双子漫画家からの溺愛注意報!

西羽咲 花月

私は担当者!?

朝6時30分は、私がいつも目を覚ます時間。

いつもどおりベッドの上で目が覚めて、サイドテーブルに置いてある目覚まし時計を止める。

まだ少し眠い目をこすりながら、ふぁ~あとあくびを漏らせば涙が滲んでくる。

ベッドから降りてお気に入りのカエルさんスリッパをはいて部屋を出る。

廊下を少し歩いて階段を降りて、右手にあるのがリビングのドア。

リビングダイニングのドアの奥からはすでに光が漏れ出ていて、6時起きのママがすでに動き出している。



「おはよぅ」



寝ぼけた声で挨拶しながらドアを開けると、パタパタと動き回るピンク色のスリッパが見えて足を止めた。



「おはようございます、先生」



今のは私に言った言葉じゃない。

ママはパジャマ姿で片手にスマホを持ち、もう片手で出かける支度を勧めているのだ。



「はい。今日伺おうと思っています……時間ですか?大丈夫ですよ!」



声のトーンは高くて調子がいいけれど、表情は険しい。

それを見た私はこっそりとキッチンへ向かった。

シンクの上にはこれから目玉焼きでも作ろうとしたのか、卵が3つ乗っている。

私はシンク下からフライパンと植物性の油を取り出し、卵焼きを作り始めた。

ライパンと油にしっかり熱が通ったところで卵を3つ割り入れる。

じゅわっといい音がしていい香りが立ち上る。



「おはよう紗季。いい香りだね」



声をかけてきたのは寝癖がついたままのパパだ。

パパはブルーのスリッパをパタパタ言わせながらポットでお湯を沸かし始める。

ママはどうしただろうと、横目で確認してみると淡いブルーのスーツに身を包んですっかり身なりが整っている。


時計の針はまだ7時前を指している。

きっと、担当の先生が今原稿ができたと連絡してきたんだろう。

先生からの連絡が入ればママの仕事は容赦なく始まる。

郵送で送ってくれる先生もいるけれど、行ける範囲なら必ず自分で取りに行くからだ。



「あら、おいしそう」



すっかり仕事モードのママが食卓に並んだ卵焼きを見て目を輝かせる。

今日のは一段と上手に焼けて、香ばしい匂いに包まれている。

私はママにフォークを差し出して「目玉焼きだけでも食べて行って」と伝えた。

ママはすぐにフォークを受け取って、目玉焼きを一口で口に入れたのだった。


☆☆☆


私のパパは中堅会社のサラリーマン。

ママは漫画の編集者をしている。

そんなふたりの間に生まれた私は今、光羽中学(コウウチュウガク)2年生の13歳だ。

今日は学校がお休みの日なのでいつもより1時間遅く目が覚めた。

目を覚ましてからも最近買ってもらったばかりのスマホを布団のなかでいじって時間を潰す。

家の電話を使わなくても簡単に友達とのやりとりができるのが最高だ。

仲のいい友人グループでメッセージをやりとりしていたとき、慌ただしい足音が部屋に近づいてきた。

ベッドから顔を出すと、ノックもそこそこに大慌てのママが顔をのぞかせた。



「ママ、どうしたの?」


「紗季! 今日、先生の原稿を取りにってちょうだい!」



私の質問が終わるよりも早くママは叫ぶように告げる。

私はベッドに座り込んでまばたきを繰り返した。



「ママ、今日はこれから大切な打ち合わせがあるの! だけど今先生から原稿ができたって連絡が来て、取りに行くことができないのよ!」


「それなら郵送にしてもらったらいいじゃん」



地方に暮らしている漫画家さんたちはみんな原稿を郵送してくれると、聞いたことがある。

だけどママは青ざめた顔で左右に首を振った。



「ダメなの。その漫画家さんの締め切り、今日の午前中までなのよ!」



その言葉に私は目を丸くしてしまう。

今日の午前中と言えば、今現在だ。

もう数時間で昼に突入してしまうから、都内でも郵送では間に合わない。



「パパは今日接待でゴルフだし、お願い紗季! あなただけが頼りなの!」



手を合わせて懇願してくるママ。

でも、編集者のお手伝いなんて私にできるかなぁ?



