第6話

 翌日ノイ伯爵家を訪れたのはオリヴァー。たまたま出迎えたノイ伯爵夫人であるシュトルムは、彼が手に持っている花を見て瞳を細めて笑う。


「あぁ、うちの子にだね。昨日他の子から花を受け取っていた」

「気が利かない男だと父に叱られました」

「奥方を口説き落としたいが方法がわからないと、女として規格外の私に泣きついてきた男が何を言っているのだか」


 呆れたようにシュトルムが言い放つとオリヴァーは思わず目を丸くする。第二騎士団長である父と、引退したとはいえ元軍属魔術師であるシュトルム。大破壊の時には共に肩を並べて魔物討伐をしていたと言う昔話を聞くことはあったのだが、己の母との馴れ初めは聞いたことがなく、オリヴァーは父の顔を思い浮かべて吹き出した。


「失礼しました」

「いや、構わんよ」


 鮮やかに微笑んだシュトルムはオリバーから淡い色合いのその花を受け取り彼に視線を送る。


「そういえば魔物討伐に興味があるとロートスが言っていたが」

「はい。機会があれば見学だけでもお願いしたいのですが」

「ふむ。剣術と体術は仕込まれていると聞いているがどうしたものかな。うちの子は遠距離攻撃ができるから比較的安全に参加できるのだが……」


 考え込むようなシュトルムの表情に、流石に無理強いはできないかとオリヴァーは諦めかけたのだが、彼女は軽い口調で言葉を放った。


「まぁいいか。死なない程度に見ておくと団長には言っておこう。来月には子どもたちとヴァイスを連れて一旦ノイ領に戻る予定でね。一緒に来るといい」

「ありがとうございます!……え、死なない程度?」


 思わずそう言葉を零したオリヴァーを眺め、シュトルムはニンマリと笑う。


「ヴァイスのそばを離れないことだな。あの子は追跡魔法以外も危機察知能力が高い。ある意味才能だねアレは。なに、私も十歳頃には魔物狩りをしていた。なんとでもなる」

「はい」


 これはもしかしてかなり危ない所へ連れて行かれるのではと一瞬後悔したが、それでもやはりいずれ騎士団にと希望しているのもありオリヴァーは大きく頷く。見学だけでも勉強になるだろう。そう思ったのだ。


「良い返事だ。魔物など生態を知っていれば何とでもなる」

「なる……のでしょうか」

「力でねじ伏せられなければ、知恵と勇気を使うのが人間だ。それで大破壊を我々は生き延びた」


 突如起こった魔物の大攻勢は長く続き、国によっては蹂躙された。けれどこの国は王族も、貴族も、騎士も、魔術師も、民も一丸となり何とか押し返せたために他国より被害はマシであっのだが、まだ不安定なところもあるし定期的に大規模魔物討伐を行わなければ国は立ち行かない。


「まぁ、年寄りの辛気臭い話を聞いてもつまらんだろう。花は娘に渡しておこう。団長には私からも一筆入れるが、君からも話を通しておいてくれ」


 笑いながらシュトルムが言うとオリヴァーは小さく頷いた。


***


 その後ルフトも何とか許可を取りオリヴァーと一緒にノイ領へ行き魔物討伐に参加する。とはいえ、オリヴァーはルフトの護衛と言う形なので後方で見学となった。

 そこでオリヴァーは、軍神・風切姫とイリスが風魔法で飛竜の翼を根元からぶった切り、地面を芋虫の様に転がるそれを討伐隊がボコボコにした後に、その場で飛竜を解体し素材を剥ぎ取るという地獄のような光景を目にすることとなる。

 パンケーキか何かで飛竜の身体はできているのかと錯覚するほどあっさりと切り離される翼。ノイ領に飛竜さえ巣を作らないと言われる理由。知恵と勇気はどこへ行ったと全力でオリヴァーはツッコミを入れたくなった。

 帰宅後にその話を父親にすれば、風切姫は変わっていないか、と遠い目をされた。騎士団が止めを刺せるようにと大破壊の頃から風切姫は空を飛ぶ魔物は翼をもぎ取るし、足が速い魔物は足をもぎ取る。そんな戦い方をしていたとオリヴァーの父親は語り、それでもそうやって徹底的に魔物に嫌がらせをしていたのでこの国は助かったのだとも言った。

 以降、定期的にノイ領の魔物討伐隊にオリヴァーは加わる。流石にルフトは立場上余りノイ領を訪れる事はできなかったのだが、ヴァイスももれなくシュトルムに連行されていたので二人共経験を積んでいった。

 ヴァイスに関しては、別に軍属魔術師志望ではないとシュトルムに言っていたのだが、討伐隊が剥ぎ取ってきた素材などをミュラー商会に流す手続きなどを引き受けていたので、彼の方はそちらの経験も積んでいく。

