ボーイ・ミーツ・ガール / 頼み事
「私がした神話生物の説明は覚えてる?」
話しながらでも、
「もちろん、覚えてますよ」
人間の感性では理解できない生物たち。
最初は彼女の話を半ば疑っていた。しかしザリガニ星人との
俺はその説明を思い出す時に、疑問に思ったことを彼女に聞いた。
「神話生物は《
「良い質問だね。それは、彼らの習慣と関係してるんだ。神話生物の中には、私たちのように社会性を持ち、集団生活を送る者たちもいる。ザリガニ星人もその一つだ。そういう奴らの多くは、星の巡りに合わせて儀式を行う習性がある。その
ザリガニ星人に運ばれていた3人の生徒も儀式の生贄にされる予定だったのだろう。それを思うと、俺ははらわたが煮えくり返るように感じた。
「手当終わり」
包帯の端をテープで止めると、森林木は散らばっていたガーゼや包帯を片づける。
「すいません。ありがとうございました」
丁寧に巻かれた包帯を見ると、脳裏に焼き付いた異形の怪物の恐怖が薄れるような気がした。ザリガニ星人から逃げ切ったことを実感し、緊張の糸が切れたようにどっと疲れがやってくる。
「さっきの話の続きだけど......。どうしたの?そんなにじっと見てきて」
「森林木さん、鼻血が」
彼女の鼻の下に赤い線ができている。それをガーゼで拭き取ると、真っ白なガーゼが鮮かな赤で汚れた。
「ごめんね。お見苦しいものを」
「大丈夫ですか?」
「うん。きっと呪文を使ったせいだね」
呪文という聞きなれない言葉の響きで、俺はザリガニ星人を焼いた青い炎のことを思い出した。
「まるで魔法使いみたいですね。呪文を使えるなんて」
「そんなファンタジーなものじゃないよ。集めた呪文は使い物にならないものばかりだし」
「例えば、どんなのがあるんですか?」
「神話生物を召喚する呪文」
「絶対に役に立ちますよ。映画みたいに、それで戦ったりとか」
「いや、召喚するだけで言うことを聞いてくれるわけじゃないんだよね。最初に使った時は、そのまま自分が襲われたし」
「確かに、使い物にはならなそうですね」
「そうなんだよ。しかも、かなり体力を使う。だから、呪文はいざという時の切り札なんだよ」
「話を戻すけどさ。頼み事ってのは、まさにザリガニ星人に関することなんだ」
俺は異形の怪物を思い出して背筋に悪寒が走った。小刻みに震える手を森林木に見られないように、両手を背中の後ろに隠す。
「彼らは今、鏡ヶ原市で儀式を行おうとしている。今日、学校にいたザリガニ星人もそのための生贄を集めていたんだ。私はその儀式に用があって、ここに来た。だけど、私はここに来たばかりで土地勘がなくてね。誰かこの町に詳しい協力者が欲しいんだ」
儀式に用がある。やけに含みのある言い方だと思った。
「要するに、その儀式を止めたいってことですか?」
「理解が早くて助かるよ」
儀式を止めるということは、ザリガニ星人と再び遭遇する可能性があるということだ。
「危険すぎませんか?警察に相談した方がいいんじゃ......」
「仮に相談したとしても、証拠がなければ取り合ってもらえない。それに、警察じゃきっと無理だよ」
「いや、警察ですよ。無理なんてことは......」
「人数が多いとか武器があるとか、そういうのは問題じゃないんだ。精神の問題だよ。警察はまともな人たちの集まりだ。彼らは人智を超えた恐怖に耐えきれない。正気なままじゃ狂気には打ち勝てないんだよ。狂気と戦えるのは狂気だけだ」
そう語る森林木の目には説得力があった。
「それを言うなら、俺だって普通の人ですよ」
「キミはもう普通じゃいられないよ。一度でもこちら側に足を踏み入れた者には、神話生物の影が付きまとう。
「見たくて見てたわけじゃないんですけど。深淵さんって訪問販売の押し売りみたいなことしますね」
正直に言うと、俺は彼女の頼み事を引き受けたくはなかった。今日だけで神話生物の恐怖を痛いほど、文字通り傷跡と痛みを伴って体験した。忌まわしいザリガニ星人の姿を想像すると、思わず身震いしてしまう。俺は今日起こった恐怖の出来事をきれいさっぱり忘れて、元の平和な日常に戻りたかった。
「安心しなよ」
