異世界で運輸業を始めることになった。

斧田 紘尚

1-1

 じりじりと照りつける天に輝く太陽の下、息を思いっきり吸い重い段ボールを腰と膝を痛めないよう意識しながら持ち上げる。


 男の居るトラックの荷台は無限に光る太陽の影となって、ひと時の安寧を夏の熱風に晒されるこの男の元へもたらしている。


 男は段ボールの荷物を運ぶためまた暑い日差しの中へ躍り出ると、トラックの荷台と地面の間の段差に躓かないよう目線を下へと落とし右足を差し出す。


 そして次に左脚を差し出しながら前方の安全確保の為に目線を上げ、日差しで熱せられたアスファルトへ着地する。


 足元からは靴底のゴムが焼ける嫌な匂いがする中、肌を刺す暑気に身を晒しつつ花崗岩で出来た門の前までたどり着くと、太陽の熱を存分に取り込んだ黒のインターホンを押す。


 このインターホンも熱によってプラスチックが溶ける一歩手前と感じられるほどに熱せられていて、ボタンに触れた男の指を瞬間焼きかねない程であった。


 インターホンがベル音を数回鳴らすと、それに呼応するように老婆が直ぐにインターホン越しで応答する。


「はいはい、お待たせしてごめんなさいね。どちら様ですか。」


「こんにちは、配達です。」


 男は段ボールから少し身を横にせり出し、インターホンから響く老婆の声に向かって返答する。


 すると老婆は「いま開けますから待っててね」と応答しインターホンを切る。


 ドタドタと廊下を叩く音がするので、男は老婆が玄関に向かって歩いてきているのだろうと考えた。


 老婆が玄関を開くまでの間、男は永遠に真夏の熱気の中で立っている感覚に陥る。


 数十センチ先の目の前の視界が湯気だか蜃気楼だかでフラフラと揺れるほどだった。


 老婆は玄関を開ける準備をしているのだろうか、もう玄関で靴を履いている音がしている。


 男にはその間すらも永遠に感じるほど長く感じた。


 天から降り注ぐ太陽光は男の頭頂部、肩、背中、足元、全てを焼き、肌からは玉のような汗を流させたと思いきや数秒後には何処へともなく蒸発させる。


 毎日の業務によって男は色黒く日焼けしているものの、今日の陽射しは日焼けの度合いをさらに増すように感じるものであった。


 老婆はサンダルを履き玄関のドアをガチャリと開け、ようやく陽射しに焼かれる男を玄関の中へ迎え入れる。


「こんにちは高橋さん、配達の真崎です。お届け物です。」


「あら、真崎さん。ありがとう。」


「お荷物重いので廊下の所まで運ばせていただきますね。」


 男が運ぶ段ボール箱には大きな西瓜の絵が描かれており、箱を開けなくても内容物がなんであるのかは明らかだった。


 だが、この西瓜は花火の八尺玉ほどの大きさがあるようで、さすがにこの大きさ、重さはこの老婆が運ぼうとするには難しい。


 落とした衝撃で中身の西瓜が割れないよう、慎重に腰を下ろしながら荷物を上がり框の奥へ据え付けた。


「いつもすいませんねぇ。ありがとう。」


「いえいえ、ではこちらの箱に貼ってあるのが控えですので。」


真崎は老婆へ箱に貼り付けられた宛名のシールを指し示す。


「あら、サインかハンコは要らないのかしら。」


「ええ、もう必要無くなったんですよ。」


「そうなの、まあ便利になったわねえ。」


 玄関での老婆とのゆったりした会話は、外の熱風でヒリヒリと焼けた真崎の肌を多少癒す事になった。


 だが以前体はまだ火照っており、タラリタラリと数本の筋を残しながら汗玉が額の上を流れていった。


 その様を老婆は気づいたようで、サンダルを脱いで框を登った。


「お外、暑かったでしょう。お茶でもいかが?」


「いえ、大丈夫です。まだまだ配達ありますんで。お気持ちだけいただいておきます。」


 真崎は老婆のその心遣いが心底嬉しかった。


 だが、惜しむらくは未だ配達が数十件残っており、ここをすぐにでも発たないと今日中に配達が終わらないかもしれないという荷物の量だった。


「でも、一杯だけでも飲んでいきなさいな。」


「本当に大丈夫ですよ。また配達に来た時にいただきますよ。」


「そう・・・。外暑いから無理しないでね。」


「ご心配ありがとうございます。では、失礼します。」


 真崎は老婆の見送りを背に、玄関を出てあの暑い陽射しの中を歩きだす。


 外に出た真崎はトラックの方へ歩き始めるものの、その一歩一歩がまるで10Kgダンベルを引きずる様な感覚に陥り次第に足取りが重くなってしまう。


 玄関の中に居る合間、荷物を届ける前より一層陽射しが強くなっていた。

 汗が汗腺から飛び出しても肌に触れる前に蒸発してしまいそうな陽射しだ。


 兎にも角にも、次の配達に行かなければならないので、まずはトラックまでたどり着いて、トラックの中に入ったらすぐに冷房に当って水を飲もう、そう真崎は考えていた。


 だが、この陽射しと気温はその真崎の企みを頭ごなしに拒否する。


 この過酷な夏の環境は真崎の肌を熱く温め、毛細血管を拡張し熱失神の症状を引き起こし始めた。


 なんとかトラックの傍まで歩いたものの真崎はいきなりの眩暈で体をよろけ、トラックのドア前で転んでしまった。


 何とか立ち上がろうにも、心臓の鼓動が急劇に早くなり呼吸の整理もつかず、前のめりに突っ伏す。


 その瞬間、真崎の眼の前には白いファミリーカーが勢いよく、真崎に気付くふりすらなく真崎の方へ向ってきたのだった。


 ぐわんぐわんとする頭を何とか回転させ、この危機的状況を回避しようと精一杯考えるも既にもう眼前にはあの車のバンパーが迫っている。


 どうする?どうやって逃げる?運転手の顔を見、解決手段を考え、その動作をするまでもなく、その時は訪れた。


 バアァン


 老婆は玄関に届けられた西瓜の箱の封を鋏で断ちつつ、次第に見える大きな西瓜の玉を麗しく見つめていた。


 何人分になるかしら、そうだ、今度娘夫婦や孫たちが来たら切り分けて皆で戴きましょう。などと考えていた所に、あの大きな衝突音が響いた。


 老婆の頭には何か嫌な予感が脳裏を過り、急いでサンダルを履き玄関先まで早足で掛けてくると、そこには血の池に佇む真崎の亡骸があるのみだった。


 真崎の首はあらぬ方まで曲がり、明らかに息もしておらず、ほぼ即死という状況であった。


 真崎を轢いたであろうあのファミリーカーを運転していた男も真崎の亡骸まで駆け寄り、真っ青になりながら顔を覆っていた。


 老婆も目の前の状況が次第に理解できたようで、膝を崩し口を覆い言葉にならない嘆き悲しみを涙と共に発露した。


 死者は死ぬ寸前の十数秒間は意識を保っていると言う。


 真崎もまたその通りで、撥ねられた瞬間辺りはスローモーションの様に時間が遅く感じ、吹き飛んだ瞬間、老婆がまだ玄関に居るのを目で確認し、お茶を頂いておけばよかったという後悔と無念さが頭の中を瞬間駆け巡り、視界もさっと暗くなった。


 真崎は遂に、ああ死ぬんだなと諦め全身の力が抜け意識もフッと飛んで行った。


 だが、真崎は目覚めた。


 真崎は見ず知らずの場所で目覚めたのだった。

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