五話 開幕

 翌日、ジャックは職場に赴いていた。


 昨日の事はまだ怪しい。通常の仕事の数倍程の前金を貰ったため、取り敢えずケースを持っていく事にした。


 彼は黒光りのケースを一回り覆うほどの布のカバンに入れて出勤している。

 まあ少し怪しいがバレる事は無いだろう。

 血が所々に飛び散った繫華街では、朝なのにまだ酒を飲んでる集団もいる。

 そいつらはいい年した大人の癖に、やたら大きなラジオで「麻薬がどうたらこうたら銃でうるせえ奴らをうんたらかんたら」ばっか言うラップを聞いていた。

 そうこうしてる内に、彼の職場である探偵事務所についた。


 イタリアのど田舎にありそうな、石造りの古く、小汚い二階建ての家である。


 アカシアの木で出来たドアの横に「ユミール・フッショー探偵事務所」と書かれた看板が書かれている。

 ユミールとはどうやらあの髭面の名前のようだ。

 中はよくある会社のオフィスより小さく、石の壁をオレンジの明かりが暖かく彩っている。

 三つほどの木製の机には、昔ながらのボタン式黒電話と、程々の量の紙とペンが置いてあった。

 そんな机で既にショーンが座り、事務作業に遵守していた。

 短袖のTシャツラフな格好をしていたショーンは、どこかグロッキーな様子で顔が青い。


「ぉぇぇㇲ…」


 彼に気が付いたショーンは消え入るような声で、言語化できない程崩した挨拶を雑に返した。

 彼がすぐさま作業に戻ると、事務所の中は時計の金属音だけが鳴り響いた。

 ジャックは自分のテーブルに座ると、鞄を椅子の直ぐ傍に置き、直ぐ様鳴り始めた受話器を取った。


――――――


「家宝のカメラを探して欲しい……ですか」


 ショーンは眉を指で挟みながら、依頼を聞いている。彼は重そうな指で、右側に置いてある紙に依頼内容を書いた。

 そして既に書かれていた他の依頼書を見て、見て、そしてまた見た後に、彼は眠そうな目で口を開いた。


「まあ、取り敢えず二日後にウチの事務所に午後二時くらいに来て下さい、詳しい事はそん時に聞きます、ほな、また」


 眠気が収まらないような声でそう言うと、乱雑に受話器を置く。

 ショーンはゲップ混じりのため息を吐くと、椅子に全身全てを預けるようにもたれた。

 彼の目には眠気と共に、後悔が混ざりこんでいた。


「一人二次会なんてするんじゃなかった」


 捨て台詞をはいたショーンは、重たい体を起こすと、背中を丸めながらトイレへと向かう。

 しばらくして、遠くから何かを吐き出す声が聞こえてきた。

 その間も、ジャックは彼と同様に電話からきた依頼を聞き、紙に書き移すのを繰り返していた。

 顔を更に青くして戻ってきたショーンは、彼の足元に置かれた鞄を見て足を止めた。


「これなに」


 依頼内容を書いていたジャックが、声に気付き顔を上げた。

 視線の先には、ショーンがケース入りのバッグを持ち上げていた。

 ジャックは蚊を見るような目で彼を見て、すぐさま仕事に戻ろうする。

 そんな彼のテーブルへ、勢い良くバッグが放り込まれた。バッグは書いていた紙や紙の束を、横方向に吹き飛ばす。

 邪魔されてウンザリしたジャックに対し、彼は腕を組んで青い顔で徹底抗戦の意を示していた。


「なあ、話してくれよ気になんだよ」

「…なんでだ」


 彼は徐々に歩み寄ると、放り投げたバッグを見た。


「昨日お前が何も話さなかったせいで俺はモヤモヤしてたんだ」


 ジャックがショーンの机の椅子を自分の前へ引くと、ショーンはそこへ「ドスッ」と言う音が聞こえる程勢い良く座った。


「そのモヤモヤとした物を打ち消すべく俺はあの後酒をしこたま飲んで、そんでこうなったんだ」

「はあ」


 ジャックは呆れた目で彼を見つめるが、ショーンは真剣に話していた。


「だからお前には話さなならん責任がある」

「…そりゃお前が悪いんじゃねえのか」

「いやそれはそうだが」


 ショーンはジャックの返しに対し、食って掛かろうと前傾姿勢でジャックへと近づいた。

 だがなかなかいい返答が思いつかず元の体制に戻っていった。

 彼はここからどうするか、手を口に当てて熟考し始める。それに対しジャックは何も返さず、床に散らばった紙を取り戻しに行き始めた。


「待て」


 瞬間、ショーンから声が掛かって来る。ジャックはウンザリした表情でゆっくり振り向き直した。

 そこにはショーンが何やら決意を固めたような表情で、彼を睨みつけていた。

 彼の表情の意図が読み取れず、ジャックが眉を潜める。


 その瞬間ショーンは突然、右手の指を三本程自身の口へ入れに行った。


 ジャックは突然の行動に驚き、彼の右腕を一瞬で掴み制した。彼は「何する気だ」と至極真っ当な問いをショーンにかけながら、彼の腕を強く握りしめた。


「お前のバッグにゲロ吐いてやる」

「!?」


 ジャックは冗談かと思ったが、彼の謎の決意に満ち溢れた目を見て、本気で吐く気だと確信した。


 彼はもう諦めのついた表情で口を開いた。


――――――


 ジャックの住む街……ニューコランバスはユニティア合衆国の南部にある町である。


