ようこそ笹川学園女子寮へ(仮) プロローグのみ

舞沢栄

プロローグ

 宝石をちりばめたような星空の中で、赤々とした炎が燃え上がっていた。

 黒と赤の微妙なコントラスト。闇夜の恐怖に打ち勝つために、遙か昔に人類は炎を獲得した。炎を獲得し、料理・暖房・照明などから道具の加工・焼き畑農業など、様々な恩恵にあずかってきた。

 しかしそれは、自らの大事なものをも灰へと変えてしまう諸刃の剣だ。

 この激しく燃えさかる炎を見ると、俺はこう思わずにはいられない。

 火の取り扱いには、十分注意しましょうね、と」

「いまさら遅いわぼけがあああぁぁぁ!」


 どがこぉーんっ!


 いきなり後頭部に受けた打撃に、思わず俺は焼身自殺をしてしまいそうになった。

「危ねえなコノヤロ! てゆーか人の思考にツッコミ入れるんじゃねえ! 変人かおまえは!」

「どっちがだ。モロに声に出てたぞ」

「なにい? どのあたりからだ?」

「火の取り扱いは、のくだんははっきり聞こえてたぞ」

 むう。またしても途中から声に出してしまっていたか。我ながら困った性癖だ。

 まあ、それはさておき。

 俺のすみかでもあった笹川学園男子寮は今、確実に消し炭へと姿を変えつつある。

「しかしこうまでゴウゴウと燃えてくれると、むしろすっきりした気分に浸れますな」

「浸れるかあ! お、俺の詩織ちゃんが、サクラたんが、クララさまがあああぁぁぁ!」

「いいぞ、助けに行っても。フィギュアにリアル命をかける男、いいねえ」

 目の前の男、安田平輔は同級生にして同じ寮に住む腐れ縁な俺の友人で、フィギュアとエログッズに情熱を燃やす困った男だ」

「おまえに言われとうないわ!」

 うお、またしても声に出してしまっていたか。


 うー、かんかんかん


 遠くから響く、聞き覚えのあるサイレン。いつも他人事だったそれは、今回ばかりはこちらへ近づいてきている。ようやく消防車のお出ましのようだ。

 まあ、俺も平輔もうまく逃げれたし、ほかに数人の男子生徒が住んでいたが、彼らも無事のようだ。あとはさっさと消火してくれることを祈るばかりだ。

「しかしこうまでゴウゴウと燃えてくれると、むしろすっきりした気分に浸れるわね」

 さっきの俺のセリフをほとんどそのままに、白衣の女性がいきなり現れた。

「美咲先生、怖かったよおおおぉぉぉ!」

「はいはい。先生の胸で存分にお泣きなさい」

 スタートダッシュで先生の胸に飛び込んだ俺様に対し、コンマ1秒出遅れた平輔は肩すかしを食った。

「せ、先生、俺も」

「先着一名様限りよ」

 子供っぽい大泣きのふりをしながら、俺は先生のふっかふかの胸の感触を顔面で楽しんだ。

 大友美咲先生は俺たちのクラスの担任教師で、子供っぽい顔立ちながら見事なプロポーションを誇るのだ。

 博識で面倒見も良く、おおらかな性格と、男子にも女子にも人気のある先生だ。

「英一! あんた、こんなときにまでなにやってるの!?」

 続いて怒鳴りながらやってきたのは、新城真紀子。夜闇とはまた違った見事な黒髪のロングヘアで、つり目がちの美人だが、見た目通りに気が強い。

「ほおっておいてくれまきこさん。ぼくはいま、ぜつぼうにうちひしがれているんだ」

「先生の胸にほおずりしながら棒読みで言ったって、説得力無いわよ!」

「そうだぞエッチ。今度は俺の番だ」

「うるさいスケベイ」

 英一だからエッチと呼ばれるなら、俺は平輔をスケベイと呼ぶことにしている。

「あーもう、この大変なときににやけまくっちゃって」

 顔面の筋肉に先生の胸の感触を永久記録させてから、なんとかひっぺがそうと躍起になる真紀子に、俺は応じてやった。

「で、何が原因なのか、飯島君は知ってるかしら?」

 俺は、ふっ、とちょっと格好つけて腕を組んで考えるそぶりをして見せた。

「やっぱりおまえが原因か!? 寝たばこか? 寝たばこが原因だな!?」

 それを勘違いして、平輔のバカがからんできやがった。大事なフィギュアをうっかり人形供養してしまったのがそんなに悔やまれるか。

「なにを言う。あんな身体に悪いもの、とっくにやめたわい」

「以前は吸ってたのね……?」

 半眼でつぶやく真紀子。美咲先生は口元にカチッと火をともし、

「あ、私は気にしないわよ。今は吸ってないなら問題ないし」

 と言いながら、ぷかぷかたばこを吹かし出す。あのかわいい顔での喫煙はいまいち違和感を感じるというか、ちょっと勘弁してくれと言いたいがここは我慢だ。

 …………。

 声に出してないよな?」

「なにをだ?」

「うおっ、な、なんでもないぞ」

 危ない危ない。

「先生も大人だからって喫煙は……」

「私はね、本人が納得の上で吸うのならかまわないと思うのよ。周囲への迷惑もむろん考慮したうえでならね。屋外で、このくらいの群がりならかまわないと思うんだけど、どうかしら?」

