何とかなっていたが、聖女候補が拘束されればホッとしたのか一気に眠気に襲われる。それでも必死で耐えていたのだが、馬車に乗った記憶がないのでどこかで意識を刈り取られてしまったのだろう。

 ヴァイスとロートスが一緒だったので恐らく二人が運んでくれたとは予測できたのだが、窓の外に視線を送ればそれなりに時間が経っているのは把握できた。


 一人で大丈夫だと言ったがいつの間にか医師の診察も受けていたらしく、今日一杯は薬の影響を考慮した方が良いと言われていた侍女が風呂や着替えの世話もしてくれる。うっかり湯船に沈んでしまっては目も当てられないと流石に突っぱねる気にならなかったイリスは、手早く入浴と着替えをすますとロートスの部屋を訪れた。


「姉さん」

「イリス様。大丈夫ですか?」

「寝すぎた……」

「仕方ないよ」

「ロートス君が運んでくれたの?」


 イリスが確認するように尋ねると、満面の笑みでマルクスが口を開いた。


「ヴァイス様です!教会出た途端に倒れ込んだイリス様抱えて馬車まで運んでました。超目立ってました」

「あああああああああ!!そんな気してたぁぁぁぁ!!」


 頭を抱えて突伏するイリスを眺めて、マルクスはニコニコといい笑顔を向ける。流石に声をかけてくる者はいなかったがそれでも遠巻きに注目を集めていた。イリスがロートスの上着を羽織っていたとはいえ、破れた制服でルフト達と教会へ駆け込む姿が目撃されたからだろう。イリスが派手に窓を割り、ロートスが扉を消し炭にした部屋の証拠隠滅まで手を回す暇がなかったのもあり、何か問題が起こったのかと生徒も気にしている様子だった。そんな中、イリスがヴァイスにお姫様抱っこなどされていれば嫌でも注目は集まる。

 エーファの移送時に教会は人払いをしたものの、マルクスはイリス達の馬車を見送った後に呼び出されていた生徒会室に向かうまでに何人かの友人に声をかけられる羽目になった。そこでどうもイリスが部屋に監禁されたらしいという話をうっすら聞いたのだが、教会の件に関してマルクスはよくわからないと曖昧に笑ってかわした。


「それで教会で何があったの?」


 イリスに尋ねられれば、彼女の監禁騒ぎの件を先程までロートスに聞いていたのとは逆にマルクスが喋りだす。そして話しが終わればノイ姉弟は首を捻った後に口を開いた。


「ヴァイスより聖女候補の方が完全におかしいとお姉ちゃんは思います」

「僕もそう思う。人のこと言えないよね絶対」

「それはさておきマルクス君!ヴァイスを助けてくれてありがとう!」

「……ホント、間に合って良かったです。ヴァイス様避ける気無かったですからアレ。エーファにわざと刺されて牢にぶちこむとか考えてたんじゃないですか」


 顔を覆いながらマルクスが言えばイリスは悲しそうに瞳を細めた。自分のせいでヴァイスが怪我をしたかもしれないのが辛かったのだろう。


「まぁでも、姉さんの幸せにはヴァイスが絶対いるって本人も理解しただろうからもう無茶しないんじゃない」

「そう祈るわぁ……ヴァイスいつも私達優先だから心配よね……」


 私達と言うよりはイリスに全部つぎ込んでいたと言っていたではないかとぼんやりとマルクスは考える。


「淡白そうに見えてヴァイス様って愛がクッソ重たいタイプですよね」

「僕も薄々そんな気はしてた」

「あのぅ……それでちょっとご相談が」

「何?」

「あ、席外しましょうか?」


 気を利かせたようにマルクスが言うとイリスは慌てて首を振って引き止める。寧ろマルクスの意見が聞きたいのだと。

 それにマルクスは面食らったような表情をしたが、俺でお役に立てるならと笑顔で了承する。


「……教会でこう……色々言ったじゃない?聖女候補が余りにも意味わからない事言うから、勢いで……」

「言ってましたね」

「アレはどう聞こえた?」


 どう、と改めて言われたマルクスは少しだけ首を捻って考え込む。


「私は今のヴァイス大好きなんだからお前が口出すなクソ女!って感じですかね」

「求婚」


 マルクスに続きロートスが短く言い放てばイリスは俯いて顔を覆う。小刻みに震えているし耳まで赤い。それに気がついたマルクスは、今更思い出して照れているのかと納得して思わず笑った。


