第13話

 鏡の前に立つイリスに対し侍女は満足気に笑うと頭を下げる。

 学園に入ってからは学業優先と言うことで参加が減っていた舞踏会であるが、それでも王族主催の場合はルフトと一緒に参加はしていた。

 今日は学園に入学したレアのお披露目も兼ねてのものであるので面倒臭いと心の中で思っていても不参加と言う訳には行かず朝から準備をしていた。幸いなのは開催が昼である事であろう。夜会であればクタクタになった翌日に学園に行くという苦行を味わう羽目になっていた。


「姉さん」

「そっちも準備終わった?」

「姉さんほど手間はかからないし」


 部屋を訪れたロートスの姿にイリスは眩しそうに瞳を細める。己と同じ黒髪に黒曜石の様な瞳。今日のために新たに誂えた服を着た弟の姿にイリスは満足そうに笑う。


「よく似合ってるわ」

「姉さんも」


 そう言うとロートスは持っていた白い花をイリスの髪に飾る。

 婚約者であるルフトから花が贈られる時はそれを飾るのだが、今日の白い花を眺めてイリスは僅かに表情を緩めた。

 イリスのドレスはどちらかと言えば格式を重んじた仕様のモノで、若い令嬢から見れば少々古臭く感じるかもしれない。流行り廃りがあるのはイリスも承知しているのだが、いずれ王族に連なる立場として、流行りより格式をという周りの目に合わせているのだ。とはいっても、彼女自身余りその辺りに興味がないのでそれが苦痛だとも思ったことはなかった。ただアクセサリー類だけはミュラー商会の紹介で毎回流行りのものを取り入れている。

 耳を飾るイヤリングは淡い光を放つ。石はさほど大きくはないが繊細な細工が人気で、注文しても順番待ちと言うものであった。ミュラー商会としてもイリスがつけることが宣伝になると、いつも優先的に手配してくれている。そしてそのアクセサリーはいつも白い一輪の花と一緒に届く。


「……舞踏会面倒臭い」

「その言葉を聞いたら姉さんもノイ家なんだって安心する」

「まぁねぇ。行かなくていいなら行きたくないわ。言うほど踊らないからマシだけど」


 この手の集まりは結婚相手探しという側面もあるので若い貴族は時間いっぱいパートナーを探して踊るのだが、イリスの場合は第二王子の婚約者という立場なのでルフト以外とは義理で踊る程度である。


「貴方は沢山踊る事になるんじゃないの?復習しとく?」

「いやいい。ヴァイスと一緒にいる」


 苦笑しながらそう言い放ったロートスにイリスは困ったように笑った。レアへの義理で参加する程度なのだろう。そしてヴァイスもまたどちらかと言えばロートスと同じで殆ど令嬢と踊る事はない。それは今回に限らず今までずっとそうであったので、態々断られるのがわかっていて申し込む令嬢もいない状態にまで至ってしまっている。


「貴方もヴァイスも上手なのに見れないのが残念だわ」

「今日はレア様と踊るかもしれないってヴァイス言ってた」

「あぁ、それは貴方もっていう流れになるかもしれないわね」

「レア様は流石に断らないよ。心配しないで」

「お嬢様。殿下がお見えになりました」


 侍女の声にイリスは返事をするとロートスに向き合う。今日はルフトの迎えがあるので別々に会場に行くのだ。


「それじゃぁまた」

「気をつけて、姉さん」


***


 きらびやかな会場は第二王子とその婚約者の入場により一瞬だけ静まり返る。注目を浴びる中、イリスはルフトの手をとってゆるゆると主催の元を訪れた。


「お義姉さま」

「本日はお招きありがとうございますレア様」


 王妃と共に並ぶレアを眺めてイリスは懐かしそうに瞳を細めた。そう言えば初めてルフトと顔を合わせた時もこうやってレアと王妃に挨拶したものだと思い出したのだ。

 定型文の挨拶をして優雅に礼をすれば、そのままイリスはルフトとその場を離れる。挨拶をしたいと言う者は多いのだ。そして暫くは他の参加者と歓談をしていたのだが、挨拶のキリが良い所でレアがヴァイスにエスコートされてホール中央へ出てきた。ルフトと同じ金髪碧眼のレアはその美しい瞳を細めると、そのままヴァイスとダンスを踊るのだろう彼と向かい合った。それを合図にゆるゆると円舞曲が流れる。

