第14話

 項垂れて一旦庭園の方へ人目を避けて出ていったエーファを追うべきか、そっとしておくべきかと悩んだオスカーは、小声で言葉を零す。


「イリス様も何も退出することないのに」

「え?無難な対応じゃないの?」


 グラスを傾けながら可愛らしい瞳を見開いてベルントは驚いたようにオスカーの言葉に返事をする。


「殿下が替えのドレスを準備すると言っていたじゃないか」

「あのさぁ、ドレス着替えるってそれだけじゃ済まないんだよ」


 ドレスを替えるとなれば、化粧から髪型、アクセサリーまで全て替えなければ不格好になる。自分の姉も夜会となれば朝から準備をしている、そんな話をベルントがすればオスカーも納得したのか小さく俯いた。


「それもそうか……今からだと会が終わってしまうな」

「そういう事。女の人は大変だよねぇ。僕は男で良かった」


 ニコニコと愛想よくベルントは笑う。男の準備など一時間もあれば事足りる。それに引き換え女性の準備となれば、極端な話前日からピカピカに全身を磨いてと大変なのは家族を見ていれば嫌でも理解できる。オスカーには女のきょうだいがいないのもあってその辺がうといのかもしれない等と考えながらベルントは庭に視線を送った。


「まぁ、イリス様も怒ってなかったし大丈夫じゃないかなぁ」

「表向きはだろ」

「……君はイリス様嫌いなの?ライバルのロートスのお姉さんだから?」

「別にロートスはライバルじゃない」


 ムッとしたようにオスカーが返事をしたのを眺めてベルントは、はいはい、と言うように瞳を細める。

 第三魔術師団長の子息。神童。そんな肩書だったオスカーにとって、ロートスの存在は衝撃だったのだろう。確かにオスカーは魔力量も多いし魔法技術もトップレベルなのだが、いかんせん実戦経験がなかった。そんな中、涼しい顔でロートスが魔物を狩る姿にライバル心を燃やしているのははたから見てもわかる。そしてそんなオスカーに対して興味がないと言う様にロートスが接するのも癇に障るのだろう。

 ベルントに言わせればノイ家の人間をライバル視するほど無駄なことはないと思っている。彼等は大昔から……それこそ、爵位を与えられる前から己の身内以外に基本興味を持たない一族なのだ。それは国の財務を預かる父親からベルントはよく聞いていた。

 彼等の生み出す魔具は今やその税収や利権料で国庫を大きく潤している。けれど彼等は金の為に魔具を生み出しているのではなく、ただ単に家族が欲しがったとか、便利だと言ったというような実に些細な理由で魔具を作るのだ。それを国が利用しているだけ。

 実に自分勝手で貴族的ではない一族。しかし金の卵を生む一族。


「イリス様に他意はないよ。お優しい方だって殿下もおっしゃってるだろ?」

「……それはそうだが……」

「気になるなら慰めてくれば?」

「いや……俺が行った所で……」


 普段は自信満々な癖に何故ここでヘタれるのだろうか、そんな事を考えながらベルントは呆れたようにため息をついた。


***


 庭園に設置されたベンチに座り、エーファは俯いていた。上手く行かなかった。そんな考えがぐるぐると頭を巡る。

 神殿に選ばれた聖女候補。誉れある生徒会役員。子爵令嬢と言う家の格は少々低いが、それでも貴族である。黄金色の髪も翡翠の瞳も愛らしいと家族から大事にされたし、周りもエーファが微笑めば思うように動いてくれた。

 しかしながら学園に入ってからは上手く行かない事が多くなってきた。

 生徒会の面々とはそれなりに上手くやっていけているのだが、末姫であるレアの冷ややかな態度が同級生に伝播していたし、令息達はともかく令嬢達からは完全に浮いていた。

 そして何かとイリスの影が己の前にちらつく。

 第二王子の完璧な婚約者。決して出すぎず、控えめで、けれど凛とした佇まいは人を惹きつける。穏やかな気質のお陰もあって学園内でも人気が高い。

 そんな彼女が生徒会に入っていないのに、どうしてあの子が……そんな話は嫌という程耳に入ってきた。レアも含めて本人が入りたくないと断ったのだから気にする必要はないとルフトは言ってくれるが慰めの一環であろう。

 仲良くなれれば良いと思っていたのは嘘ではない。人気のある彼女に気に入られれば何かとやりやすくなるのではないかという気持ちがエーファにはあったのだ。弟であるロートスや、常に一緒にいるヴァイスとの接点もできる。レアも大好きなお義姉様のお気に入りなら滅多なことで攻撃的にならないだろうと。

 けれどイリスを見ていればそれは無理だと早々にエーファは諦めた。彼女は完全にノイ家の人間だと。身内以外に特別は作らない。

 優しい方だと誰もが口にするが、極端な話彼女はヴァイスが興味のない人間全て対してそのへんの石ころ程度の認識しか持たないのと同じで、他の人間に対して恐ろしく平等に優しく接する。冷たく接するか、優しく接するかの差。少なくともエーファにはそう見えた。

 けれど、寧ろその方が好ましいと周りは思っているのだろう。第二王子の婚約者と言う立場を考えれば下手な派閥など作らないに越したことはないし、自己主張をせずにルフトを常に立てるというスタンスは寧ろ好意的に周りの目に映る。

 イリスの攻略が出来ないので周りから切り崩そうとしても、ヴァイスやロートスの不興を買うだけであったしレアにも睨まれる。

 そこまで考えて、エーファはヴァイスの事をぼんやりと考えた。

 あの鮮やかな赤い瞳が己の方を向くことはない。向けられるとしても冷ややかな視線。


「ヴァイス様……どうして……」


 貴方は神に愛されているのです、そう神殿の神官はなにかあるごとにエーファにそう言っていた。そして実際周りからずっと愛されていた。それが当たり前な筈なのに、あの赤い瞳はいつもエーファを絶望的な現状に引き戻してくる。

 いつもの様に微笑んで、時には涙を浮かべて、彼の苦痛に寄り添えばほかの男のように己に夢中になってくれると思っていた。けれど彼は接触すら厭い、常にイリスのそばに静かに佇んでいる。それが酷く腹立たしくなるのにそう時間はかからなかった。

 ヴァイスを縛る存在であるイリス。


「嫌な人……本当にいつもいつも邪魔ばかり……」


 呪詛を吐くようにエーファは言葉を小さく零す。美貌にも、才能にも恵まれ、誰からも愛される第二王子の婚約者。

 神に愛されているのは私なのに。

 音にならない言葉をエーファは心の中で呟く。


「エーファ?大丈夫?」


 意識を引き戻したのはオスカー。エーファは顔を上げると無理矢理微笑んだ。


「オスカー様。ベルント様まで」

「具合が悪いのなら送るが」

「……いえ。途中で私が退出してしまえばイリス様のお気遣いを無駄にしてしまいますから」


 力なく笑うエーファを眺め、オスカーは小さく頷くと手を差し出してくる。痛めた足を気遣っての事だろう。

 そっとオスカーの手をとりエーファは立ち上がるとベルントにも礼を言う。すると彼は、愛想よく微笑んで口を開いた。


「レア様が医師を呼んでくれたみたいだから、手当だけ受けたら?」

「そうします」


 まだ散会になるまでは時間がある。実際足は痛むのであろうエーファはその言葉に頷いた。

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