「…………」

 先生に諭されては、さすがの真紀子も黙るしかないようだ。

「お兄ちゃん、無事だったんだ。良かった」

 一瞬の沈黙を破り、今度は俺の妹、飯島朋香が息せき切ってやってきた。

「おお。おかげさまでな」

「うん」

 にっかりとして答えると、朋香は恥ずかしげに視線をそらせた。

 こう、微妙によそよそしいのは、2年前、両親の再婚でなった義兄妹のせいだろうか。

 サイドポニーが愛らしいが、妹では下手に手出しができんのでつまらん。

「…………」

「おっと、未来ちゃんもいたんだ。朋香がここまでこれたなら当然か」

「こんばんわ」

 内気そうなおかっぱ頭のこの子は朋香の友人で、金沢未来。

 長年住んだこの町でいまだに迷子になる朋香に対し、未来ちゃんは人間ナビの異名を持つほど方向感覚に優れているという。

「わたし、最近はそれほどでもないよ。ね、未来?」

「うん。ケータイ持ってれば、それほど」

 ケータイのナビ機能のたまものでしたか。それでも「それほど」のようだが。

 と、事情聴取にかり出されていた美咲先生が戻ってきた。火事の方もようやく、鎮火しそうな感じだ。

「先生、どうでしたか?」

 きまじめな真紀子が訪ねると、先生は珍しく気むずかしい表情を見せた。

「どうも、放火の疑いもあるみたいね。最近火事がたて続いているでしょう? 同一犯によるものかもしれないって。捜査はこれからだから、まだ何ともいえないけどね」

「うおお、放火魔ゆるすまじ! 我が愛すべき娘達のかたきは必ず!」

 白煙舞う夜空に、平輔はこぶしを堅く握って誓っていたが、とりあえず全員無視。

「あの、娘って……?」

「あ、気にしなくていいから」

 真紀子がこっそり聞いてきたので、手をぱたぱたと素っ気なく答えておく。

「さて、と。とりあえずの問題は、あなた達男子生徒の今夜の寝床ね」

 我らが笹川学園は、地方から入学してくる生徒も結構いて、そのために男子寮と女子寮の二つをもうけている。そのうちの男子寮が焼けてしまったとなると、

「はい先生! 女子寮に泊めてください!」

 俺よりも先に、平輔に言われてしまった。

「残念。体育館に布団を用意してきましたので」

 つっけんどんに、真紀子が答えた。

「それに、安田君の実家はこの近所でしょう? そもそも寮に住む理由がわからないんだけど」

「男というものは自立心にあふれているんですよお嬢さん。ほら、俺のココも自立……」

 容赦なく俺は平輔の股間を蹴り上げた。

「しゃあない、今夜は体育館で寝るしかないか」

 悶絶する平輔は見ないことにし、俺は夜空を仰いだ。

 はっきり言ってこの時期、布団をかぶったところでとことん寒いぞ。体育館は。

「それじゃわたし、寮に帰るね」

「朋香ちゃん、そっちに行くと駅」

 見当違いの方向へ歩き出す朋香を未来ちゃんが追い、二人は去っていった。


         *


「へぶしっ!」

 くしゃみする瞬間って、目の前に星が瞬いて見えないか? 鼻をすすりながら、俺はそんなことを考えてみた。

「まったく、フィギュアは炭化ビニールと化してしまうしクソ寒い体育館でヤロウどもと一晩をともにせねばならんし、さんざんだ」

 横でぶつくさ言っている平輔を無視して、体育館の重い扉を開ける。

 外のよりいっそう冷たい風をほおに浴びる。そろそろ吐く息が白くなる季節だ。

「せーんーぱーいーっ!」

「うど!」


 どっかあーーん!


 またしても、目の前に星が瞬いた。あまりの衝撃に、しりもちをついてしまった。

「おはよーございまーす!」

