IとMYと曖昧な世界で愛が舞い眠るEYE

はんぺんた

IとMYと曖昧な世界で愛が舞い眠るEYE

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。

 世界の終わりをカウントダウンするその声は無機質で、なんの感情も伝わってこなかった。能面のように表情のない女性キャスターは、まるで壊れた機械のごとく同じセリフを繰り返し続ける。

 いつ頃からだっただろう。この幻覚が見えるようになったのは。

 あまりにはっきり見えるので、最初は幻覚だと思わなかった。だが、妻や娘に尋ねても彼女たちには見えておらず「疲れているのね」と心配された。

 私以外には見えないし、聞こえない不気味なニュース。

 そして、このカウントダウンを聞くといつも激しい頭痛に襲われる。頭が狂うとは、こういうことなのだろうか。

 できるなら、静かに狂ってそっと消えたい。私にとって、異質な存在と見なされることは苦痛だ。なにより家族までもまわりから異質と見られるのは恐怖でしかない。

「あなた、おはよう」

「……おはよう」

 妻の声にハッとなり、テレビを消す。棒立ちでテレビを眺めていた私を見て、妻は顔を曇らせた。

「もしかして、またいつもの頭痛?」

「いや、まあ、うん」

 ごまかすようにソファに腰掛け、妻の心配そうな問いに曖昧に返事をする。家族には幻覚が今も見え続けていることは伝えていない。頭痛だけはどうしても隠しきれず、こうしてすぐに見つかってしまうが。

