アウタ-ゾーンから来た女

佐藤万象

プロローグ

 それは突然の出来事だった。とある日曜日の朝、いつものように彼は目覚めて着替えを済ませたところだった。すると、急に不思議な感覚に襲われた。何だろうと思い、辺りを見回すと傍らの壁の一部に直径十五センチほどのボヤけた黒いシミのようなものを見つけた。そのシミが何故だかわからないがドンドン大きさが広がって行き、見る見る直径六十センチくらいまで拡大したところで止まった。

 近づいてよく見ると、シミの縁の部分が音もなくゆらめくように、ゆっくりと息づくように回転しているのが判った。指先でシミの黒い部分に触れてみた。指は何の抵抗も感覚もなくスーッと中に吸い込まれていく。ヤバイっと思って慌てて指先を引き抜いた。そのままにしていたら、身体まで吸い込まれてしまいそうな気がしたからだった。

 しばらく眺めていると、シミの真ん中から指が一本現れた。しかし、ことはそれだけでは終わらなかった。指は見る見るうちに手首まで出てきたかと思うと、腕の付け根あたりまで出てくると何やら空間をまさぐるよう仕草を見せると、ほんの少しだけ動きを止めた。

 細くて真っ白な腕だった。これだけ白くて細っそりとした腕なら、きっとこの腕の持ち主は若い女に違いない。そんなことを思うこともなく考えていると、それまで動かないで宙ぶらりんのままになっていた腕が、内部のほうに少しだけ引き込まれたように見えたが、次に頭と肩が出てきた。

『お、女だ。金髪だ。外人だぞ。しかも裸だ。何だ、何だ、何だ…。これは、何だか知らないけど、ヤバいんじゃネェ。これって……』

 そんなことを考えなから眺めていると、女はシミの中から体を抜け出すと音もなく畳の上に仰向けに倒れ込んだ。何という見事なボディの持ち主だろうか。ふたつの乳房がこれでもかというように激しく息づいているのが妙に艶めかしかった。女は疲労困憊しているのか、なかなか身動きもできないらしく肩で息をしている。彼は後にも先にもこんなパーフェクトに近いもの凄い身体というか、とにかくこんなに見事な「おっぱい」というか、アメリカの男性誌に登場してくるモデル嬢でも、これほど完璧なヌードは未だかつて見たことがなかった。

 ようやく体制が整ったのか、女が上半身を起こしてきた。彼と眼があった。女は別段悪びれた様子もなく、彼の顔を見てニッコリと微笑んた。彼は目のやり場に困ったが向こうは一向に気にする様子もなく、見事な胸を隠そうとする素振りも見せない。

「あら、突然お邪魔して失礼します。ご迷惑だったかしら……」

「お邪魔とか迷惑なんてどうでもいい…、きみは誰…。どこから来たの…。どうして裸なの……」

 彼は驚愕のあまり、矢継ぎ早に質問を繰り返した

「これは失礼をいたしましたわ。それでは自己紹介をさせていただきます。わたくしアウターゾーンからまいりました、ウェイパークスと申します」

「な、な、な、何、そのアウ…、アウ…、アウターゾーン……って、何なんだあー、ホントに、オレ頭がおかしくなっちまったのかよ……、それに何で女が素っ裸なんだよ。そうだ。オレはきっと悪い夢を見てるんだ…。そうに違いない……」

「これは夢ではありません。どうか、落ち着いてください。いまわたくしがご説明をいたしますので、気をお確かにお持ちください」

「これが夢じゃないって……、じゃあ、何で裸なんだよ。うわぁー、と、とにかく上に何か着ろよ…」

 傍らに置いてあったは着替え用のシャツを女に手渡した。

 彼の名は龍彦龍彦。昔「龍彦たつひこ」という漫画家がいたが、それとはまったく関係がないということを書いておこう。龍彦は勤めていた会社が倒産という憂き目に遭い、現在ニート中というのが彼の立場である。

着替えを受け取った女はシャツは着たもののボタンを填めると、あまりにも見事すぎる胸にボタンが今にも弾けて飛び散りそうで、シャツの胸の部分には乳首がはっきりと浮かび上がって見えていた。

「ダメだ、こりゃ新しいのを買わないと、買ってこいと言ってもこれじゃ、外にも行けないだろう…。かと言って、まさかオレが買いに行くわけにもいかないし困ったな…。第一オレは女物の服や、まして下着類なんて買ったこともないし、どうすりゃいいんだぁ…」

 あまりに突然の出来事にすっかり気が動転した龍彦は、頭の中が混乱していて自分が何をすればいいのかさえ、分からない状態に陥っていたのだった。

「あのぉ…、わたくしのことはどうぞお気遣いなく、自分のことは自分で何とかしますから、ご心配には及びませんわ」

「何とかするったって、スッポンポンの裸でどうするんだよ。一体…」

「わたくしは先ほども申しましたが、アウターゾーンからやって来たアンドロイドですの。では、ちょっと失礼いたします」

 そう言うと、彼女は何かを操作したのか、たちまち全身は見事な服装に包まれていた。

「うわぁ、何がどうなってんだ。まるで仮面ライダーみたいじゃないか…。君は一体何なんだよ。ホントに…。それに、そのアウターゾーンてのは何なんだよ。もう少し解りやすく説明してくれないと、オレには全然解らないんだから……」

「それでは、ご説明いたしますわ。アウターゾーンとは、Outerつまり外面・外側を意味しまして、Zoneは地域・地区を意味します。ですから、アウターゾーンはあなた方には見ることも触れることも出来ない、まったく次元の違う世界なのです。今の説明で少しはお判りいただけたでしょうか。龍彦さん」