「いやぁ、情熱的な公開プロポーズでしたねイリス様!」

「あぁぁぁぁぁぁ!!!!やっぱりそう聞こえたわよね!?」

「違ったの?」

「……違わないけど、こう……違うの……」


 小声で呟き頭を振るイリスに不思議そうにロートスは問いかける。イリスは若干涙目になりながら顔を少しあげ、震える声で言葉を紡いだ。


「ヴァイスって顔いいでしょ?家柄も悪くないし、仕事もできるし、優しいし、こう……前にマルクス君言ってたけど優良物件的な。憧れてる令嬢多い」

「そうですね」

「……釣り合わないんじゃないかって」


 思わずマルクスが紅茶を吹き出しそうになったのも仕方がない。まさかイリスがそんな事を考えていると夢にも思わなかったのだ。それはロートスも同じだったようで、驚いたようにイリスを眺めていた。


「もっとお似合いの令嬢いるんじゃないかって思うの。なのにあんな事言ったら気にするでしょ?あああああああああ!!どんな顔して会えばいいのかわからない!!」


 顔を覆うのをやめて頭を抱えて突っ伏したイリスにどう突っ込んだらいいのか一瞬考えたが、ここは素直に言葉を放ったほうがいいと判断したマルクスは口を開いた。


「イリス様で釣り合わなきゃ、他の令嬢とかお話にならないですよ!?何でそんなに自己評価低いんですか!?元第二王子の婚約者でしょイリス様!」

「でも政略結婚だし……破棄されたし……疵物だし……」


 円満解消にならなかった事がここでまさか響いてくるのかと思わずマルクスは舌打ちをしたくなる。ミュラー伯爵家嫡男の伴侶として疵物令嬢は相応しくないと思っているのだろう。ノイ家自体は恐らくその辺を気にする事は無いのだろうが、王族の婚約者であったイリスは唯一貴族社会の中における常識的な感覚を学んでいた。だから疵物令嬢の行き先など、訳有の家か、どこぞのジジイの後妻が良い所だと思っているのだろうし、それもあって新たな婚姻ではなく魔物を狩る等の別方面で身を立てられるような舵切りをしたのだろうと今更納得する。

 ロートスにはその感覚がわからないらしく不思議そうな表情をしていた。だからロートスではなく自分に話を聞いて欲しかったのだろうとマルクスは納得する。


「ここはヴァイス様の出方待ちましょう!」

「えぇ?」

「いいですかイリス様。イリス様の婚約破棄は特殊です。貰ってませんが賠償金貰う方ですよ?ヴァイス様なんてそれ逆手に取って相手にガッツリ釘刺してきたじゃないですか」

「でも……よそ様から見たら……」

「ヴァイス様から求婚されたら断るんですか?貴方にはもっと相応しい人がいるって言うんですか?言えるんですか?」

「あぅ……」

「ですからもうここは、イリス様からガッツリ求婚したのだと割り切って、ヴァイス様の返事待ちましょう!大丈夫です。あの人嫌なら嫌ってはっきり言いますって。人生の伴侶ですよ?妥協するほど可愛気のある人じゃないでしょ」

「妥協はしないんじゃないかなヴァイス。跡取り必要ならミュラー会長みたいに養子取るとかしそうだし」


 嫡男であれば跡取りの問題もあるので普通は婚姻に対して積極的であるのだが、ミュラー伯爵家自体に子がなくヴァイスを養子にして家を継がせようとしているのもあり抵抗もないだろう。

