第3話
そろそろいいか、そんな事をヴァイスが呟いたのでイリスは不思議そうに首を傾げるが、赤い花を己の胸に飾り襟元を直したヴァイスが手をとったので驚いたように瞳を見開く。
「殿下の所までエスコートする事をお許しください、イリス嬢」
そう言われてイリスはホールに視線を滑らせる。第二王子の周りが少々空いてきているのを確認して納得したように頷いた。
「殿下」
「ヴァイス。イリス嬢も一緒か」
「はい」
人の輪をやんわりとかき分けてルフトはヴァイスとイリスの前へ進み出ると笑顔を向けた。
ヴァイスは握っていたイリスの手を取るように無言でルフトに促す。
「一曲踊っていただけますか?イリス嬢」
淡く微笑んだイリスは差し出されたルフトの手に視線を送ると、ほんの僅かだけヴァイスの握る手に力を込めてきた。緊張しているのだろうと思ったヴァイスはゆるく握り返す。
「はい。喜んで」
ルフトの手を取り一曲踊るためにホールの中央へ移動する二人の背中をぼんやりと眺めていると、肩をぽんと叩かれ驚いたヴァイスは振り返る。
「助かった。いつまで経っても帰れない所だったよ」
「風切姫」
「こんな年寄を捕まえて姫はやめてくれ」
笑うシュトルムはヴァイスを連れて壁際に移動すると、休憩用のソファーに腰を下ろして長い足を組んだ。そして愛娘に視線を送りながらぽんぽんとソファーを叩く。
隣に座れという事だろうか、少し思案した後にヴァイスは彼女の隣に腰を下ろした。
「宰相閣下のご子息だね」
「ヴァイス・アイゼンと申します」
「あぁ、言葉遣いは庭での感じで構わないよ。私も堅苦しいのが苦手でね」
「……あの距離で聞こえていたのですか?」
ヴァイス達のいた庭はシュトルムのいた場所からかなり離れている。怪訝そうなヴァイスの表情を見て、シュトルムはいたずらの成功した少年のように笑った。
「この程度の距離なら風魔法で道を作ってやれば聞こえる。内緒話には防音魔具を使うことをお勧めするよ。こんな風にね」
軍服の胸ポケットに入れている魔具のスイッチをシュトルムが押すのを眺めてヴァイスは口を開いた。
「覚えとく。つーか、そんな小型のモンあんのかよ」
「良いだろう?夫にねだって作ってもらった。風魔法で空気の振動を遮って擬似的に防音はできるんだが微調整が面倒でね。魔具は楽で良い」
「俺になんか用?」
一瞬で口調が砕けたヴァイスに満足そうにシュトルムは笑うと言葉を続けた。
「礼を言おうと思ってね」
「エスコートの件なら二人の間を取り持つように親父に言われてたし、風切姫に礼を言われる筋合いはねぇんだけど」
「そっちではないよ。君が怒っていたからね」
「……何だよそれ」
「あの子が国の人柱になる事に腹を立てていただろう?」
人柱と言う言葉にヴァイスは僅かに眉を上げる。その子供らしからぬ仕草にシュトルムは困ったように微笑んだ。
「大人が不甲斐なくて済まない。あの子の優しさを食いつぶす羽目になっている。仕方ないと諦めて。……だから家族以外の誰かがあの子の為に怒ってくれたのが私は嬉しかった」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。仕方ねぇって俺だって思ってる。けどムカついただけ」
「……きっと君との約束はあの子にとって支えになるよ。己の幸せを願ってくれる存在と言うのは尊いからね」
「願うだけじゃ意味ねぇだろ」
「違いない。けれど君は意味がないという事を識っている。それも大事だ」
ヴァイスの冷ややかな言葉にシュトルムは咽喉で笑いながらそう返事をする。庭での会話を盗み聞きした時は随分子供らしくないと思ったのだが、世界に、国に、大人に憤っているのだと思えば納得もできたし逆に幼くも見えた。酷く歪だと感じながらもシュトルム個人としては好感を抱く。
「ところで。君はあのおとぎ話を知っいるのかい?さっきうちの子と花を交換していただろう」
「おとぎ話?」
先程までの冷ややかな表情を一変させてヴァイスが年相応に驚いた表情を作る。それを眺めたシュトルムはつまらなさそうに口を尖らせた。
「なんだ知らないのか。つまらない」
「……つまんねぇって何だよ。どんな話か聞いてイイか?」
まだ緩やかな円舞曲は続いている。それを聞きながらシュトルムは口を開いた。
それは彼女の生まれ故郷に伝わるおとぎ話。
長い長い旅の話。
終わらない絶望と、後悔と、憎悪を抱えて、旅人は円環の悪夢に囚われる。愛しい人を救えないと嘆き、それでも諦めきれずに長い旅をして世界を渡る。
繰り返す悪夢の果てに旅人はそんな絶望のセカイを作った神をも殺した。
──喜べ旅人よ!お前は閉じた六つのセカイの円環を切り裂き、七つ目の世界へたどり着いた!