「う……、分かったようなわからない話だけど…、でも、どうしてオレの名前を知ってんだ。オレはまだ名乗ってないけど……」

「それは、わたくしがアンドロイドで体の中に、あらゆる言語に関する翻訳機能が設置されておりますので、例えば、ミミズの言葉でも翻訳は可能です。もっとも、この場合はミミズに言語があればという前提が付きますが、このようにして、わたくしは龍彦さんの意識の中を検索して、あなたのお名前を割り出しました」

「え、それじゃ、オレの考えてることが全部わかっちまうじゃないか……」

「はい、その通りです。あなたは今、わたくしの身体について普通以上に興味を抱いていらっしゃいます。そして、貴方はこう考えていますね。

『この女は見かけは普通の女に見えるけど、アンドロイドってロボットみたいなもんだろう。ロボットと同じなら、もちろん性行為なんてできないよな……』と、こうお考えになっいましたね」

「うわぁ、どうしてそんなに人の心を読むんだよ…。それって、人権蹂躙じゃないのかぁ…、豪いこっちゃ、これは……」

 何でも自分の心の中を読み取られて、龍彦は悲鳴に近い声で言った。

「だから、あまりにも普通じゃないことばかりで、オレの頭ん中は錯乱状態なの…。もっと解りやすく説明してくれないと、オレには理解できないって言ってんだろう。だから、もっと解りやすく……」

「解かりました。それではご説明いたしましょう。まず、わたくしのことからお話しいたしましょう。わたくしはアウターゾーンに棲む者によって、地球人類により近い形態で創られたアンドロイドではありますが、あなた方の考えているようなアンドロイドではありません。わたくしの場合は地球人類にもっとも近く、それ以上に人間と呼ばれている生き物に、近い構造に創られていると聞いております」

「じ、じゃあ、聞くけど、その人間に近い構造ってのはどういうことなんだよ」

「はい、わたくしの体内構造はAIと動力部を除けば、ほぼ人間と同質の機能を持つ物質で造られています。ですから、人間の女に備わっている機能はひと通り揃っています。ですので、先ほど龍彦さんが懸念されていた、性行為だって人間の男が欲求する満足度以上のものをお与えすることも可能なのです。

 もし、龍彦さんがお望みなのでしたら、今すぐにでもお試しいだいても構いませんことよ。どういたします……」

「い、いや、それはいい…。きみの話はようやくオレにも理解することができたよ。表面的なところはね。だけど、それってあくまでも見た目だけってことなんだろう。分からないけど……」

「と、申しますと…。わたくしには理解できないのですが、どういうことですの…」

 女は初めて困惑の色を浮かべた。

「つまり、いくら人間に近い構造かも知れないけど、見た目だけなんだろうって言ってるんだよ。人間なら刃物で傷つけたり怪我をしたら、その部分が切れたりして、そこから血が流れるだろう。その点、きみはアンドロイドだから、血なんか出ないんだろうな…」

「ああ、そういうことでしたか。それでしたら、龍彦さん。あなたはいまナイフとか刃物の類はお持ちでしょうかしら…」

「ナイフはないけど、カッターナイフくらいならあるよ。でも、どうするんだい。そんなもの…」

「それで構いません。わたくしに貸してくださらない」

「いいけど…。でも、どうするんだい。そんなもので…」

 山之内は机の引き出しを開けて、カッターナイフを出して女に渡した。すると、女は着衣を捲し上げると、大腿部まで露わにして龍彦にこう言った。

「いいですか、龍彦さん。よくご覧になっててください」

 女は自分の大腿部を手に持ったカッターナイフで、十センチほど切りつけた。

「うわぁ、何するんだよ。危ないじゃないか…」

 女が切った傷口から鮮血が辺りに飛び散った。

「大丈夫ですわ。龍彦さんが心配するには及びません。わたくしの身体は超細胞でできておりますので、すぐに元に戻りますのよ」

 女の言うとおり、龍彦が見ているうちに傷口は、動画を逆再生するような形できれいさっぱり消え去って行った。

「で、でも、ビックリしたなぁ…。もう…、だけど、どうしてそんなに早く傷口が元通りに治ってしまうんだい。その辺がどうもオレには理解できないな……」

「それはですね。わたくしの身体を構成している超細胞は、地球人類の約一億倍という速さで再生活動をしております。あなた方でしたら、傷口の回復に十日や二十日はかかるはずです。ところが、わたくしたちはほんの一秒にも満たないうちに回復してしまうのです」

「なるほど……、きみのほうの世界ではそんなにも科学力が進歩しているのか……。で、何でまた、その科学が発達している世界から、オレたちみたいな遅れた世界にやって来たんだい……。漫画じゃないんだから、まさか侵略じゃないよね」

「とんでもありません。侵略だなんて、そんな野蛮なことはいたしませんわ。わたくしたちは…」

「そうかい。それはよかったけど…。それより、きみは当分こっちに住み着くつもりなの。それとも、すぐ帰るつもりでいるの……」

「そのことなのですが、あまりに突然に、龍彦さんのお部屋にお邪魔をしまして、申しわけないとは思っておりますが、もし差支えかないのでしたら、わたくしをしばらくここに置いていただくわけには行かないでしょうか…」

「え、突然、ここに置いてくれって言われたって、きみは外国人みたいに見えるし困っちゃうよなぁ。それに、きみはアンドロイドかも知れないけど、一応女なんだし世間の人はアンドロイドだなんて、おそらく誰も思わないし参ったなぁ。これは……」

「それでしたら、ご心配には及びませんわ。わたくしには日本語に翻訳すると、変態機能とでもいうべきものが装備されておりますので、お好みとあれば日本人にも変身できますのよ。もし、よかったら試してお見せしますわ」

 と、言うと、彼女はすっくと立ち上がって、いきなり衣服を脱ぎ始めた。


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