第19話

「……すみません」


 雅樹が去ったあと、黒兎はいずみに謝罪した。多分彼女は良かれと思って雅樹を連れてきたようだが、黒兎は雅樹にだけは知られたくないと思っている。


「いえいえ」


 いずみは笑う。そして珍しいですね、とベッドのそばにパイプ椅子を持ってきて座った。


「先生が感情的になるの、初めて見た気がします」


 いつもにこにこーって穏やかなのに、と言ういずみは、自分だけ呼び出された理由に勘づいているようだ、すぐに声を落とす。


「それで、襲ってきたってのは……内田さん?」


 黒兎は小さく頷いた。いずみが息を飲む気配がする。

 また付き合ってくれと迫られ、断ったら暴行された。そしていまだ逃走中らしいことを説明すると、いずみは眉間に皺を寄せる。


「思ったより厄介な人ですね」

「ええ。……だから皆川さんには全て話そうかと」


 いずみは頷いた。


「実は俺、長年片想いしてる人がいて……」


 当然相手は同性なので、告白するつもりはないと内田にも説明した。内田は以前黒兎を襲った時には、それが自分だと思い込んでいたようだったが、昨日は自分じゃないと再び突きつけられ、逆上した。


「それだけ思い込み激しいのに、営業は上手かったんですね」


 いずみは苦笑する。黒兎は内田さんの気持ちも分からなくはないんです、とつられて苦笑した。


「ただでさえ両想いになる確率が低い性指向なので、何が何でもって思ってしまうのは……」


 それに、と黒兎は続ける。


「俺の片想いの人は……身近にいるんです。そちらに矛先が向くのは、どうしても避けたい」


 そこまで言って、黒兎は内田の言葉を思い出した。


『俺が! こんなに想ってるのに! 何で分からない!?』


 グッと胸が重くなる。本当は、雅樹とこんなに距離を詰めるつもりじゃなかった。


「……先生?」


 いずみに呼ばれて黒兎はハッとする。


「ああすみません。あと、……ご迷惑ばかりかけて……」

「いえ……」


 いずみは微笑んだ。いくら黒兎の事を、人間的に好きと言われたとはいえ、甘えすぎではないかと胃がヒヤリとする。


「……その片想いの方に、事情は話してるんですか?」


 遠慮がちに踏み込んでくるいずみに、黒兎は小さく首を振った。


「言えるわけないでしょう」

「でも、失礼ですけど、先生の交友関係ってそんなに広くないですよね? 内田さんなら手当り次第ってことも考えられませんか?」


 なるほど痛い所を突いてくる、と黒兎は短く息を吐いた。警察に通報したとはいえ、家の近くで遭遇してしまったし、捜査の目をかいくぐって接近してこないとも限らない。


「……引っ越した方が良いでしょうか?」

「そうですねぇ……」


 いずみは曖昧に返事をした。話はしたものの、これ以上彼女と親しくするのも危険なような気がする。


「あの、皆川さんともしばらく会わない方が良いと思うんです……」


 すると彼女はハッと顔をこちらに向けた。そしてその顔が案の定、怒気を孕んでいく。


「ここまで話しておいて突き放すとか……ホント綾原さんムカつきます」

「……すみません」

「謝れって言ってるんじゃないんですよ。こっちは友達として、貴方を助けたいって言ってんです」

「と……」


 友達とは、と黒兎は目をぱちくりさせた。確かに人間的に好きだとは言われたけれど、黒兎といずみは友人関係ではない、はずだ。


 するといずみは、ああやっぱり、と更に目をつり上げる。


「分かってなかったですか? そうじゃなきゃ、営業以外でこんな世話、焼きません」

「……」


 いずみの勢いに押されて呆然としていると、私ね、と彼女は息を吐いた。


「弟がパワハラを受けて、今もまともに動けない生活してるんです。綾原さんをそうさせたくない」


 どうやら彼女は、黒兎と弟を重ねて見ているようだ。好きだからこそ、追い詰められてるの見てて、辛いんです、助けたいんです、と力説され、黒兎はじわりと目頭が熱くなる。


「何で……? 俺はめんどくさいでしょう?」


 いずみの言葉を素直に受け止められずにそう言うと、いずみはそうですね、と真顔で答えた。


「やんわり笑顔でこっちを拒否ってるんです、いつも。私が好きだって言ってるのに……どうして分からないんですかねぇ?」

「……」


 まさか、好きの意味が違うとはいえ、内田に続き、いずみにも同じことを言われるとは思わなかった、と黒兎は思う。好意に気付けなくてごめんなさい、と言うと、それが綾原さんなんですから良いです、と言われ複雑な気持ちになった。


「でも、その柔らかい壁を取っぱらっちゃう人が出てきて、私、嫉妬もしてるんですよ」


 後から綾原さんと知り合いになったのに、といずみは口を尖らせた。黒兎はドキリとして、目が泳ぐのを自覚する。その黒兎の様子を見て、いずみは次にニヤリと笑った。


「もしかして、木村社長は綾原さんのタイプだったりします?」

「……えっと……」


 まさかここまで言い当てられるとは、と黒兎は狼狽した。しかし、黒兎が黙れば黙るほど、いずみの勘が確信になるような気がして、諦めて白状することにする。


「……実は、高校の同級生だったんです」


 向こうは初め、気付かなかったみたいですけど、と付け足すと、いずみはそれならそうと言ってくださいよ、と笑った。しかし、次の瞬間には真顔になり、悲鳴を上げそうになって口元を押さえる。


「ま、ままままままさか、その、長年片想いの人って……っ」


 なぜかテンションが跳ね上がったいずみに、黒兎は苦笑する。


「はい。だからさっきは事情を話したくなかったんです」

「ひゃーっ! 綾原さん面食いな上にスペック高いの好きなんですね!」


 そりゃ内田さん振られるわ、と謎のテンションで騒ぐいずみ。ここが個室で良かった、と黒兎はホッとするのと同時に、少しだけ心が軽くなった気がした。


「でも、彼は好きな人がいるみたいですよ」


 それに、想いを伝えるつもりはないから、内緒にしていてください、と黒兎は言うと、いずみは無言でコクコクと何度も頷いた。

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