第3話

少年がアーミラリ天球儀の使い方を知ったのは偶然だった。


掃除をしていてそのまま忘れて置きっぱなしになったのか、窓辺にぽつりと置かれたアーミラリ天球儀。


それにたまたま気付いて、覗き込んだ時に今のように映像が映し出されたのだ。


以来少年は毎日のように博物館に通い、あったかもしれない未来の映像を眺めるようになった。


ここでなら、少年がまだ小さかった頃に死別した両親と会えるから。


いたかもしれない弟妹に会えるから。


いたかもしれない兄姉に会えるから。


辛そうなこと、嫌そうなことも、それでも¨何もない¨よりはずっといい。


だから今日も少年は、この寂れた博物館に通うのだった。




あったかもしれない未来を見に博物館に通う日々。


それは少年の心を惹きつけはしたが、満たすことはなかった。


幸せそうな少年も、落ち込んだ少年も、怒った少年も。


少年と同一人物のはずなのに、決定的に違う。


それでも、見にくるのをやめられない。


見る度に異なる可能性が、自分にもあり得た人生が見れるから。


しかし…


たまに胸の奥に込み上げるものがあった。


少年にはまだその感情が当てはまる言葉を知らなかったが…。


すると、段々とアーミラリ天球儀に映し出される映像は、幸せそうなものばかりへと変わっていった。


少年が求める未来。


あり得た可能性。


再び少年はアーミラリ天球儀に夢中になった。


毎日、毎日、少年は博物館に通った。


少年の求めるものは全て、ここに…


「戻っておいで」


「えっ…?」


不意に映像が途切れた。


驚いた少年が顔を上げると、窓を閉じて、さらにカーテンも閉めようとする老人の姿があった。


「もう、ここに来ちゃいけない。戻れなくなる」


「なんで…」


いつもは特徴的な、引きずるような足音がするのに。


今日は老人が近づいてくるのに気付けなかった。


勝手に展示品を動かしてしまったことや、アーミラリ天球儀を使って別の世界線を見ていたこと。


少年の中でぐちゃぐちゃに混ざって焦りが生まれ、じっとりとした汗が吹き出した。


老人は少年の目をまっすぐ見た。


「そろそろ帰りなよ」


「あ……もう少し……」


怒るでもなく、老人はこれまでに何度も繰り返してきた帰り際のやり取りの言葉を口にした。


少年も反射的に、いつもと同じ返事をしようとして、口籠る。


「そんなもの、見ててもなんにもならないよ。戻れなくなる前にお帰り。できればもう、ここには来ないほうがいい」


老人はゆっくりと、はっきりとそう言った。


「あったかもしれない、あり得たかもしれない未来には、希望なんてないんだよ」


そして続けた。


まるで、明るくて、あったかい街灯を見上げている気分になるだろう?


いつまでも見ていたくなるだろう?


そのうち帰り道も何もかもを忘れてしまう。


だから、もうお帰り。


帰り道すら忘れたら、もうその場でうずくまり続けることしかできなくなるから、と。


段々と話す老人の言葉には、言葉にできない説得力があった。


少年はそのまま何も言えずに帰って行った。


そして、もう博物館にやって来ることはなかった。




少年が立ち去った部屋の窓辺で、老人はアーミラリ天球儀を見下ろす。


そして一度閉じたカーテンを開くと、外はちょうど夜へと変わる瞬間だった。


老人は黄昏時の空を見上げて、息を吐いた。


「本当に、この時間帯の星の動きは人を惑わすね…」


星の光を浴びた事で、アーミラリ天球儀は再び像を結び始めた。


そこには老人が1人で、博物館の入り口を掃除している姿。


何度か切り替わるが、そこに少年の姿が現れることはなかった。


「そう、それでいい。まだまだ、君はこれからなのだから。わしみたいには、なるなよ」


そう言って老人は、カーテンを閉めた。

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古びた博物館とアーミラリ天球儀 砂上楼閣 @sagamirokaku

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