「漫画家さんって、誰なの?」


「紗季も知ってる漫画を描いている人よ。百合学園っていう……」


「伊集院薔薇先生!?」



作品名を聞いた瞬間私はガバッと起き上がっていた。

百合学園は中学校でも大人気の少女漫画で、出てくるキャラクターたちがみんな可愛くてかっこよくて魅力的なのだ。

これを読んでいない子なんて、きっといないと断言できる!



「そう! どう? 言ってくれる?」



次の瞬間私はふたつ返事でOKしていたのだった。


☆☆☆


私は大きな一軒家の前に立ち、緊張から汗が止まらなくなっていた。

次々流れてくる汗を手の甲でぬぐって、どのタイミングでチャイムを押そうかと悩む。

高い壁と門に囲まれたその奥がどうなっているのか確認することはできない。

でも、いつまでもここに立っているわけにはいかない。

伊集院薔薇先生は私が来るのを待っているんだから!



「よし、頑張れ紗季!」



私は自分の頬をペチンッと軽く叩いて気合を入れ、その勢いのままチャイムを押した。

しばらくその場で待っていると、目の前の大きな門が音もなく左右に開いていく。

奥にいたのは腰のまがった小さなおじいさんだった。

おじいさんはピチッとスーツをきこなして、頭を下げて出迎えてくれた。


「あ、あの私っ! せ、先生の原稿を受け取りに来ました! 松岡紗季です!」


言葉を発する度に緊張で声が裏返ってしまう。

私の半分ほどの身長しかない男性はゆっくりと顔をあげると、シワシワの笑顔を浮かべた。



「お電話で聞いております。いつもお世話になっております」



丁寧な挨拶と、ものごしの柔らかさにホッと胸をなでおろした。



「私は大塚家のお手伝いです。さぁ、奥へどうぞ」



家の大きさに圧倒されたけれど、たしか大理石を彫って作られた表札には大塚と書かれていた。

伊集院じゃないんだ……。

ペンネームに決まっているのに、そんなところに関心してしまう。

広い日本庭園を抜けて歩いていけば、これまた広い玄関先に到着した。

おじいさんが重たそうな玄関ドアを開けてくれて中に入ると、そこには広い三和土があり、どこまでも続く廊下が見えた。

廊下は完璧に磨き上げられていて覗き込めば自分の顔が映り込む。



「先生の部屋はこちらです」



おじいさんに促され、靴下のまま廊下を奥へと進んでいく。

少し走ればものすごく滑りそうな廊下を恐る恐る進んでいくと、最奥に焦げ茶色の重厚そうなドアが見えてきた。

それまでにも部屋に続くドアはあったけれど、どれも明るい木製のドアだったからここだけ雰囲気が違っている。



「ぼっちゃま。担当さんが原稿を取りに来られました」



おじいさんの呼びかけに中から「はい」と、短く声が聞こえる。

ぼっちゃまって誰のことだろう?

この家の息子さんが原稿のお手伝いでもしてるのかな?

漫画家さんの家族が仕事を手伝うのはよくあることだと、ママから聞いたことがある。

とくに駆け出しの新人さんに多いみたいなのにな?

首を傾げて待っていると、ドアに近づいてくる足音がする。

忘れていた緊張感が蘇ってきて背筋が伸びる。

これから伊集院薔薇先生に合うのだと思うと心臓がドキドキする。

サインをもらおうと、こっそり手帳も持ってきていた。



「おまたせ」



明るい声と同時にドアが開く。

私は「あ……」と言ったまま固まってしまった。

部屋から出てきたのは学校で何度も見たことのある人。

大塚洋介くんという同級生だったからだ。

私はしばらくポカンと口を開けて洋介くんを見つめる。

洋介くんって確か双子で、サッカー部所属なんだよね。

女の子たちがかっこいいと騒いでいたから、情報だけは知っている。

でも、なんでその洋介くんがここに?