 めまいがやむと、俺の前に立っていた女の子が、この青空にふさわしい元気な挨拶をした。

 ふわふわの髪に大きなリボン。校則無視の、ピンクハウスばりのオリジナル制服。俺的に根性スカートと呼んでいる、いわゆるカボチャスカート。

 こんな格好をした女の子は一人しかいない。学園長の娘、笹川みことちゃんだ。

「やあお嬢ちゃん。良かったらお兄ちゃんに写真を撮らせてくれないかな?」

 カメラ付きケータイを構える平輔だが、みことちゃんは俺の後ろに隠れてべーっと舌を出した。

「それよりも先輩、みことは聞いたの。男子寮が焼けてしまったんだって!」

「ああ。だから俺たちは体育館で一晩を過ごしてしまったのだ」

「言ってくれれば、みことんちに泊めてあげたのに!」

 うれしい一言ではあるが、なにせ学園長の娘だ。そんな家に泊まったら息が詰まっちまう。

「英一君、朝からアツアツね」

 こめかみのあたりを引きつらせながら、真紀子がやってきた。気が強いと同時にお節介な女だから、こちら男子生徒の様子を見に来たのだろう。

「学園内なんだから、制服くらい着たら?」

 しかしこいつ、俺に対してはいつも怒っているような気がする。

「一緒に焼けてしまったんだからしょうがないだろう」

「もう、しょうがないわね」

「おまえのを貸してくれるのか?」

「貸すわけないでしょう変態!」

「そうだこの変態!」

 俺は朝っぱらから変態扱いされてしまった。

「っておまえにまで言われとうないわ!」

 とりあえず平輔をどついておくと、みことちゃんはコロコロと笑っていた。


         *


「飯島君」

 昼休み。平輔と食堂でメシを食っていると、右手にカツ丼大盛り、左手にA定食(スペシャル)を乗せたトレーを持ち、美咲先生がやってきた。

 …………。

 食うのか? 全部?

 平輔の隣に座り(ちっ)、先生は俺に語りかけた。

「飯島君、寮の件なんだけど……」

「そこ! イスを微妙な位置へズリズリしながら先生の胸元をのぞき込むんじゃない!」

「なにを根も葉もないことを。エッチじゃあるまいし!」

「黙れスケベイ! 先生、そこは危ないから俺の隣へ!」

「きええい!」

 小突きあいを始める俺たちには意にも介さず、先生は事務的口調でこう言った。

「女子寮が一部屋開きそうなんだけど」

『なんですと!?』


 ごめむ!


 暗転する視界。予想外の先生の一言に、俺は平輔のげんこつをかわしそこなった。

 顔を押さえながら立ち上がると、当の平輔もげんこつでも食らったかのような顔をしていた。今のセリフは、二人同時によるものだった。

「い、いいんですか?」

 とまどって聞き返す俺に答えたのは平輔だった。

「いいわけねえだろう! 先生、危険です。こいつを女子寮に放り込むなど、ネギしょったカモの群れに飢えたオオカミを放り込むよりたちが悪い!」

「けど、飯島君の両親はカルフォルニアに出張中で、実家は別の家族へ貸し出し中だったわよね?」

 うなずくと、先生も軽く肩をすくめた。

「じゃあしょうがないわよね」

「そんなこいつだけうらやまけしからんことを許すくらいなら、俺の実家へ……」

 と平輔が言いかけるが、

「……いや、実家にも秘蔵のコレクションがあって、それをこのエッチに発掘されるのはまずすぎる……うぬぬう」

 平輔は頭を抱えて突っ伏してしまった。

「安田君も他の男子生徒も、仮住まいは決まってるわ。男子寮の建て直しには一ヶ月ほどかかるそうだから、それまでは女子寮に住んでちょうだい。友達の家を転々とするわけにも行かないでしょうから」