 ルフトとイリスも曲に合わせて踊りだす。


「ヴァイスが引き受けてくれてよかった」

「あら、殿下がお願いされたのですか?」

「オリヴァーかヴァイス辺りが無難だと言われたからな」


 宰相の息子でありルフトの乳兄弟。レアともそれなりに面識がある。レアの婚約者が定まっていればそちらにエスコートさせたのだろうが、まだ残念ながら婚約者を立てる予定もない中、ヴァイスという人選は無難といえば無難であった。下手な相手をあてがえば、婚約者候補かと邪推されかねないのだ。その点ヴァイスは義理でしか踊らないという事を徹底していたので、周りも婚約者候補になるとは思わないのだろう。

 そう考えてイリスはちらりとレアに視線を送る。今の所気になる相手などはいないと聞いているし、王族の姫と言う立場上寧ろ政略結婚になるだろうことはレア本人も理解しているし受け入れている。愛らしい容姿の彼女ならばきっと政略結婚でも大事にされるだろう、そんな事を考えてイリスは瞳を細める。


「イリス?」

「いえ。レア様も大きくなられたと思いまして」

「完全に姉目線だな」


 ルフトの言葉にイリスは淡く微笑む。お義姉様と慕ってくれているし、イリス自身も彼女の事を好ましく思っている。


「可愛い義妹ですもの」

「レアはイリスがお気に入りだからな。私のほうが邪険にされる」


 拗ねるようなルフトの言葉に、イリスは少しだけ驚いたような表情を作ったが瞳を細めて笑った。


 一曲終われば今度はレアの手をオリヴァーが取る。この辺りは打ち合わせ済みなのだろう。そしてルフトはルフトで、イリスを壁際まで連れて行くとそこで待つロートスに言葉を放った。


「暫くイリスを頼めるか」

「大丈夫」


 公的に挨拶をせねばならない面子は一通りダンスの前にイリスと挨拶を済ませていたので、以降は個人的な所なのだろう。無論イリスを連れて行くという選択肢もあったのだが、彼女が疲れないようにとルフトは気を使ったのだ。普通ならばパートナーのそばを離れるということはしないのだろうが、王族であるルフトの婚約者にちょっかいをかける者もいない。


「おつかれ姉さん」

「ロートス君は次に踊るの?」

「さぁ。踊らなくていいならそれに越したことないし」


 扇で口元を隠しながらイリスは小声で確認をする。そしてチラチラとこちらに視線を送る令嬢達の様子に気が付き笑った。


「誰か気になる子を誘ったら?」

「いないからいい」

「私は一人でも大丈夫よ?」


 余りノイ家の末っ子は社交に出ていない。それもあって是非一曲と思う令嬢も多いのだろう。けれどイリスがそばにいるのに遠慮してかロートスに声をかける様子がない。

 そんな事を考えているとヴァイスが二人のそばに近寄ってきたので、ロートスはテーブルから飲み物を取ると一つをイリスに渡し、もう一つに口をつけてからヴァイスに差し出した。


「お疲れ。相変わらずダンス上手いね」

「末姫が上手いんだろうよ」


 ロートスから受け取った飲み物を一気に飲み干すとヴァイスは空のグラスをテーブルに戻した。

 久しぶりに公の場で踊ったのもあり、少し疲れた様子のヴァイスであったが壁にもたれかかりながら会場に視線を滑らせている。


「イリス様」


 そんな中学園で何度かお茶会をした最上級生の令嬢がイリスに声をかけてきた。それにイリスはにこやかに返事をすると他愛のない雑談を始める。


「もうヴァイスは壁扱いなのな」

「いつもの事だよ」


 ロートスの呆れたような言葉にヴァイスは気を悪くした様子もなくそう返事をする。基本会話に入って来ないので、一番最初に軽く会釈を令嬢たちはヴァイスにする程度であとはいないものとしてイリスとの会話を楽しんでいる。そんな光景は学園内でもよく見られた。