動揺している間に洋介くんの後ろからもう1人が顔を出した。

双子の俊介くんの方だ。

確か俊介くんが弟で、洋介くんがお兄さんなんだよね。



「あ、あの、私……」



とにかく伊集院薔薇先生の原稿を受け取らないといけない。



「なんでお前がいるんだ?」



私の言葉を遮るように言ったのは俊介くんだ。

俊介くんは吊り目を細くしてじっと私のことを見ている。

その表情も声色も冷たくて、思わず凍りついてしまいそうになる。



「そういえば見たことのある顔だね? えっと……?」



洋介くんが首を傾げて聞いてくるのでようやく次の言葉が出てくる。



「私、松岡紗季です。光羽中学2年生のっ」


「あぁ。僕たちと同じ中学校で、同じ学年なんだね」



洋介くんがにっこりと笑ってくれるので徐々に緊張がほどけていく。



「松岡? へぇ、あんた担当の娘?」



ぶっきらぼうに聞いてきたのは俊介くんだ。

俊介くんは相変わらず無愛想な顔で、なんだか見下されている気分になってくる。

双子でも随分雰囲気が違うようで、とまどってしまう。


「そう……です。今日はママが仕事で忙しいから、私が先生の原稿を取りに来たの」



私は最初だけ俊介くんへ向けて言い、あとの言葉は洋介くんへ向けて言った。

仕事のことは洋介くんに伝えたほうが優しく接してくれそうだったから。



「そうなんだ。松岡さんにお願いしたい先生は沢山いるから、きっと大変なんだろうなぁ」



洋介くんの言葉に私は嬉しくなる。

それってきっと、ママの仕事を褒めてくれてるんだよね。



「お前、ちゃんと原稿を届けられるのか?」



横から水を差してきたのは俊介くんだ。

私はムッとして俊介くんを睨みつける。

いくら私でも、大切な原稿をどこかに忘れたりなくしたりなんてしない。

原稿を受け取ったらまっすぐに出版社へ向かう予定になってるんだから。



「洋介、女の子にはもう少し優しくしないと、モテないぞ?」


「俺は充分モテてる」



洋介くんにたしなめられてもどこ吹く風だ。

確かに、双子は学校内で人気で、洋介くん派か俊介くん派に分かれてファンクラブまであるほどだ。

俊介くんの言っていることに嘘はないのに、どうしてこんなに嫌な気持ちになるんだろう。



「そうそう、原稿だよね。ちょっと待ってて」



一度洋介くんは部屋に引っ込み、茶封筒を持って戻ってきた。

これが伊集院薔薇先生の原稿!!

両手で受け取るものの、緊張して指先が震えてしまう。

それを目ざとく見つけた俊介くんが険しい表情を向けてくるのがわかった。

私はこれ以上緊張を悟られないように、原稿をしっかりと胸の前で抱きしめた。



「確かに受け取りました。あの、それで、先生はどこに?」



部屋の中にはふたり以外に誰もいないようだし、どこかに行っているのかな?

できればサインをしてもらいたいんだけど。

そう思っていると「お前、本気で言ってんのか」と、冷たい声が頭上から振ってきた。

見ると俊介くんの呆れ顔と視線がぶつかる。



「ほ、本気ってなにが?」


「呆れたな。こんなヤツに原稿を任せて大丈夫か?」


「まぁまぁ俊介。そもそも僕たちは顔出ししてないんだから、わからなくても仕方ないよ」



洋介くんが苦笑いでたしなめる。

一体なんの話をしているの?

そう思っていると洋介くんが私に向き直る。



「はじめまして。僕と俊介、ふたりで伊集院薔薇です」



丁寧に頭を下げて自己紹介されて、頭の中が真っ白になる。



「ふたりで伊集院薔薇って……えぇ!?」



思わずズサアッ!と後ずさりをしてしまう。

私が憧れていた少女漫画を描いている人が、サッカー部の双子だったってこと!?