柔らかな声だった気がする。その言葉を聞くと、手の震えが収まったように感じた。
「私がキミを選んだのは、単に顔見知りだったからってだけじゃない。私はキミの技能を買っているんだ。危機察知能力、それに機転も利く。私はそれに二度も助けられた。どっちも私はない技能だからこそ、キミに協力してほしいんだ」
森林木はじっと俺を見つめる。彼女の
「強情だね、キミは。そんな人間らしいキミには、もっと人間らしい理由をあげよう。ザリガニ星人は儀式のために何十人と生贄を集めている。何もしなければ、何も知らないこの町の人たちが犠牲になっていく。3人の生徒みたいにね。それを見殺しにするのは、キミには目覚めが悪いんじゃないかな?」
彼女の言う通りだ。再びあの怪物に遭遇するのは恐ろしいが、自分の周りの人たちが巻き込まれることを想像するともっと恐ろしくなる。それを知って何もしなければ、俺はきっと許されないだろう。俺は決意を固めるように、ぐっと手に力を入れた。
「それで、俺は何をすればいいんですか?」
俺の言葉を聞いて、彼女の表情が少し明るくなったように見えた。
「それは引き受けてくれるってこと?」
「やります。見てしまったからには、もう目を逸らせません」
「いいね。キミがやることは簡単だ。私の目と耳になり、感じたことを伝えるんだ」
「森林木さんは?」
「手と足になり、キミを守るよ」
「頭はないんですか?」
「あ、忘れてた」
「先が思いやられますね」
「映画だと、頭が悪いキャラクターの方が生き残ってるよね」
「『悪い』のと『ない』のじゃ大違いだと思いますけど......」
物語の幕開けにしては、何とも締まらないやりとりだと思った。
スマホを見ると、家族からの連絡が来ていた。遅くに帰ることが珍しい俺のことを心配しているみたいだ。俺は謝罪しているクマのスタンプを選び、家族のグループに送信した。
「今日はもう遅いし、詳しいことはまた今度話すよ」
「わかりました」
俺は立ち上がり、切れ目ができた学ランに袖を通す。左腕にはまだ痛みがあるが、荷物を背負って自転車を押すくらいはできるだろう。
「送っていこうか?」
「大丈夫です。もう痛みも引いてますし。それに、森林木さんに一人で夜道を歩かせるわけにはいきません」
森林木もすっと立ち上がる。
「じゃあ、見送りだけしようかな......。待って」
彼女は手を伸ばした。彼女の柔らかな指先が俺の
「唇が切れてる。私が叩いた時かな。ごめんね」
俺は驚いて後ずさり、動揺を誤魔化すように言う。
「全然、痛くないですよ。こんなのすぐに治ります」
右の
「ならもう片方も叩こうかな。そっちの方がバランスいいよね」
「それは勘弁してください」
「ふふ、冗談だよ。ありがとね。頼みを引き受けてくれて」
「こっちこそ。手当、ありがとうございました」
俺はそう言って森林木の部屋を出た。階段を下りて、駐輪場から自転車を取り出す。左腕は少し痛むが、このまま自転車を押して帰ることはできるだろう。
問題は破れた制服と怪我のことを親にどう言い訳するかだ。そのことを考えると、少し
「
声の方向を見ると、アパートの2階から森林木が顔を出していた。
「また明日、学校で」
そう言って、森林木は手を振っている。俺も手を振り返した。彼女は無表情だったが、どこか上機嫌なように見えた。
自転車を押すと、車輪の回る音が小気味よく鳴った。5月の夜風の涼しさは、歩いていても感じられる。再びアパートの2階を見ると、森林木はもういなくなっていた。
大通りには、絶えず車のヘッドライトが流れている。近道をするために、大通りから外れて路地裏に入ることにした。薄暗い夜道を歩いていると、俺は後ろに気配を感じた。振り返ったが、路上にいたのは一匹の猫だった。俺と目が合うと、猫は電灯が照らす明かりから出て、夜の闇に消えていく。
俺は悪い想像を頭から追い出すように、考え事を始めた。まずは、破れた制服と怪我の言い訳を考えなければならない。自転車で転んだことにするのは、果たして
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