──世界を切り裂いた刃を捨て、愛しき人に白い花を贈り、鮮血の赤い花を川に流せ!さすればお前の悪夢の旅は終わり、愛しき人と新たな旅路を歩めるだろう!
誰かの声に導かれて、円環のセカイの果てに旅人は未来ある世界へたどり着いた。
そして旅人は刃を捨て白い花を手折る。愛しい人のために。悪夢を終わらせるために。
鮮血の赤の花を持った愛しい人に白い花を贈り、共に赤い花を川に流す。
──悪夢の旅は終わり、幸せな旅が始まった。
「……続きは?」
「めでたし、めでたしで終いだよ。ここは七つ目の世界で悪夢の終わり。若者よ絶望に囚われず希望を持て!愛しき人は君を待っている!そんな教訓めいたおとぎ話かな。故郷の祭りでは娘が赤い花で髪を飾り、男は恋した娘に白い花を贈って髪を飾る。二人で川に赤い花を流せば末永く幸せになれる、そんな浪漫溢れる風習の元ネタって奴だね」
「初めて聞いた」
「そうか。君が白い花であの子の髪を飾ったから知っているのかと思ったが偶然か」
「……寧ろ知っててやったら問題だろ」
「どうして?」
「アイツは第二王子の婚約者になる」
不機嫌そうに言い放ったヴァイスの顔を眺めると、シュトルムは手を伸ばして彼の胸を飾る赤い花を引き抜いた。
「君がもしも六つのセカイを渡ってきたのなら赤い花は円環の悪夢の象徴。これは私が川に流しておこう。君が円環の悪夢に囚われないように」
「意味が解らねぇよ。つーか、おとぎ話だろ」
睨むようにヴァイスはシュトルムに視線を送ったが、彼女はイリスに良く似た表情で柔らかく笑った。
「そうだね。けれど私は君の旅路の幸せを願ってる。君が我が愛しい娘の幸せを願ってくれている様に」
「ノイ伯爵家は揃いも揃って頭おかしいのな」
「夫を筆頭にね。まぁ、イカれてなければあの人の妻などやってられないよ」
咽喉で笑ったシュトルムは赤い花を己の胸に差して魔具の防音機能を切る。話は終わりなのだろうと判断したヴァイスはもう一度シュトルムの顔を眺めて、ほんの少しだけ寂しそうに瞳を細めた。
一方。
ルフトはワルツを踊りながらイリスの黒い髪を眺める。比較的明るい髪色の多いこの国では珍しい色。もともとノイ伯爵家は黒や濃いめの茶の髪を持つ者が多いのだが、彼女の場合は遡れば東方の国に至る家系である母方の髪質だろう。さらさらとワルツに合わせて揺れる髪は癖もなく直ぐに元に戻る。その髪に飾られる白い花。
「……あの……髪……どこかおかしいでしょうか」
僅かに顔を伏せながら踊っていたイリスが、恐る恐ると言うように声をかけてきたのでルフトは瞳を細めて笑った。
「綺麗だと思って。白い花もよく似合ってる」
「ヴァイス様がこちらの花の方が良いと」
「へぇ、珍しい」
「え?」
「彼は……なんというか個性的でね。余り他人に興味を持たないんだ」
乳兄弟として育っているので一緒にいることが多いのだが、そんなルフトから見ても少々ヴァイスは型破りであった。
礼儀作法も言葉遣いもやろうと思えば完璧にできるし、何をやらせても苦もなく習得する。ただやらない。それが問題なのだと宰相などは頭を抱えているのだが、本人はどこ吹く風で最低限しか労力を割かない。
しかしながら叔父であるミュラー会長には懐いているし、商売には興味があるのか積極的に学んでいる。はじめこそ侯爵家に生まれた優秀な甥に商人の真似事などさせて良いものかとミュラー会長も悩んだようだが、アンタも侯爵家の生まれじゃねぇの?と言われ結局今に至る。
黙っていれば顔立ちも整ってるし宰相の息子で第二王子の乳兄弟と言う事もあって貴族令嬢を面白い様に引き寄せるが、基本本人が無関心の上に周りが引くほど塩対応なのもあり遠くから眺めるだけの者も多い。
