コストパフォーマンス

シジョウケイ

自己正当論

僕はどうやら「コストパフォーマンス」という言葉が嫌いらしい。


それに気づいたのは今から20年前、大学3年生の頃、講義室で隣に座った2人組の男子学生の会話を聞いてからだ。



『なぁ、この授業出席出したら抜け出してカラオケ行かね?』

『あり。教授カモだから抜けてもばれねえし、ばれても怒られないからな』

『さすが先輩から聞いたカモ授業』

『楽単とってコスパ良く卒業するのが一番だな』



こんなことを言って笑っていた彼らを端から僕も笑っていた。こんな程度の低い学生が明るい将来を歩めるわけがないと。たった90分の授業すら集中して打ち込めない者に何も出来まいと。


そしてカモ授業だと舐めていた彼らはその授業の単位を落とした。


この出来事を機に僕は、「コスパ」という言葉を意気揚々と語っている人間を見ると、蔑みと哀れみの感情が溢れるようになった。



そんな一つの物差しを持っている僕が、社会人生活を通して、この現代の日本を見て思うことがある。


僕の想定以上に「コスパ」というものが人々の行動基準に組み込まれていることだ。


『それ、コスパ悪くない?』


こんな文言をあちこちで耳にする。「コストパフォーマンス」という言葉の本質的な意味を知ってか知らずか、現代の日本人は効率よく、無駄なく生きることが善だと盲信している人が多い。そんなに無駄なことが嫌いなら、無駄にまみれた人生からさっさと…、おっと。これ以上は止めておこう。


最近起きた出来事を挙げよう。

僕の友人Aはとある営業会社で働いている。実力主義が根強い会社で、結果を出すために長時間労働をして毎月の目標達成のために奔走する。その分、結果を出せば年収は他のサラリーマンとは頭一つ抜けた額を得ることもできる。実際Aは良い成績を残し、1000万の大台に乗った。だがそんな高給激務の日々を知ったBという僕の同僚は、Aの働きぶりを馬鹿にするかのようにこう言い放った。


「それ、コスパ悪くない?(笑)昭和の香り残した体育会系の会社でしょ。平均残業100時間とか、時給換算したら他のサラリーマンと変わんないし。そんな仕事に骨を埋めるよりさ、自分の好きなことした方が良いって」


おそらく彼の言っていることは正しいのだろう。コスパ重視のこの世の中では。

だが僕の持論では、こうやって「コスパ(笑)」をひけらかしている奴ほど、持て余した時間や体力を上手く使えずムダにしていることが多い。



僕は考える。どうしてこんな世の中になってしまったのか。原因はネットだろう。


最近は、賢ぶってる髭面の大人が動画投稿サイトでだらだらとビール片手にそれっぽい理屈を並べる配信をし、それを賢ぶりたい年頃の子どもが見るという、需要と供給のバランスが取れた、なんとも素晴らしいビジネスモデルが確立されているのだとか。

それに感化された子どもは、自己を正当化するために気にくわない対象に、「無駄なこと」「意味がない」と口にするようになる。

環境が自分に合わせてくれることなんてないことを教えてあげるべきなのに。


そんな子ども達が大人になれば、どんな職場に勤めても、「自分に合わない」「環境が悪い」と我が儘を並べるのだろう。大人の皮を被ったクソガキ…、いやいや、大器晩成型の大人が大量になるのだろうな。





なにはともあれ、合理的に、効率的に、無駄なく、コストパフォーマンスを追求することこそが至高という考えが根付き始めている現代を俺は蔑み、哀れんでいる。


今年で43歳になり、娘も中学3年生になるが、我が子はこんな大人になって欲しくないと心から願う。



……………おっと、そうだ。今日は買い出しを頼まれていたんだった。スーパーで頼まれた食材を買わなければいけないのだったな。



「えーっと、こっちの肉は100グラム156円で…、こっちは148円だから…」



(終)

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コストパフォーマンス シジョウケイ @bug-u

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