 あくまでも事務口調でそれだけ告げ、先生は黙々と食事を始めた。

 なお、大盛り二人前を5分で平らげたことをここに付け加えておく。


         *


「お兄ちゃん、女子寮に住むことになったんだって?」

 学校帰り、朋香に案内され(正確には未来ちゃんに)、俺たちは女子寮へと向かった。

「もしかして、倉庫に使われてたあの部屋かな?」

「たぶん」

 首をひねる朋香に、未来ちゃんがうなずいて短く答える。

「倉庫?」

「うん。どっちかというと、ゴミの仮置き場に近いかも。雨戸壊れてるし」

 これは神が私に与えた試練でしょうか? 女子寮に住むならこのくらいの試練は当然だ、と。

「掃除はするけど、荷物の整理はちょっとかかるかもね」

「まあとりあえず夜露をしのげりゃいいさ」

「朋香ちゃん、通り過ぎてるよ。女子寮はここ」

「あ、いけない。話をしていて、うっかり」

 てへ、とかブリッコしてごまかす朋香だが、それだけじゃないぞ、絶対。

 女子寮は、一部瓦葺きの、二階建ての大きな家屋だった。住宅として利用されていたものを流用したのだろうか?

 目の前の道路は片側一車線だが、歩道には木も植えられておしゃれな並木道になっている。

 と、黒いリムジンが脇を通りかかった。

 そういえば学園長の娘、みことちゃんはリムジンで通っていたような……、

「せーんーぱーいーっ!」

 やっぱりきたか!


 どおんっ!