仲良くなれば面倒見は良いと個人的にルフトは思うのだが中々そこまで至らないのだ。
「私に気を使って下さったのだと思います。殿下の所までエスコートもして下さいましたし、宰相閣下に言い含められていたのでは?」
イリスの言葉にルフトは、そうか、と納得する。実際パーティーの前に、もしも貴族令嬢に囲まれてイリスがそばによれなさそうならば自分が連れてくるから上手くやれ、そうヴァイスに言われていたのだ。
婚約に関しては横槍が入らないように、現在水面下で最低限の人数に絞り話を進めている。会場にいる貴族達の知る所ではないので、いつも通り人が集まると予測したヴァイスが気を利かせてくれた形となる。
「……私はいつも彼に助けられてる。今回も助けられたようだな。迎えに行けず済まないイリス嬢」
「いえ。こちらこそお誘い頂いていたのに……」
「これから彼も含め良い関係を築けることを願ってる」
ルフトが微笑みながらそう言葉を零すと、イリスは小さく頷いた。
緩やかな円舞曲が終わり、ルフトはイリスの手をとってシュトルムの所へ移動する。ルフトがおや?っと思ったのは、いつもならば用事が終わればさっさと退散するヴァイスがまだシュトルムの隣にいたからだ。
彼が自発的に残ったと言うよりはシュトルムが引き止めたのだろう、そう思いながらルフトは彼女の前へ立つと挨拶をする。
「イリス嬢をお返しいたします風切姫」
「……ふむ……流石に殿下だけだと露骨か」
ソファーから立ち上がり言葉を零したシュトルムを眺め、ルフトは困惑したような表情を作る。するとシュトルムはちらりと隣に立つヴァイスに視線を送りニンマリと笑った。
「君。ダンスは踊れるね」
「ワルツ好きじゃねぇんだよ」
「好きじゃないと言うだけで踊れないと言わない辺りが正直でイイ。イリス。あと二曲ほど頑張れるかい?」
ヴァイスの砕けた口調にルフトはぎょっとしたが、シュトルムに気にした様子がないので黙って話を聞く。
そしてルフトが手を握るイリスは小さく頷いた。
「あと一人はどうしようか。君、イリスの相手をできそうな知り合いはいないかい?」
「騎士団長の息子のオリヴァー・ゲルツ。さっき姿見かけた」
「ゲルツ……あぁ、第二騎士団の団長か。なら顔見知りだし私からでも頼めそうだ」
「俺が呼んで来るからそっちにダンス頼めよ」
「殿下と宰相閣下のご子息、騎士団長のご子息。この辺りならば私が先の魔物討伐での活躍の褒美に娘と踊ってもらえるよう頼んだと言う形にしやすいだろう?まだあの話は公にできないしね」
そこまで言われればルフトもイリスも彼女が露骨だと言ったことに納得する。
「親バカって言われんぞそれ」
「最高の褒め言葉だよ。私の報奨代わりだ、諦めて可愛い我が娘と一曲踊ってくれヴァイス」
呆れたような諦めたような顔をヴァイスはしたが、小さく息を吐いた後にイリスに手を差し出した。
「一曲よろしいですか、イリス嬢」
「はい」
そしてルフトの手からイリスの手を受け取ったヴァイスはちらりとルフトに視線を送った。
「少し借りる」
「イリス嬢はとてもダンスが上手かったよヴァイス」
余程の理由がない限り令嬢と踊らないヴァイスが、シュトルムにゴリ押しされて引き受けたのが可笑しかったのか思わずルフトは口元を緩める。
「では次の報奨を捕獲してくるとしよう。殿下、御前を失礼いたします」
緩やかに礼をしたシュトルムに、ルフトは淡く微笑んだ。
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