からっぽ妖精狐とこわれた歌姫 プロローグ

七草かなえ

本編

第1章 泣いた子狐

第1話 季節外れの、雪景色。

 ゆきが、ふっている。 


 暗雲立ちこめるグレーの空から、人々が生きる地上へと降りていく大量の雪の粒スノードロップ。音もなくしんしんと降り積もっていく。


 家も、車も、道も、木も。

 雪は街のすべてを等しく白に染めていく。西へ東へ、次から次へ。かなりの量が降っている。


 この雪は普通の雪ではなかった。


 ここアルコバレーノ王国は今六月、春と夏の間に存在する雨季と呼ばれる季節の最中である。つまり雪が降るのはおかしい、ということだ。


 降ったとしたら異常気象と呼んで良いことであり、残念なことに現在進行形でその異常気象が起きていた。


 雪が降る直前までは気温が高かった。そのため街行く人は皆薄着。そこに冷たい雪に降られたのだから、ひとたまりもない。


 ではなぜ、ふさわしくない時期に大雪が降っているのか?

 この雪は、とある『少年』の『魔力の暴走』が原因で起きたものだった。


 あらゆることが魔法の力をもって形成されたこの魔法世界アタラクシアでは、魔力の暴走自体はそこまで希有けうなものではない。大体小火ぼや程度の軽い被害で収まることが多いが、大都市ひとつ壊滅する被害も、ないわけではない。


 この魔法世界アタラクシアにて魔力の暴走を起こすのは、幼い子どもか薬物乱用者のどちらかと決まっている。

 少年の暴走の程度が小火ぼやか大都市の壊滅かなら後者、原因が子どもか薬物乱用かなら前者だった。


 六月の雪の発端となった張本人たる少年は、道路の真ん中で立ち尽くしていた。

 街が分厚い雪の衣で覆われていくのを、何もできないままで悄然しょうぜんと見つめる。


 見目麗しい少年だった。


 長く伸ばされてポニーテールに結われている真珠色の髪は雪明かりを受けて光沢を放つ。雪白せっぱくの肌に、幼いながらに整った東洋系の相貌そうぼう。空色の瞳がいろを添えている。


 そして頭からは真珠色の狐の耳、腰の後ろからはふさふさの尻尾が伸びていた。


 彼は妖精狐ようせいきつね、妖精種と呼ばれる種族の一種である。


「うそだ…………」


 その整った顔を歪め、やっとの思いで少年がつぶやいた。本来雪でなく、雨が降る季節なのに。どうして。


 自分が体内の魔力を暴走させたせいで、こうなった。それは理解できている。


 見るだけで冷たい雪景色の中。雪は十歳の少年のひざ近くまで積もっている。みわたす限りのゆきゆきゆき。道の人々が、寒い寒いとか細い悲鳴を上げている。


 このまま雪が降り続けたら、更に街への悪い影響が増えていくことは間違いない。家が雪の重さで潰れてしまうかもしれない。冬に逆戻りしたような天候で、動植物の生態系にも影響は出てしまいそうだ。


 ――こんなはずじゃなかった。


 当たり前だが、少年とて好きで生まれ育った街に雪害せつがいを起こした訳ではない。


 


 それでちょっと感情が爆発して。


 


 ――戻りたい、戻りたい、戻りたい。


 みわたす限りのゆきゆきゆき。


 ――こうなってしまう前に、戻りたい。


 どんなに祈ったところで、少年には時を操ることはできなかった。

 この世界には魔法があるが、何でもかんでもそれで解決するわけではない。そんなことができるのは、御伽話に登場する伝説の魔法使いくらいだ。


 視界が、頭の中が真っさらになっていく。なんで、なんで、なんで。白い息を吐きながら、少年は自分で自分に問いかけ続けた。


 体が寒くて熱い。真っさらだった頭の中で、思考がぐちゃぐちゃに絡まって壊れていく。手脚の感覚がない。


 ひっきりなしに町の防災無線が鳴っている。外出を控え、屋内へ待避してください。緊迫した女性のアナウンスに、少年は胸が締め付けられた。救急車両のサイレンも聞こえる。


 ――ごめんなさい。


 謝ったところで、もう街を元へは戻せないけど。


 ――ごめんなさい。


 せめて町のみんなに伝えたかった、酷いことを起こしてしまったことを。


 ――ごめんなさい。


 こうしている間にも、雪は降る。少年の祈りとは、願いとは裏腹に。美しいしろいろは残酷につもり続ける。寒いのに、体が熱い。


 少年は色々と限界に達していた。


 ――もう、だめ、だな。


 どさりと音を立てて、少年は哀しみがたくさん詰まった雪の上に倒れ込んだ。


 そのとき。

 銀世界の悲哀を切り裂くように、歌が響いた。




 ――うた…………?




 今までに聴いたことのない甘美な歌声。まるで飴細工のように、甘く澄み渡る少女のソプラノボイス。


 歌と共に、ぐちゃぐちゃになっていた思考がほどけて落ち着いていく。不愉快な熱が体から引いていき、銀世界にふさわしい冷たい感覚が全身に戻った。

 不思議な歌、魔法の歌だろうか。


 ――誰が、どうして。


 同時に、大人の叫ぶ声。


「いたぞっ!」


 数名分の靴が雪を踏む音がさくり、さくり、さく、さくと近づいてくる。雪害を起こした自分の身柄を確保しにきた人たちのものだろうと、少年はどこか他人事のように思った。


 どこに連れて行かれるのか、どうされてしまうのか。 

 歌声も一緒に近づいてくる。こんな素敵な歌声の持ち主になら捕らえられてもいいかもしれないとすら、少年は思い始めていた。


 近づいてきた歌声が、不意に止んだ。同じくして靴音も。




「あの……大丈夫、ですか?」


 どこか遠慮がちに、声が頭上に降ってきた。歌声と同じ飴細工の少女の声だ。少年を心配しているようにも聞こえるその声音に、彼はよろよろと頑張って体を起こす。


「だ、大丈夫、です」


 体を起こし、正面を向いて。声の主を見て息を呑んだ。


 可憐な少女が目の前に立っている。少年と同じ年頃だろうか。


 ふわ、ふわと波打つ巻き毛のロングヘアは、世にも珍しい桜色。甘く清廉せいれんな顔立ち、藤紫ふじむらさきの丸く大きな瞳、白百合の花弁かべんのようにすべらかな肌はミルク色。まさに野に咲く一輪の花といった風貌だ。

 小柄な体躯をピンクベージュのロングコートとブーツで包み、もこもこした耳当てを装着している。


 彼女の背後には数名の大人たちが控えていた。性別も年齢層もばらけていたが、皆コートやショールで防寒しているということと、少年を見て安堵の表情を浮かべていることは共通していた。


「あなたがチトセ・ホクラニさんですか?」


 心配顔の少女が言う。本人確認というやつだろう。


「は……はい。ぼくがチトセ・ホクラニです」


 少年チトセがかすれた声で答えると、急に全身という全身から力が抜けた。

 再び雪の上へ、今度は自分の意思でない理由でくずおれる。


「あっ」


 チトセが倒れてしまったことに、少女が驚き困惑した。


「フローレスさんありがとう、あとは俺たちに任せて」

「街のほうは?」「もう騎士団が動いている。仕事が早いな」

「早くこの子を安全な場所へ連れて行きましょう」

「連絡はアンドレイアさんにでいいですよね?」


 少女と大人たちの話し声が遠くなっていく。やがて程なくして、チトセの意識が暗転した。

 ゆきはまだ、ふっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る