 そもそもイリスの事を特別だとヴァイスが思っているのはマルクスもロートスも同意見であった。ただヴァイスが一線引いているのも薄々と感じてはいた。

 咎人だと言い放った聖女候補。何を言っているか意味のわからない女であったが、それが原因なのだろう。


「そうよね……とりあえずヴァイスの反応見ないとわからないわよね……えっと、馬車ではどうだった?」

「姉さんが死んでないか何度も確認してた」

「なにそれ。え。そんなにガッツリ寝てた?」

「よく寝てるとは思ったけどそんな心配する程じゃなかったと思う。一応姉さんが監禁されてた話は僕からしたけど、教会の話は後で姉さんと聞こうと思って聞かなかった」


 何度も何度も心配そうにイリスの呼吸を確認する姿はロートスから見ても神経質なほどであった。何が彼をそこまで不安にさせるのかは解らなかったが、大事そうにイリスの身体を抱く姿を見れば、ヴァイスがイリスに全てをつぎ込んだという言葉も大袈裟ではないとぼんやりとロートスは考える。


「あ、姉さん監禁した奴はがっつり追い込みかけるって言われた」

「ヴァイス様の慈悲はないな」

「いるの?」

「いらないと思う。寧ろガッツリやってくださいヴァイス様!!素敵!!って気分」


 ロートスの言葉におどけたようにマルクスが言うとイリスは思わず吹き出す。正直に言えば余り自分を監禁した面々に関しては顔を覚えていないのだが、その辺りは生徒会に拘束されたと聞いているのでそちらからも何かしらあるだろうと思いながら紅茶の残りを飲み干した。


「……明日の創立祭は流石に行けないかしら。マルクス君武芸の方出るわよね。応援できなくてごめんなさいね」

「いえいえいえいえいえ!!新入生なんて一回戦突破すれば御の字ですよ?でもまぁ、もしも一回でも勝てたら何かご褒美下さい」

「ご褒美?」

「俺、イリス様のアップルパイ食べたいです。ロートスもヴァイス様も美味しいっていってたから、食べてみたいです」


 そんな事でいいのかと言うように驚いたような顔をイリスはしたが、直ぐに微笑んで了承をした。沢山燒くわね!と言われればマルクスも嬉しそうに笑う。


「僕も休まされるかなぁ」

「わりとお前もイリス様も学園好きだよな!!色々相手方の処分やらの打ち合わせもあるだろうから家にいろよ!ノイ伯爵に丸投げとか怖いことしないで!!」

「父さんはヴァイスに投げるんじゃない?明日も来るって言ってたし」

「……お姉ちゃんは明日に備えて寝ます」

「晩御飯は?」

「最後の晩餐的な感じで味わからないだろうからいいわぁ。死刑執行を待つ気分……」

「普段ポジティブなのに何でここでネガティブなんですかイリス様!!」


 思わず突っ込んだ後にマルクスも、晩御飯と言われればそろそろお暇するかと席を立った。それを見送る為にロートスとイリスも席を立ち玄関ホールへ向かう。すると丁度フレムデが執事に手紙を渡している所であった。


「あれ?マルクス君もう帰るの?ご飯食べていけばいいのに」

「マルクスは明日午前中の武芸大会出るから引き止めたら悪いよ父さん」

「あ、そうなんだ。頑張ってね。あと、ヴァイス君を助けてくれてありがとう」


 まさかフレムデからも礼を言われると思っていなかったマルクスは驚いたように首を振って、間に合って良かったですと笑った。

 するとフレムデはホールに飾ってある黄色い花を一輪抜き取るとマルクスに差し出す。


「ここは七つ目の世界で、悪夢の終わり。ぼくは君の勝利を願ってる」


 突然吐き出された言葉に驚いたようにマルクスはフレムデの顔を眺めたが、彼は満面の笑みでマルクスに花を握らせた。


「おまじないだよ。丁度手紙を届けに行かせる所だったからついでに乗って行って」


 ついでと言われればありがたく厚意を受けようとマルクスが頷くと、フレムデは満足そうに笑った。

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