百合の気配 2

 慌てて教室へと入るとすでに先生が教卓に立っていた。

 身を屈めながら自席に戻る。クラスの人たちが私を見て――いや、見ているのは先生だけ……だと言いたかったなあ。神乃しんだいさんも見ていた。

 私は気恥ずかしさを感じながら席へ着く。

 するとすぐに起立、そして礼をして再び座る。

 授業に集中しないといけないのに、さっきの神乃さんの言葉が私の頭の中で何度も繰り返す。『わたしと友達になって』神乃さんはそう言った。私の耳元で。囁いて。

 いやほんっっっとなんで耳元で囁いたんだろう? 友達同士の距離感はあれが普通なのかな? いやでも、まだ神乃さんとは友達ではないはず。でも『友達になって』だから友達の距離感で来たのかな? 神乃さんって結構グイグイ来る人だし……。

 私は横目で神乃さんを見る、神乃さんはすでに教科書とノートを広げており、授業に集中している。

 この席と席の微妙な距離感、話しかけるとバレそうだし、そもそも話しかけることはできないけど、なんとももどかしい。『また後で』と言っていたから、次の休み時間になればにかあるはず、なにがあるんだろう? 友達がいない私にとっては未知の領域だ、そもそも私なんかが友達になっていいのだろうか、「友達になります」と頷いた途端にカメラを構えた、感じの悪い生徒(この学校にそんな生徒がいるのかは知らない)にその様子を撮られていてネットに晒されたりしたらどうしよう。いや、神乃さんはそんなことしないはず、だと信じたい。友達のいない私にとっては友達の作り方さえ知らない、もしかして世間一般的には神乃さんのような距離感で友達申請をするのかな?

 そんなこんな考えていると先生に注意された。ハッとして机を見るとノートはおろか教科書すら開いていなかった。私は慌ててノートと教科書を開く。

「あれ……? なんページ?」

 思わず言葉が漏れてしまった。多分誰にも聞こえていないだろうけど凄く恥ずかしい。

 慌てて黒板を見ると丁度先生が板書を消しているところだった。高校の授業進むのハヤイ……。

 いや違った、時計を見てみるとすでに授業の時間は半分を過ぎていた。

 神乃さんのことを考えすぎていたようだ、まだ友達でもない人のことをずっと考えているなんて気持ち悪すぎないかな?

 慌てて考えるのを中断して、授業に参加するため教科書を開く。大丈夫、まだ高校一年の四月だ、教科書もまだほとんど進んでいない。

「二十三ページ」

 私が頭の中で推理していると、左隣から半ば空気に溶け混んだ声が届く。自然と私の背筋が伸びる、もしかして、考えてることバレてた? 私がノートを開きながら、さり気なく声のした方に顔を向ける。

 神乃さんが手を口に当てて「二十三ページ」と、囁いていた。私は顔を前に向けて、教科書の二十三ページを開きながら、髪の毛を忙しなく手櫛で梳かしながら顔の左半分を隠そうとする、授業に置いてかれて焦ってる姿を見て笑われたのかな……?

 聞いていなかった分の板書はどうしよう、と少し悩んだ末に、見せてもらう相手いないし空けていなくていいと結論づけて板書を写す。写してなくてもなんとかなるよね?

 とりあえず授業が終わったら神乃さんにお礼を伝えよう。


 授業の終了を告げるチャイムが鳴る、起立して礼をした後、先生が教室から出ていく。

「あの……神乃さん」

 授業の独特の緊張感から解放されて、丁度教室内が騒がしくなるのを見計らって、私は神乃さんに声をかけた。

「ノートは大丈夫なの?」

「うぇ……!?」

 まさかそう返されるとは思わなかった。

「あ、うん。別に大丈夫だよ」

 自分でもなにが大丈夫なのかよく分からないけど咄嗟にそう返してしまう。

「そう?」

 神乃さんは首を傾げている。ごめんなさい、答えになってなかったよね? でもなんて言ったらいいか分からない、その前に言うことがあるんだった、なんだっけ……。

「あ、さっきはありがとう。あの、ページ教えてくれて」

「お礼を言われるほどのことではないわ、それに……いえ、花灯さん困っていたみたいだし」

「え、いや、お礼を言われるほどのことだよ!」

「そう……それなら良かったわ」

 学校で誰かと会話することなんてほとんどないから、こうして誰かと教室で話すのは変な感じがする。

 だからだろうか、周りの視線が気になる。多分気のせいだと思うけど。

 それきり無言の時間が過ぎる。なにか話した方がいいのかな? こういう時はどんな会話をすればいいんだろう? とりあえず天気の話?