 ルフトや末姫レアがノイ領を訪れる時などはのんびりと過ごし交流を深めていった。レア等は随分イリスに懐いており、もっと連れて行ってくれと兄にせがむ有様である。


***


 そうして月日は流れ、イリス達が学園に入る少し前。ノイ伯爵家を宰相が訪れた。

 雑多に積まれた本や書類。壁という壁に設置された本棚にみっちりと本が詰め込まれ、書きかけの魔具の設計図なども無造作に置かれている。魔具自体を作成するための工房は屋敷の離れにあるのでここはノイ伯爵の私室、兼、研究室として扱われている。

 本来宰相を迎えるのならば応接室に通すのが礼儀であるのだろうが、こちらでも構わないと宰相自身が言ったのでその様になった。

 侍女が茶を淹れて部屋を出ると、宰相は一口それに口をつけた後に目の前に座る、天才とも奇人とも呼ばれるフレムデ・ノイに視線を送る。


「少し痩せたか」

「これでも子どもたちのお陰で多少戻ったんだけどなぁ」


 凛とした軍人であったシュトルムの夫であるフレムデは、彼女とは雰囲気が逆でぱっと見に関しては穏やかに見える。ただ、魔具の研究開発の事となると周りが引くほどに熱中し、家族以外には全く興味を示さない。魔具を発明した初代ノイ伯爵の再来とも謳われる天才であるが、それ以上に振れ幅が極端なので奇人とも呼ばれる。

 魔力が高く魔具の研究開発が得意と言うのはノイ家の特筆すべき特徴なのだが、極稀に先祖返りと呼ばれる天才が生まれる。発想も、技術も、他より飛び抜けており、ノイ家はその天才が生まれると初代の名を与えて全力で支援をする。それを当たり前のようにやる家なのだ。

 イリスの父親もその初代の名を継いだ男である。子供の頃から付き合いのある宰相でさえ、彼の本当の名は知らない。噂によれば生まれた時から既にフレムデの名を与えられていたとも言われている。

 なので現在のノイ伯爵家の当主ではあるのだが、実務は先代当主が引き続き行っておりその補佐にイリスの兄がついている。嫡男が適当な年齢になれば当主としての座はつつがなく譲られる予定である。天才に当主の仕事などノイ家の者は誰も期待はしていない。息子の代になるまでに中継ぎとして仕方なく座っているだけなのだ。


「……それで。何?」

「あぁ。ルフト殿下とイリス嬢の話なのだが」

「まぁ、それ以外で来ないよねぇ。学園に入る前に円満解消できそう?王太子殿下の結婚も決まったって聞いたよ」


 ニコニコと笑いながらフレムデに言われた宰相は思わず顔を顰める。国は確かに安定してる。王太子もこつこつと実績を積み先日婚姻も決まった。それは確かであるのだが、宰相としてはまだイリスに仮初の婚約者を何とか続けて欲しいと思っていた。

 極端に期限を区切るのであれば、王太子に子ができるまで。

 男でも女でも、子をなしてくれればとりあえず伴侶となる娘が妃として不足がないと周りも納得する。もしも子が何年もできなければ、やれ側室だ、そちらに子ができれば妃としてふさわしくなかったのではないかと口出しをしてくる輩もいるだろう。


「意地悪言ったね。王族は血を絶やさないのも責務だから、王太子に子ができるまでは油断できないって所かい?まぁ、うちは魔具作成の一芸で貴族になった流れ者の一族だからその辺の感覚あんまりわからないけど」

「……そこまで把握してくれているのなら助かる」

「別に把握はしてないよ。ヴァイス君がそうじゃないかって言ってたから、そうなのか、って思っただけ。外れてないなら大したものだね」

「ヴァイスが?」

「ぼくが余りにも国の情勢に無関心だから、イリスの婚約に関わることだけは拾って教えてくれる。あと、魔物素材の相場とか、どこぞの領地が魔物で困ってるから今なら喜んでうちの討伐隊の派遣受け入れてくれる的な?ミュラー会長も後継者が優秀だと安泰だね。そんでもって、うちも彼が気にかけてくれてるから安泰」

「随分とヴァイスを評価してくれているようだな」

「あの子は妻のお気に入りだったからねぇ。あとオリヴァー君だっけ騎士団長の息子。いい子が育っていると随分喜んでいたよ」


 だった。という過去形の言葉に宰相は思わず瞳を細める。

 半年前に国内で大流行した病が元でシュトルム・ノイ伯爵夫人はあっけなくこの世を去った。その報告を聞いた宰相自身も信じられず確認の使者を送ったぐらいだ。

 大破壊に咲き誇った大輪の華。民の希望であり、剣であり、盾であった。

 ノイ領民だけではなく、嘗て戦場で肩を並べたもの、彼女に救われたもの、身分問わず椿の花が落ちるようにあっけなくこの世を去った彼女の死を悼んだ。

 無論夫であるフレムデの悲しみは比べようにならないぐらい深く、一時は仕事すらも放棄していた。

 

 戦場で出会った風切姫に一目惚れをして一○○日戦場に通い詰め、彼女の故郷の風習にあやかって白い花を贈り続けた。そして一○○日目に風切姫は、困った人だと笑って、その花を受け取ったという。