「くおお!」

 今度は寸前に予測がついたので、リムジンから飛び降りてきたみことちゃんを、なんとか受け止められた。

 しかし、この子は飛びかかってくるのが好きだな。

 ていうか運転手。こんな危ないことをさせるな!」


 ききいっ


 ぎく。また思考が漏れていたか? 止まったリムジンのバックミラーから、危険な視線を感じる。

 しっし、とみことちゃんが手を振ると、リムジンは走り去っていった。ほっ。

「話は聞いたの。みことも女子寮に住むの!」

「え、でも空き部屋はもう無いよ?」

 とまどって朋香が言うと、みことちゃんはぶんぶんと頭を振った。

「だったら毎日遊びに来るの!」

「はーっはっはっは! 我が心の友、飯島英一よ! 俺様も遊びに来てやったぞ!」

「おまえは来るなあああぁぁぁ!」

 どっこおーーんっ! 俺様の放ったフライングニードロップは、宿敵・安田平輔を女子両脇のゴミ置き場へ頭から突っ込ませた。

「あ、きたわね」

 玄関では、美咲先生が待っていた。学校の仕事は終わったか、今は私服だ。

「それじゃ、寮を案内するからついてきて。あ、男子禁制だから安田君はだめよ」

「英一は良いのかあ!?」

「住人だから」

「どぼじでどぼじで」

 アメリカンクラッカーのような涙を流して途方に暮れる平輔を尻目に、俺は先生に案内されるままについて行った。すぐ後ろには、朋香・未来ちゃん・みことちゃんもいる。

「一階と二階、合わせて7部屋。トイレは一階と二階にひとつづつ、ノックは忘れずにね」

 広い廊下を右へ曲がると、リビングへ入った。ほどよい広さの部屋にソファーとガラス張りのテーブル、角にはテレビも置かれている。

 先生は左手の部屋へ入り、

「それから、ここが台所。食事は朝7時と夜7時半ね。門限は夜7時厳守だから遅れないように」

 きびきびと説明し、止まる。

「そしてここがお風呂場だけど、飯島君は使っちゃだめ。近くに銭湯があるからそこを利用して」

「な、なんで?」

「男に入られるのはどうしても嫌だって、寮長代理がね」

「寮長代理?」

 聞き返すと、リビングの奥の引き戸がガラリと開いた。

「げほげほげほ。こ、ここまでホコリがたまってたなんて」

 マスクをつけたジャージ姿の真紀子が、ホウキを片手に部屋から飛び出してきた。もうもうとした煙と共に。

「彼女が寮長代理。そして私が寮長ね。住人は他に、飯島朋香さんと金沢未来さん。それともう二人いるんだけど、まだ帰ってきていないみたいね。彼女たちはあとで紹介するとして──」

 リビングへ戻った美咲先生は、俺たちを一通り見渡し、言った。

「ほらみんな、新しい住人に挨拶して」

 真紀子は嫌々そうに、他の子はまあそれなりに。声をそろえてこう言った。

『ようこそ、笹川学園女子寮へ』


         *


 案内された新しい俺の部屋は、やたらと暗かった。

 そういや、雨戸が壊れてるとか朋香が言っていたような気がするな。

 そして、やたらと煙い。この暗さでもはっきりとホコリの舞っているのがわかる。

 手探りで、引き戸のすぐ脇にあるスイッチを見つけ出し、

「電気つけるぞ」

「ちょ、ちょっと待って!」

 焦ったように真紀子は言い、あわてて部屋から出て行った。廊下の曲がり角まで下がって壁越しに、

「電気つけて良いわよ」

「おいおい、まさか粉塵爆発でも起こす訳じゃあるまいし」

 蛍光灯にひびが入ってるとかグローランプが逝かれてるとかスイッチの接触が悪くて火花が飛ぶとかそんなことでもない限り──、

 …………。

 ちょ、ちょっと怖くなってきたかも。

 この煙たさからして、粉塵爆発の可能性は大いにあり得るぞ。

「どうしたの? 早くつけなさいよ。男でしょう?」

 こ、この女は、こういうときばっかり。

「ええい、つけたるわい! ぽちっとな」


 どおぉんっ!


「どわあっ!」

「きゃあっ!」

 さようならみなさん。始まったばかりなのに申し訳ない。短い物語だったけど、これでおしまいです。さようなら、さようなら、さようなら。

 …………。

 …………。

 …………。

 あれ?

「爆発じゃあ、ないみたいね」

 おそるおそる、真紀子がこちらにやってきた。

 確かに、地響きはしたけど爆発にはほど遠い物音だった。

 目をこらしてよく見てみる。

 蛍光灯に照らされながらも、その部屋は視界がやたらと悪かった。

 ホコリが舞い降りていくにしたがい、次第に部屋の様子がうかがえるようになっていく。

 四畳半だろうか。比較的狭い、タタミの部屋。しかしもちろんイグサのにおいなんか微塵もしない。むせかえるような、ホコリ臭さが充満している。

 部屋の中には大きいつづらに小さいつづら、じゃない、大小様々な箱が積み上げられ、壊れたテレビなどの電化製品、半透明のゴミ袋などが所狭しと積み込まれている。

 確かに、倉庫というよりはゴミ置き場だ。

 どうやら先ほどのは、この荷物の一部が崩れ落ちた音らしい。

「ネズミでも逃げ出して、崩れたのかしらね」

 ──誰がネズミよ!

「ん? 今なにか言ったか?」

「だからネズミが──」

「いや、その後に」

「なにも?」

「…………」

「…………」

 ま、いっか。

「それじゃ、さっさと掃除を済ませるわよ。あたしは明日、朝一番の便で実家に帰らなきゃいけないんだから」

「急ぐんなら、俺一人でやるが?」

「あんた一人に任せられるわけないでしょう」

「信用されてないなあ」

「当たり前じゃない。学園の掃除の時だって、いつも安田君とホウキでチャンバラごっこしてて。いつまでたっても子供なんだから」

 そう言いながら、真紀子はちゃっちゃとホウキでホコリをはき出していく。

「リビングにもホコリが行っちゃってるから、そっちもちゃんとやってよ」

 お節介というか世話好きなのは良いのだが、この口の悪さはなんとかならんもんかね。

「そういや、おまえの実家ってどこだっけ?」

 俺も掃除をするフリをしながら、なんとなく真紀子に尋ねてみる。

「福岡よ」

「東北出身でしたか」

「それは福島! 四十七都道府県くらいちゃんと覚えておきなさいよ」

 関東人としては、一都六県以外はアバウトというのが普通だよな? な?

