第18話 「でも」
「君が本当に心の底から思って諦めるなら良い。けど本気で諦められないから、悔しいから悩んでいる、違うかい?」
言い当てられて、チトセは
「でも……、でも…………」
シュゼットが聖堂に帰ったら、チトセがその背中を追うことは不可能と言って良い。国家や巫女の事情
だから言おうとする。恋心を否定しようとする。「でも、無理です」「でも、駄目です」と。
「フローレスさんは、どうしても聖堂に戻らなきゃいけないんですよね?」
「まあ、そうだなぁ」
「じゃあぼくが想うだけ、フローレスさんの迷惑になります。それにぼくも……。これからメモリアの市民になれば、新しいことが色々と始まります。そうしたら忙しくなりますし、『れんあい』どころじゃないと思うんです」
ついシュゼットの過酷な境遇にばかり気を取られていたが、チトセはチトセでやるべきことがたくさんある。
近く始まるであろう魔力の暴走についての取り調べ、カウンセリング。
何もかもが初めてだらけのメモリアという都市での生活が本格的に始まれば、新たな学校に通い新たな人間関係が始まる。
本来そばにいるべき保護者とは共に暮らせず、まだ頼りになりそうなベンジャミンやエリーゼの名前をやっと覚えたところだ。
他の大人たちがどのような人物か、味方になってくれるか敵対してしまうか、良くも悪くも未知数の状態だ。ちょっとした隙に、不安の味が口一杯に広がるような、そんな感覚。
先々のことを考えても仕方ないが、本来チトセに恋にかまけている余裕などあるはずない時期だった。
「でも」
それでも子狐は「でも」と重ねる。
「フローレスさんのことが、ぼくの心の中でどんどん大きくなっていて。どうすれば良いのか分からないんです。諦めることができるかどうか、分かりません。それでもぼくは」
まぶたを閉じ、またゆっくり開く。ここにいないはずのシュゼットの微笑みが、
「暴走して、たくさんのものを壊した。いけないことをしたんです…………。いけないことして、それでも人を好きになって良いんですか? 駄目だと想います。だってその人に迷惑かけちゃいますよね…………」
「そんな、別にそんなことはないだろう」
「一度でも刑務所に入ったことがある人のことを、みんな意識しなくても避けようとしますよね? 関わりたくないと思いますよね? それと……、それと同じことです」
「……………………」
魔力の暴走は犯罪ではない。自身で意図して行うものではないからだ。法的には基本事故や災害のような扱いを受ける。だからといって人の心はそう簡単に『あれは事故だから仕方ないんだ』とはなってくれない。
――彼女はあまりにも綺麗で、優しくて。
――ぼくのような人間では、きっとふさわしくないんだ。
誰かを、何かを傷つけたという意味合いでは。
チトセ・ホクラニという少年も罪人となってしまうのかもしれない。
しおれた草花のようにうなだれるチトセに、ベンジャミンも返す言葉を失う。
――でも、諦めなきゃ。
――でも、諦められない。
――でも、傷つける。
――でも、どうにかなるかもしれない。
まだ頭の中では「でも」が響き渡っていた。
――でも、好きなんだ。
「すまないチトセ。君がそんな風に悩んでいるとは知らなかった」
「…………」
「俺は大人だが、まだまだメモリアの職員としては未熟者だ。それでも子どもたちのこういう深い悩みは一人で抱え込ませちゃならない。できるだけ健やかに、幸せに生きていて欲しいからね。だからこそ、気づいてやれなくてすまない」
「ベンジャミンさんは悪くないですよっ」
目の前の大人がなぜ謝るのかよく理解できず、チトセはどうしたのかと慌てる。いけないのはどう考えても自分のほうなのに。
――でも。
「それをいうなら、君が暴走したことに関しては誰も悪くない」
ベンジャミンはきっぱりチトセは悪くない、非はないと言い切る。
「君の言いたいことは分かる。やったのは自分だと、傷つけたのは自分だと思うのも当然だ。――ただ、ただな。君には君の人生を大事にする権利もあるんだ」
「どういうことですか」
「チトセ、君は未来は欲しいかい? まだ君は生まれて十年しかたっていない。なんでも叶うとして、どんな未来が欲しいかな?」
唐突に訊かれて、チトセは言葉に詰まる。
未来のことなんて、これからのことなんて、考えようともしていなかった。明日どうなるのかで精一杯で、かろうじてシュゼットの存在に救われている状況なのだ。
「なんでもですか?」
「ああ。魔法回路の治療が済めば、また元の生活に戻ることができる。法的にも余程のことが無い限りは、暴走者への監視や行動制限は禁じられているし、なんでもできるさ」
法では自由と言われても、実際は難しいかもしれない。
でも。
ひとつだけ、これだけは言えることがある。
「故郷の、ヴォロンテの力になりたいです。そのための未来ならあって欲しい。それと……」
チトセは言いにくそうにあとを続けた。
「ぼくは……夢があるんです。今は話せないんですけど。それが叶えられたらいいな、と思います」
実はチトセには、まだ誰にも言ったことのない夢があった。
ずっと心の内の宝箱に秘めて、大事に大事にとっておいた夢。
それは魔力の暴走で叶わぬものになる可能性もあったが、こんな状況になってもできれば実現させたかった。
「夢があるのか」
「はい」
「叶うと良いな」
「……はい」
夢があると語ったチトセは、先ほどとは打って変わったように力強くうなずいた。
「フローレスさんへの気持ち、まだこれからどうしようか分かりません。でも、彼女と過ごせる時間は大切にしようと思います」
まだ『今は』わからない。
でも。まだこれからがある。夢のことも、恋のことも。
「なるほど。そうだな」
「ぼく、部屋に戻りますね。フローレスさんが待ってるので」
「ああ」
ありがとうございます、とベンジャミンに一礼して。
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