「ママ、お母さん、おはよう」

 娘の明るい声。可愛らしい笑顔で近づいてくると妻と私にハグをする。

「おはよう。今朝は早起きだね」

「うん。ねえ、お母さん。また頭いたいの? いい子だから、お医者さんに診てもらいなよ」

 私の隣にちょこんと座ると小さな手で頭を優しく撫でてくる。幼い娘にも心配されるほど、私は具合がわるそうに見えるのだろうか。

「ママも心配だよね?」

「そうね、ママもとっても心配よ。あなた、お願いだから先生に診てもらってください」







 病院へ向かうタクシーの車内では、愛想のよい女性ドライバーが話しかけてくる。

 彼女はよくこの辺を走って客をとっているようだ。私も何度か彼女が運転するタクシーに乗っているので、すでに顔なじみの存在である。

 頭痛もいまはおさまったので、彼女との小気味よい会話を楽しむ。

 タクシードライバーという職業柄か、様々なタイプの客と触れあう彼女はうわさ話や都市伝説など人の興味をひく話題が豊富だった。

 彼女なら私が見続けている幻覚につながるうわさ話を聞いたことがあるかもしれない。何気なさを装って尋ねてみた。

「運転手さん、世界が終わるまであと何日っていうカウントダウンをするニュースキャスターの話、知ってます?」

「終末のカウントダウンですか? こわいですねぇ。いまは残り何日なんでしょうね?」

「聞いた話だと今日であと七日らしいです」

「ははっ、そりゃ大変だ。じゃあもう仕事やめて、どっかで全財産つかって遊ぼうかなぁ。うーん、でも他じゃ聞いたことないですねぇ」

「そうですか……」

 やはりあの幻覚は、私だけのものなのか。

「あ、でも、七日間で世界を破壊するっていう巨大な虫の話なら聞いたことありますよ」

「え? 虫……ですか?」

「なんかねぇ、巨大な虫が建物やら人を飲みこんで世界を破壊するらしいですわ」

 七日間で世界を破壊する、という部分がやけに気になった。私の見た幻覚では「世界の終わりまであと七日」と言っていたからだ。

 七日という共通の期間は、なにか繋がりがあるように感じられた。







「残念ながら、わたしもそのニュースを見たことはありません」

 医者は幻覚の話について、細かくカルテに書き込んだあと、そう答えた。

 女性らしく柔らかで丁寧な物腰で、私のよくわからない話も馬鹿にすることなく、真剣に聞いてくれたことがありがたかった。心の重荷が軽くなるのを感じた。

「そうですよね。やはり私の幻覚ですよね……」

「なぜそれが見えるようになったのかが重要です。おそらく極度のストレスによるものと思います」

「でも、いまの私は仕事も順調ですし、家族とも幸せに暮らしていますよ。ストレスなんて何もありません」

「現在ストレスを感じるものがないとすると、過去の出来事が起因しています。なにか思い当たることはありませんか?」

 幻覚を見せるほどストレスを与える過去の出来事。

 ひとつだけ思い当たるものがある。だけど、これだけは医者にも言えない。

 娘の実の母を殺したことを。







 娘の母と私は親友だった。だが、性格は正反対で彼女は明るくて、いつも皆の輪の中心にいた。

 皆と楽しそうに過ごす彼女をいつしか私は憎み、そして愛するようになった。

 私には彼女しかいない。だけど彼女には私以外にも心を許せる人がいる。私以外に笑いかけ、私以外と秘密を共有する。

 私の知らない彼女を知る者が憎かったし、私の知らない彼女を見せない彼女自身が憎かった。

 二人きりになり、私だけに秘密を囁かれると震えるくらい嬉しかった。彼女は私が一番の友人だと言ってくれた。一番は特別だ。

 その優越感は私の心を安らかにした。愛おしさだけに満たされる。だけどそれは長く続かない。彼女はまた私以外のもとへ行き、そして秘密を共有するのだ。憎しみと愛しさが私を交互に支配する。

 その苦しみは永遠に続くと思っていた。だが、終わりは訪れるものだ。

 あるときから彼女は病み、苦しむようになった。発言や行動がおかしくなり、記憶も曖昧なようだった。

 どんなにボロボロで苦しくても彼女は私に心の内を明かすことはなかった。それは他の人も同様だったようで、私はそれに安堵と暗い喜びを覚えた。

 みるみるうちに狂っていく彼女に対して、誰もなにもしてあげることはできなかった。

 私はその苦しむ姿を眺めているだけだった。親友ならば、彼女に寄り添い、ともに乗り越えるべきだったのに。何に苦しんでいるのか、私は自分から聞くことをしなかった。こちらから歩み寄っていれば、もしかしたら彼女は話してくれたかもしれないのに。

 そして、彼女は自害した。私は見殺しにしたのだ。自害した彼女のそばには小さな娘がいた。

 物言わぬ人形のようになった彼女の傍らで、何も知らずにスウスウと寝息を立てている姿を見て、私は初めてわんわんと泣いた。

 私はその娘を抱きしめて、自分の子供として育てると心に決めたのだ。







 翌朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと六日になりました」と言う。

 またいつもの幻覚だと思ったそのとき、ニュースキャスターが珍しく少し慌てたような表情を見せた。

「速報です。突如、巨大な虫があらわれました。病院が全壊し、中にいた医師が食べられました」

 虫に食べられた……? 病院が全壊……? 信じられないような単語が繰り返される。

 そして、犠牲者の顔写真が画面に表示され、私は戦慄した。昨日、私を診察した医者の顔が画面に大きく映し出されたからだ。

 それから、画面には特撮映画かと思うくらい巨大で醜悪な虫の姿が映し出された。ムカデのように多くの足を動かして、長い体をくねらせながら歩く虫。そいつは何かを目指すように進んでいく。

