第76話 前王妃殿下の飾り
「マルティナ、進捗は……」
そう声をかけながらマルティナの机上を覗き込んだシルヴァンは、瞳を見開きながらごくりと喉を鳴らした。
「あっ、シルヴァンさん。お疲れ様です。飾りは集まりそうですか?」
ちょうどキリが良いところまで終わっていたので、マルティナはすぐに後ろを振り返る。するとそこにいたのは、机の上にある何枚ものメモを凝視して固まるシルヴァンだった。
「どうかしましたか?」
「いや、これ……この短時間で考えたのか?」
シルヴァンが指差した紙には、馬車の四方と上部の図面が描かれ、そこにいくつもの飾りが配置されている。そして一つ一つの飾りに説明書きがびっしりと書き込まれ、なぜこの飾りは付けても問題ないのかが、誰が見ても分かるようになっていた。
「はい。ただ飾りの位置などは仮なので、そこは専門家の方にお任せしたいのですが」
「いや、それは当然だろう……それにしても、本当に凄いな。今の段階でここまで案ができているならば、出立日までに間に合わせられるはずだ」
衝撃から復活したのか、シルヴァンがいつものように真面目な表情でそう告げると、マルティナは頬を緩ませた。
「本当ですか! 良かったです。シルヴァンさんの方は問題なく進んでいますか?」
その問いかけに、シルヴァンはデザイン案の一部を指差していく。
「これとこれ、それからこちらのデザインと似たものは先ほどたくさんあることを確認してある。ただ他のデザインはまだ不明だ」
「そうですか……ただ最低でも三つはあるということですよね。そこは良かったです」
「そうだな。最悪は同じデザインでもいくつも組み合わせれば、豪華に見えるだろう。あとは職人に任せれば良い」
その言葉にマルティナが頷くと、シルヴァンは机上に広がっていたいくつもの紙を一つにまとめ、マルティナに差し出した。
「ではマルティナ、それを持って私に着いてきてくれ。マルティナにも飾りを集める方に参加してほしい。そこまで詳細な案ができているのであれば、あとは実物を見ながら修正した方が効率的だろう」
「確かにそうですね。あっ、ではナディアに伝言だけ残させてください」
マルティナは白紙のままだった紙にシルヴァンと共にいると書き残し、飛んでいかないよう机上に固定させた。これでナディアがマルティナを探しにここへ来ても、居場所で迷うことはない。
「じゃあ、行きましょう」
そうしてマルティナがシルヴァンに連れられて向かったのは、王宮内にある広い会議室だった。そこには大きなテーブルがいくつも並び、王宮中から集められた馬車に使えそうな飾りが所狭しと置かれている。
「もうこんなに集まっているのですね」
「政務部が総出で事に当たっているのだから、当然だ。人手は十分にある」
そう言ったシルヴァンは会議室の中でも一際大きなテーブルに向かい、机上にある飾りの一つを手に取った。
「先ほど見たマルティナのデザイン案にあった鳥というのは、これではないか?」
「あっ、それです!」
シルヴァンの手の中にあるものは、まさにマルティナが想像していた通りのものだ。さらにシルヴァンは別の場所から花と果物を模したような飾りを運んでくる。
「それからこの二つだな」
「確かに私が想定していたものです。それにしても、この花は豪華ですね」
目の前に並んだ飾りの中で一際大きくて目立っていたのは、花を模した飾りだった。金で作られているだろうその飾りには、さらに希少な宝石が埋め込まれている。
「それは王宮の宝物庫に保管されていたものだ。先の王妃殿下がお好きな花で、製作を命じられたものらしい。本来ならば大切に保管しておくものだが、今回は特別にと陛下が許可を出してくださった」
「宝物庫の……ありがたいです」
そう言いつつ、どう低く見積もっても信じられない値段がするのだろう飾りを前に、マルティナの心には庶民的な感情が湧き上がる。
(この飾り一つで、中古本屋の古本が何冊買えるんだろう……)
普段から数字上では大きな金額を扱っているマルティナだが、実際に目の前に現物があると違った。しかし少し怯んでしまう気持ちを無理やり追い払って、その花に近づく。
シルヴァン同様に白い手袋をしてから、そっと手に持った。そして裏表など細かいデザインまでを確認して、ハルカの馬車に使う飾りとして不適切なところがないかを、慎重に確かめていく。
「――問題なさそうです。これを使わせていただきましょう」
マルティナが顔を上げてそう告げると、シルヴァンが僅かにホッとしたような表情を見せた。中心となるだろう豪華な飾りが決まったことに、安堵したのだろう。
マルティナも鬼門であった豪華さがこの飾りによって担保されそうで、肩に入っていた力を少し抜いた。
「分かった。では職人にはこの飾りを中心として、馬車全体の意匠を考えてもらうとしよう。他に使える飾りとしてはこちらの鳥と果物を模したものだな。また実物があるかは分からないという前提で、マルティナが厳選した全てのデザインを渡しておいた方がいい」
「そうですね。ナディアが来たらさっそく……」
その言葉とほぼ同時に、会議室の扉が開いた。そして顔を出したのは、ちょうど話題に上がっていたナディアだ。
「ナディア、ちょうど良かった!」
「マルティナ、シルヴァン、ここにいてくれて良かったわ。わたくしを探していたの?」
「うん。馬車の大まかなデザインと中心とする飾りが決まったから、一度職人さんのところに行きたくて」
ナディアはその説明を聞いて、驚きに瞳を見開く。
「まさか、もうそこまで進んでいたのね。予想よりも早いわ」
「マルティナの仕事が早かったんだ」
シルヴァンがさらっとマルティナを褒めると、ナディアもマルティナに笑みを向けた。
「さすがマルティナね。マルティナがいると全ての仕事が早く、そして正確に進むわ。いつもありがとう」
二人からの褒め言葉にマルティナは少し照れ、頬を赤らめながらはにかんだ。
「役に立てて良かったよ」
「……マルティナって本当に可愛いわ!」
照れたマルティナにナディアが抱きつくと、シルヴァンがそんなナディアの肩を掴んで二人を引き剥がす。
「ナディア、今は仕事中だ。それで職人のところに行けるのか?」
「ええ、もちろんよ。デザイン変更は快く受け入れてもらえたけれど、完璧な仕事をするには一日では時間が短すぎるという話だったから、今から作業を始めてもらえるのは皆にとって良いはずだわ」
「そうか。ではマルティナは、ナディアと共に一度職人たちの下へ向かってくれ。その間に私はさらに飾りを集めておくが……そうだな、先ほどのマルティナのデザインとメモを全て写しても良いか?」
その提案にマルティナはすぐに頷き、三人で素早く書写をすることになった。内容を完璧に覚えているマルティナは見ずにデザインやメモを再現し、二人はマルティナが作った一つ目の紙を横目に、素早く書き写していく。
ペンを動かし始めて十分ほどで、書写は完了だ。
「では私はこちらを持ち、マルティナが選んだ飾りを中心に集めておく。そちらはよろしく頼む」
「分かりました。任せてください。じゃあナディア、職人さんのところに案内してくれる? あっ、その前に飾りを持ち運ぶ準備をしないと」
それから他の官吏たちにも手伝ってもらい、マルティナとナディアは選んだ馬車の飾りと共に、職人がいる工房へと向かった。
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