「福岡県ってどこだったっけ? 石川県の隣?」

「それは福井! 福岡県は九州よ」

 いい加減疲れたように、真紀子はトーンを落として言った。

「ほらほら、口よりも手を動かして」

「俺はどっちかというと腰を──」

 ギロリとにらまれて、俺は黙り込んだ。

 いかんいかん、これでは平輔と同レベルだ。

「そっち持って。運び出すから」

「あいよ」

 使えるかどうか微妙な25インチテレビを二人がかりで持ち上げようとするが、つかみ所が無く、うまくいかない。

「ああ、俺がやるわ」

 言って、俺は一人でテレビを持ち上げる。取っ手の位置からして、一人の方がやりやすい。

「…………」

「ほい、次は?」

 廊下まで運び出し、尋ねると、はっとして真紀子は咳払いをひとつ。

「腕力だけはあるわね」

 かわいくねーの。まったく。

 …………。

 それからしばらくして、ようやく一区切りがついた。

 粗大ゴミは裏庭へ運び出し、保留の荷物は隅っこへ移動。俺一人が寝起きするには十分なスペースが確保された。

「おっけー。助かったわ」

「どういたしまして」

 素っ気なく、真紀子は答える。

「コーヒーでも入れるわ。コップある?」

「ほとんど焼けちまったからなあ。教科書とかは教室に置きっぱなしだから運悪く残ってるけど」

「運悪く?」

 つり目をこちらに向けるも、少々気の毒そうにため息をつく。

「あんな大火事じゃ、たいしたものは持ち出せないわよね。あたしの湯飲みを貸してあげるわ。他にも足りないものがあったら言って」

「いや、とりあえず金だけは持ち出したから、必要なものはまたそろえ直すが」

「あんたって本当に楽天家ねえ。今飲む分は必要でしょう? はい」

 あきれて言いながら、真紀子はキッチンからコップを二つ持ってきた。

「はい、おつかれ」

「サンキュー。これからよろしくな」

 コーヒーを受け取りがてらに言うと、真紀子は視線をそらせた。

 ……照れてるのか?

 入れ立てのコーヒーの香りを堪能し、湯気を立ち上らせるコップをまじまじと見て考えた。

 ……もしかして、これって間接キス?」

「な、なに考えてるのよ!?」

 ぐわっ、声に出してしまったか!

「やっぱり返して!」

「いいじゃねえか減るもんじゃなし、ってそうじゃなくて! ちゃんと洗ってあるなら大丈夫だろが」

「そんなこと言われれば気になるわよ」

 顔を赤くしてコップを取り戻そうとする真紀子に、俺は中身をこぼさないように高く掲げてこれをかわす。

「あら、仲の良いことでうらやましいわね」

「にょお!?」

 脈絡無く現れた美咲先生に、思わずコーヒーをぶちまけそうになった。あわてて真紀子も俺から離れる。

「あ、気にしないで続けて。私は扉の隙間から覗いてるから」

「覗くんですかい!?」

 この先生、微妙にヘンじゃないですか?