 政略結婚が当たり前の貴族社会の中、ノイ伯爵家は昔から恋愛結婚が多いのだが、この逸話は貴族だけではなく庶民にも知られているし、いつの間にか尾ひれがついてもっと浪漫溢れる逸話にさえなっていたりする。

 片翼を失ったようにふさぎ込んでいたフレムデであったが、子どもたちの励ましもあり何とか仕事には復帰していた。

 

 そこまで考えて宰相は息子であるヴァイスの杞憂は間違っていないのだと確信した。

 国とノイ家をつなぐ鎖が一つ切れたな。

 ヴァイスがそう言い放ったその時は直ぐに察することはできなかったが、こうやってフレムデと対峙すればそれを嫌というほど感じる。

 フレムデと言う男は風切姫が民の剣であり盾であったから、そんな彼女のために国の魔具研究室にとどまっていただけなのだ。そこならば新しい魔具を早く民に行き渡らせることができる、それで民が豊かになると風切姫が望んだ。その望みを叶えていただけ。その風切姫がこの世を去ったのならば、もう彼に中央に残る理由などないのだ。

 言ってしまえば惰性で在籍している、そもそもノイ家自体が惰性で伯爵家をやっているのである。

 魔具の開発さえできればどこでもいい、そんな初代を他国に流出させまいと王家が爵位を与え支援をした。魔具の研究以外は面倒臭いから現状維持でいいと国にとどまっているが、もしもノイ家にとって国が邪魔ならばあっさりと出ていく。そんな事をフレムデは平然とやってのけてしまう危うさを今更ながら宰相は感じた。


「……イリス嬢は本当によくやってくれている。ルフト殿下との仲も良好だし評判もいい」

「情はあるし、婚姻が必要ならしても構わないが、円満解消できるならそちらの方が望ましい、ってヴァイス君に言われなかった?」

「その様な報告は聞いている。……学園生活中に関係を深める可能性もあるがね」


 もしも地位や名誉、出世に貪欲な一族であればこんな罪悪感を抱かなくても良かっただろうかとちらりと考えて、そうなら逆に第二王子の婚約者に据えなかったであろうという矛盾思考に陥り宰相は冷めたお茶に口をつけた。

 ノイ家にミュラー商会の名代として、幼馴染として出入りしているヴァイスからそれとなく話は聞いていたが、やはりノイ家としては円満解消を望んでいると直接言われれば婚姻まで持ち込むのは流石に諦めるほかない。


「とりあえず解消の事は内密で頼むよ。卒業後の解消となればイリス嬢は婚期が遅れてしまうかもしれないが」

「あぁその辺りは本人が気にしていないから構わないよ。無事に役目を終えたら暫くはのんびりしたいようだしね」


 この国では離縁した場合基本的に三ヶ月から半年は再婚まで期間を開ける。元々は妻の再婚の際にどちらの種かなどという下世話な勘ぐりを避けるためにそんな習慣になっているのだが、それが貴族間ではいつの間にか婚約の場合にも同じようになっていった。法的に定められているわけではないのであくまで習慣レベルであるが、離縁、もしくは婚約破棄後直ぐにというのは品がないと眉をひそめられる事が多い。

 その習慣を考えれば、十八歳で学園を卒業したとしても、下手をすれば相手を探している間にあっという間に二十歳を超えてしまう。晩婚と言う程ではないが、十代のうちに婚約者を定める事が多い貴族社会の中では遅い部類に入る。

 ただ、フレムデの話し方だと余りイリス自体が結婚にさほど興味がないようにも宰相には思えた。


「婚約解消後に希望する縁談などあればできるだけ協力させてもらう」

「いや、え?別にいいよ。結婚したければ結婚したい相手捕まえて来るんじゃないかなぁ。うちは嫡男が置物の僕と違って優秀だから家の心配はないし、今まで国のために頑張ったんだから、人生の旅路をともに歩む伴侶ぐらい好きにさせてあげたいんだけど」


 身分も、家柄も、そんなシガラミは気にしなくていい、そうフレムデがイリスに言った所、選択肢が広がって嬉しい、などと笑って返事をした。それを聞いた宰相は、そうか、と短く言った後に困ったように笑った。


「彼女に報いる方法がないのも良心が痛む」

「国王と宰相閣下が誠実にあの子に望んだから、あの子はその誠実さに応えた。それだけだよ。でもぼくは風切姫やあの子ほど国に関心はないし、家族以外心底どうでもいい。それだけは覚えておいて宰相閣下」


 最後には穏やかな雰囲気を一瞬で消し去り冷ややかな声色が部屋に響く。不敬だと取られても仕方がない発言であるが流石に嗜める気も起きない。脅しなどではなく、逆に本気でそう思い親切心でフレムデは宰相に忠告したのだ。


「……ああ。解っている」


 己の息子であるヴァイスも一番気を使っているところだろうと考えて、宰相は浅く笑った。

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