第63話 世界浄化の後には

「読み終わりました」


 マルティナの声が書庫に響くと、歴史研究家の面々が集まった。時間はもうとっくに昼を過ぎ、マルティナは今日も昼食を忘れている。


「貴重な情報はあったか?」

「はい。帰還の魔法陣に関わることはありませんでしたが、一つ大きな問題の理由が判明したかもしれません」


 その言葉に歴史研究家の皆はごくりと喉を鳴らし、マルティナに続きを促した。


「まずこの本は実際の日記の模写、または翻訳版であるみたいです。最後のページに作者とは別の名前が載っていました。そしてこの本を模写してまで残してくれたその方からのコメントが書かれていましたが、これは貴重な歴史――人々の醜い争いの歴史が記されたものであると」

「人々の争い? ということは、暗黒時代が終わって数年後に、助かった者たちが、すでに争いを始めていたということか?」


 眉間に皺を寄せたラフォレの確認に、マルティナも厳しい表情で頷く。


「はい。この日記は、絶望の黒煙が消滅して数ヶ月後という書き出しで始まっています。男性は大きな街で暮らしていたらしく、辛うじて生き延びたらしいです。そして世界がどうなっているのか知りたくて、旅に出ました。まず向かったのは風の噂で聞いていた、黒煙を晴らしてくれた聖女様がご降臨されたという場所。一年ほどかけてたどり着いたその場所では――そこは血みどろの争いが繰り広げられていたそうです」


 マルティナは説明しながら辛くなり、一度視線を下げて深呼吸をした。そして続きを口にする。


「この日記から詳細は分かりませんが、読み取れる限りですと……多分理由は、聖女様を誰が独占するのかという欲望に塗れたものです。そして聖女様が姿を消してからは、今度は召喚魔法陣の独占を争って戦いは続きました」


 マルティナはこの歴史を知って悲しさを感じても、驚きはしなかった。先日の会議の様子を見ても、一歩間違えれば聖女や召喚魔法陣を巡って争いになるだろうことは、容易に想像できたからだ。


 今回は今のところ回避できているが、過去には回避しきれなかった。それだけだ。


「この男性はそんな争いを前にして、また逃げ出したそうです。それからしばらくは魔物によって蹂躙された街や村を巡る旅が続き、数年後に争いが行われていた街に戻ると、もうそこに街はなかったそうです。全てが焼き払われ瓦礫になっていたと」

「焼き払われ……まさか」


 ラフォレが何かに気づいたように瞳を見開いた。そして僅かに震える声で、ゆっくりと口を開く。


「聖女召喚の魔法陣を含めて、魔法陣に関する情報は、全て焼けてしまったのか……?」

「その可能性が、高いかもしれません。その街で聖女召喚が成功したということは、そこには現在のこの場所のように多くの書物が集まっていたでしょう。それが全て燃えてしまったと考えると、私たちが情報集めに苦戦した理由も明確になります」


 しばらく書庫には沈黙が満ちた。歴史研究家である者たちにとって、火災による書物の消失は何よりも気をつけるべきことだろう。


 それが過去に起きてしまったという事実に、悲しみや怒りのような表情を浮かべていた。


「聖女が行方不明というのは、死亡してしまったのでしょうか」


 少しして一人の男性が呟いた声に、また書庫内の時間が動き出した。


「過激な争いが繰り広げられていたとなると、その可能性が高いかもしれません。もし生き残っていたとしても、帰還の魔法陣が研究されるような状況ではなかったかと」


 マルティナが絶望感を覚えながら告げた言葉に、皆が理解したくないという表情だが、なんとか己を納得させるように頷いた。


(過去に召喚された聖女のその後から、帰還の魔法陣への糸口を見つけるのは無理かもしれない。そうなると後は魔法陣自体に関する書物を探って、なんとか私が構築するしか……)


 開始早々で暗雲が漂い始めた帰還の魔法陣研究に、マルティナは拳を握りしめる。


(後は暗黒時代以前の情報だ。どこかに残っていればいいけど……)


「また書物を集めるところにも力を入れましょう。他国の皆さんにも条件を変えて情報提供を呼びかけ、後は市井の中古本屋などでしょうか」


 中古本屋などにはどこかの家でずっと保管されていた唯一無二の本だったり、旅人が持ち込んだ本だったり、王宮にもない貴重な本が紛れていることもあるのだ。


「そうだな、その方向でも検討してみよう。ロランたち官吏にも協力を頼まなければいけないな」


 そこで話は区切りとなり、ラフォレがマルティナに手を伸ばした。


「ではマルティナ、そちらの本は次に私が読んで精査をしよう」


 その言葉にマルティナも意識を切り替えることにして、本を手渡す。他の皆もそれぞれ仕事に戻り、マルティナはまた魔法陣に向き直る時間となった。


 それからも皆は必死に研究を進めたが、大きな発見もなく初日は終わりとなった。

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