最終園

ハメリュ

第1話

「本日は、園人の入れ替えの日である。新入園人は倍の人数なので、上の階も使う。素早く、移動、焼却すること。」

「イエッサー。」

ここは、人間の最終園、自分でもうこの世にはおさらばしたい、生まれ変わりたいと入園できる。

誰にも迷惑をかけずに、決まった日に死ねるのだ。

だから、病気で家族にお世話にならなくても、自分でここにきて、入園を決める者もいる。

もちろん、ご家族が来て入園をさせる場合もある。

この世に生を受けても、家族の厄介者は沢山いる。

自分で自分が嫌になって、死にたい人もいる。

病気になったばかりで、苦しむのが嫌だの、誰かに面倒になるのは嫌な人は、自分で手続きしてその場で入園出来る。

入園したら、死にたい日を決めてそれまでは、無料でゆったり過ごせる。自分で望んだ人は、

誰一人として死にたくないとは言わず、そのまま死ぬ日まで自分のしたい事をしている。

だいたい、混んでいなければ、1週間以内で、寝てる間に死んでいて、朝には焼却炉に係が運び、その日の午後から全体でお葬式があるが、ほとんど人は来ない。

そのまま、その日の全員のお骨をお墓に入れるようになっている。

お引き取りは、ほとんどない。

世も冷たい世の中になった、といえば聞こえが悪いが。

でも、この方が良いのだ、代々お墓を守っていくなんて、今や考えられない時代になってしまった。

自分で病気になったら、私も直ぐこちらの園に入園するつもりだ。

病院に行って、検査をして、また、検査、薬を飲んで、通院して、寝たきりになって、家族や看護師にお世話になるのなら、もう、この日と決めた日に、死んでもいい。

健康な時に、出来ることが、出来なくなり、人にお世話になり、負担になるのなら、いらないだろう。

そうなった自分がいなければ、関わっている人は、私のお世話をする時間を他の事に当てられる。

病人の世話や介護は、人の時間を奪っている。

私以外にもそう思う人はいるだろう。

現に私がヘルパーとして働いた時も、90歳過ぎたおばあさんは沢山いて、毎日死にたい、死にたいと言っていた。

私も、思う様に動けない、働けないなら、死にたいと考える。

自分が、それを選べる今、この最終園に入りたいと思い、今日はやってきた。

病院で検査はしていないが、最近めまいが酷い。

もう、54歳この先は、急に倒れたらどうしよう、重い病気だったらどうしよう、なんて考えない。

人に迷惑をかける前に、死ねるところが有れば、入りたい。

だって、道端で転んだら、皆さんに迷惑をかけてしまう。

病気になって入院しても、私の子供達が入院費を払ったり、洗濯や介護をすると思ったら、そんなのは、自分が邪魔すぎる。

みんな自分の生活があるのに。自分と自分の家族が生きるのに目一杯なのに、それプラス、死にいく人の世話は必要なのか?

本人も喜ばない、むしろ辞めてほしい、みんなに迷惑をかけ、お金も出させて、生きたくもない。

怖い事など、ないのだ。

寝てるうちに、苦しまず死ねるなんて最高だ。

中には、家族に邪魔にされここに連れて来られた方は、最後1人で過ごす部屋でも、叫び、暴れて、疲れ果て、ベットに繋がれて最後の日を迎えるのだが。

私は、すべてを楽しく生きられて、あとしたい事はあまりなかった。孫の成長は見たいが、それはあの世でも、みれるかもしれない。

あれもしたい、これもしたいと言ったら、キリがない、そんな人が、寝たきりでも、いつか治ると、しがみつくのかもしれない。

それは、それで、また復活すれば、とても良い事だろう。

皆もやった甲斐があるという事だし。

私はもう、今世はやる事はやったし、もう、生まれ変わってもいい。

だから、ここ最終園にきた。

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