聞きたいことがあるのに言葉にならない。

口をパクパクさせていると、俊介くんが「なにしてんだ?」と首をかしげた。



「説明させてくれる?」



洋介くんの言葉に私は何度も頷いたのだった。


☆☆☆


暖かな紅茶を一口飲むとようやく心が落ち着いてきた。

パニック寸前になる私を客間に通して、紅茶を出してくれたのはおじいさんだ。



「つまり、洋介くんがストーリーを考えて、俊介くんが絵を描いているだね?」



今までに聞いた説明を繰り返すと、洋介くんが柔らかく微笑んで頷いた。



「最初は遊び半分で漫画を描いてたんだけど、爺の勧めてコンテストに参加することになったんだ。そしたら受賞しちゃって、もうびっくりだよ」



爺と呼ばれておじいさんが誇らしげに胸を張る。

ふたりからは爺と呼ばれているみたいだ。



「それから人気爆発でもう大変」



そう言ったのはソファにふんぞり返っている俊介くんだ。

さっきから無表情の割にちゃんと自慢話として捉えていたようだ。

それにしても驚いた。

このふたりが憧れの漫画家だったこともだけれど、あの繊細な絵をこのガサツな俊介くんが描いていることも驚きだった。

逆だったらもっとしっくりきたのにな。



「お前、なんか失礼なこと考えてるだろ」



まるで人の心を読んだように指摘してくる俊介くんに、私は素知らぬ顔をする。



「それで、ひとつお願いがあるんだ」


「お願い?」



私は視線を洋介くんへ戻す。



「僕たちのこと学校では内緒にしておいてくれないかな?」



人差し指を立てて口元に当てた洋介くんは少し眉を下げている。



「それはいいけど、でもどうして内緒なの?」



あんな素敵な漫画を描いていることは知られたって恥ずかしいことじゃない。

人気のある双子が描いているとなれば、更に人気が出そうなものだけれど。



「作品イメージが壊れるから」



ぼやぼやと考えていた私は頭を殴られた気分だった。

俊介くんの真剣な表情が突き刺さる。



「松岡さんもさ、僕らを見たときにまさか伊集院薔薇だとは思わなかったよね? どんな漫画家さんを想像してた?」



洋介くんに聞かれて私は自分の中の伊集院薔薇を思い浮かべる。

40代くらいの女性で、スタイルがよくて、服の趣味もいい。

甘い香水をつけていて、所作も美しくて……そこまで考えてハッとした。

そうか、みんなが考える伊集院薔薇は、ほとんどが女性なんだ。



「俺たちみたいなガキが描いてるなんてわかったら、バッシングを受ける」


「そんな……!」



いい作品はいい。

そう言い切れないのが悔しいところだ。

作者の性別や年齢を隠さなきゃいけないなんて、悲しい。



「もちろん、ただでとは言わないよ? なにかしてほしいことがあればなんでも言って?」


「そ、それならサインがほしいな」



私はそそくさとサイン帳を取り出す。

こういうときにサッと断ることができればかっこいいけれど、伊集院薔薇先生のサインだけはどうしても欲しかったんだ。



「お前結構がめついのな」



俊介くんがなんと言おうと関係ない。

ずーっと憧れてきた人なんだから!



「私、百合学園が雑誌で連載開始された頃からずっとファンなの! 一番好きなシーンは彩花がカケルを追いかけていって告白するところ」


「彩花は結局振られるのに?」



洋介くんがサインを書きながら聞いてくる。



「彩花はフラれるし、元々あまり性格のいいキャラでもないけど、それでも自分の気持を伝えるために必死になるのは共感できたから」



熱心に語る私に俊介くんが腕組みをする。

また呆れられるかな?

でもいいんだ。

だって、本当に大好きな作品の大好きなシーンだから。



「へぇ。お前結構ちゃんと作品見てるんだな」


「え?」



見ると俊介くんは感心したような顔つきになっている。



「彩花は主人公を際立たせるためのキャラだから、みんなあまり目を向けない。だけどお前は違うんだな」


「だって……」



だって、彩花が好きな人を追いかけていくあのシーンは、桜の花びら一枚一枚が丁寧に描かれていてとてもキレイだったから。

そう思っても、喉からは何も言葉が出てこなかった。

俊介くんの描く絵が大好きで、それで好きになったなんてまるで告白みたいで恥ずかしいし。



「よし、わかった」



そう言うや否や俊介くんが私の隣に立ち、顔を近づけてきた。

うぅっ。

こうして至近距離で見るとやっぱりかっこいいかも。



「な、なに?」



普段男の子とここまで接近することのない私はたじろいで視線を泳がせる。



「お前、俺達の漫画で好きなセリフはあるか?」


「好きなセリフ?」



それは沢山あった。

少女漫画ならではの甘いセリフたち。



「『お前のために準備してきた』とか『好きだって気づけよバカ』とか、かなぁ」



他にも沢山あるんだけれど、このセリフを考えたのはきっと洋介くんだ。

目の前に洋介くんがいる状況じゃ、やっぱり恥ずかしい。

そう思っていると不意に耳に息がかかった。



「好きだって気づけよバカ」



ぞくぞくぞくっと背筋に寒気がしてその直後顔がカッと熱くなる。



「これから先、お前にはずっと秘密を守ってもらうことになるからな。これくらいのご褒美は必要だろう?」



俊介くんの勝ち誇った表情に私は涙目だ。

突然あんなセリフを耳元で言うなんて、なに考えてるの!?



「わ、私もう行かなきゃ!」



私はその場から逃げるように原稿を持って駆け出したのだった。

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