 荒廃した山々に囲まれたこの町は、東西南北の方角に各4つ大きな入り口がある。

 南はここよりも治安の悪い国「エル・パッソ」の国境への入り口の為、敷かれている警備はかなり厳重だ。

 他は警備も無く、ただただ大きなドアの無い門が口を開けて人々を出迎えているだけである。


 その内の一つ、北の入口へ黒塗りの車が数十台。そしてウラル-4320に酷似したトラックが一台向かっていた。

 80年代のジープのチェロキーを思わせる黒塗りの車数台は、北の入り口に数百メートル迫った所で一斉に散会する。

 そして一つの陣形を作るように、散らばっていった。

 車からは砂漠用の迷彩柄の服と、防弾チョッキを装備した男たちが一斉に降りて行く。

 彼等にはカタギの雰囲気は全く無く、かなり鍛えられていた。

 一台につき四人程、その内の一人が車のトランクのドアを開けると、黒い箱数十個程が三段になるくらい詰め込まれている。

 男たちが一つ又は二つ素早くかっさらうと、地面に置いて手早く開け始めた。

 箱の中はアサルトライフル、弾薬、手榴弾と物騒なものばかりで、度々組立式のロケットランチャーや機関銃にテント等も入っている。

 男達はそれら全てを使い、数分後には立派な軍事基地が出来上がっていた。


 基地の真ん中には、土だらけの地面の中で、道と分かるよう舗装された道路をトラックが仁王立ちで立ち尽くしていた。

 その中から一人の男が、周りに睨みを効かせながら降りて来る。


イゴール・ジジキンのような、巨躯の強面の男だ。


 巨躯の男が辺りを見回す中、彼等の中で比較的年長な男が、白い魔石を使い応答していた。


『こちら第二軍、東の入り口の封鎖が完了した、応答を求む』

「こちら第一軍、北の封鎖を完了させた第三軍はどうした応答をも……」


 応答している彼を尻目に、巨躯の男が準備を終えた彼等の元へ近づいた。

 彼に気付いた数人の男たちは、様々な体制から一瞬で直立不動へと移行した。

 彼等全員の顔に緊張の二文字が漂う。巨躯の男はニューコロンバスの街を、冷静ながらも怒りが籠った目で睨んだ。


 基地内には途轍もなく張り詰めた空気が流れていた…。



――――――


「軍隊……ねえ……」


 ジャックは色々かいつまんで、自信の経歴を話していた。

 ショーンが理解した事は、どこかの軍隊出身の屈強な男が、変な奴からアタッシュケースを預けられたと言う事だけである。


「で、変な奴からこいつを預けられたと」


 彼が訝しげに猫背でケースを見つめる中、ジャックは散らばった紙を集め始めた。

 ショーンはもう少し深堀りしようとしたが、さすがにしつこいかと考えた。そして自信の机へ戻ると、業務を再開し始めた。

 事務所内では静寂が戻った。が、何かモヤモヤとした空気が漂っている。

 ショーンは何か釈然としない表情で事務作業に従事している。だがまだ、まだ気になるのだ。

 しばらくしてまた彼から何か聞き出そうと、テーブルから身を乗り出そうとした。

 その瞬間、突如ドアが開かれて誰かが入ってきた。飴色のボブカットの美女、キーラである。


Maidin mhaith Sean!!おはようショーン

「⁉、Ma,Maidin mhaithお、おはよう


 ショーンは突然の来訪に驚き、乗り出すのを辞めた。彼女がこの事務所にくることはあまりない。

 その為ショーンは平静を装いつつ、不審そうな目でキーラを見つめた。すると脇に手頃なサイズの小包みを抱えているのが目に入った。

 謎の小包みを見て、ショーンが首を傾げると、それに気付いたのか、キーラは小包みを胸元の前に上げた。


「気ニナル?」


 ショーンは箱を吟味しながら頷ずいた。ジャックも彼女の珍しい来訪が気になり、視線を彼女に移していた。

 小包みには誕生日プレゼントのように、リボンが結ばれていた。


「何カポストニ入ッテタ」

「は、はあ……」


 キーラがショーンに小包みを手渡すと、彼は隅々まで見回し始めた。見た感じ何の仕掛けも無さそうだ。

 彼はそれでも怪しいと思い、耳に当てて見ると、ショーンの眉が急に潜まった。


「ジャック」


 ジャックがショーンの元へ視線を移すと、彼がジャックへ小包みを投げるのが見えた。

 投げ込まれた包みをさも簡単そうにに掴み耳に当てると、規則正しく鳴り続ける電子音が聞こえる。

 電子音は徐々にペースを速めながら鳴り続け、遂にはそのペースがかなり速くなった。

 「その音は何?」と心配そうに聞くショーンへ、ジャックはさも当たり前かのように口を開いた。


「爆弾だ」

「爆弾かぁ」


 ――――彼等の対応は早かった。

 焦った顔のショーンが彼女を守る為に大急ぎで駆け、ジャックが後ろの窓を開け、空中へと思いっ切り放り投げる。


 爆弾は二階建ての事務所をゆうに超え、空中で一瞬だけ静止。そしてそこを起点に朱色の爆炎を轟音と共に全方向へまき散らし


 任務が本格的に始まりを迎えた。

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