「こんにちわぁーーーっ!」

 続いて聞こえてきたのは、覚えのある甲高い女の子の声。みことちゃんだ。

 さらに朋香・未来ちゃんと部屋に入ってくる。手にはスーパーのビニール袋を持っている。

「引越祝いをするの! それでみんなと買い出しに行ってきたの」

「ありがとうみんな、こんな俺のために、ありがとー、ありがとー、ありがとー」

「わあっ!?」

 驚いて女の子達が飛び退く。感激の涙を流しながら、平輔がビニール袋の中身をあさっていた。

「なにをやっとるんだおまえわ」

 みしり、と後頭部を踏み抜いておく。顔面に畳の跡をくっきりと残しながら、にこにこと平輔は起きあがった。

 こいつ、美咲先生以上に神出鬼没だな。

「みんなこいつばっかり優遇しすぎ! 俺だってあの大火事で傷ついてるんだぞお癒してほしいんだぞお」

 えぐえぐ泣き出す平輔にみんなだまり伏せてしまうが、長年のつきあいたる俺には嘘泣きだということが丸わかりだ。

「まあ、今日くらいはいいかもね。安田君もご一緒にどうぞ」

 かくして、お邪魔虫込みの宴会が催されるのであった。四畳半にこの人数はきついから、続き部屋となっているリビングも使っての宴会だ。

「あ、そのビールは私のだから飲んじゃだめよ。学生さんはジュースをどうぞ」

 ちっ。おおらかな先生といえども飲酒までは認めてくれんか。

 ジュースとお菓子と雑談に花開くなか、みことちゃんはこんなことを言った。

「この寮は、屋上には上がれるの?」

「上がれるわよ。二階の納屋から出たところにハシゴが置いてあるから」

「みこと、高いところから町を見下ろすのが好きなの。うちには大きな展望台もあるの」

「よし、なら今度一緒に屋上に行ってみよう」

「うん!」

 続いて朋香が真紀子に聞いた。

「真紀子さんはこの週末に帰省するんですよね?」

「そのつもり。朋香さん達は再来週だっけ?」

「はい。その予定です」

「まて朋香。おまえ、カルフォルニアまで行くつもりなのか?」

「あ、そうじゃなくて。わたし、未来の帰省についてってるんだ。ね?」

「うん」

 さきいかをもぐもぐ、未来ちゃんがうなずいた。

 なるほど。一人残されるとへたに外出できないからなあ、朋香は。

「みんな、順繰りに帰省してるんだ?」

「うん。寮を完全に留守にしないように」

「未来ちゃんはどこ出身?」

「秋田」

「太平洋側だっけ?」

「日本海側! あんた、わかってて言ってるでしょう?」

 ツッコミはもちろん真紀子によるものだ。

「はーっはっはっは! 英一よ、ひっく。俺は前からおまえが気にくわなかったんだひっく」

 な、なんだあ?

 平輔がいきなりしゃっくり混じりにからんできやがった。

 見ると、ビールの空き缶がいくつか転がっている。

「て、てめえいつの間に! 俺にも飲ませ──」

「やめなさい!」

 げし、と真紀子にはたかれてしまった。

「英一よ、ん~? おまえは、この中で誰が一番好きなのかなあ? 平輔君の予想としてはだね~、ひっく」

「先生、なんでこのバカにビールなんか飲ませ──」

「すう、すう……」

 寝てるし。

「はーっはっはっは! 食らえ、怒りのジャーマン・スープレックス・ホールドぉぉぉ!」

「ええい、こざかしい! てめえがその気なら受けて立ってやろうじゃねえか!」

「先生、こんなところで寝ると風邪引きますよ」

「きええい!」

「それじゃ、今日はお開きだね」

「どおりゃあ!」

「まったねー、せんぱい!」

「ちぇすとー!」

「おやすみなさい」

 …………。

 …………。

 …………。

 ぜいぜい。

 な、なんとか平輔のアホンダラをふんじばってゴミ捨て場に捨ててまいりましたよお客さん。明日の朝、回収車がきっちり片づけていってくれることを祈るばかりです。

 改めて見渡すと、なんかここにきたときとあまり変わらないような煩雑さに戻っていたり。

 女の子達も自分の部屋へ帰ってしまったようだ。

 なんか、えらい疲れたな。

 ショッパムーチョが一袋残ってたよな。あれでも食って──

 あれ? 食い終わってらあ。

 ちぇ。

 途方に暮れて、俺は天井を見上げた。

「天国にいるお母さん。こんな僕を、どうか見守っていてくださいね」

 手を組んで、俺は窓の外の星に願いを──って雨戸開かないし。いやそれ以前におふくろは生きとりますがね。

 ま、いいや。寝よ。

 横になれるスペースさえあれば、俺はいつでもどこでも寝れるのだ。

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