「ねえ、花灯さん」

「うぇあ、ひゃい」

 私が不意打ちにたじろぐと、神乃さんはくすりと笑う。相変わらずお姉さんのような仕草だ。

「さっきの話だけれど」

「え、あ、さっきの? ああ! ノートのこと?」

 さっきの話? いつのことかな、仮にさっきの休み時間の話を今ここでされるのは非常にまずい。別になにもやましいことはないんだけど、クラスの人がいるところでその話は恥ずかしい。

「さっきの休み時間のことだけれど」

 その瞬間、私は神乃さんの手を引いて教室を出る。そのまま向かうのは屋上前の階段だ。

 掴んだ神乃さんの手は、見かけ通り、とても細くて小さく、すべすべしててとにかく力を入れると折れそうだった。神乃さんは抵抗する素振り見せず、素直についてきてくれる。なんなら私の手に指を絡ませてきた。……なんで!?

 さっきと同じ、屋上へと続く扉に背中を預けて、私は他の生徒に見えないように座る。

「あ、えっと。さっきの休み時間の話の続きだったよね?」

 私が声を潜めてそう問いかけると、神乃さんも合わせて声を潜めてくれる。多分普通に話しても全然問題ないと思うんだけど、気持ち的に潜めた方がなんとか会話できる。

「ええ、わたしと友達になって」

「えっ……と。なんで私?」

「花灯さんが可愛かったから」

「かわ――!?」

 思わず聞き返したけど、照れと恥ずかしさが一気に爆発して最後まで言葉を発することができなかった。

 そんな私の姿を面白がるように、神乃さんは私の髪を耳にかける。隠れていた耳が露わになって、冷たい空気が優しく撫でる。

「可愛いわよ、今もこうして照れてる姿が」

 そして私の耳元で神乃さんが囁く。少し温度のある神乃さんの息遣いが私の耳から入り背中を震わす。

「うっ……あ……えっ……えと……」

 胸の奥からなにかが蠢くような感覚に襲われ、落ち着きなく身体を動かす私を、神乃さんは自身の身体を私に当てて軽く壁に押さえつける。

 逃げることができなくなってしまった私になにを言うわけでもなく、神乃さんは無言で待ってくれている。

「あ……はい……」

 私がなんとか口にできた言葉は神乃さんに届いたのだろうか、そう思わせる程の小さな声。

「ふふっ、良かったわ」

 密着されてるから聞こえますよね。

「教室へ戻りましょうか」

 そう言うと神乃さんは私に密着したまま、腕を絡ませて立ち上がる。

 さっきみたいにギリギリで教室に滑り込むことは避けたいから、教室に戻るのはありがたいけど、友達ってどういうものかが全然分からない。

 女の子同士は距離が近いのかな?

「行きましょう」

 神乃さんは腕を私から離す。

 ああ、私を立たせたかっただけか。密着した方が持ち上げる力が少なくて済むもんね。

 私は神乃さんの後ろをついて行く。けれど階段を一歩一歩下るごとに、先を進んでいた神乃さんが私の隣にやってくる。私が下りるの早いのかな、なんて思っていると、神乃さんが私の顔を覗き込み微笑む。

 さっきの神乃さんの言葉を思い出す。『花灯さんが可愛かったから』そんなこと面と向かって言われたのは初めてだったから、どういう表情をしたらいいのか分からない。その言葉は私の表情だけでなく、私の動作にも影響を及ぼす。おもちゃのロボットみたいに、やたらとカクカクした動きで階段を下りてしまう。階段を踏み外さないように必死に意識を足元へ向ける。

「やっぱり体調が悪いの?」

「あ、いや、大丈夫」

「無理はしないでね」

「あ、ありがとう」

 気遣ってくれる神乃さんになんとか言葉を返しながら、私達は教室へと辿り着く。近いはずなのに、凄い遠くまで行っていた気分だ。

 席へ着く直前、神乃さんが私の耳元囁く。

「また次の休み時間で」

 神乃さんが私だけにそう言ってくれたのがむず痒くもあり嬉しかった。その嬉しさは不意に湧いたものだからなにが嬉しいのかはよく分からない、友達ができたからかな?

 そしてその思考を断ち切るように、授業開始のチャイムが鳴る。

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