第7話 とうさん、かあさん

 母である女性が、真っ先に愛する息子に抱きしめる。彼女の名はミスズ・ホクラニ。


 銀糸ぎんしの髪と透き通った肌は新雪しんせつ、銀の色の瞳は満月、淑やかな佇まいは百合の花。雪月花せつげつかのうつくしさを兼ね備えた和風美人だ。


 妖精狐の耳と尻尾は無いが、種は異なれど彼女こそがれっきとしたチトセの実母であり、また妖精狐とは別の妖精種だったりもする。普段はヴォロンテ市内の駅前で、服や小物を扱うブティックのオーナー兼店長を務めていた。


「無事で良かったなあ……」


 声を溢れる感情で震わせているのは、父であるヒサシ・ホクラニ。こちらにはチトセとお揃いの、真珠色の狐耳とふさふさの尻尾がある。


 ヒサシはアルコバレーノの警察と国防を担う王国騎士団所属の騎士で、家族がいるということから地元ヴォロンテ市の駐屯所に配属されている。二人とも仕事は休んでここに来たのだろう。


「シュゼット、俺たちは一旦出ていよう」


 両親に付き添い入室していた職員の青年がささやいて、シュゼットが「了解です」とうなずく。一旦俺たちは出ています、とホクラニ夫妻に声をかけて。青年が退出するあとをシュゼットが続く。


「また、あとでね」


 手を振りながら去りゆくシュゼットの背を見送ると、チトセの胸にちょっぴりの喪失感が去来した。


 ――あれ。


 なんなんだろう、この感じ。


 シュゼットが離れていくのが寂しいと、チトセの心が訴えていた。


「どうしたの?」


 ミスズに呼びかけられて、チトセはなんでもないよと小声で返す。ともあれ、これで親子水入らずだ。


 カーテンの外に出ると、一面白の色彩で構成された部屋は意外と広い。

 親子三人で、で四人掛けのテーブルセットに着く。白く清潔なテーブルクロス、白く瀟洒しょうしゃな椅子。


「体のほうはどう? 気持ち悪いとか、どこか痛いとかない?」


 ミスズに訊かれて、チトセはほんのりと笑みを浮かべる。

 まだだるさはあったが、ただでさえ憔悴しょうすいしているであろう両親にもうこれ以上心配をかけたくなかった。


「うん、もうだいじょうぶ。……ナユタ兄さんは?」

「ナユタは留守番してくれているわ。あの子が家の物を直してくれたの」

「…………」

「チトセのこと……悔やんでいたわ。『何もできなかった。ボクのせいだ』って」


 チトセが魔力を暴走させたのには、少し年の離れた兄ナユタが大きく関係している。


 なんともいえない気持ちに襲われて、チトセはきゅっと唇を引き結んで下を向いた。



「ごめんなさい」



 自然と口元から謝りの言の葉が紡ぎ出された。誰に謝罪を欲求された訳でも、叱られたわけでもないのに。


「ごめんなさいって、何に?」

「ヴォロンテに……雪を降らせたこと」


 ミスズとヒサシが揃って顔を見合わせた。この子は何を気にして何を言っているんだろう、という顔。


「僕が説明しよう」ヒサシが落ち着いた声音で言った。騎士として数々の緊急事態に対応した経験が多い父親は、家でも常に落ち着き払った紳士だった。


「町のことなら大丈夫だ。騎士団と消防とで雪もすぐに溶かせたよ。町の有志も随分と手伝ってくれたし」

「大丈夫、じゃない」


 かすれた声が出た。

 大丈夫じゃないのは、ヴォロンテの町とチトセの心の両方だ。


「だって、ひと、たくさん埋まって……」

「それは、そうだが……幸い処置も速くて重傷者は出なかったよ」

「重くなければいいっていうものじゃないもん」

「………………それは、そうだな」


 チトセは想う。故郷の景色を。故郷の人を。


「野菜とか、お米とか、田んぼや畑だめにして」


 川沿いに並ぶ桜並木一斉に花開く春。

 威勢の良い祭り囃子ばやし鳴り渡る夏。

 焼き芋屋の朗々とした声響く秋。

 駅前のイルミネーション煌めく冬。


「バスや電車も、止まっちゃっただろうし」


 通っていた初等学校の級友、先生。

 いつもコロッケをひとつおまけしてくれた肉屋のおじさん。

 バースデーケーキに大好きなキャラクターをアイシングしてくれた洋菓子店のお姉さん。

 いつも気持ちの良い挨拶をしてくれる近所のおばあちゃん。


「まちを、こわしちゃった……」


 みんなが、あの町に住むみんなが大切にしていたもの。

 きっとチトセが生まれる前から、代々守られてきたもの。

 誰にも奪えないはずの、宝石みたいにきらきら輝いていたみんなの宝物。


 それをチトセは、傷つけてしまった。

 後悔と悔恨の涙がじわり、と溢れる。むせびながらチトセは泣いた。口の中を、塩の味が広がっていく。


「ぼく……帰れなくてもいい…………だって、悪いことして…………」


「大丈夫だ。今すぐは無理だけど、帰れるさ」


 ぴしゃりとヒサシが断言する。


「魔力が一度暴走すると、体の中の見えない部分にあるマナを魔法に変えるための『魔法回路』に異常が残るんだ。放っておくと魔法が使えなくなるどころか、体が蝕まれてしまうことになる。この『結界都市』メモリアは特殊な結界に囲われているから、安全に治療ができる。回路さえ正常になればヴォロンテに帰れるよ」


 結界の中にあるから結界都市というらしい。

 ヒサシの言うことは真実なのだろうが、そういう問題ではなかった。体の問題ではない。


「うん…………でも、きっとみんなぼくに怒ってる……」


 ミスズがハッと目を見開いた。チトセは気にしていた。もう故郷の人々から友好的に接してもらえないのではないかと。


「大丈夫だ。心配はしているけれど誰も怒ってはいない」

「…………」

「みんながみんなというわけではないが……、チトセの居場所は父さんが守っておいてやる。だから大丈夫だ」


 話しているうちに、両親も涙混じりに話していることにチトセは気づいて息を呑んだ。

 父は泣いていた。隣の母も、ハンカチで絶えず涙を拭っている。


 チトセの絶対的保護者で、生まれてからずっと愛し守ってくれて、強く優しい存在である父と母が泣いている。


「チトセ、ごめんね。このまま一緒に帰れたら良いのにね……」


 ミスズの銀の瞳から、せせらぎのように透明の涙が流れ続ける。

 愛する我が子のために流れる涙は、外から見ているだけなら美しい。だがその内側には言葉で言い表せない重い感情がたっぷりと溶け込んでいる。


「ごめんなあ、父さんが変わってやれたら良かったなあ……」

「とうさん、かあさん」


 だからチトセも、声を上げてまた泣いた。

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