 そしてロートスも学園に入って始めこそ多少気を使われたが、イリスが他の人の相手をしている時はヴァイスと雑談をしている事が多いので、最近はヴァイス同様の扱いとなっている。ルフトならば令嬢との会話に入ったりするのだが、ロートスはそこまで話術が得意でもないし興味もない。


「あら」


 一人の令嬢が僅かに眉を上げてホールへ視線を送る。そこにいるのはルフトとエーファ。恐らく次の曲で踊るのだろう。

 イリスも視線を一瞬送ったが、これといって言葉を放つことなくにこやかに微笑んだ。


「……図々しい」


 小さな声が令嬢の口から溢れる。子爵令嬢ごときが、そんな意味合いが滲み出ている言葉にイリスは柔らかく微笑むとホール中央に視線を送った。


「ルフト様が生徒会の方々と仲良くされているようで安心いたしましたわ。お忙しさも最近は大分緩和されている様ですし」

「イリス様……」


 咎める口調ではなく寧ろ本当に良かったという柔らかい声に、令嬢は一瞬だけ恥じたように視線を彷徨わせたが小さく頷いた。義理で踊っているのだから自分は何とも思わない、そうイリスが暗に言えばおおっぴらに批判も出来ないのだろうし、逆に差し出がましかったかと令嬢は話題を変えた。

 それに対してイリスは、笑顔を向けて令嬢の話に乗る。

 そもそもイリスはルフトが誰と踊ろうと余り興味はなかった。王族であるのだから義理で踊ることもあるだろうし、それこそ政治的な判断で優先的に扱わねばならない令嬢も存在する。そんな事でいちいち目くじらを立てる気もない。

 ぼんやりとそんな事を考えながらイリスが相槌を打っていると、会話がピタッと止まる。令嬢達の視線の先にはルフトとエーファ。大きくバランスを崩したエーファを支えるように僅かにルフトが姿勢を崩して彼女の腰を掴んでいた。続く円舞曲に合わせてまた踊りは何事もなかったかの様に続いていたが、イリスは扇を広げると小さく背後にいるヴァイスの名を呼ぶ。

 それに対し彼は小さく頷くとその場を離れた。それに気がついたロートスは首を傾げてイリスに声をかける。


「どうしたの?」

「多分足を捻ったのでしょうね。椅子の準備をしてもらおうと思ったの」

「へぇ」


 ヴァイスの方へロートスが視線を滑らせると、生徒会の面子がいる所でオリヴァーと何やら話をしている。そしてオリヴァーが小さく頷いたのを確認するとヴァイスはまたイリスの所へ戻ってきた。そのまま眺めていれば、オリヴァーが使用人に声をかけて椅子を準備させている。

 曲が終われば生徒会の面々の所へ戻るエーファの歩き方が少々ぎこちない事にロートスは漸く気がつく。他の令嬢もそれに気がついたのか、驚いたようにイリスの方に視線を送った。

 直ぐに気がついたイリスに対しての驚きもあるが、名を呼ばれただけで全てを察して手配したヴァイスにも驚いたのだろう。

 エーファを椅子に座らせたルフトはイリスの所へやってくると口を開く。


「ありがとう」

「いえ」


 少しだけ瞳を伏せてイリスはルフトの礼に返事をする。


「余りにも痛みが酷いようでしたら医師に見せたほうがよろしいかと」

「いや、少し捻った程度の様だ」


 とは言え流石に踊ることは出来ないだろう。オリヴァーはルフトと一緒にイリスの所へ来たが、エーファのそばにいる生徒会の新入生組は心配そうに彼女に声をかけていた。

 興味が失せたのかイリスはまた直ぐに令嬢達との話に戻る。

 それを確認したルフトはヴァイスにも声をかけた。


「今日はレアの件といい済まない」

「末姫は構わねぇよ。無難な所にしようとすればそうなんだろ」

「……気になる令嬢等いないのか?」


 ルフトの言葉に心底嫌そうな顔をヴァイスがしたので、彼は慌てたように言葉を続ける。


「いや、一向にそんな噂がないものだからな。流石に学園に入ったら懇意にする令嬢の一人や二人と思ったのだが」

「忙しい。つーか、寧ろオリヴァーの方が深刻なんじゃねぇの。軍属になったらそれこそ暇ねぇんだから今のうち確保しとかねぇと」


 突然話を振られたオリヴァーはぎょっとしたような顔をする。そして慌てたように首を振った。


「私は恐らく時期が来れば縁談が来ると思いますので、お気遣いなく」


 言ってしまえば今も縁談が来ていないわけではない。ただ、今は学業に忙しいという理由でやんわりと断っているのだ。それでも最上級学年になる頃には、婚約ぐらいは決まっているかもしれないとオリヴァーはぼんやりと考える。


