第4話
その後正式に婚約が結ばれルフトとイリスの交流は始まる。ヴァイス、そしてダンスの一件で元々ルフトやヴァイスと顔見知りであったが更に親しくなったオリヴァーも含め、茶会や城下町へのお忍びなどを通して仲を深めて行った。
「殿下、余り離れませんように」
「お忍びだ。殿下はやめろオリヴァー」
庶民の様な簡素な服装をしたルフトは、隣に立つオリヴァーにそう言い放ち軽く睨んだ。立場上貴族が出入りする治安の良い城下町はともかく庶民街へのお忍びの許可が今までおりなかったのだが、騎士団長の父に師事し剣術・体術を学んでいるオリヴァーも一緒ならと言う条件で許可をルフトは漸くもぎ取った。無論秘密裏に離れた所からの護衛はあるのだが、それでもいつも外出の時にそばに護衛がぞろぞろついてくるという状況よりはマシなのもあってルフトの表情は明るい。
ヴァイスなどはミュラー商会の後継者扱いなので貴族向けの店だけではなく庶民向けの店などにも出入りしているし、月に一度下町で行われる市などにも気軽に出向いている。一度は行ってみたいとルフトが頼んでみると、許可が下りれば連れてってやる、と彼は了承してくれた。
「ルフト殿下。お待たせいたしました」
「いや、今来たところだ」
駆け寄ってきたのはイリス。シンプルではあるが可愛らしい深い赤のワンピースを着ており、髪も邪魔にならないように軽く束ねている。そんな彼女の後ろからヴァイスと、イリスの弟であるロートスもついてきていた。
「悪ィ。ちょっと商会に顔だしてたら遅れた」
「何か問題でもあったのか?」
僅かに眉を寄せてルフトがヴァイスに尋ねると、ちらりと路地の方へ視線を送る。
「いや。最近ちょっと質の悪い業者がこの辺で店出してるらしくてよ。今日取締の兵がガサ入れするって聞いてたから場所確認してきた。巻き込まれたら面倒だし。あっちの路地裏から、噴水広場の手前。あの辺は避けてくれ」
ヴァイスが視線を向けた路地の方をルフトとオリヴァーは確認する。視界で確認できる範囲に露天がいくつか並んでいたので、あの中に取締対象の店があるのだろうかと考えながら頷いた。折角もぎ取った許可を取り消されても困るし、本人に非がなくても巻き込まれてしまえばやはり危ないと以降許可を取るのが困難になる恐れがある。
「表通りの露天でも十分楽しめますわ、ルフト殿下」
「それもそうだな。イリスはここに来たことが?」
「えぇ。たまにロートスと。市の時は危ないからとヴァイスが一緒に来て下さいます」
「……イリス」
「はい?」
「その……口調なのだが……。今だけで構わないのだが、ロートスやヴァイスに対する崩し方を私にするのは無理だろうか」
少しだけ申し訳無さそうにルフトがそう呟くとイリスは瞳を丸くする。判断に迷っているのだろう、少し彼女が視線を彷徨わせたのに気が付きオリヴァーが小声で彼女に囁いた。
「是非お願いしますイリス様。私がこの様に堅物なせいもあって、ルフト様も息苦しいのでしょう」
ヴァイスとは逆に口調を余り崩すことのないオリヴァーが堅物だと己のことを揶揄したのが面白かったのか、イリスは小さく笑った。
「さぁ行きましょうルフト様!素敵なお店をたくさん紹介するわ!」
風切姫と似た凛とした容姿のイリスが可愛らしく破顔してそう言い放ち手を差し出すと、少しだけ照れたようにルフトはその手を掴む。それをオリヴァーは満足そうに眺めていたが、おや?と言うような顔をして足を止めたのでヴァイスが僅かに眉を上げた。
「どうした」
「いえ。今私達と同じ年頃の女の子があの路地に入ったようでしたので……大丈夫でしょうか」
「手前ェの仕事はルフトの護衛だろうが。放っておけ」
そう言われればルフトの護衛以上に優先すべきことではないと納得したオリヴァーは早足で歩き出したルフト達を追う。
光に反射する黄金色の髪の娘。ヴァイスは路地に入ってゆくその後ろ姿を眺め、忌々しそうに小さく舌打ちをした。
普段も庶民向けの店が並ぶ通りなのだが、今日は月に一回の市が立つ日である。流しの行商露天が所狭しと並んでいるのをルフトは珍しそうに眺めた。
露天を眺める分には構わないが買う場合は一応声をかけろとヴァイスに言われ、ルフトは首を傾げる。
「カモられんぞ。育ち良さそうに見えるし」
「服を変えてもだめか」
「駄目だな」
不服そうなルフトであるが、ヴァイスは大真面目にそう返答した。どっからどう見ても貴族のお坊ちゃんのお忍びである。それにはオリヴァーも仕方ないと言うように肩を竦めた。
「お、ミュラーの坊っちゃんと嬢ちゃん。今日はお友達と一緒かい?」
「そーだよ」
「嬢ちゃん!今日は可愛いアクセサリー入ってるよ!」
「ありがとう!でもこれからごはん食べるの。後でね」
「……馴染んでいますね……」
オリヴァーが思わず零した言葉を拾って、ロートスは眉を上げる。
「ヴァイスと姉さんはミュラー商会の関係者ってこの辺の人思ってるから。僕もまぁその弟的な感じで割と気軽に声かけられる」
「実際ヴァイスはそうですしね……。イリス様もですか」
「トラブル防止だって。何かあったらミュラー商会に通報して貰えるようにわざと会長とヴァイスが姉さんをそう扱ってる」
