第72話 料理開始とマルティナの知識
やる気満々で服の袖を捲り上げたハルカは、食材をざっと眺めながら口を開いた。
「醤油があれば美味しく作れるもので、色々と候補のレシピを考えてたけど……今日はメインとして天丼と、あとは肉じゃがにしようかな」
「テンドンとニクジャガ?」
「そう。あっ、名前だけ日本語になってたね。天丼は天ぷらっていう野菜や魚介類、肉を揚げたものをお米の上に乗せて、タレをかけて食べるの。このタレに醤油を使うんだ。肉じゃがはジャガイモ、にんじん、玉ねぎみたいにいくつかの野菜を一口大に切って、あとは豚肉を入れて煮込む料理かな。これも味付けのメインが醤油なの」
ハルカの詳細説明にマルティナは脳内で料理完成図を思い浮かべ、なんとなく目指す先は分かった。しかしマルティナは料理があまり得意ではない。というよりも、読書に時間を費やしてきた人生だったため、料理の経験はほとんどない。
したがって邪魔だけはしないようにしようと、楽しそうに食材を選び始めたハルカの後ろで見守る体勢に入った。
逆にナディアは料理が好きで実力も伴っているため、積極的にハルカの手伝いだ。
「まずは肉じゃがから作りたいんだけど、この国のじゃがいもって大きいんだね」
「ニホンとは違うのね」
「似たような食材も多いけど、少し形や色が違ってたりもするかな。あとは全く見たことがないものもいくつか」
「それはとても興味深いわ」
そんな会話をしながら必要な野菜を選び取り、一口大にカットするのはナディアの仕事になった。ハルカは火を使う担当だ。
「マルティナ、この油ってどれを使えばいいのか分かる?」
ハルカが準備されていた植物油の瓶を示して、困惑の面持ちで首を傾げた。そこには五種類もの油があったのだ。
「どんな用途で使うことが多いのかは分かるよ。例えば一番左のサーリス油はお肉を焼くときに使うことが多くて、一人前の牛肉ステーキを焼くときには平均的にティースプーン二杯分ぐらい。脂身がない野菜類を炒めるときには四杯分ぐらいがいろんなレシピの平均かな。その隣のタール油はフライや唐揚げなど揚げ物をするときの油で、揚げるときの油の適正量は鍋の半分ぐらい。タール油は冷えている時が半透明で、水が沸騰するぐらいの温度で透明になり、揚げ物に適した温度では鍋と接した油の縁がふつふつと泡みたいになるの。高温で揚げたい時は泡みたいなものが発生してからがいいって。それから真ん中にある油は――」
マルティナの口からは、この国にある全レシピから導き出した油の平均的な使用量や用途などが、スラスラと語られていった。
豆知識的な注意点等までカバーしており、油を使った料理をするための知識を得たいならば、今のマルティナの言葉を全て覚えれば完璧だと言えるほどだ。
質問をしたハルカは呆気に取られ、近くで聞いていたナディア、そして少し離れたところにいるソフィアンやフローランも驚きを隠せない様子だった。
「す、凄いね……」
ハルカの言葉に、マルティナは力強く拳を握りしめる。
「料理知識なら任せて。分からないことはなんでも答えるよ」
「マルティナの記憶力が凄いっていうのは理解してるつもりだったけど、やっぱり驚くね」
驚きの表情のままそう告げたハルカに、ナディアも口を開いた。
「今回のはわたくしも少し驚いたわ。やはり日常的なことにマルティナの力が発揮されると、新鮮な驚きがあるわね」
「そうなんだ。でも私からしたら、料理ができるナディアとハルカの方が凄いと思うけど」
その言葉に驚きから抜け出した様子のハルカが、マルティナの知識から選んだ油を鍋に引いて火にかけながら不思議そうに首を傾げる。
「マルティナはそこまで知識があるのに、料理をしてみようとは思わなかったの?」
「うん、思ったことはないかな……だってそんな時間があるなら本を読まないとだからね!」
なんの迷いもなく告げたマルティナに、今度は全員が苦笑を浮かべた。
(読んだレシピ本の知識を試すのなら、別のレシピ本を読んで前のレシピ本との内容を比較した方が楽しいよね!)
「ふふっ、マルティナは本当に本が好きなんだね」
「大好き! 忙しくて本を読めないと禁断症状が……」
「そんなになの?」
そう言って笑ったハルカは、ナディアによって一口大にカットされた野菜を鍋に放り込みながら、何かを思い出すようにしてゆっくり口を開く。
「わたしも本が大好きなタイプだと思ってたけど、マルティナには負けるかな。しばらく本が読めなくても、他のことに没頭してると意外と大丈夫だったから」
「そうなんだ。ハルカはニホンで学生だったんだよね? 学校では何をしてたの?」
マルティナの問いかけに、ハルカは日本での生活を懐かしむような表情で口を開いた。
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