「……まぁ、手前ェは引く手数多だろうな」

「貴方もでしょうに」

「いや、俺はミュラー家に降りるかなら。下手に縁談とか揉める」


 アイゼン侯爵家三男と言う肩書で婚約をしたのに、ミュラー伯爵家となってしまえば詐欺だと言われても仕方がない。侯爵家と伯爵家では家の格が違う。


「そうだったな……すまない。余計な事だった」


 ルフトが素直に詫びると、ヴァイスは気にするなというように浅く笑った。

 そんな中、後ろから声をかけられヴァイスはあっという間にいつもどおりの不機嫌そうな表情に戻る。その切り替えにルフトは些か驚いたが、声の主に視線を送り僅かに眉を上げた。


「先程は椅子を準備してくださりありがとうございました」


 オスカーとベルントと一緒に来たのはエーファ。頭を下げたエーファにヴァイスはちらりと視線を送ると、イリスの指示だ、と短く返事をした。


「イリス様が?」


 確認されたのが不快だったのか、ヴァイスが眉を寄せたので、エーファは慌てたようにイリスの方へ向き直ろうとしたのだが、その拍子に近くにあったテーブルに触れ並べられた飲み物が倒れた。

 小さな悲鳴と、硝子の割れる音。注目を集めたエーファは真っ青な表情でイリスに駆け寄りハンカチを取り出した。

 溢れた飲み物が運悪くイリスのドレスを汚したのだ。それに周りの令嬢は刺さるような視線をエーファに送ったが、イリスは小さく笑うと一歩下がりドレスのシミを拭き取ろうとしたエーファに言葉を落とした。


「大丈夫ですわ。下手に触るとしみ抜きの手間が増えますのでそのままになさって」

「でも……」

「イリス、替えのドレスを直ぐに準備させる」

「お気遣いありがとうございますルフト様。けれど本日はこれでお暇いたしますわ」


 淡く微笑んでイリスが言うと、ルフトは慌ててイリスを引き留めようとする。しかし今から準備となれば慌ただしいだろうとイリスは申し出を固辞した。


「お気になさらないで下さいね。貴方にお怪我がなくて良かった」

「姉さん行こうか」

「ええ」


 ロートスがイリスの腕を取ると、彼女は微笑んでその場を後にする。それを青い顔で眺めていたエーファはノロノロと立ち上がりルフトに声をかけた。


「申し訳ありませんルフト様……」

「いや、イリスも言っていたが気にしないように」

「はい……」


 そんな様子を遠くから眺めていたレアは、唇を噛み締め一言文句を言ってやろうと歩みを進めようとした。が、声を落とされ立ち止まる。


「放っておけ」

「……貴方は腹が立たないの?」

「そう見えるなら眼鏡でもかけろ。上等なやつプレゼントしてやる」


 冷ややかなヴァイスの声色にレアも頭が冷えたのかすぅっと怒りの表情を落ち着かせる。


「……お義姉様についていなくていいの?」

「ロートスがついてんだろ。末姫が爆発して台無しになる方が問題だ。イリスが流したんだ。堪えろ」

「わかったわ」

「後でイリスから詫び状来んだろ。労ってやってくれ」

「寧ろこちらからお詫びしないといけないわ。お義姉様に似合うドレスを見繕ってくれる?アクセサリーの方が良いかしら」

「商会から人寄越すから末姫が選んでやってくれ。その方が喜ぶ」


 ヴァイスの言葉にレアは小さく頷くと、扇を開いて小さくため息をついた。


「あの人本当に目が悪いのかしら」

「さぁな」


 レアの小さな呟きに、ヴァイスは興味なさそうに返事をした。

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