この下町に一番最初に来た時に、ミュラー会長がヴァイスと一緒に彼ら姉弟を案内してくれたのだ。それを見ていた者は関係者だと思っただろうし、直接見ていなくても誰かから話を聞いて知っていると言う者も多い。
そのおかげで悪質な詐欺行為にあったこともなければ割と皆親切にしてくれる、そうロートスが言うと、オリヴァーは感心したように前を歩くヴァイスの背中を眺めた。
彼の存在自体は割と整った容姿と言動のせいで人目を引きやすい。けれど彼はどちらかといえば、水面下で根回しや手配をするという裏方の方が得意なのだ。宰相補佐でもやれば十二分に手腕を発揮できるだろうが、オリヴァーの知る限り彼は昔から商会の方に力を傾けている。
武力方面では自分、政治方面ではヴァイス。ルフトの補佐としてその方がバランスが良いと個人的に思っているのに、政治方面は面倒臭いと余りヴァイスが興味を示さない。
オリヴァーとて決して商会を軽んじているわけではない。実際ミュラー商会が大破壊後、国の流通網を復活させた功績は大きいと思っているし、安定した流通を担うのはとても重要だと頭ではわかっているのだが、宰相の息子という肩書がありながら彼の二人の兄のように中央で活躍したいと言うような野心がない事がオリヴァーには不思議であった。
「ルフト様!これ食べてみませんか?」
「ああ。いいな」
屋台で買ったのであろう肉の刺さった串をイリスはルフトに差し出す。すると彼はそれを受け取り辺りを見回した。座る所を探しているのだろうと察したロートスは呆れたようにそばに寄って口を開く。
「道の端によって下さい。椅子はないから立って食べるんです。おじさん、そっちのジュースも頂戴。オリヴァー様、半分持って下さい」
「わかりました」
店主が準備する飲み物を持ち、ロートスとオリヴァーも少し遅れて道の端による。オリヴァーが持っていた飲み物をルフトとイリスに渡したのを確認してから、ロートスは一口だけ飲み物を口にするとそれをヴァイスに差し出した。
「悪ィな」
「いいよ。まだ飲み物はキツイだろ」
そのやり取りを眺めロートスが毒味をしたのかとオリヴァーは納得する。
半年ほど前にヴァイスは毒を盛られた。正確には毒を盛られたミュラー会長の巻き添えである。ミュラー会長は程なく回復したが、同じ毒であったのにも関わらず身体の小さい子どもであるヴァイスはあっという間に蝕まれ生死の境を彷徨った。
解毒薬を飲ませようにも精神的なものであろうか、何かを口に入れることすら身体が拒絶したのも回復が遅れた理由の一つであった。
そこまで考えてオリヴァーは思わず小さく吹き出す。それに気がついたイリスは不思議そうに彼の顔を眺めた。
「どうしたの?」
「いえ……申し訳ありませんイリス様。一角うさぎ解体ショーの話を思い出しまして」
「うちの使用人ドン引きした奴な。まぁ、あれなきゃ俺も飯食えるようになったかどうか怪しいけどよ」
「野生動物を捕まえようと思ったけど、一角うさぎしかいなかったんだから仕方ないでしょ!」
「野生動物だって十歳の貴族令嬢が捕まえて解体しようなんて思わないだろうよ」
「ノイ領民は小型の魔物だったらみんな解体できるわよぅ。私やロートスが特別って訳じゃないし」
不服そうな表情をするイリスにヴァイスは口元を緩める。
毒を盛ったのが顔見知りの商人だったこともあり、ヴァイスは結局世話をする使用人どころか、医師から受け取った薬さえ身体が拒絶するようになってしまった。
解毒薬に使う魔物由来の希少素材の在庫がミュラー商会になく、もしもあれば譲ってほしいとノイ家に打診があり、風切姫がミュラー家へ、子どもたちがアイゼン家へ届けた。
解毒薬を飲まなければ死に至るというのに、彼の身体がどうしても受け付けてくれない。本人も飲もうと思っているのに吐き戻してしまう。
父親である宰相も諦めかけたと後に周りに語っていた。
そんな中、ロートスとイリスが作ったと彼に持って行った解毒剤と薬湯だけは受け付けてくれたのだ。
理由は本人にも解らないのだが、多分大人に対する警戒心が強く出ていたのではないかと医師は言う。彼女らが作り運んだ具のないスープや粥だけは何とか受け付けるようになったが、それでも栄養不足が祟って毒が抜けた後も回復は思うように進まなかった。
何とか食事をと考えたノイ姉弟の出した結論が、オリヴァーの言う一角うさぎ解体ショーである。
許可した宰相も宰相であるが、やってのける姉弟も姉弟である。
郊外で捕獲した一角うさぎをアイゼン侯爵家の庭、ヴァイスの目の前で解体して調理したのだ。アイゼン家の庭で栽培されている野菜と解体された肉。それを串に刺しただけのものを使用人が庭に急遽設置したカマドで焼いた。
粥やスープしか食べれていないヴァイスには明らかに重い食事であったのだが、毒を警戒しなくても良いと言うのが目視で確認できたのが良かったのだろうか、その時ヴァイスは久々にまともな食事をとった。後で死ぬ程胃もたれしたが。
元の素材のわかる焼くだけの料理であるなら調理している所を確認できれば、姉弟が作らなくても受け付けるようになったのは程なくして。
その後徐々に慣らして今に至る。
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