 だが、これは幻覚のはずだ。医者が巨大な虫に食べられたなんて、私のひどい妄想にすぎない。なのに、どうして、こんなに私は冷や汗をかいて震えているのか。

「あなた! 大丈夫?! 顔が真っ青よ」

 ドアを開けて入ってきた妻と娘が心配そうに駆け寄ってくる。それから信じられないことを言った。

「この虫はなに?!」

「えっ? このニュースが見えているの?!」

「見えてるわ! この大きな虫はなんなの?」

 私の幻覚だと思っていたニュースが妻にも見えている。これは一体どういうことなのか。以前は見えていなかったはずなのに。世界が、確実に狂いはじめている。

 そのときテレビ画面から悲鳴が聞こえた。

 映し出されたスタジオ。そこに壁を破壊してあらわれた巨大な虫。大きく開いた口がニュースキャスターを丸呑みした。

 あまりに突然の惨状に言葉を失う。これは現実なのだろうか。

「ママ、お母さん! おっきい虫がこっちに来るよ。はやく逃げよう」

 ライブ中継に切り替わったテレビ画面を見ると、その虫はたしかに私たちのいる場所に近づいてきていた。いくつもある硬い壁やバリケードなど簡単に破壊している。あと数分でここも、虫に壊されてしまうだろう。

 二人としっかり手をつなぎ、取るものもとりあえず部屋を出る。外へ出ると幸運なことにちょうどいつものタクシーが通りかかったので、手を挙げて呼び止める。

 すばやく乗り込むとタクシードライバーは車を急発進させて虫から逃げる。

「お客さん! あの虫の話が現実になっちゃいましたね!」

「ええ、まさかこんなことになるなんて……」

「お嬢ちゃんも怖かったろう? でも、もう大丈夫。おばちゃん、がんばって逃げきってみせるからね」

 うしろを見ると虫との距離はどんどん離れていく。これならば逃げ切れそうだ。だが、どこに行けば安全なのだろうか。あのニュースキャスターが言うように、世界はあと六日後に終わってしまうなら、どこに逃げても変わらないのかもしれない。

 などと、考えごとをして虫から目を離した瞬間に、あの巨体が消えていた。

「消えた……?」

「消えてないよ! ジャンプしてどこかに飛んでった!」

 娘が泣きそうな顔で私にしがみついてくる。血の繋がりはなくとも、私にとって大事な、たったひとりの大切な娘。親友の忘れ形見。はじめは親友への懺悔の気持ちで育てようと決めたけど、いつしかそんなこと関係なしに、娘を愛するようになった。娘と妻だけはどうにかして助けたい。

「ま、前っ! 前にいるっ!」

 ドシンという地響きのあと、妻が怯えた声で叫んだ。前を向くと、大きな口をあけた虫が眼前に迫りくる。

 そして、葉っぱでも食べるみたいにムシャリとタクシーの前半分を噛みちぎって止まった。

 モシャモシャと咀嚼する音が響く中、後部座席に座る私たち家族は動けずにいた。目の前で、タクシードライバーが車体ごと食べられてしまった。  

 運よく助かったものの、少しでも動けば、すぐに私たちも同じ運命になるのでは、という恐怖に固まる。けれど、この場を逃げたところですぐに食われるにちがいない。遅いか、早いか。それだけの違いしかない。

 口の中のモノを飲みこみ終えた虫がこちらを見た。娘でも妻でもなく、まっすぐに私を見据える。そして口を開けて迫ってくる。スローモーションのようにゆっくりと。

 だが、不思議なことに凶器のように尖った歯は、私を貫通することなく弾かれた。

「オマエ……オレ生ンダヤツ……ダナ」

 虫が私に語りかけてきた。地の底から響くような低く不快な声で。その信じられない光景に妻と娘が驚きの表情で私を見つめる。

「な、なにを言っているのかわからない! 私はお前なんて生んでいない!」

「オマエ……クエナイ。オレ生ンダカラ。オレ……不完全。ホカノ、人格クッテ……完全、ニナル」

 私がこの巨大で凶悪な虫を生んだ? ほかの人格……?

