第12話 安堵と不安
マルティナが政務部のドアを開けて中に入ると、それに気づいたロランがすぐに駆け寄った。
「マルティナ! 無事で良かった!」
「ロランさん、ご心配をおかけしました。この通り無事ですので大丈夫です。騎士団の出動に関わる仕事を全て任せてしまって、すみません」
「そんなの気にしなくて良い。お前はお前にしかできない仕事をしたんだからな」
ロランのその言葉とホッとしたような笑みを見て、マルティナはやっと体の力が完全に抜けた。
「ロランさんを見たら何だか気が抜けました……」
「ははっ、何だそれ。疲れたか?」
「ちょっと疲れたみたいです。騎士の方たちは体力が凄くて。私は森の中なんてランバート様に抱き上げられてしまいました」
マルティナのその言葉を聞いて、ロランはマルティナの頭からつま先までを順に見下ろす。
「確かにお前はまだこう、小さいよな」
「これから大きくなる……予定です」
唇を僅かに尖らせてそう言ったマルティナに、ロランはいつも通りの笑みを見せる。
「それで、魔物はどうなったんだ? 解決したのか?」
「とりあえず緊急事態は脱したのですが、大きな問題が発生しています。そのことに関して先ほどランバート様と軍務大臣のところに報告に行きました。これから軍務大臣が陛下にご相談され、そこで決まった事柄が通達されてくると思います」
「緊急で陛下のお耳に入れなければならない事態ってことか?」
「はい」
ロランはマルティナがすぐに頷いたのを見て、表情を真剣なものに変えた。
「通達が来るまでは待機してるしかないってことだな」
「そうですね……事前に皆さんに話をしておいた方がスムーズなのですが、かなり大きな事柄なので話してしまって良いのか私には判断できません」
「そういう場合は独断で動かない方が良い」
「やっぱりそうですよね。では皆さんに伝えるのは通達が来てからにします。それまでは……仕事の続きですかね」
マルティナのその言葉にロランが逞しいなと苦笑を浮かべたところで、部屋の奥から一人の女性が二人の下に駆け寄った。
「マルティナ! 心配していましたのよ!」
「ナディア……何か聞いたの?」
「魔物がたくさん現れて騎士団が出動したところにマルティナが付いていったと聞いたら、それは心配しますわ! 何でそんな無謀なことを……!」
「ごめん。心配してくれてありがとう。ランバート様が私の能力を買ってくださって、ランバート様の補佐のような形で現場に同行したの」
マルティナは心から心配しているナディアの様子に、嬉しそうな笑みを見せた。
「マルティナの能力を?」
「うん。ほら、私って記憶力が凄く良いって言ったでしょ? それで魔物の特徴とか弱点とか詳しくて、その関係で」
まだ瘴気溜まりのことは伝えないのでそんな説明になったけれど、日々マルティナの特異さを肌で感じていたナディアは納得したように頷いた。
「確かにあなたの能力は誰もが欲しがるでしょうね」
「ありがたいことに、役に立てたみたい」
「友達として誇らしいわ」
「ナディア……!」
ナディアの言葉にマルティナが感極まって抱きついたところで、苦笑を浮かべたロランが二人を引き離した。
「はい。そろそろ仕事に戻るぞ〜」
「もう、邪魔しないでくださる?」
「おい、俺は先輩だからな」
不満そうなナディアにロランは呆れた表情で、ロランは実力行使とばかりにマルティナの手を取って部屋の奥に連行した。
その様子を見てナディアは少しだけ拗ねた表情を浮かべるも、自分の上司に呼ばれて仕事に戻る。
「マルティナ、今日は疲れてるだろうから歩き回る仕事は免除してやるよ。いくつか書類を読んでもらうからな」
「本当ですか……!」
マルティナは瞳を輝かせてロランの顔を覗き込んだ。書類を読む仕事は、マルティナにとって休憩時間よりも嬉しいのだ。
「お前のその顔、いつ見ても面白いな。大好物を目の前にした犬って感じだ」
「なっ……それ、褒めてますか?」
「褒めてる褒めてる。じゃあ今日読んでもらうのは……これとこれな」
「分かりました!」
ロランが差し出した書類の束に飛びついたマルティナは、輝く瞳をそのままに自分の机に向かった。椅子に腰掛けて書類を開いたら、もうマルティナは活字の世界の住人だ。
そんなマルティナの様子を優しい表情で見つめたロランは、気合いを入れるためか自分の頬を軽く叩くと作りかけの書類に向き合った。
♢
マルティナが政務部に戻っていたのと同時刻。軍務大臣は国王の執務室に来ていた。マルティナとランバートからの報告を受け、今後の方針を決めているようだ。
「陛下、これからどうされますか?」
「……とりあえず、瘴気溜まりに研究者を派遣しよう。マルティナという官吏もメンバーに加えることにする。それから光属性を持つ者をできる限り集め、それで対処できなかった場合のために、聖女召喚についても情報を集めて欲しい」
「かしこまりました」
軍務大臣が頭を下げたのを見て、椅子に腰掛けている国王は大きく息を吐き出しながら背もたれに体を預けた。
「それにしても、マルティナという官吏は規格外だな」
「はい。すらすらと詳細な情報が出てくる光景はあまりにも信じられず、報告を受けた時には呆然としてしまいました」
「それも仕方がないな……マルティナはこのまま政務部所属の官吏にしておいて良いのだろうか。例えば歴史の研究家などとして、高待遇を約束するべきだと思うか?」
国王が問いかけたその言葉に、軍務大臣は少し悩みながらも首を横に振る。
「まだ官吏になって一週間です。しばらくはこのままが良いのではないでしょうか。官吏の、特に政務部の仕事は多岐に渡ります。マルティナがそこで仕事をしていれば、多くのことを吸収してくれるかと。それがマルティナの成長に繋がるのではないでしょうか」
目先の利益だけでなく先々のことを考えての意見に、国王はすぐに同意を示した。
「確かにその通りだな。待遇はこのままで……しかし此度のことへの褒美は渡すことにしよう。また、これからは忙しく働いてもらうことになるだろう。一般的な業務を超える部分に関しては、追加報酬を考えよう」
その言葉に軍務大臣が頷いたところでマルティナに関する話が一段落し、国王は大きく息を吐き出してから窓の外に視線を向けた。
「これからこの国はどうなるのか……」
「マルティナの言う通りならば、国中……いや世界中に瘴気溜まりが発生するかもしれません。もしかしたらすでに、他の場所に発生している可能性もあります」
軍務大臣のその言葉に、国王は視線を室内に戻して真剣な表情で口を開いた。
「貴族にも通達しよう。もし別の場所でも瘴気溜まりが発生しているならば、対応を早めなければならない」
「かしこまりました。政務部に通達内容を伝達しておきます」
「よろしく頼む」
暗雲が垂れ込めていた空からは冷たい雨が降り始め、それを見た国王は急激に下がった気温とこの国の行く末への不安から、無意識に腕をさすった。
「この時期に雨なんて珍しいな」
「そうでございますね。凶兆でなければ良いのですが……」
不安げな二人の言葉は、雨の音に飲み込まれて消えていった。
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