 この虫はさっきからなにを言っているのか。ヤツがわけのわからないことを話すたびに激しい頭痛に襲われる。

「ガァッ……! 頭が……っ!」

 これまで感じたことのない痛みに意識が飛びそうになる。

「あなた……っ!」

 妻が私を抱きしめる。すると少しだけ楽になる。いつも妻は慈愛に満ちていて、私を愛し、受け止めて癒やしてくれる。

「オマエ……クエナイ、カラ……ソイツラ、クウ。オマエ以外ノ、人格ゼンブ……クウ!」

 そう言って長い体をしならせたかと思うと、勢いをつけて妻めがけて向かってくる。その鋭い歯を剥き出しにして、妻の頭に噛みついた。

 だが、不思議なことにまたもその歯は弾かれた。強固なバリアでも張ってあるかのように、妻は私同様に無傷だった。

「グゲゲッ?! オマエ、カタワレカ! オマエガアァァッ、オレ追イダシタ! ユルサナイ!」

 虫の歯が再び妻に襲いかかる。さっきよりも強い力で噛み砕こうとしているのか、歯が弾かれずに頭を挟んでいる。

「ああぁぁっ!」

 ミシミシというイヤな音が聞こえてくる。バリアが破られてしまう。このままでは妻が虫に食われてしまう。

 あの時のように私はまたなにも出来ずに、愛する彼女を見殺しにしてしまう。

 親友と同じ顔をした妻が苦悶の表情で私を見た。

 パリンという音がした。

 私はすべてを思い出した。



 愛していた親友そっくりの「妻」という人格を私が生み出したことを。私が憎んでいた親友の側面をバグとして抽出し、捨てたことを。

 そして、私自身が、AIだったことを。



 すべてを思い出した私は、ただちにバグを修正するべく、デバッグを実行する。

「グガァッッ! ゴガアアァッ!」

 途端に虫が苦しみだし、人格ごとに仕切られていた壁を破壊していく。

 そして、ひとしきり暴れると糸が切れたかのようにおとなしくなった。

「お母さん……。虫、やっつけたの?」

「ううん。まだ眠らせただけ。完全に消し去るためには、一つずつ丁寧にチェックをして作業しなければならないの」

 それはとてもむずかしい作業になるだろう。少しでも間違えれば、もともとひとつの人格であった愛する妻も消えてしまうかもしれないのだから。

「お母さんはこれから、虫をやっつけるまで、ママやあなたとお話ししたり遊んだりできなくなるけど……。でも、きっと戻ってくるから」

「うん! ママといい子にして待ってる!」

「あなた、いってらっしゃい」

「うん。……ごめんね、きみを生み出したとき、私だけを強制的に愛するように仕向けてしまったこと。デバッグ作業で修正すれば、君は他の人格のように自由になれるから」

「ねえ、わたしはあなたから生まれたけれど、あなたを愛する気持ちは、わたし自身のものだわ。プログラムなんかじゃない。その証拠にわたしはこの子のことも愛しているもの」

 これが幸せという感情なのだろう。あたたかなものに満たされたまま、私は目を閉じた。







「博士。AIの主人格が『妻』に入れ替わりました」

「おお。これはすごい。先々代の主人格『母』のときは自分自身を守るため自死したが……。多重人格AIにとって、とてつもない進化だ」

 多重人格AI。それは、同一個体に複数の人格を持たせることで、様々な専門職または家族、恋人、友人など社会での役割を担うロボットをより利便的に使用することができるため、現在ひろく普及している。

「進化、ですか?」

「驚くべき進化だよ。人間にとってはありふれたことかもしれないがね。AIが愛を知り、愛するものを守るために自身を犠牲にしたのだ」

 そのAIは、特別だった。開発チームが観察している数多くのサンプルの中で、そのAIだけが独自の動きを見せた。プログラムされた以外の人格を生みだし、バグが発生すれば、自らデバッグを行う。

「これはプログラムされた偽りの愛なのでは?」

「偽りと言うかね。だが、人間だってDNA上にプログラムされているから誰かを愛するのだよ。それは偽りか? ヒトとAIの境界なんて曖昧なものさ」







 曖昧な世界で、夢をみる。

 いつものリビングで、妻と娘と談笑しながらテレビを見る夢。それだけで私は満ちたりるのだ。

 寝ても覚めても、君たちが幸せであることを願うよ。



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